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平成二十三年文月二十八日

 職場も試験期間に入り、出席処理やら成績処理やらでごちゃごちゃしている。

 先日は学会発表をすべり込みで申し込んだ。何も成果らしきものはないのだが、関わっている仕事について報告することが大事だろうと思ったし、問題提起をするのに時機を逸してはならないと思って、かなりいい加減な内容で出すことにした。

 完璧主義が災いして、ろくに研究成果を上げられていないのだから「いい加減」くらいがちょうどいいのかも知れないが、発表する以上は事実を伝えて、考えをちゃんと提示することにしよう。

 少し前に開発して公開したiPhone用の新幹線予約アプリが、再び注目を集めて評判も上々のようである。

 これも私にしてみれば完成度は中途半端なので、本来ならば完成度を高めてから出したかったが、そも言ってられない事情もあったので「いい加減」なところでリリースしたものであった。

 研究論文とか学会発表と違って、現実のオープンフィールドに投入された結果がフィードバックとして返ってくるという点は興味深い。

 そんな異世界をまたいだ状態に長く居ると、社会と関わることがよく分からなくなってしまう。誰なのか知っている人達よりも誰なのか知らない人達との繋がりが強くなってしまうのは、どういう事態をもたらすのだろう。

 もしかしたら、孤独の研究にあるように、私は自己制御力を失って、だから知っている人達に対してツンケンし始めているということなのか。

 mixiもTwitterもFacebookも便利なツールではあるのだけれど、私自身がそもそも人付き合い下手のために、それが単にツールで増長されてしまっているだけなのかも知れない。Google+なんかも登場しているが、誰一人からも招待されないという点で、私がソーシャルじゃないのは明確になっているわけだ。

 というわけで、どちらにしても無茶苦茶なことをすることも多い私だから、良くしてくださっている人々に変な迷惑も掛けられないゆえ、周りと距離があるのは結果として悪い状況ではない。しがらみ無い分、喧嘩も売れます ^_^;。

 総務省で「フューチャースクール推進研究会」、文部科学省で「学びのイノベーション推進協議会」がスタートした。

 前者は7月27日に初会合。残念ながら試験期間中だから傍聴の予定を立てられなかった(もっと早く告知してくれれば…)。

 後者は8月3日に初会合。こちらは急いで予定を調整することにして、また夜行バスの傍聴ツアーに出かけることにした。

 お仕事と直接間接に関わる会議だから、なるべく関係者の顔や雰囲気を見ておきたいと思う。公開される部分だけとはいえ、情報も直接取得した方が分かりがいい。

 さてと、熱い日が続くが頑張ろう。

平成二十三年文月十六日

 本日は職場のオープンキャンパスでミニ講義の講師をした。午前と午後に繰り返したが、短時間でできることも限られているので、パソコンでスライドづくりをする簡単なものだった。

 思索をすればネガティブになりがちなので、なんとかこの状況を打開するために、回り道とはいえ生活・職場環境の見直しから始めることも同時に進めている。

 休みに入ったら真剣に家に中の整理をしようと思う。衣類や雑貨を収納するちゃんとした家具が無いし、部屋のレイアウトも引っ越し時のいい加減な配置のままで機能的では無い。ひどい散らかり様だから、客人は呼べない。

 職場も似たようなもので、増え続ける蔵書は置き場もなく。必然的に仕事の場所確保も難儀する。これでは作業のたびに掃除が必要で、時間がもったいない。

 コンピュータも新調することにした。基本的にモバイル派なので、従来購入してきたパソコンは小型軽量のノート型で処理速度はほどほどのものばかりだったが、今回はデスクトップ型のハイクラス・マシンを購入することにした。

 負荷の高い仕事をしたいというわけではなく、蓄積されてきた私自身のデジタルデータを整理するためである。

 デジタルカメラのデータに始まり、過去の文書書類データ、ビデオデータ、音楽データ、ダウンロードデータなどが、複数のハードディスクやCD-ROM、DVD-ROM、USBメモリなどに散財している。それこそフロッピーディスクやZipディスク、MOディスクにも残っている。

 そろそろこうしたデータを整理しておくことも大事かなと思う。バックアップを繰り返し、様々なバージョンが存在するデータもあるだろうし、完全に同じデータにもかかわらず重複して存在しているものもあるだろう。そうしたものも整理したい。

 そのためにも最新鋭のマシンは必要だ。ファイル一つ開くのに待ち時間が長かったり、内容を表示するのに時間がかかると、膨大な量のデータ整理は終わらない仕事になってしまう。

