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“学校”って何ですか?

 NHKスペシャル「“学校”って何ですか?」が放送されていた。放送を知らず,今日は外部で仕事だったので第1部を見られず,第2部の討論のみ見た。いやはや,伊吹文部科学大臣,あなたはやっぱり上手な役者である。
 男女のアナウンサーが少々上滑り気味な箇所はあったものの,伊吹文部科学大臣,北城格太郎氏,藤田英典氏,あさのあつこ氏,藤原和博氏という論客達の,妥当な事実認識と共有度の高さによって展開した極めて真っ当な議論が見られた。近年,教育をテーマにしたテレビ討論ものとしては,5本の指に入るかも知れない(あと4本は聞かないで…,そう言いたくなるほど真っ当な議論だったということ)。
 それにしても,統一地方選挙前のこの時期に,こうした論客の面々が,学校長の統率力,教育における地方分権の問題と意味,首長と教育長の役割や責任,地方の教育予算に対するプライオリティの置き方について議論を展開したというのは,かなり過激だが,かなり真っ当である。そこまで指摘しちゃって大丈夫?とさえ思われた。同時に出演していた現場の先生方は「教育委員会」の「き」の字さえ口にしなかったほどアンタッチャブルなのに…。
 今回の番組をちゃんと踏まえるならば,選挙権を持つ大人達がとる言動こそいよいよクローブアップされることになる。芸能分野から首長選に立候補するという流行がいささか心配であるが,まともな教育政策を持つ候補者が現れて,投票できるようになることを期待する。
 番組中は,きわめて冷静に国と地方の境界線を示しながら議論が展開していた。それに限らず,議論は非常に抑制がきいていたし,研究者である藤田氏の発言も大変丁寧に取り上げられていた点も評価できる。北城氏の発言も離れすぎるということもなかった。あさの氏は感情面をうまくすくっていた。藤原氏はいつも通り明解だった。それもこれも伊吹文部科学大臣の役者ぶりで引き立てられていたと思う。伊吹文明氏,やはり侮れない人物である。

 追記:まあ,うまくミスディレクションされたと言えなくもない。教育再生会議のトンチンカンさも教育関連3法案のハリボテぶりはまったく素通りしてしまったのも確かである。平成20年度の予算に至っては「安倍総理次第」と「地方自治体次第」という小ずるい責任転嫁をしている。文科省を守るのに,これほどの役者はいないと改めて思うのだ。
 追記2:国のミスディレクションに荷担するつもりではないが,以下のWeb記事も読んでおくべきだろう。その上で,国がすべきこともあると考えたり,議論を深めることが大事なのだと思う。
 「竹中平蔵と松原聡が地方を斬る 統一地方選で問われるもの、問うべきものは何か?(前編)
 「竹中平蔵と松原聡が地方を斬る 統一地方選で問われるもの、問うべきものは何か?(後編)

弥生20日目

 名古屋から東京。明日は現場教員向けのセミナーがあるので主催メンバーとして参加。当日の進行がスムーズにいくように頑張って働く。
 帰ってくる前,古巣に絡んでブルーな知らせを受ける。苦々しい出来事。いつもの通り駄文で吐露したいところだが,別件と混同されても困るので,また別の機会に。人を慮ることは難しい。

 東京は桜が咲いた。満開になったら散歩に出かけよう。心穏やかでいたい。

卒業おめでとう

 当人にしてみると9年間という時間の長さが,長いものなのか,短いものなのか,判断がつかない部分もある。たとえば,こう言い換えてみようか。「9年間の教育歴があります。」それは教員として長いものなのだろうか,それとも箸にも棒にもかからない短いものなのだろうか。
 短期大学教員時代最後の教え子達が,卒業の日を迎えた。
 これまでも幾度と駄文に記してきたが,当初2年間は担任として受け持つはずだったクラスの娘達を1年で放り出し,私は大学院へ再入学するため短期大学を退職した。
 短大のクラス担任変更など大した問題ではないと思われるかも知れない。そもそも,担当教員がまともな助けをした経験を持つ人々など,ごくわずかなのだろう。
 けれども,私が居た職場では,それが機能していたし,少なくとも私はそれを機能させようとしていた人間だった。だから,私は退職しても,機会あるときに彼女たちの様子を見に出かけ,卒業式には出席しようと決めていたのだった。

