自己点検評価報告の草稿が出来上がった。関係者にメールして見てもらうことにする。もう一つ,職場の創立40周年記念誌の原稿があるけど,それ後回しでいいや。それにしても,そんな草稿を作るのにゴールデンウィークの大半使っちゃったのか。ああ,悔しい。くそぉ,今夜からは研究に使ってやる。すっかり昼夜逆転生活だ。
でも,昨日は両親に誘われて公園散策に行くことになったのだが,なぜか名古屋で元気な栄の新スポットをめぐる散策に切り替わってしまった。栄の街に観覧車をつくってしまったサンシャインというスポットと,名古屋三越が新しくつくったラシックというショッピングスポットだ。あちこちで馬鹿にされているように,名古屋は万博のもあわせて,観覧車乱造ブーム。その単純発想が地元民としては許せないが,サンシャイン自体が若い女性をターゲットにしたお店と小洒落た飲食店舗とラーメン横町を合体させた安直スポット。気が向いたら行ってもいいかなという感じだ。
一方ラシックは,名古屋三越が松坂屋に対抗してつくった新しい小売り館。ヨーロピアン風シックな建築デザインは,上品さを出すのには成功していると思う。ただ,栄の街は世代や客層がぐちゃぐちゃなところなので,実際の雰囲気はまた異なってしまう。それでも,旭屋書店が本格的に名古屋地区に参戦してきたのは歓迎すべき出来事だ。
これは項を改めて論じたい話題だが,この大阪で知られている旭屋書店の登場によって,ようやく大型書店が一通り揃ったのが名古屋という街である。正直,遅すぎる。もしも10年,15年早くに大型書店が名古屋に出そろっていたら,私は絶対そのどれかに就職していたと思うね。もちろん,大型書店と言われるものがない土地にいらっしゃる方々には「なにを贅沢な」と思われてしまうだろう。確かに,ある意味で恵まれていると思う。昨今はインターネットブックストアも馴染みになってきたが,さてと,この話題はもったいないのでとっておいて,もう一度書き直そう。とりあえず,晩飯を‥‥。
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自己点検しながら
のんきなゴールデンウイークを送る一方で,職場の自己点検・評価報告書の原稿をちょこちょこ書いている。書いているとつまらないのでOSの新機能いじったりしてるんだけど‥‥。とにかく休日も派手さはないが,じわじわ仕事。きゃ〜。(壊れかけている自分)
皆様はもう忘れてしまったかも知れないが,この国は平成13年に教育改革六法案なるものを通し,平成14年には学校教育法などが一部改正された。その中で,大学は「教育研究水準の向上に資するため,(中略)自ら点検及び評価を行い,この結果を公表するものとする」という定めが加えられたのである。そしてそれとともに「認証評価機関」という第三者機関の評価を受けなければならないということになった。要するに報告書を作成した上で,嘘偽りがないかどうかをチェックし保証するわけだ。(こんな答申がある)
日頃のちっぽけな取り組みを積み重ねて筋道立てて説明をするというのは,なかなかどうして難しい。研究は自分の世界だからそれらしく描けるとしても,教育は相手あってのもの。「どうして,そうされたんですか?」と質問されて,「相手が望んでいたから」「いや何でも有りです」「もはや,四の五の言っているご時世ではありませんので」と答えて許してくれるならいざ知らず,どんなポリシーでやっているのか突き詰めて問われても,貢献できることを目標に固定観念に囚われず努力するのみ,と書きたいのが本音だ。
私が担当しているのは「情報」関係の部分だ。大学の情報機器設備にはどんなものがあって,どうなっているのか,それらを教育研究の水準維持向上のためにどう利用活用しているのか。情報メディアセンターという組織がどんな仕事をしているのか。そういう事柄を説明する。後日,評価員の方々がやって来たときに,その報告書をもとに監査することになる。
書くことがないわけではない。ただ,過去の雑事や実績をちまちま書くのは性に合わないらしい。しかも休日にする仕事じゃないなぁ。かといって平日に出来る仕事でもないなぁ。‥‥そういう職場です。僕も船曳先生のように個人秘書雇うかな。
黄金の三日間・短大版?!
