この週末,パチパチと会議録をつくっているところに父親が訪ねに来てくれた。到着までに大あわてで掃除。本を整理し,部屋のホコリを拭き,貯まっていたゴミを出し,風呂の湯船も洗って,さながら年末大掃除。おかげさまで部屋がきれいになった。
親子共々,予定を決めぬ風任せな性格なので,ふらっと行動することが多い。そんな風に時間を確保するのが旧い型の研究者の癖で,そんな中で考えることが柔軟性にもつながっていた。もっとも,こういう旧式のやり方は,このご時世すっかり馴染まなくなっているけれども…。とにかく,週末は父親と過ごすことになった。
今日は,東京国立近代美術館に出かけた。美術・芸術から縁遠い私は,美術館に出かけて作品を眺めていても,自分がちゃんと鑑賞できているのかがわからないので戸惑いがち。そういえばミュージアムの来場者研究という分野に取りかかろうとしているHさんの話では,博物館や科学館などを観覧する経験が,美術館などにも活かせるのではないかということだったが,私の場合は,あんまりうまくいってないかも知れない。
ただ,現在開催中の「揺らぐ近代 −日本画と洋画のはざまに−」という特別展を見て,とても興味が持てたのは収穫だった。明治大正そして昭和にかけて,浮世絵といった日本画が中心だった日本に,油絵のような洋画がどのように受容されていったのかという視点で見ていくのは,日本近代美術を鑑賞のための興味深い足がかりになる。大変刺激的だった。
この日,別会場では関係者対象のシンポジウム「美術館 マネジメント新時代」が行われていた。「なんか,どこの業界もマネジメントだらけだねぇ」と父と息子で笑っていた。
一泊した父親は,満足してしまったのか,そのまま帰ってしまった。月光仮面みたいな訪問だったが,楽しからずや。東京駅まで見送って,少し寄り道してから帰路についた。
家の近くまで来たら,なにやら賑やか。よく見ると,たくさんのテレビ撮影機材とスタッフ。テレビドラマの撮影をしているらしい。誰か俳優さんがいるのかなと見回してみると,白いコートの女性が立っている。ありゃ,話題の藤原紀香じゃ,あ〜りませんか。さすが立ち姿がキレイな人である。東京に来てから間近で見た有名人の第1号。彼女の結婚前に見られたのは,満足満足。そして,お仕事お仕事。
先生は落ち着かない
久しぶりに新聞社のWebサイト巡りをして教育関連記事をチェックしようとした。ところが,この頃,いじめ問題や未履修問題,そして教育基本法改正という異例のトピックスの多さに,過去記事があっという間に一覧リストから消え去っていることに驚いた。
いままでは,ちょっと間が空いても,わりと先月の後半くらいの記事は残っているのが通常ペースだった。それが安倍内閣と教育再生云々が始まってからは,教育関係の話題も政治ジャンルで記事が流れ,そして枝葉の話題も取り上げていくことでどんどんペースが上がってきたのである。
これが今後とも恒常的な事態になるというなら,それはそれで社会的関心が教育にも向けられるようになったと喜ぶべきことかも知れない。でもたぶん,竜巻みたいな一過性のような気がして仕方ない。
読売新聞は,この数日「先生はなぜ忙しいのか」という連載を始めたようである。先生が忙しいということの実態がちゃんと伝わっていないことを考えると,少しでもこうした情報が出るのは大事なことだと思う。
興味深いのは,最初の2回の記事がどちらもITの活用について触れていることだ。もはや仕事上必要不可欠だが,そのIT機器が入ってもなお多忙,という実態にもう少し多くの人たちが気づいてほしいと思う。そんな仕事なのに,各教員に1人1台のパソコン配備の保証が未だにないこと。もうちょっと深刻に考えてほしい。
NHKのクローズアップ現代では「学校選択制の波紋」として地域の学校が消えていく事態を取り上げていた。一部の学校にはプラス面もあったのかもしれないが,むしろ多くの地域にとってマイナス面が現実化し,問題に直面しているということをレポートしていた。導入当時から懸念されていたことが現実化しているわけだ。ここでも先生達は大変。
先生達は忙しいのか。よくご存じのように,「忙しい」というときの漢字は「心・亡」と書く。先生達は「心亡くしている」いるのだろうか。はっきり申し上げれば,心亡くさないようにもがいているのが学校の「先生」という人たちである。落ち着かない日々を慌ただしく頑張っているだけ。そのことをもっと理解しなければならないと思う。
心亡くしているのは,ナンタラ法改正を急ぐどこぞの「センセイ」たちの方である。ああいうのを本当の「忙しい」という。
金は時なり
缶詰め仕事が一段落したので,書店でぶらぶらしていたら,苅谷剛彦・増田ユリヤ『欲ばり過ぎるニッポンの教育』(講談社現代新書2006.11/740円+税)が平積みされていた。よせばいいのに買ってしまった。
