午前中に自宅で仕事をしてから,昼過ぎの遅い出勤をした。昼過ぎの地下鉄は,おじさんおばさんがメイン乗客のはずだが,この日は試験期間で早くに終わったのであろうか,中高生たちが賑やかに乗り込んできた。
私の隣りに2人分の空席があったので,中学生(もしかしたら高校生か?)と思われる女子が2人座った。2人楽しくおしゃべりしながら,私の隣りに座った女子がお菓子の袋を取り出して一生懸命開けようとする。「え〜!」と心で思って,止めようかと思ったところで封が開いてしまった。間髪入れずにもう1人も菓子袋を開けて見せた。
地下鉄車内でパクパクとお菓子を食べ出した女子2人。その姿はまるで自分の部屋にいるような調子で,スカートに落ちた破片や手についたカスを車内の床に払い落としたりしている。
「おいおい,おまえら」と心で思ってみたが,さて,どうしようか。たまに睨みつけてみたりもするが,全然認識されていない。周囲は女子2人に対して完全無視モードだ。この状況が嫌い。
「雑記」カテゴリーアーカイブ
だぁ〜れ?
学生たちが幼稚園実習を行なっているので,私は指導訪問に出かける。保育所の場合と違い,子どもたちが園で過ごす時間が短いため,幼稚園の場合は午後2時までには訪問しないと,子どもたちが降園してしまって子どもと関わっている実習生の様子を見ることができない。
本来ならば,ゆっくりと訪問して,私自身も子どもたちとふれ合いながら実習生の様子を見てアドバイスしたいが,私のスケジュール管理が甘いせいか,そのための時間を取ることができない。昨日今日だけで九つの園を回り,園長先生たちとの事務的な面談と実習生への短い声がけで済ますことになってしまった。
ところで,私も気がつけば三十半ば。幼稚園へ行くと,そんな自分が端からどう見えるのか,子どもたちの視線から評価を受けることができる。スーツを着て訪問するから,ちょっとハンデがあるにしても,さて,子どもたちからどう呼ばれるかは気になるものだ。「あのひと,だぁ〜れ?」
「おとうさん?!」というのはよくある声。「誰かのおとうさん?」なら園児たちの親になるが,「先生のおとうさん?」となるとビミョ〜か。「新しい先生?!」というのはまれなケース。若い先生というニュアンスが感じられる分,ちょっと嬉しいかも知れない。
出張月間
参加している研究グループで海外学校視察の分担があったので,計画して行かねばと春から模索していたが,あれこれと後手に回しているうちに10月。見かねた協力者の手助けを得て,急遽来週,海外出張することになった。
それで,よくよく仕事の整理をみたら,幼稚園実習中の学生たちを指導訪問する時間がほとんどないことに気づく。慌てて幼稚園にアポ取りながら,突撃訪問。明日も予定を変更して,突貫訪問である。
実習中の学生たちはそれぞれ頑張っていた。厳しく指導してくださる張り詰めた空気の園もあり,いっぱいいっぱいになってる学生もいた。私も出張がいっぱいいっぱいなので気持ちが凄くわかる。発想を切り替えて頑張るように励ました。
来週の海外出張が本決まりになったので,海外出張届けを出さなくてはならないが,実習訪問に飛び回るので,これまた学長先生に提出する時間がない。この前の韓国出張も直前だったので,また迷惑をかけてしまうなぁ。授業休講も手配しないと‥‥。やっぱり私設秘書が欲しい。
そんなわけで,ここでも海外の学校視察の様子をご紹介する予定だ。願わくは,このブログが本来の教育ネタでいっぱいになるように勢いづくといいのだけれど。
我が日本語堅苦しきなり
ご縁をいただいて執筆することになった原稿を,推敲し終えて,なんとかメールで送信した。推敲したといっても,正直言えば,原稿そのものをもう一度捨てて書き直した方がいいかなと思うのだが,また捨てる時間は残されていなかった。
最初のものだって,わかりやすく書こうと思って綴り始めていたが,丁寧に説明すればするほど,どうも文章密度が濃くなって堅苦しい文面になるらしい。それに筆の進み方ものろのろ。
何度か白紙に戻して,読む人の気持ちになってみる。のだが,どうも平均的な読者をイメージするのが苦手な上に,今回のテーマもまた私にとってみれば幅広くて,どこに焦点を当てるべきか大いに迷う。
テーマについて関心のある読者が,パッと私の書いた部分のページを開いたとき,そこに何が書いてあると「面白そうだ」と感じてもらえるだろうか。もっと理論的なことだったのかな。それとも具体的な事柄だったのかな。現状に発破をかけて欲しいのかな。あああ,こんなことなら編集責任者様に聞いておくべきだった。