入学式を迎え,私は指導担当のクラスを持つことになった。担任になるのは初めてではないが,やはり緊張する。最初の出会いがその後の付き合い方やクラスの雰囲気を左右するかと思うと,それなりに気合いも入るというものだ。どんな学校段階でも,最初の三日間の関わり方やルール決めが大事だと言われているが,あれっ?‥‥,さっそく日曜日でお休みだ。ううむ。
今日は,クラスの学生達と顔合わせ。細かい自己紹介はできないが,とにかくこれから2年間を一緒に過ごすことになる学生達の期待と不安をそれぞれ推し量りながら,それでも心機一転の気持ちを持ってもらえるように明るく振る舞ってみる。なにしろ第一印象が良いことは,その後の関係をつくっていく上でも重要だからだ。もっとも最初が良すぎて次第に失望させることがあっては困るけれども‥‥。そういう意味でもバランスどりは難しい。
元気があって積極的に前面に出る子,グループでいるとハメを外してしまう子,目立たないけれど足並み揃えてくれる子,全然話聞いてない子,全体のノリにいまいち乗ってない子,あまり人と関わるのが得意でない子,天然入っている子などなど。想像しただけでも様々な子がいる集団を一つのカラーにまとめることは土台無理。とはいえ,互いの存在を許容し合えて,たまには全員で盛り上がれるクラスができればいいなぁと切に願う。そのためにも最初の数ヶ月は,クラス指導担当者が上手な黒子にならないといけない。流れができれば,あとは見守っている振りをすればいい(って書いてバレたらマズイか,ははは‥‥)。
中学時代に,友人のヘンテコな占いで,将来の自分の子どもの性別を占ってもらったことがある。糸に針を付けて手の上に垂らし,揺れれば子が生まれ,その揺れ方で性別がわかり,それを複数回繰り返す。2回占って揺れて,3回目で揺れなかったら,2人の子を持つという具合だ。そして占ってもらうと,4回繰り返し占って4回とも針は「女」を示す揺れ方をした。その時の占いは,針が揺れないで終わったわけでなく,放課が終わったので終了。もしかしたら延々と繰り返し揺れていたのかも知れない。
というわけで,友人のヘンテコな占い通り(?!),またたくさんの娘を持つことになった。気苦労は絶えないし,この調子で研究の方は大丈夫なのか?と不安がないわけではないが,頑張るしかない。
紙文書からの逃走
平成17年度がスタートした。新たな気持ちで仕事に取り組むためにも,仕事環境を改善しなければならないと思い立って,無い袖振って購入したのは書類スキャナ「ScanSnap」。紙文書をPDF電子書類に変換することができる代物だ。
他の事例に負けず劣らず,私のところにも紙文書は日々大量にやってくる。あれこれ仕事に追われていると,紙書類の整理もままならず,積み重ねた書類が山をなしていることは常態化している。しかも,同じ内容の書類のバージョン違いが頻繁に配られるために,重ね方が狂えば,どれが新しいものかを判別するのに時間がかかってしまう。しかも机の上は酷い状態で仕事に支障さえきたす。
そんなわけで,前々から紙書類の電子化には興味を持っていたし,この机の状況を変えるためには,書類スキャナが必要だと確信していた。けれども,上記のScanSnapは性能が良いだけに結構高価な商品。なかなか購入への踏ん切りがつかなかった。
しかし今回, 年度も改まるし,これはいい機会だと思ったので,いざ貯金をはたいて購入。いやはや,宣伝通り,気持ちがいいくらい素早くPDFファイルが出来上がる。画質やスキャニングの丁寧さという点は,書類スキャナということもあり,犠牲になっている点もあるが,紙書類として場所を消費し,しかも参照しがたい状態を克服できると考えれば,弱点にもならない。とにかく,思いついたらパソコン内で検索して書類を参照できるというのは,便利この上ない。内容によってはPDFのパスワード機能で安易に見られないようにできるし,パソコン自体にパスワードなどのセキュリティをかけているので,万一の場合もそれなりに安心である。
とにかく,スキャンしてPDF化した紙書類をすぐさまシュレッダーにかけることができる。(もちろんとっておくべき用紙もあるので選別する必要はあるけれど‥‥)いままでのように紙書類を机の上に積み上げることを防ぐにはもってこい。紙文書とおさらばだ。
というわけで,強い味方を購入して,さらにバックアップのための部材を揃えたりと,新年度に向けて自腹準備は,だいぶ懐を寒くしてしまったが,今後も仕事を効率化するための試みをあれこれ模索してみたい。
わるいことと,いいこと