20070317_a 風で肌寒かったが,晴天に恵まれた。卒業式は終始和やかな雰囲気だった。本当なら最後の時間を学生達とゆっくり過ごしたかったが,京都への出張が重なったため,わずかな時間しか許されなかった。
 式から戻った控え室で,担任を引き継いだ先生と一緒に,一人一人に卒業証書と記念品を手渡す。彼女たちには私からバラの花を一人一輪ずつ贈った。彼女たちからは「レンデフロール」のバラの花を贈られた。お互い内緒で用意していたのが同じバラだったというのは,なんとも不思議なものである。
 なんとか全員に花を手渡した。時間である。じっくりとさよならを交わす余裕がなかったのは残念だが,惜しまれながら別れられるのは,ある意味幸せなのだろう。縁があれば,また会える。

 私もまた,研究者としての側面と教育者としての側面の2つを持つ人種である。ただ,私のそれをややこしくしているのは,研究者としての側面を父親から,教育者としての側面を母親から譲られた性格に重ねてしまっているところにある。
 私の母は,とても心配性で感情的な人である。だから教育者としての私は,おそらくものすごく過干渉なのだと思う。行動においてというよりも,思念としてそうなのである。「あの娘達は大丈夫だろうか」,そんなことをいつも考えてしまっている。
 その行き過ぎを食い止めるのは,研究者としての私である。私の父は,独尊的で現実的な人である。いくら心配したってしようがない。人の関係は,実際には煩わしく,信頼に乏しい。そういう不確かな世の中で自立する構えを崩さない。物事は,最後は独りで解決するものなのだ。
 普段の私はどちらかといえば母親似である。とはいえ,父親似の部分も根深く存在する。そのバランスの上に短期大学教員を9年間続けてきた。その事も感慨深く思い出される。

 僕は君たちを「想う」。それは愛とは言えないし,単なる好きという訳でもないから。ただひたすらに君たちを「想う」よ。その事が,何を生むわけではないにしても。
 2年前,神妙な面持ちで教室に座る君たちのことが,今でも鮮明によみがえる。クラス担任といったって,所詮は有名無実の存在かも知れない。けれども,受け持つ2年間,君たちを見守ることが仕事なのだと思った。できることは,それくらいだと考えた。
 やがて君たちの多くは幼児・保育の現場で子ども達と向かい合う。あるいは,いつか子どもを授かることになる。そうしたら,その子達を「想って」欲しい。その事を願いながら,僕は君たちを「想う」。

 私の短大教員時代は,これでようやく本当の幕を閉じることになった。卒業おめでとう。手を振る彼女たちに言葉を返して祝うとともに,ひそかに自分に向けてこのときを祝った。

弥生16日目

 ドタバタしながら名古屋に移動した。しばらくこちらで雑用を済ませていく。やはり3月の慌ただしさは相変わらず。いよいよ長い春休みが終わりを迎えることになる。
 新しい環境や関係に適応するために,あれこれ試して疲れ気味というところもあるが,基本的には元気である。ただ,運動不足だけは,もうちょっと考えて何とかしなければならない。生活リズムも整えなくては。
 あれこれの宿題も積み上げられたまんまだが,3月残りの時間でなんとか片付けたいところ。さて頑張ろう。

意図的な欺き

 すっかり政治に取り囲まれた教育問題が,様々な意図的欺き(ミスディレクション)によって,誰かに都合のよい方向へと持って行かれている。
 教育基本法のときには目立った抗議活動も,教育関連3法案にフェーズが移ってしまうと,シンボリックさに欠けるためか,静かなものである。
 4月に行なわれる学力テストについて,すべてがあらかじめ描かれたシナリオに基づき仕組まれた90億円の茶番劇だと批判する週刊誌記事が掲載されたりしている。