 というわけで、考えてみれば本職が情報関係の教員であるのに非力なマシンしか持ってないというのもさみしい話なので、これを機会にバーンと購入することにした。

 人生折り返しをすぎる頃。

 いまさら焦っても仕方ないので、まずは個人としての生き方を見直すことから始めなければと思う。なにしろ、生活の風景があまりに不憫だと自分でも思うから。

 もうちょっと優雅な生活しよう。

平成二十三年文月十三日

 昼夜逆転の日々にも一区切りつけて、この数日から早寝をするようになった。必然的に早起きになるので、その時間に情報チェックや本などを読もうかと思う。

 手を付けていない課題が積み上がってしまい、その上、自身のモチベーションは減衰している中で、今後どのように自分自身を突き動かしていくべきか、悩む日々は続いている。

 私自身は、問題に捕らわれたいと思う性格ではない。

 無論、生に捕らわれている限り、この社会の問題の何かを背負い込んでいることは承知している。だとしても、それ以外の細かい解決可能なことにはケリをつけて、前進するのがよいと感じている。

 ただ、世の中には、その細かい事柄に留まることで生きている人達もいる。

 そのことに直面して初めて、世の中は政治で動くのだと理解した。私たちは大なり小なり、様々な形の政治力学に捕らわれている。その厄介さに気づくのはとても遅かったのだと思う。

 そういう意味では、2006年に東京に出ていくまで、私自身は牧歌的な社会で過ごしていたように思う。それは高望みしなければ、大変居心地の良い場所だった。

 そこから仕事を辞めて東京に出て、人・物・事がうごめく都市を少しばかり経験した。物事は、もう少しグローバルな哲学のもとに動いているかと思っていたが、そこで動いていたのは巨大なローカル意識だった。

 とはいえ、お世話になった場所で学んだことは多く、必然的に自分の至らなさを痛感することになった。ますます、自分の考えていた世界観が取り崩されていくようにも感じられた。時代の変化は想像以上に大きかったということかも知れない。

 世の中に対する認識が変わり、世の中自体も大きく変わり、その条件のもとで自分自身をどうドライブしていくべきか決めかねている。

 もっとも、迷った時には原点回帰せよ、は鉄則である。

 だから、正直なところ私が次に何やるべきなのかは、私の中では決まっている。ただ単に、その他の物事が片づかないことに対する苛立ちが積もっているのだろう。

 プログラミングとか、家の掃除とか、蔵書の整理とか、片づけたいと思っているものに少しずつ手を付けている。国の事業のお手伝いは、悩ましい現実に直面する少々厄介な仕事だが、悪態つきながらお役目終わるまで頑張ろうと思う。

 それらを片づけつつも、できるだけ文献に身を沈めて静かに文章を綴ろうと思う。それが本来私がやりたかったことだし、それ以外の派手なことを真似てみてもモチベーションは続きそうにない。

あっちへこっちへ

 6月は賑やかな月であった。

 個人的にもiPhoneアプリの開発に熱が入っていたということもあったし、審査員をさせていただいている学習デジタル教材コンクールの審査準備でたくさんのコンテンツを見ていたりもした。東京出張をしての審査会や研究会への出席。そして先日は愛媛で講演を行なう等、キャパシティの少ない私には大変な日々だった。

 7月は前期授業の締めくくりをしなければならない。と同時に、FSの会議がいくつか入るので、授業の隙間をやりくりしながら出張ということになりそうだ。

 25日にはえひめITフェアでフューチャースクール推進事業の講演とパネルディスカッションを現場の先生方とした。

 今回もお話したいことはたくさんあったが、詰め込み過ぎても伝わらないので、「御用学者として百点の講演」を目指すことにした。

 結果的には百点にならなかったけれど、わりと上手に演じられたのではないかと思う。会場は、その御用学者振りに呆れていたのか、それともツッコミどころがあり過ぎて困ったせいなのか、質疑の時にも無反応。相変わらず相手にされないらしい。

 それでも、現場の先生方とのパネルディスカッションでは、ぶっちゃけた話しもして、総務省からやってきた課長補佐さんが大きくズッコケていた。現場の先生方のお話には、フロアも興味津々で、フューチャースクールと絆プロジェクトという2つの事業で取り組んでいる先生のお話を比較しながら聞けたのは面白かった。少ないながらも質問をいただいて、パネルディスカッションは好評のうちに幕を閉じた。