研究業から日常校務へと静かに切り替える日。山積みの課題を切り崩しながら,不在中の動きについて報告を受ける。その中で,悲しい顛末の話もあった。居ても立ってもいられなくなる。もっと仕事仲間は大事にしたいのに。自分の無力さが悔やまれる。
個人情報保護に関する取り組みに向けた勉強会。常に啓発していくことは大事。そのためには勉強会を繰り返さないといけない。単に技術的なことだけでなく,組織や仕事の取り組み方が重要視されているからだ。
そういった意味で,少しばかりいいこともあった。担当すべき校務を少し見直してもらえそうなのだ。研究業とのバランスをとるためにも有難い。念じれば通ずるといった感じかな。
なぜか出来事はセットでやってくる。一喜一憂するなかれというメッセージなのか。とにかく淡々粛々と目の前の課題を片づけていくしかないか‥‥。不思議と穏やかな時が流れている。
悪意のない無配慮
たびたび書き記しているが,ここ数年は職場で入試募集委員なるものに属している。それはそれは大変な仕事である。先の駄文で『崖っぷち弱小大学物語』(中公新書ラクレ)という新書をご紹介したが,そこに書かれているような事柄と通じているのかも知れない。
ところで実のところ,私はその本をまともに読んではいない。その本に限っては読む気がしないのである。ところが,私の職場の一部でその本が大流行だ。とりあえず,話題にされるので相づちは打つのだが,一つひとつのエピソードすべてを読んでないから,あまりピンときていない。はっきり言って,面白がる心理がよくわからないくらいだ。それよりも読むべき本は山のようにある。
それはさておき,私自身は(これまでの駄文にも表われていたように)かなり精神的に摩耗してしまった。おそらく私は,数え切れないくらい周りに対して指摘や文句,反論や激怒すべき機会に直面していたと思う。けれども,その度,私は相手の心理や状況を慮ってきたし,こちらが我慢すればいいことや,軽く流せば相手も気持ちよく過ごせるならと放ってきた。その方が総体的には自分のエネルギーを使わずに済むからだ。
けれども,精神的余裕は確実にすり切れていたし,次第に相手に対して期待を抱けなくなってきていた。被害妄想にも似た感覚が急激に襲うときすらある。それは普段なら受け流せるだろう悪意のない冗談にさえ,相手の無神経さを見つけ出してしまうような,ひどくせっぱ詰まった状況も含んでいる。この人は,私を軽く見ているのか。心の底では馬鹿にしているのか。
いや,もしかしたら,それが自分の正当な評価なのだろうか。疑いは必然的に自分に向けられる。確かに仕事がうまくできるとは言い難い。このところ研究分野でも成果は上げられていない。多忙を理由に勉強していないことを肯定しようとしている。影で人のことを話題にして人を傷つけているのは,実は自分なのではないか。
際限無い問いかけを止めるために,冷静に考えてみる。自分の抱えている仕事の実相は,彼らが直面しているものと比較してどれほどのものだろうかと。自分の要領の悪さがすべての原因なのか,それともやはり抱えているものが多いからなのか。配慮が足らないのは,周囲の方なのか,自分の方なのか。
自分の味方をするのが自分しかいないのならば,百歩譲ってもらって,この際周りの人々の対応に問題があるとしよう。パワー・ハラスメントが生じていると考えることは無理のある解釈なのだろうか。
「先生,私たちの仕事は学生たちのためになることから喜びを得るしかないですよね」といけしゃあしゅあと言うアンタはその気になっているのかも知れないが,私にしてみればあらゆる努力は不十分であり不本意で,教員として喜びを得るためにすべき事柄(授業研究や学生支援など)からどんどん引き離されて精神的苦痛さえ感じているのである。しかもその一因はアンタがつくっているじゃないか。その悪意のない無配慮にも笑って付き合っている私は,さらにアンタに馬鹿にされても仕方ないと思っているのである。
自分の学習能力の無さを棚に上げて,周囲の学習能力の無さを指摘するのは,正直気が引ける。けれども,今年度が終わろうとするこの時期に思うのは,もはやこれ以上を自分が引き取る必要はないということ。相手に合わせる必要もないこと。
質素なものでいいから,教育研究の旅路に戻りたい。そうした空間で素朴に語らい合える相手や時間が欲しい。ときたま駄文でぶちあげる余興があってもいいけれど,もっとじっくりと物事を考える精神的余裕が欲しいと思う。
入試の季節
昨日,今日は土日にもかかわらず朝も早くから職場へ出勤。というのも,とうとう職場で入学試験が始まったのである。入試募集副委員長なんて役職をしている以上,朝は5時起きして,7時頃には職場で待機しなさいということらしい。朝苦手な私には酷な話である。