 ここ数日の自分の浅はかさに誘われて,柏端達也『自己欺瞞と自己犠牲』(勁草書房2007.2/3000円+税)という本を手にした。久し振りにお堅い本(でも入門書)を読み始めたところ。
 まだご紹介するほど読めてもいないが,ちょっと先を覗くと「信念の論理と高階の自己欺瞞」といった議論が展開しているところなんかは興味深い。
 実社会は「コレとコレは別!」だなんて奇麗事を許してくれたり,温かく見守ってくれるほど優しくないので,自分自身の自己欺瞞的な部分にひとり悩むことも多くなる。
 無限退行していくような思考に,私なんかすぐ疲れちゃうところがあるので,もう「私が悪うございました」と素直に負けを認めることも多くなったが,それでもどこかで永続する自己欺瞞な部分に人生終始苛まれるのだろう。
 そうなのよ。いつまでも気持ちは若い若いと自分を欺いてちゃいけないのね。世代規範ではなく年齢規範に則って振る舞いを慎まなければならなかったのだ。元気なのは結構だけど,出来るだけ控えめにしましょう。
 またごめんね,裏方に徹するの忘れて…。

 さて,明日も会議やらセミナーに参加。頑張っていきましょ。

米国から熱海へ

 米国出張から帰国したその足で春合宿に参加。そしてようやく帰宅した。これで3ヶ月続いた海外出張などのお出かけ系予定に一区切り着いたことになる。本当に疲れた。
 世界中の人々がガヤガヤと意見交換した洋の世界から,いきなり温泉と畳部屋で雑魚寝するような和の世界に,ロクな睡眠もなく移行した。

 コミュニケーションの難しさを思う。人と関係していくというのは痛みを伴うこともあるものだが,その場その場に落としどころがないと耐えられない人々の中に生きていることも思い知る。経験は何かの役に立つどころか,むしろ問題を複雑にする。もう独りじゃないということを自覚しなければならない。浅はかなのは,常に自分なのだ。

 春合宿は遅刻をしてしまったが,ぎりぎり夕食にたどり着き,苦く楽しい一夜と貴重な学習会を過ごした。初めてWiiのゲームをプレイした。ゲームマシンは早くに卒業したつもりだったので,久し振りだったが,多人数で遊べるところがとても楽しかった。あとは夜通し飲んで話などしていた,様々なことを。
 学習会は大学院での研究活動をどう進めていくかについて情報提供があった。分野も違えば,時代も違う学術作法の話を改めて聞くと,大いなる不安も襲い,また早め早めの取り組みが大事なことを感じる。
 私にとっては,研究者免許更新制度のもとで,研究者として生きるか,別の生き方に進むか,ハッキリさせる機会のようなものだ。「教育に貢献」する生き方は他にも無数にある。それを見極める2年間にしたい。

 さてと,さっそく明日からあれこれ用件を片付けなくては。

Intel Teach ((米国渡航記06))

 インテル社が行なっている社会貢献事業であるインテル教育支援プログラム「インテル・エデュケーション」(Intel Education)が主催するカリキュラム・ラウンド・テーブル(Curriculum Round Table; CRT)に来ている。このCRTで主に扱われているのは,いくつかある教育支援の中でも「教員研修(専門能力開発)」である。
 インテルが提供する教員研修プログラムは「インテル・ティーチ」(Intel Teach)と呼ばれている。子ども達に21世紀型スキルを身につけさせられるような教育実践・授業づくりが成せる教員能力の研修を目指したものである。特にこの時代においてICTの活用は不可欠であり,インテル・ティーチもその点を重視したものとなっている。

