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教育を曖昧化する

 「教育は不可能である」ということが,いまだに口をついて出てくるような常識にならないのはどうしてだろうか。こんなにも学問的なツールを使って教育の深層が浮かび上がり,教育の困難性については理解を得られているようにも見えて,「不可能なんだ」と深くうなずくまでに至らないのは不思議なことだ。
 けれども実は,同じような構図にある話が,他のところにもある。私たちの社会生活の在り方。資源の浪費を前提とした私たちの消費生活そのものが,この地球環境や社会の持続性を考えたときに「不可能なこと」であるにもかかわらず,私たちはそうした認識を日頃意識することはない。そうした精神構造のもとでは,「教育の不可能性」を前提とすることが困難なのかも知れない。

 一時期の教育言説において,「幻想」という言葉が大いにもてはやされた。70年代から80年代にかけて,私たちの社会に深く根付いた「学校教育」を解体するような動きが盛り上がる中で,それを幻想と呼んだのである。それは,もう少し手前の時代に位置する様々な闘争の事件や社会風潮の影響も色濃く,何かしらの解放を求める時代の空気に突き動かされた言説現象だったのかも知れない。
 けれども,豊かな社会が訪れて,その先にあるものを必要としたとき,結局誰もそれを示し得ず,誰もが裏では幻想に寄り添ったのは疑いようもない事実だ。かつて人々に学校教育を受けてもらうために導入された「学歴」というニンジンが,時代は変わっても腐ることなくそこにある(あって欲しい)と人々は期待を寄せたのである。

 一度愛想を尽かした連れ合いと,別れてからそのありがたみを知ってもう一度よりを戻そうとすることのぎこちなさを,私たちはよく分かっているのではないか。それでもその関係がうまくいくためには,あえて「幻想」を抱くこと以外にどんな方法があるだろう。一つひとつの細かな不満に対して,一つひとつを許していくような道のりが立派なのか。あるいは自分の気性を丸くし,細かな一つひとつについては気がつかない振りをしてやり過ごす方が心穏やかなのか。それは映画『マトリクス』でモーフィアスから差し出された錠剤を選ぶのにも似ているのか。

 内田樹氏は,師弟関係を「美しい誤解に基づく」と表現し,恋愛にも似ていると表した。つまり一種の幻想だ。他の人から見ればどうしようもない相手だとしても,恋をした当人にとって相手はナンバーワンであり,そう幻想するからこそ恋が成り立つ。つまり細かな部分部分を曖昧化とすることでもある。
 一方,宮台真司氏は,現実を覆い隠すようなタイプの幻想アプローチではなく,「世界の未規定性」を拾い出すことによる幻想世界の提示に可能性を示唆する。底が見えたかのようなこの世の中にも,まだ底知れぬ可能性を期待できる次元が残されていたと「思う」ことが出来れば,立ち向かう意欲を駆り立てられるのだろう。
 広田照幸氏が,教育の不信と依存が極端な形で併存している現実を描くのも,二つの事象の紐帯に,教育の持つ曖昧さや未規定性が織り込まれている故なのだろう。両極端な事象を記述するのは,氏が誠実な社会学者だからに他ならない。それはもう一人,社会学者として名の知られた苅谷剛彦氏にしても同じことである。故大村はま先生に寄り添い「教える」ことの魅力を唱えたことと,データに基づく学校教育の実態把握や教育行財政の在り方への言及という両極。その狭間におけるストラグル(もがき)を広田氏のように書いて見せることはあまりしないという点に違いはあるものの,両極の間に教育の方途があることを予感させる態度であるには違いない。

 そういう意味では,まさに広田氏にしても苅谷氏にしても宮台氏にしても,彼ら社会学者がもっとも教育的な態度を(結果的に)とっていると言えるのかも知れない。私たちにとって,社会学という学問は,精巧なツールを用いながらも暴き出そうとする深層の曖昧さを全面に押し出している点で,きわめて教育的なのかも知れない。もっとも,示される成果に夢は少ないけれど‥‥。

 江戸時代の万年時計を再現するプロジェクトで,万年時計を解体・解析した高度な技術を駆使した後,新たに組み立てるための技術には苦心したそうだ。結果的には,工作機械のみでは通用せず,手作業が必要だったのだという。
 教育の解体が始まって今日まで。解体のしすぎで,組み立てが困難になっているのだろうか。教育社会学が分析してきた世界を,組み立ててくれるのは教育工学だろうか。最終的には教師個人個人の手作業が必要となるのだろうか。
 そのとき,教師たちは教育に恋していられるのだろうか。学校に幻想を抱けるのだろうか。それとも現実と幻の狭間に位置するオブラートの役目を担うのだろうか。それは甘く苦い道筋なのだろうか。問いかけばかりが続く。

