買いたくはなかったが,便乗ついでにとある会の座長をしている人物の著書を手に入れて読んだ。哀しい気持ちになっただけだった。
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「 これまでの日本をつくってきたのは,若いネット世代ではなく彼らより上の大人世代です。大人たちの世代には,日本を戦後の混乱から救い,豊かな国にした大きな功績があります。その一方で大人たちには,一九九〇年以降の二十年間を「失われた二十年」にし,日本列島を世界の潮流に背を向けたガラパゴス列島にしてしまい,あらゆる面での閉塞状態をつくりだして,ネット世代に莫大なツケを回した責任があります。その責任を重く感じるなら,日本の大人たちは,私自身も含め,ネット世代の批判に終始せず,彼らの置かれている状況を理解し応援して,彼らが新しい「世界の中の日本」を創り,新しい「世界の中の日本人」になっていくための,新しい学びの場を大至急つくらなければなりません。
日本のネット世代がこれから担うべき最大の仕事は,デジタル革命とグローバリズムの潮流を堂々と泳ぎ切れる「世界の中の日本」を生み出すことです。そして,日本の大人世代に託された最大の仕事は,ネット世代がその仕事に邁進できるようにするための新しい学びの場をつくることです。若い世代と大人の世代が協力し合って二十一世紀日本の開国が始まるのです。」(某書216-217頁より)
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どんなに正しい道筋で論を積み上げても,最後に自己存在の主張が入り込んでは,よい結論に結びついたとは言えない。
新しい学びの場をつくるのは,学習者自身である。
大人世代の仕事というものではない。
大人世代が学習し続けるならば,一緒に場を共にすることは出来るが,それは責任で実現することでも実践することでもない。
もしも責任を感じるならば,大人世代は後継世代に場を譲るため,最前線から撤退して,後方支援に回るべきである。それが責任のとり方だ。
ネット世代が主役たるべきと説きながら,素知らぬ顔して自分たち大人世代の存在意義を主張しようとしているのはなぜか?
若い世代の活躍を応援している余裕があるうちに,大人世代は自分たちの退去の仕方を考えた方が,よほど責任を果たすことになる。