悪意のない無配慮

 たびたび書き記しているが,ここ数年は職場で入試募集委員なるものに属している。それはそれは大変な仕事である。先の駄文で『崖っぷち弱小大学物語』(中公新書ラクレ)という新書をご紹介したが,そこに書かれているような事柄と通じているのかも知れない。
 ところで実のところ,私はその本をまともに読んではいない。その本に限っては読む気がしないのである。ところが,私の職場の一部でその本が大流行だ。とりあえず,話題にされるので相づちは打つのだが,一つひとつのエピソードすべてを読んでないから,あまりピンときていない。はっきり言って,面白がる心理がよくわからないくらいだ。それよりも読むべき本は山のようにある。
 それはさておき,私自身は(これまでの駄文にも表われていたように)かなり精神的に摩耗してしまった。おそらく私は,数え切れないくらい周りに対して指摘や文句,反論や激怒すべき機会に直面していたと思う。けれども,その度,私は相手の心理や状況を慮ってきたし,こちらが我慢すればいいことや,軽く流せば相手も気持ちよく過ごせるならと放ってきた。その方が総体的には自分のエネルギーを使わずに済むからだ。
 けれども,精神的余裕は確実にすり切れていたし,次第に相手に対して期待を抱けなくなってきていた。被害妄想にも似た感覚が急激に襲うときすらある。それは普段なら受け流せるだろう悪意のない冗談にさえ,相手の無神経さを見つけ出してしまうような,ひどくせっぱ詰まった状況も含んでいる。この人は,私を軽く見ているのか。心の底では馬鹿にしているのか。
 いや,もしかしたら,それが自分の正当な評価なのだろうか。疑いは必然的に自分に向けられる。確かに仕事がうまくできるとは言い難い。このところ研究分野でも成果は上げられていない。多忙を理由に勉強していないことを肯定しようとしている。影で人のことを話題にして人を傷つけているのは,実は自分なのではないか。
 際限無い問いかけを止めるために,冷静に考えてみる。自分の抱えている仕事の実相は,彼らが直面しているものと比較してどれほどのものだろうかと。自分の要領の悪さがすべての原因なのか,それともやはり抱えているものが多いからなのか。配慮が足らないのは,周囲の方なのか,自分の方なのか。
 自分の味方をするのが自分しかいないのならば,百歩譲ってもらって,この際周りの人々の対応に問題があるとしよう。パワー・ハラスメントが生じていると考えることは無理のある解釈なのだろうか。
 「先生,私たちの仕事は学生たちのためになることから喜びを得るしかないですよね」といけしゃあしゅあと言うアンタはその気になっているのかも知れないが,私にしてみればあらゆる努力は不十分であり不本意で,教員として喜びを得るためにすべき事柄(授業研究や学生支援など)からどんどん引き離されて精神的苦痛さえ感じているのである。しかもその一因はアンタがつくっているじゃないか。その悪意のない無配慮にも笑って付き合っている私は,さらにアンタに馬鹿にされても仕方ないと思っているのである。
 自分の学習能力の無さを棚に上げて,周囲の学習能力の無さを指摘するのは,正直気が引ける。けれども,今年度が終わろうとするこの時期に思うのは,もはやこれ以上を自分が引き取る必要はないということ。相手に合わせる必要もないこと。
 質素なものでいいから,教育研究の旅路に戻りたい。そうした空間で素朴に語らい合える相手や時間が欲しい。ときたま駄文でぶちあげる余興があってもいいけれど,もっとじっくりと物事を考える精神的余裕が欲しいと思う。

悪意のない無配慮」への3件のフィードバック

  1. lee

    精神的にお疲れのようですね。私も教育現場では,日々憂えっています。現場の先生方は何も学ぼうとしない。学びということを考えようともしない。しかし,現実に教室で時間は流され,生徒も授業と思われている時間につきあわされている。
    もう 日本では,「学び」と「学校の教育」は別物と考えなければならないと言っている(研究)仲間もいます。
    日本において「学校の教育」に対する価値観は変えることができない。理由の一つには,教師が変われない。
    マラゴッツィ 「私たちのがっこうとは,教育プログラムと仕事や環境の組織を,最大限の変化と相互依存の相互作用を可能にするような試みだ。」

  2. lee

    付け加えます。変えるのは難しいけど変えなければ。ということが私の姿勢であり、向かうところです。
    でも、周りを見渡すとむなしくなる。。。
    それでも、がんばる。
    どう がんばる?
    エネルギーと時間との戦い。
    ただ、救われるのは毎日そういったことを話す相手がいて、同じ方向(多分)に向かっていく同志がいるということでしょうか。
    りん先生 影ながら応援しています。

  3. りん

    leeさん,ありがとうございます。
    毎日は,凹んでは立ち直り,慌ただしさの中でまた落ち込んでの繰り返しです。
    私の戯言が,幾ばくか思考の刺激を提供できているならば,それを知ることで
    少し元気も出ます。
    それにしても,この時期は,いくつかの別れを予感する寂しい季節。いつまで
    たっても,そのことに慣れない自分がいます。

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