 他の地域の催しを知らないので、なんとも比較のしようがないが、たぶん一番面白いイベントになったんじゃないかと思う。某NEEとか、ナントカITソリューションフェアとかよりも、四国のローカルイベントの方が現在・過去・未来を語ってたんではないだろうか。

 東日本大震災から3ヶ月以上が経ち、私自身の心は少し落ち着きを取り戻しつつもある。もちろん被災者支援はまだ始まったばかりのことだから完全に落ち着いてしまって忘却してはまずいが、日常の中の様々な事柄に支援への回路が組み込まれるようになればいいなと思う。

 さて、調子を整えてまた頑張ろう。
 

ブログシステムの更新

 ブログシステムを更新した。使用しているサーバーの機能を使っていたが、どうもそれでは制限がかかっているらしいので、手動でインストールし直すことになった。

 最初から手動インストールにしておけばよかったが、提供されているなら、そちらを使った方がよいだろうと安易に考えたのがよくなかった。

 結局、サポートに問い合わせをして「手動インストール」に関する情報があると教えられて、ようやく更新成功となった次第である。

 ブログデザインを昔ながらのシンプルなものにしてみた。

 特に飾り気のないところで、誰にも遠慮せずに書いていた頃が少し思い出される。

 6月に入って、プログラミングもそうだし、外部仕事をいくらかやらせていただくなど、慌ただしい日々が続いていて、落ち着かない日々は相変わらず。

 幸い体調は問題ないが、ごく普通の生活手続(家事など)がほとんど放ってある状態なのが、少々頭痛のタネである。

 それよりも日々、日本の杜撰な側面がカバーし切れなくなって露出していき、表面的にも崩壊しつつあることに、こちらの気力も萎えてしまっていることの方が深刻である。

 あれから3ヶ月。まだ本番はこれからだというのに…。

 ちょっとニュアンスは違うが、気持ちをアゲていかないと、本当にダメダメになっていくような気もする。

 というわけで、好きなようにやることを改めて誓った今日この頃。

日本人としての生き方を考える

 5月15日に講演というか、発表というか、20分間しゃべる機会をいただいた。

 聴衆の属性が不明だったので、話す内容をどうしようか当日まで悩み続けていたが、私の問題意識をストレートにぶつけることに決めて、20分に詰め込むことになった。

 正直なところ、20分という時間では、軽めの話題を浅く紹介しても足りないことは分かっていた。だから最初はウケ狙い企画で済まそうとも考えていた。あるいは、フューチャースクールのことを写真で紹介して終わるくらいがちょうどよい。

 もしも、リクエストが明確であったならば、それに沿って話すのだが、依頼趣旨が不明瞭だと、私なりに語るべきことを語る以外に興味が無いので、結果的に聴衆の聞きたいこととはズレが起こってしまう。

 特に私の話は、既存の価値観の問い直しを含めた議論を基底としているので、実用的な話を聞きたい側には難しいと受け取られるらしい。

 また来月、今度は一般の方も混ざった聴衆の前でフューチャースクールのことをしゃべる機会を与えられたので、依頼に沿ってしゃべろうと思う。

 けれども最近は、311大震災に関係して出てくる様々な事象を見るにつけ、とてもやるせない気分になることが多い。

 特に原発事故問題に関連して、日本と世界との関係に関わる動きには、失望の連続である。

 自分も含めて国内に閉じた生き方をしていることに、とても苛立ちを感じる。国際的な視野で物事を取り組んでこなかったことが、情けなくもなる。

 会社公用語を「英語」にした日本企業があるなんて話題が物珍しく語られたのはここ数年でしかない。

 それほど日本人の国際意識というのは遅れているというか、ズレていた。

 そして、今回の震災に関わって、マスコミ報道における国内外のまなざしの違い、事故に対応する企業や政府の言動の理不尽さ、あるいはネットの情報から浮かび上がる様々な意識の相違など…。

 学校教育のカリキュラムを考える人間として、あまりにも無残な現実を見るにつけ、従来の学校教育に「甘さ」みたいなものがあったのではないかと思わざるを得なくなってきている。

 その「甘さ」とは、怠けていた部分があるというよりは、根本的に何かが欠落していて、そもそも想定していなかったから取り組めてもいなかったという類いのものだと思う。正直言って、現場の先生たちは怠けてはいない。どちらかといえば、死に物狂いでやっている。

 問題は、従来よしとされた努力のベクトルが、本当に現代においても妥当なのかどうか、だれもその根本的な価値観を疑わずに、伝統の上に屋上屋を重ねてきたことこそ問われなければならないということである。

