減っていく日本の教育予算-2

Edubudget1997_2007
 グラフなどにして見える化すると分かりやすくなる一方で,「わかる」と思ったら思考が立ち止まってしまいがちな傾向と闘わなくてはならない(追記:いじめの統計が…という表現がお好みなら,そこを入り口にすればいい)。
 日本の文部一般会計(と教員人件費の代名詞「義務教育国庫負担金」)が減少しているグラフを前回の駄文で示した。しかし,それを見て「文部科学省はどうなっとるねん!予算削り続けて!」と感じて止まってしまったら,それは大いなる誤解である。
 文部科学省は,確かにいろいろ問題のある省庁の代表格であるが,同時に日本の教育についてそれなりに踏ん張っているところでもある。この10年近くに至っては,文部科学省に同情の念さえ抱くような状況になっている(だからといって甘やかしてはいけないけど…)。
 たとえば上のグラフをご覧いただきたい。役所仕事の賜物とはいえ,文部科学省は少しでも事業拡張や予算拡大をしようと概算要求している。そりゃ中央集権的な発想だと論難することもできる。けれども,地方分権にしたとき頼みの綱である地方財政事情が,重厚化しつつある昨今の教育要求を支えるほど,各市町村で等しく豊かで整っているとも考えにくい。国側に余裕のある教育予算が確保されていれば,少なくとも保険にはなるはずである。
 ただここで,皆さんは立ち止まってはいけない。このグラフから受ける印象を確定させる前に,考えたり問わなければならない疑問が山ほどある。「一体,文部一般会計というものの内訳はどうなってるのだろう?」「地方財政における全ての教育予算を合計した数値をグラフ化したらどうなるだろう?」「塾やお稽古事などの家庭における教育費の推移はどうなっているだろう?」そんな素朴な問いをたくさん持たないと誰かに欺かれてしまう。
 (追記:『データからみる日本の教育』を眺めるだけでも結構いろいろなことが見えてくる。各自でご覧いただければ,議論も深められると思う。っていうか,国の一般歳出における構成比上も文教関係費というのは右肩下がりなのね。とほほ…。)
 私たちの生活実態はどんどん変わっている。それに引きづられて価値観もどんどん変化している。鉄道に乗って通勤・出張したり,レジャーに出かけたりする。自動車に乗って営業に走り回ったり,ドライブを楽しむ。居酒屋で仕事を忘れるために酒を飲んで語り明かしたりする。化粧品で自分を素敵にめかし込み,友達とミュージカルに出かけて楽しい時間を過したりもする。帰宅後はスポーツ番組を見たり,エッセイを読みながら夜を過す。チャンネル変えたら,大学の先生か政治家みたいな人が難しいことしゃべってるのでテレビを消して眠りにつく。
 そんな日々を当たり前だと思っている人達が大多数だとしたら,教育の出来事みたいな耳の痛い話は,社会面の話題に押しとどめてしまう方が都合いいかも知れない。その方が都合のいい人たちばかりが,何かを何処かで話し合っている。

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