結局,自分が作り出さなければならないテーマでもあるので,これを良い機会に自分なりの研究を深めていくことにしよう。それにしても,駄文なら,つらつらと書けるのだけどなぁ‥。
旅気分吹っ飛ぶ
韓国・国際会議出席の旅の余韻を書き記す余裕もなく,帰国した途端に職場のサーバトラブルや実習指導訪問のための事前面接アポイントの問い合わせと,慌ただしい。おまけに職場の同窓会事務局のお手伝いを依頼されて夜も9時過ぎ。帰宅は11時。
滞在中の駄文でも書いたが,諸外国の研究者とのコミュニケーションについて,私自身いろいろ考えさせられた。「英語」という言語に対するスキル不足も悩ましいが,私たちの意識が異国の地との関係にどれだけ割かれているのかを思うと恥ずかしい気持ちになる。視野を広げるだけでなく,奥深くに入り込む必要もありそうだ。職場の雑事に呑み込まれている場合ではない。
昨日まで韓国にいたなんて事実も嘘のように,今日はいつもの通勤電車に揺られている。帰路の地下鉄の車内を見回すと,7割の人たちが携帯電話を手前にしてカチャカチャやっている。その風景の異様さを改めて感じることが唯一韓国帰りの証かもしれない。釜山の地下鉄(ソウルの場合は違うのかもしれないが)では,携帯電話を掛けているか,いじっている人は1割にも満たない。日本よりも携帯電話の普及率は高いと自慢する韓国で,である。
要するに韓国の人々は,自分の意識やエネルギーを携帯電話の小さなディスプレイに,そんなに注いでいないのである。それはもちろんメールとの親和性の程度の違いも影響しているのかもしれないが,それにしてもその風景の違いは明らかだ。同じ携帯電話という道具を持ちながら,その道具に振り回されている人たちと振り回されていない人たち。そのエネルギーの消費先の違いが,国全体の勢いにも影響を与えているかのようである。
韓国レポートは改めて書くことにしよう。残念ながら優先させるべき原稿書きが待っている。そちらを片付けてから‥‥。
期日前投票
これから衆議院議員総選挙の投票に出かけようと思っている。もちろん正式な投票日は9月11日なのだが,お出かけする用事があるため,期日前投票制度を利用するわけである。区役所まで行くのが面倒だけど。
選挙を教育の話題から見ることも出来るのだが,小泉流の郵政色の着色芸が上手だから,どうも盛り上がりに欠ける。その間にも文部科学省は平成18年度概算要求を出して動いていたりして,国政って淡々と進むところとひねりにひねって動くところといろいろなのだなぁとため息。
今回の選挙で誰に投票するかは,まだ迷っているところだ。国政レベルで考える頭と,実際の候補者が並んでいて地元で投票しているという現実とが混ざり合い,なんとも難しい。
4年数ヶ月続いた小泉政権に対しての評価ひとつとっても両面ある。4年もの時間の割りには成果が少ない,むしろ悪化しているという考え方もある。一方で,日本全体の空気を少しでも変える時間として4年かかるのは仕方ないのかなという気もしなくもない。確かに足りないところもいっぱいあるが,腰据えて取組ませてあげることも大事かなぁ。
けれども,民主党にでも政権を変わってもらって,もっと破壊の手を早めてもらうことに期待する手もある。小泉首相が自民党所属のままで破壊活動をしようとしているのは評価できるが,実のところ都合が悪いものは後回しにしていることも確か。だから,民主党に暴れてもらった方が悪制度の破壊も早い。その後の創造に心もとなさはあるが,やらしてみないとわからないし。
悩みながら区役所へ行くか‥‥。とにかく個人のレベルにおいては,一票を投じることこそ重要なのだから。
君たち男の子
ふむ,男は孤独なのかもしれない。もっとも人それぞれじゃないかな。小学校の頃から女の子同士と男の子同士の友達との付き合い方や遊び方は,ステレオタイプらしきものがあったし,今でもそれは再生産されているんじゃないだろうか。
生物的な差異がそれぞれの人間の付き合い方に強い影響を与えている面があることは否定できないし,そればかりでなく個人個人の生き方によって男であろうと女であろうと孤独と付き合うことになる人があれば,他者と和気あいあいと生きていくことができる。だから,たぶんこの話は「そういう傾向がある」って話だろうし,そういう男女観の再生産が依然として働いていることの確認になるのだろう。