 情報時代のカリキュラムを考える。

 このテーマについて、いよいよ真剣に考えなければならないと思う。

GWが終わって

 あまり考えを発信する気分にもならず、こちらのブログは停滞気味。

 内省的な思索がよどみがちなときは、あまりジタバタせずに何も考えない時間を確保することが大事だと思っている。

 この頃、プログラミング作業に没頭しているのは、考えないようにするためでもある。アプリの動作を設計している間は、ツイッターもニュース報道もたまにしか見ないで済むし、機械的な整合性を考えるだけなので気が楽だ。

 GWの連休は帰省もして、本当にのんびりと暮らした。

 半ばリセット状態になって、あらためて自分の立ち位置を考えたとき、教育学を学んでいた自分をどこかに置いてきたことに気がついた。

 価値相対化が進んだ時代に、どこかしら規範学的な教育学が存在感を弱くしていた事実はあれど、だからこそ教育学的な思考が逆に必要とされていると言えなくもない。

 カリキュラム研究は教育学の中の学際的分野としてどこか中空に置かれているが、それでも全体を見渡すために強い思考を伴って展開するものとして必要とされている。漂うような立ち位置は、実際のところ捕らえ所が無くて敬遠されがちなのだが、そういう媒介的なところが好きだから仕方ない。

 5/15にとある会でしゃべることになった。

 久し振りにカリキュラム研究者としての立場で語ろうかなと考えている。

 温故知新になれば、それでいいかなと思う。

いつものように

 新年度が始まり、新しい出来事も増えて、いろいろ慌ただしくなってくる。

 一方で、震災被害の大きさや、後手に回る対応など、やるせなさを感じる出来事も多く、日本の行く末に絶望感さえ抱く。

 被災地支援に貢献したい気持ちもあるが、自分に出来ることは従来からやっていることしかないので、淡々と日々を過ごすしかないかなと考えている。

 けれど、原発事故と放射性物質の流出などの問題は、地球規模の問題として考えれば考えるほど、うまく対応できていない現状に苛立ちと哀しみを感じる。

 日本経済が低迷したり、失墜しても、貧乏暮らしをすればいい。けれど、健康に害を及ぼす危機がこの世に住まうことを難しくするような問題は、全く次元の異なる深刻さである。

 学校教育は、この現実をどのように踏まえていくべきだろうか。

 学習がどうあるべきかという方法の問題は依然重要としても、私たちは何を伝えるべきなのかという内容の問題は根本的な問い直しを迫られる。

 情報は、真実を語られるべきなのか、脚色されるべきものであるのか。そのこと一つも十分な議論が積み重ねられているわけではない。

 世の中の見本が千差万別で、大本営発表だの、隠ぺいだの、記者クラブだのの問題があからさまに発せられる今日、子ども達は何を感じ、今後何を考えるのか。

 私は自分たちの世代も非難され、恨まれて、将来的に排斥されることさえ覚悟しなければならないと感じている。そのこともさらに上の世代への苛立ちに繋がっているのかも知れない。

 どちらにしても、私に出来ることは限られている。その力不足に対する批判は甘んじて受けるとして、将来的にどうやって退場するのかを真剣に考えなければならないと思う。

 

勘違いな結論

 買いたくはなかったが,便乗ついでにとある会の座長をしている人物の著書を手に入れて読んだ。哀しい気持ちになっただけだった。

「 これまでの日本をつくってきたのは,若いネット世代ではなく彼らより上の大人世代です。大人たちの世代には,日本を戦後の混乱から救い,豊かな国にした大きな功績があります。その一方で大人たちには,一九九〇年以降の二十年間を「失われた二十年」にし,日本列島を世界の潮流に背を向けたガラパゴス列島にしてしまい,あらゆる面での閉塞状態をつくりだして,ネット世代に莫大なツケを回した責任があります。その責任を重く感じるなら,日本の大人たちは,私自身も含め,ネット世代の批判に終始せず,彼らの置かれている状況を理解し応援して,彼らが新しい「世界の中の日本」を創り,新しい「世界の中の日本人」になっていくための,新しい学びの場を大至急つくらなければなりません。
 日本のネット世代がこれから担うべき最大の仕事は,デジタル革命とグローバリズムの潮流を堂々と泳ぎ切れる「世界の中の日本」を生み出すことです。そして,日本の大人世代に託された最大の仕事は,ネット世代がその仕事に邁進できるようにするための新しい学びの場をつくることです。若い世代と大人の世代が協力し合って二十一世紀日本の開国が始まるのです。」(某書216-217頁より)