点検よろしく

 自己点検評価報告の草稿が出来上がった。関係者にメールして見てもらうことにする。もう一つ,職場の創立40周年記念誌の原稿があるけど,それ後回しでいいや。それにしても,そんな草稿を作るのにゴールデンウィークの大半使っちゃったのか。ああ,悔しい。くそぉ,今夜からは研究に使ってやる。すっかり昼夜逆転生活だ。
 でも,昨日は両親に誘われて公園散策に行くことになったのだが,なぜか名古屋で元気な栄の新スポットをめぐる散策に切り替わってしまった。栄の街に観覧車をつくってしまったサンシャインというスポットと,名古屋三越が新しくつくったラシックというショッピングスポットだ。あちこちで馬鹿にされているように,名古屋は万博のもあわせて,観覧車乱造ブーム。その単純発想が地元民としては許せないが,サンシャイン自体が若い女性をターゲットにしたお店と小洒落た飲食店舗とラーメン横町を合体させた安直スポット。気が向いたら行ってもいいかなという感じだ。
 一方ラシックは,名古屋三越が松坂屋に対抗してつくった新しい小売り館。ヨーロピアン風シックな建築デザインは,上品さを出すのには成功していると思う。ただ,栄の街は世代や客層がぐちゃぐちゃなところなので,実際の雰囲気はまた異なってしまう。それでも,旭屋書店が本格的に名古屋地区に参戦してきたのは歓迎すべき出来事だ。
 これは項を改めて論じたい話題だが,この大阪で知られている旭屋書店の登場によって,ようやく大型書店が一通り揃ったのが名古屋という街である。正直,遅すぎる。もしも10年,15年早くに大型書店が名古屋に出そろっていたら,私は絶対そのどれかに就職していたと思うね。もちろん,大型書店と言われるものがない土地にいらっしゃる方々には「なにを贅沢な」と思われてしまうだろう。確かに,ある意味で恵まれていると思う。昨今はインターネットブックストアも馴染みになってきたが,さてと,この話題はもったいないのでとっておいて,もう一度書き直そう。とりあえず,晩飯を‥‥。

自己点検しながら

 のんきなゴールデンウイークを送る一方で,職場の自己点検・評価報告書の原稿をちょこちょこ書いている。書いているとつまらないのでOSの新機能いじったりしてるんだけど‥‥。とにかく休日も派手さはないが,じわじわ仕事。きゃ〜。(壊れかけている自分)

 皆様はもう忘れてしまったかも知れないが,この国は平成13年に教育改革六法案なるものを通し,平成14年には学校教育法などが一部改正された。その中で,大学は「教育研究水準の向上に資するため,(中略)自ら点検及び評価を行い,この結果を公表するものとする」という定めが加えられたのである。そしてそれとともに「認証評価機関」という第三者機関の評価を受けなければならないということになった。要するに報告書を作成した上で,嘘偽りがないかどうかをチェックし保証するわけだ。(こんな答申がある)

 日頃のちっぽけな取り組みを積み重ねて筋道立てて説明をするというのは,なかなかどうして難しい。研究は自分の世界だからそれらしく描けるとしても,教育は相手あってのもの。「どうして,そうされたんですか?」と質問されて,「相手が望んでいたから」「いや何でも有りです」「もはや,四の五の言っているご時世ではありませんので」と答えて許してくれるならいざ知らず,どんなポリシーでやっているのか突き詰めて問われても,貢献できることを目標に固定観念に囚われず努力するのみ,と書きたいのが本音だ。
 私が担当しているのは「情報」関係の部分だ。大学の情報機器設備にはどんなものがあって,どうなっているのか,それらを教育研究の水準維持向上のためにどう利用活用しているのか。情報メディアセンターという組織がどんな仕事をしているのか。そういう事柄を説明する。後日,評価員の方々がやって来たときに,その報告書をもとに監査することになる。
 書くことがないわけではない。ただ,過去の雑事や実績をちまちま書くのは性に合わないらしい。しかも休日にする仕事じゃないなぁ。かといって平日に出来る仕事でもないなぁ。‥‥そういう職場です。僕も船曳先生のように個人秘書雇うかな。

EIJIRO dash

 ゴールデンウィークの最初の数日は,新しくインストールしたMacOS X10.4 Tigerの環境を馴染ませたり馴染んだりするのに費やしてしまった。まあ,原稿書きながら実働実験である。

 しばらくはファイルを探すのにも,いつものクセでフォルダをたどる方法をとってしまうが,思い出したようにSpotlight検索を試みると気持ちいいくらいにファイルが検索される。数打ちゃ当たる方式と言えなくもないが,これだけのスピードでばばばっと候補をあげてくれるなら,むしろ数多くていい感じ。まだこれからその真価をじわじわ味わうことになりそうだ。
 もう一つの目玉といわれているダッシュボード(Dashboard)という機能は,世界時計くらいが便利に使える程度かなとなめていたが,いやはや開発者コミュニティのすごさに改めて感服。たとえば「EIJIRO dash」は愛用している辞書検索ソフト「英辞郎ビューア」のDashboard版だが,これがものすごく便利なのだ。ひょいと登場して辞書引きさせてくれる,この感覚は味わうまでわからなかった。

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MacOS X Tiger (10.4)