増田ユリヤ氏が上梓した『総合的な学習〜その可能性と限界〜』(オクムラ書店)という本に対して好感を抱いた記憶があるし,苅谷剛彦氏は教育社会学者として様々に活躍されているので,この2人の本なら読んでみるかと思った。
ぱらぱらと斜め読みしかしてないが,対談部分はやっぱりあんまりシャープな内容ではない。それに対談部分の合間に差し込まれた補稿の字体を変えてしまっているのは,あんまり読みやすくない。どっちかというとそちらに大事なことがいろいろ書いてあるはずだし,両氏の本領も発揮されているはずなのに,読みにくい。
最近思うのだが,このパソコン編集のご時世になって,書籍編集者というのは本当に手を抜くようになったと思う。レイアウトやフォントに凝れるようになったせいか,基本的な文字組レベルにおける努力をほとんどしなくなったといっていい。昔はもっと文章の区切れと頁の区切れを意識していたのではないか。それと図版の扱いも良い場合と悪い場合が極端になっている。
たとえば,苅谷剛彦氏も「国家予算と義務教育費の伸び率」というグラフを掲げて,教育予算や条件整備に関する具体的な策を出さないままに教育改革が推進されている問題を指摘している。このグラフのレイアウト処理の仕方の中途半端さといったらない。こんなエクセル出力グラフからそのまんま描き起こして,ろくなデザイン編集もせずに掲載するなんて,商業出版としては恥ずかしい限りである(それが新書の限界だと言ってくれるな。そんなことは百も承知であえて事例として書いているのである)。
グラフ自体は1955年を基準(1.00)として,そこからの予算伸び率を図にしていて大変興味深い。私がつくった減り続ける教育予算グラフ(1)(2)が1997年からだけしかないのに比べれば,昭和30年からの経過が見られて素晴らしい。そしてこのグラフからわかることは,恐ろしいことにあの臨時教育審議会が設置されてからというもの,日本の義務教育費の伸び率は停滞しているということ。教育の自由化というのは,教育予算の値切りだったということがはっきりわかる。
(ちなみに子ども1人あたりの教育費の伸びが上昇しているのだけど,たぶんこれは子供の頭数が減っていったことによる上昇ではないかと思う。義務教育費が伸びてないのにそっちが伸びるとしたら,そう考えるほか無かろう。)
とにかく,本作りにしても教育環境作りにしたも,大いなる手抜きが展開してしまった昨今。時間の長さは変わらないのに,仕事や勉強などしなければならないことは増えて,それぞれに使える時間が短くなってしまったのだから,合理化効率化という名の手抜きも起こるのは,容易に想像できる事態である。
街を歩いていると,若い兄ちゃんたちが「カラオケしませんか」と声をかけまくっている。ナンパじゃなくて,カラオケ店の営業である。街ゆく人たちに「カラオケしませんか」「カラオケどうですか」と声をかけ続け,潜在的な客を獲得しようとする努力。なるほど,普通に歩いているカップルやグループも,そう声をかけられたら,自分では気づかなかった「唄いたいな」という欲求に気づいて,唄いたくなるかもしれない。でも,そうやって引っ張り出された欲求は,本当にそのときすべき欲求だったのだろうか。
教育予算の伸び悩みや減少は,すなわち私たちが教育に費やす時間の減少であるかもしれない。子ども達は,国が整備した学校教育から逃れて,塾へ行くだろうし,習い事に行って時間を過ごすだろう。そういう意味で,子ども1人あたりの教育費が変わらない。けれども比喩的にはなるが,国全体として教育に捧げている時間というものが,量的な意味でも質的な意味でも,どんどん減っているのではないだろうか。そんな風に思えたりする。
教員1人1台時代のICT活用フォーラム
告知のお願いをされていたので,忘れないうちに…。教員1人1台時代をようやく迎えることができるのかどうか。整備されることになれば,1人1台Windows Vistaパソコン!ああ…,ある意味想像するだけでも寒気がするシチュエーションだけど,まあWindows XPよりはセキュリティに配慮したというVistaの時代で良かったのかもしれない。最近はマックでもWindows動くので,共同の仕事はやりやすくなったし。
たとえば自分の私物パソコンと職場パソコンとを連携するためにはどうするのか。データ共有のルールをどう打ち立てていくのか,あるいは技術的基盤は何を実現し私たちに提供してくれるのか。そういう話がいろいろ飛び出すことになると思う。興味深いフォーラムになるのではないかな。
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┏┫ 教員1人1台時代のICT活用フォーラム ┣┓
┃┗┳━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┳┛┃
┗━┛ 〜安全・安心な校務環境をめざして〜 ┗━┛
http://www.skymenu.net/seminar/
■:教員1人1台PCの時代、校務はどう変わるのか?