この話題のもうひとつ興味深い側面は,男の孤独っていうものが「頼りがいのある存在」という強さ関することとして語られるのではなくて,「一人寂しい存在」としての弱さや苦しさのこととして語られることが,顕在化したっていう点である。その表裏が逆転したというか,強さの代表は「出産をする女性の頑強さ」に奪われてしまったというか。
それはどこから始まったのだろう。男達が軟弱化したという80年代的な社会の雰囲気に乗じて現れてきたのだろうか。あるいは陰謀論的にいえば,フェミニズム論者達の牙を抜くためにどこからか流布された似非女性頑強論であって,それに誰もかタダ乗りしてしまったということなのだろうか。あるいは男性的なものの象徴である経済好景気がバブル崩壊によって崩れ去ったことによる,お父さん達の元気のなさによって実体化したそれなのか。
男の子がパソコン通信的というなら,女の子はインターネット的という感じ? 確かに女子学生たちを見ていると,グループを上手に組んで学生生活を送っているし,そうかと思えばグループ再編も目まぐるしかったりして,気がつけばまた違う顔ぶれで集まっていたりする。孤独な私は,そんな環境においてはさらに孤独な男子なのだが,パソコン通信がインターネットメールできるようになってます的な付き合い方で,なんとか生き残っているという感じだ。
仕事に追われていたり,熱中するものがあるときには,男だろうと女だろうと孤独が隣りにいるものさ。そういうもんじゃないかな。
長月にようこそ
9月となった。今日から授業再開なのだが,ちょうど授業のない日だったので,自宅で仕事をする。こんな感じがいいのである。研究者なんだから,どうか誰も怒らないでね。
日曜日の東京出張は,またしても刺激的であった。とある研究プロジェクトでクリエイターに仕事を依頼することになっているのだが,その打ち合わせの場というものに初めて参加した。もちろん,その風景自体はごく一般的な話し合いやディスカッションのようなもので,特別なものではなかったが,複数の人間で創造的な仕事をするのはとても久しぶりだし,プロの方とご一緒するのは初めて。メンバー的にもざっくばらんに意見の出し合える雰囲気だったので,少々脇道に入り込んだり,話が膨らみすぎるという楽しいハプニングはあったものの,良い感じにスタートできそうだった。
職場の方は,悩みの種が相変わらず多くて,てんやわんや。自宅にいると携帯電話に否応なく問い合わせが入る。判断できる人がいないから仕方なく電話掛けてくるのはわかるけれど,何でもかんでも所属長に問い合わせればいいってものじゃないのになぁ。何かに手をつけるというのは,そういうのを覚悟することとはいえ,もっと現場判断できるスタッフが欲しい。
足して二で割り切れなかったけれど
この数日,休めなかった分を取り戻そうかとするように気の向くままの仕事をした。「気の向くまま」ってのが大事である。所詮,上手な休み方を知らない人間だから,その代わりに好き勝手なペースであれやこれや手を出している方が気楽なのだ。
無口に書斎で過ごすのが得意な父と,コメンテータばりに口出し好きな母の間に生まれ育った。噛み合ない両親二人に,兄妹三人が加わって,五人の揃っていた我が家の全盛期は毎日のように派手に家族喧嘩を繰り広げていた。ご近所にも届く大きな声量で,へ理屈から罵倒,ときには暴力を伴って展開していた。様々な事情を抱えて,そもそもコミュニケーションハードルの高い家族であったが,それにしても喧嘩状態における性格の不一致は甚だしかった。
全盛期に比べれば,家族も実家を出て一人減り,二人減り,やがて両親と私たち兄妹はバラバラ。それぞれ年齢を重ねて,だいぶ性格的にも丸くなり,落ち着いた家族間コミュニケーションを持てるようになってきた‥‥と思ったらそうでもなくて,へ理屈の知恵ばっかり増えたおかげで,スローながらも重厚感のある傷つけ合いをするようになった。まったく,人間というのは簡単には変わらない生き物だ。
こつこつ
家計収支のつけたり,ぼんやり生活してみる。少し調子が戻って,ほそぼそと勉強。手書きで文章を書いてみたら,漢字を忘れ始めている事が判明。最近は文章らしい文章も書いてない上に,パソコンで入力するだけの作業になってしまったから,無理もないのか。なるべく手書きで文章を書く機会をつくるとしよう。
8月も半分過ぎた。来月から授業再開。そういえば出張も入るので,届出を出さないと‥‥。非常勤講師先の授業の未消化分を連続でする予定もある。9月も慌ただしい。8月中は学内ネットワーク工事の仕上げ。それが終わったら来年度のパソコン教室の機器更新の商談が始まる。平成18年度以降の情報教育の在り方を気にしながらシステムを練らないと‥‥。