 4月29日にアップル社のパソコンで動作する基本ソフトの新バージョン,MacOS X Tigerが発売された。すでに注文してあったので,宅配便で届いた。さっそくバックアップをしたのちに,Tigerをインストールすることにした。
 普通,この手のバーションアップは動作しなくなるソフトが現れて,大変な事態を引き起こすのが相場だが,幸いMacOS Xは運が悪くなければそういうトラブルが少なく安心して移行できる。もちろん完全バックアップは鉄則だし,OSのインストールはクリーンインストールが一番無難だ。特に仕事で使うマシンだから,その辺は慎重にする。データの移行やセッティングは,移行アシスタントソフトが付属しているので,続けて自動的に行なってくれるから便利だ。
 ファミリーパックを買ったので,家の中にあるもう一台にもインストール。こちらは上書きインストールでバージョンアップさせてみたのだが,それでも問題はない。日頃の使い方が良いからかな。
 仕事用マシンでは,メール関係の移行でトラブル。かなり昔から溜め続けたメールのファイルが混乱した状態だったようだ。いろいろ調べながら解決策を模索した。使用されなくなった古いファイルを削除してから移行作業をさせればうまくいくことがわかった。さっそくインターネット上に情報共有。
 あらかじめ各ソフト会社や周辺機器メーカーなどが出している対応状況を把握してあったので,想定外の問題には遭遇していない。もう少し使ってみないとわからないが,とりあえず通常業務にはすぐにも使えそうだ。
 新しい検索技術に関しては,すでにちょこちょことその威力を垣間見ているところ。また使い込んでからご紹介をしたい。それからビデオチャットもなかなか素晴らしい。さっそく4人同時ビデオ会議に参加させてもらったが,回線速度やマシン性能に縛られるとはいえ,実用的なコミュニケーション環境が得られた。なによりトラブルもなくスムーズに遠隔地の人たちとビデオチャットできたこと自体が驚きですらある。道具は本来こうでなきゃ。
 そんなわけで,私はすでにTigerです。炊飯器はサンヨーだけど。

GWの宿題

 GWがスタートする。新年度が始まり,慌ただしい毎日が過ぎていたところにタイミングよく訪れてくれる大型連休。毎年,とにかく水泳の息継ぎのように待ち遠しい。もっとも持ち帰りの課題も多くて,5月連休明けの会議に向けて,資料づくりもしなければならないし,職場の自己評価に関する原稿もあって,あんまり遊んでもいられない。
 駄文を書く余裕が相変わらずない。先日の教育課程実施状況調査の結果についても書きたいところだし,大村はま先生が亡くなったニュースなども触れてみたいし,雑読さえしていない本の紹介もしたいところだが,なんだか後手に回っている。教育らくがきFilesという企画も進めたいというのに。
 この数年で,下手だった時間の使い方がますます下手くそになってしまった。スケジューリングの基本から考え直して,自己意識の改革をしなければならない。ただ,どうも睡眠不足がたたっているのか,慢性疲労なのか,ボーッとしがち。基礎体力をつけることも真剣に取り組まないと,何もかも独りでやらんといかんから大変だ。さて,頑張るか。

教育らくがきFiles No.002

 夜更かしして,学力問題に関わる文献資料のリストを触っていた。中途半端に放っておいたため,あまり出来のいいリストではないのだが,せっかくなので教育らくがきFilesの一つとして盛り込もう。

教育らくがきFiles FileNo.002 「学力問題周辺文献資料不完全リスト」はこちら
(ExcelファイルをZip圧縮)

教育らくがきFiles開始

 Webサイト「教育フォルダ」では,新たな企画をスタートすることにした。なんとか,駄文の隙間に入り込んだちょっとくらいは役立ちそうな情報をまとめられないかと思案していたが,今回「教育らくがきFiles」という情報ファイルシリーズを製作することにした。
 本当はまとまった著作物でも執筆するつもりで開始したかったが,どうもそれをするのは歳をとって落ち着いてからの方がやりやすそうなので,様々なファイルが中途半端に同時並行的に執筆されていく形をとることにした。順番とかも気にしていると書けなくなるので,そういう配慮はバサッと捨ててしまうわけだ。

教育らくがきFiles FileNo.001「学力」はこちら。(実験版なのでちょっとサイズは大きい)

 いろいろ問題も出てくるとは思うが,一つのチャレンジとして,またこっそり見守っていただければと思う。とにかく,私にできることは,インターネットによる教育研究成果の情報提供に関する試みを不完全でもやってみせることだ。特に一般の人々にとってのアクセシビリティ配慮やミーハーっぽさやユーモアなどを活かした興味関心の引き出しをやってみたい。
 さて,今回の企画は長続きするかな,どうかな。

20050421

○非常勤先へ。
○教育学講義。第1回目はガイダンスとさわり。ざっくばらんに質問に答え賑やか。
○書店へ。また散財。積み上がった蔵書をそろそろまとめてご紹介しなければならないなぁ。
○帰宅。
○夕食準備。読書。思索。

20050420

○6:30頃出掛け。眠たい。とても眠たい。どうしても眠たい。電車でぐっすり。
○授業。
○出張準備。高校の「総合的な学習の時間」の講師として,進路のお話をすねための資料準備。
○出張。高校で高校2年生20人を相手にしゃべる。
○書類整理。
○20:50頃帰宅。珍しく早い帰宅で,夕食を自炊。