 どんなに正しい道筋で論を積み上げても,最後に自己存在の主張が入り込んでは,よい結論に結びついたとは言えない。

 新しい学びの場をつくるのは,学習者自身である。

 大人世代の仕事というものではない。

 大人世代が学習し続けるならば,一緒に場を共にすることは出来るが,それは責任で実現することでも実践することでもない。

 もしも責任を感じるならば,大人世代は後継世代に場を譲るため,最前線から撤退して,後方支援に回るべきである。それが責任のとり方だ。

 
 ネット世代が主役たるべきと説きながら,素知らぬ顔して自分たち大人世代の存在意義を主張しようとしているのはなぜか?

 若い世代の活躍を応援している余裕があるうちに,大人世代は自分たちの退去の仕方を考えた方が,よほど責任を果たすことになる。

先入観の解除

 地震のあった翌日,恩師とゆっくり話す機会があった。

 いつもだったらお忙しそうな先生のお顔を拝見することが出来れば幸いといった感じになるところだったが,思い掛けない事態が,そうした定型を取っ払うことにもなった。

 あまり迷惑をかけちゃいけないという気持ちばかりあったせいか,世間話的な話をだらだらと交わしたことがなかった。院生の時は,自分のあまりの出来なさが辛くて相談の足も遠のいたりしていた。

 けれども,あの時の状況は特別で,大きな地震が起こった翌日午前にエアスポット的な時間が生まれた。

 恩師は施設の責任者としての仕事はあったけれども一区切りついたところ。師弟ともども他にどうしようもない状況に放り込まれたのだから,それはもうのんびり会話するしかないというお膳立てであった。

 恩師とテレビを見ながら,珍しく世間話と自分の仕事の話をした。

 テレビで映し出される災害映像は,翌日ということもあって,まだ地震や津波による倒壊や火災,帰宅困難者の居る駅の映像など中心で,津波が本当にもたらした甚大な被害や原発事故の全貌を十分に認識する段階にはなかった。

 そんな調子なので,恩師との世間話も阪神淡路大震災の記憶をたぐり寄せて今後の復興の話をする感じで始まった。

 復興にかかるコストのことを考えると,教育・研究費に割く財源も厳しいものになるだろうとか,それとあわせて,私が関わっている「フューチャースクール推進事業」についてもいろいろ意見を交わした。

 国の事業に関わるのは初めてなので,そこでの感想を率直に先生に漏らしてみたり,それに対する先生の考えや意見を聞いたりした。

 そういうことが嬉しかったし,あといくつか聞きたかった質問も思い出したので,それについても教えてもらうことが出来た。

 国全体は大変なことになってしまった時だけれど,私個人にとっては,その隙間で得られた時間がとてもあり難いものだった。

 その会話の中で,とある人の話題が出た。

 どんな風に接したらよいのか,まだ考え中の人。だけど,このところあまりよい印象を持ててない相手だった。

 恩師はその人と会ったことも話したこともあった。

 それで,どんな人なのか聞いてみた。恩師らしい表現でその人のやって来た仕事を説明してくれた。私がよい印象を持ててない理由も明解に指摘してくれた。それは悪い意味ではなく,そういう仕事をしている人だという意味で仕方ないことであった。

 「会って話してみたらどうですか?」恩師が言った。

 その人は誰にでも会って話を聴く人だという。取り次いであげようかとも言われた。

 私は困ってしまった。

 私もいろんな人に会って話を聞くのは大好きだから,本当なら「是非,お願いします!」と言って会ってみるのが自然だろうに,なぜか困ってしまった。

 それで私は,相手に対して先入観を持っていることを確認した。

 恩師に説明してもらったその人の過去の仕事について,一般知識以上のものを私自身が持ちえていないことも気になってはいた。たぶん誤解を持ったまま会ったらダメだという直観アラームがポケットの中で鳴っていたのだろうと思う。

 
 こういうときはスタートラインに向けて戻ってみよう。

 その人が書いた本で私が持っている本を探し出してみた。十何年前の本。誤解の出発点はこの本を読み切れなかったことにあるのかも知れない。

 それからamazonで著書を購入してみた。金欠なので関係しそうな本から2冊しか買えなかったけど,また夏のボーナスの時に他のも。

 先入観を解くには,少し冷静になって相手の過去を調べてみないといけないなぁとあらためて思った。

 
 そして,恩師も大事にしないと…。恩師孝行まだまだ足りない。