 オリジナルの米国版インテル・ティーチは,いくつものプログラムに分かれている。ちなみに今回,大幅なバージョンアップが行なわれた。
ITC先生向け
 Skills for Success Course
一般の先生向け
 Getting Started Course
 Essentials Course v10 (F2F)
 Essentials Online Course (Hybrid F2F & online)
 Thinking with Technology Course v2
 Advanced Online Course
管理職向け
 Leadership Forum
 もちろん米国版は各国版にローカライズされることを前提としているが,必ずしも全てが各国で採用されているわけではなく,各国事情に合わせてプログラムが選択的にローカライズされ採用されている。
 CRTは,これらのプログラムに関する更新情報を提供し,プログラム全体のマーケティングや評価に関する情報も提供する。各国の担当者や関係者は,それらの情報をもとに,各国のニーズを明確化した上で必要なプログラムのローカライズを検討し,実現するというわけである。
 ちなみに現在日本で展開しているには「Essentials Course(旧バージョン)」のみ。基本的には教育委員会単位での申し込み制を取っているのが現状である。

 もしもあなたがインテル・ティーチなるものに興味を持ったら,まずは自分のところで教員研修事業を担当している教育委員会もしくは教育センターに問い合わせて,インテル・ティーチ・プログラムを導入しているかどうかを確認することから始めることになる。
 つまり,インテル社は直接に研修会を催してはいない。あくまでも研修の中身を提供するという形で教育現場への貢献を行なっているわけである。そのため,教育委員会や教育センターなどに在籍する指導主事が,インテル・ティーチについて知った上で,研修のアウトソーシングを求めなければ,インテル・ティーチが現場の先生方に届けられる機会はないということになる。
 実際のところ,インテル・ティーチが導入されている例は少ない。全世界の中で,日本のインテル・ティーチ活用度は低水準にある。日本におけるインテル・ティーチ自体の認知度が十分でないということもあるかもしれないが,日本は教員研修プログラムが様々な形で義務づけられ自前で用意してきた歴史があるため,外部にアウトソーシングするという発想が弱いのである。

 しかし,ご存知のように教員の質の向上が叫ばれ,教員免許更新制度,教職大学院といったものの動きも慌ただしくなってきている。教員研修の強化は,時代の流れとして重視され始めている。
 そうなれば,研修内容の多様化に伴って民間研修プログラムの採用も検討せざるを得なくなる(すべてを自前で用意するには限界があるため)。当然,有償/無償,各分野向けに特化したものなど,様々な選択肢を如何に有効活用するかが教育委員会や教育センターにとって重要課題になるはずである。
 そうした時代のニーズにおいて,民間企業の社会貢献活動として無償で提供されるインテル・ティーチのようなプログラムは,大変有り難く貴重な存在である。それゆえ,このプログラムが世界中の国々で,政府レベルとの連携を得ながら展開している事実は不思議なことでも何でもない。
 むしろ,有効活用していないのは,日本くらいなものだというのが,逆の意味で目立っているのである。

 今回,インテル・ティーチ・プログラムが新しいバージョンになったことを機に,各国でのローカライズ作業が始まり,新たな段階に進むことになる。日本チームも,日本での活用度が上がるよう,普及の戦略を立てて臨むことになる。是非,関心を持っていただきたい。

びっしり ((米国渡航記05))

 いやはや,駄文を書く暇もないくらい。スケジュールがびっしり詰まっている。そのうえ,前半は頭痛と時差ぼけの眠気で大変な苦労をしていた。完璧にお仕事モードである。
 インテル教育支援プログラムのCurriculum Round Tableに来ている。世界40カ国から120名程度の関係者が集まり,新しい教員研修プログラムの内容を共有し,実施するための具体的な計画を考える。
 盛りだくさんのプログラムを一週間足らずで伝達し,それぞれの国の実情に照らして意見交換を行なったりするのだから,そりゃ時間がいくらあっても足りない。

 けれども,どの国の人々も真剣である。「世界で通用する教師」の育成を目指す各国の最前線にいる人々である。日本の教員世界をもっと国際社会に通じたオープンなものにしないと取り残されて完全に孤立してしまうという危機感が襲う。
 また少しずつどんなプログラムがあるのかをご紹介していくことにしよう。

Intel Education Curriculum Round Table始まる ((米国渡航記04))