昨日は筆記試験,今日は面接試験。一人20分間の面接は,長いようで短く,短いようで長い。朝の起床から始まって,まる12時間も緊張を持続させ,ようやく帰路につく。明日は非常勤先で講義をしたら,その足で職場に向かい委員会会議。正直,一日中寝ていたいのに。
私たちがこんな滑稽な苦労をしている事情は,杉山幸丸『崖っぷち弱小大学物語』(中公新書ラクレ2004/720円+税)にも書かれている。現実はもっと格好悪いものだが,とにかく私はこの頃,心がふてくされている。無意識にストレス発散をするためだろうか,自分でも信じられないほど浪費癖がついてしまった。ああ。
入試は,私たちにとっても,また受験生にとっても悲喜こもごもとしたものである。私たちにしてみればこれから一緒に過ごす学生を選ぶわけだから真剣にならざるを得ないし,受験生にしても試験への不安で緊張している。だから面接の場では,思わず涙を流す子もいる。女を泣かせる場所が違うような気もするが,とにかくいよいよ今年度の入試もクライマックスに突入し,来年度の入試の準備が同時並行で始まったところだ。入試の季節,それは一年中なのである。
お盆閉館
昨日から職場もお盆の完全閉館となった。こういうのは珍しいらしいが,田舎の短大ゆえ長年そういう習慣になっている。おかげでこの期間が唯一自分のために使える夏の束の間であり,授業準備やら,自分の研究・勉強やらに専念できる。といっても今年は宿題が多すぎて,それどころでもなくなりつつあるけれど‥‥。
担任馬鹿
指導担当としてクラスを受け持っている。短大にクラスなんてものがあることに,驚かれる方もいるかも知れないが,それほど珍しいというわけでもないと思う。とにかく一クラスを受け持っている。通称は「クラス担任」となっているが,もちろん高校までのそれとは大いに異なり,受け持ち授業がないと顔を合わす機会はなかなか無い。会うのは,何か書類の提出をさせるときやハンコを押すときくらいだろうか。担当しているクラスは(説明は省くが)第三部に属するため,3年間担当するのだが,それゆえなかなか会えないのだ。
それでも私は教え子には恵まれているようで,学生自治活動に積極的に取り組む学生も多く,疎遠になりがちな担任だというのに,親しく接してくれる。まあ,枯れ木のような存在でも担任は担任なのか。
昨日,球技大会があった。1年生から3年生まで(全員ではないが)揃って,ドッジボール大会をしたのである。担当クラスは3年生。上の学年ほど参加者数が少ないが,少ないながらもクラス一致団結して試合に臨む。
実は,この日のためにクラスの学生たちが手作りのTシャツを用意していた。うちのクラスだけのお揃いのオリジナルTシャツだ。しかも嬉しいことに担任の分もつくってある。というわけで,私もそれを着て,ドッジボールの試合に参加。だって人数少ないからね。
いやはや,久しぶりに派手な運動をしたので身体のあちこちに筋肉痛。しかし,それよりなにより担当クラスの学生たちと楽しい時間を過ごせたことが嬉しい。クラスの学生に限らず,普段はやんちゃで人を振り回す憎たらしい娘たちだが,基本的にはいい子たちばかりなので,その点で私は幸せなのだと思う。
オープンキャンパス
土曜日は職場のオープンキャンパスがあった。先月から9月まで,毎月一回ずつ行なわれる予定となっている。高校生を招いて自分たちの大学を知ってもらい,受験や入学につなげたいというのが私たちのねらいである
今回は,学生スタッフに多数参加してもらい,在学生によるナマの学校紹介という企画がメインであった。単に広告代理店が得意とするようなマーケティング活動だけでなく,学内の学生たちとのコミュニケーションも重ねていかなくてはならないことを意味している。けれどもそれがなかなか大変。試験直前ということもあり,無理を承知であれこれ協力をお願いする。
一方で,私たちもまた慌ただしい毎日の中で企画や準備をしなければならず,それが様々な問題を引き起こしていることも否定はしない。私もはっきり言って,丁寧に関われているとは言えないのである。そんなジレンマも抱えつつ,とにかく前へ進まなければならないという現実。まったりと研究教育に勤しむ時代ではなくなっているということは理解しているつもりだが,それを受け入れるにしても抵抗するにしても不安と不満,批判と非難は避けられない。
ただ,そういうことを少しばかり棚上げするなら,私たちや学生たちが頑張って運営したオープンキャンパスは,それなりによい成果を上げて終わったのだから,もう少し喜んでもいいのだと思う。これを実質的な成功につなげていかなければならないし,むしろ教育機関として当たり前の充実したカリキュラムや教育実践によって学生満足を実現しなければ意味がないというのも事実である。