 米国オレゴン州ポートランドにあるホテルを会場に,Intel Education主催のCurriculum Round Tableがスタートした。少々頭痛を残しながら,私も初めて参加することになった。
 今回の主役であるIntel Education(インテル教育支援プログラム)については先日も軽くご紹介したが,まだまだ一般的な認知や教育関係者へのアピールも足りなさそうなので,繰り返しご紹介する必要がありそうだ。
 もっとも百聞は一見にしかずだから,インテル教育支援プログラムWebサイトをご覧いただいた方がいい。最近リニューアルして,以前よりも見やすくなった。

 民間企業が社会貢献活動をすることは目新しいことではなくなっが,日本ではまだ当たり前という域には達していない。海外を見ると社会貢献活動によって税制上の優遇を得られるといった状況があるので,様々な社会貢献活動が展開しているようだ。
 インテル社のようなグローバル企業になれば,社会貢献活動の規模も一国に限らず全世界を対象としたものになっている。世界には支援を必要としている国が多いが,こうしたグローバル企業による社会貢献活動は,いよいよその必要性が高まっているというわけである。
 そして,おそらく,どんな国においても「教育」の重要性は高い。社会貢献活動の一環として教育支援プログラムを推進するインテル社の取り組みは,国際社会が将来にわたって協働する基盤をつくるという意味でも,大変注目すべきものだといえる。

 日本でもインテル教育支援プログラムは展開している。しかし,残念ながらそのようなプログラムを活用するという土壌が日本では育っていないため,馴染みが薄いのも事実だと思う。
 教育支援プログラムにはいくつか種類があるが,近年力を入れているのは「教員研修」(英語ではプロフェッショナル・デベロップメントになり,専門能力開発という翻訳になってしまう場合もある)の分野である。ICTを活用した授業の開発が出来るよう授業づくりを学ぶコースが用意されている。
 インテル社は教育の専門家に依頼して授業づくり研修プログラムを開発してもらい,それを全世界に提供するという支援活動を行なっているわけだ。だから,教員研修プログラムの中身は,教育学的な知見に基づいたものと考えていい。
 21世紀型スキル(その詳細な定義はさておき)を子ども達に身につけさせる授業をつくる能力は,今後の教員にとって大変重要な能力であり,それを見据えたインテル教員研修プログラムは,各国から支持されている。

 インテルの教員研修プログラムは,毎年バージョンアップを続けているらしい。そしてその新しいバージョンを世界各国の関係者に披露し,様々なフィードバックを得たり,各国への翻訳に必要な情報交換をする場が,Curriculum Round Tableという,今回私が参加している会議である。
 今年はプログラムの大幅な改訂があり,そのための質疑や意見交換が活発に行なわれている。コンテンツの開発者や技術者と,各国の教育支援プログラム担当者や関係協力者とのやりとりは,それぞれのお国事情を反映していて興味深い部分もある。

 我が日本チームも,インテル教育支援プログラムを支えている担当の女性お二人と,おまけでついて行った私の3人で参加。お二人の女性がなかなか積極的な方々なので,やりとりは任せて私はぐるぐる考え事をし続けながら過ごしている。
 他国と比べて,日本は教育支援プログラムの活用度が低いというあまり褒められた立場でないのが弱みだが,新しいプログラムへの移行も含めて,活用してもらうための方策を模索することになる。

 とにかくスケジュールは朝から夕方まで盛りだくさん。頑張らないといけない。

眠った ((米国渡航記03))

 気分を晴らそうと珍しく機内で映画を見続けた。1本目は「ナイトミュージアム」,2本目は「ドリームガールズ」,そして3本目は「主人公は僕だった」。いずれも注目作である。
 映画自体はどれも楽しかったが,体調の方はすっかり悪くなった。着いたときには眠気と頭痛で最悪な状態。とにかく入管を通り抜けて,寒い中を送迎バスを探しながら,やっとこさホテルに着いて,そのまま眠りについた。
 睡眠不足は解消したが,筋肉疲労による頭痛は残った。やはり長時間フライトに臨むときは,しっかり体力と睡眠を取って万全の体制にしておくべきだった。
 とにかく明日から会議が始まる。世界中の皆さんとご一緒することになるので頑張らなくては。