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「IT新改革戦略」で示された、教員1人1台PC。いよいよ校務の情
報化に国が本腰を入れ始めました。
公的にPCが配布されるということは、利活用が義務づけられるという
ことであり、用途は限定されるということでもあります。
校務の情報化を、そして安全・安心な職務環境を、私たちはどのように
描いていけばよいのでしょうか。
今回のセミナーでは、動き出した教員1人1台PCの時代を見据え、新
しい教員の職務のイメージを追求します。
「教員1人1台時代のIT活用プロジェクト」
主査 堀田龍也(メディア教育開発センター助教授)
【日時】2007年2月3日(土)13:00〜17:30(受付12:30)
【会場】ベルサール九段(3FイベントホールA)
(東京都千代田区九段北1-8-10)
【主催】社団法人日本教育工学振興会
【後援予定】文部科学省、総務省、経済産業省ほか
【参加対象】教育委員会の職員、学校の教職員
【参加費】無料
【主な内容】
▼基調講演「学校教育の情報化の現状と展望(仮題)」(文部科学省)
▼実践報告「教員1人に1台のコンピュータで何が変わるか」
堀田龍也(メディア教育開発センター助教授)<司会>
戸来忠雄(青森県八戸市立市川中学校教頭)
中川斉史(徳島県三好市立池田小学校教諭)
池田宗一(鳥取県立米子西高等学校教諭)
▼情報交換会
▼パネルディスカッション
「教員1人に1台のコンピュータを前提とした校務環境のために」
堀田龍也(メディア教育開発センター助教授)<コーディネータ>
高橋純(富山大学人間発達科学部助教授)
日下孝(仙台市教育センター主任指導主事)
梶本佳照(兵庫県三木市立教育センター副所長兼指導主事)
竹内 勉(Sky株式会社e-ソリューション事業部商品研究部部長代理)
詳細・お申し込みは
→ http://www.skymenu.net/seminar/
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学習科学塾−転移編・参加者募集
学習の「転移」については,教育に興味を持った皆さんは聞いたことがありますよね。決して真新しいお話ではありません。けれども,どうやら世界の研究界の前線ではあらためて「転移」が注目されているそうなのです。
学習科学に関する研究会から派生した1日だけの勉強会です。英語文献ですが,興味のある皆さん是非。英語得意ではない私も頑張っているくらいですので,そこで立ち止まらないで,ご一緒しませんか?
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魁!学習科学塾 番外編ー転移
発起人:山口悦司(宮崎大学)
中原 淳(東京大学)
望月俊男(東京大学)
林 向達(東京大学修士課程)
舘野泰一(東京大学修士課程)
三宅正樹(東京大学修士課程)
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■趣旨
学校で勉強したことって将来役に立つのか??な
んて考えこと、ありませんか?ある時点で学んだ内
容が、次の時点にどのような影響を及ぼすのかは、
よくわかっていません。
学習転移といわれるこの問題は、非常に大きな教
育的意味を持っています。それだけに様々な意見が
主張されてきましたが、まだまだ見解の分かれる未
解明な部分です。
今回の番外編では、
・学習科学の国際ジャーナルの小特集(2006年)
・転移に関する最新の図書(2005年)
を輪読し、学習転移研究の現状と今後について
議論します。
学習研究の最前線では、転移の問題がどのように
捉えられているのか、その意義や将来について、集
中的に学ぶことができます。
研究会には下記の条件を満たす方なら、どな
たでも参加できます。
ふるってご参加ください。
1.下記の日程に参加できる方。
2.下記にある文献リストのうち、1つ以
上を担当しA4レジュメを作成し、発表でき
る方。なおレジュメは、PDF化し、NAKAHAR
A-LAB.NETにて公開させていただきます。
※研究会は相互貢献の場です。
※オブザーブのみに参加は認めないこと
とします
なお場所の関係で、人数を11名にて打ち切ります。
ご了承下さい。お申し込みはお早めに。
■日時
2007年 1月16日(火曜日)
午前10時 – 午後7時まで
■場所
〒113-0033 東京都文京区本郷7-3-1
大学総合教育研究センター
マイクロソフト先進教育環境寄付研究部門
tel:03-5841-1727
fax:03-5841-1729
東京大学本郷キャンパス内 第2本部棟4階
403号室です。
http://www.utmeet.jp/access/index.html
■参加の申し込み方法
参加申し込みは、下記のリストから担当
したい論文を3個ご選択の上、下記の申し込み
フォームをつかって、
mmiyake[atmark]mvg.biglobe.ne.jp
のメールアドレスまで11月30日までにメールをください。
ご指定いただいた3つの文献のうち、1つを
ご担当いただければ幸いです。
【1】、【2】などという風に番号
でお知らせください。
なお人数の関係で、11名を上限に参加者を
打ち切ります。先着順といたします。
参加費は一回100円をお茶代として申し受けます。
〆ココカラ———————————-
申込フォーム
——————————————–
名前:
所属:
メールアドレス:
文献担当希望:
第1希望
第2希望
第3希望
————————————〆ここまで
■文献内容
1. 学習科学の国際ジャーナルの小特集(2006年)
The Journal of the Learning Sciences/ Volume: 15, Number: 4 2006
【1】 Alternative Perspectives on the Transfer of Learning: History, Issues, and Challenges for Future Research
Joanne Lobato
【2】Framing Interactions to Foster Generative Learning: A Situative Explanation of Transfer in a Community of Learners Classroom
Randi A. Engle
【3】Sameness and Difference in Transfer
Ference Marton
【4】Authoritative, Accountable Positioning and Connected, General Knowing: Progressive Themes in Understanding Transfer
James G. Greeno
2. 転移に関する最新の図書(2005年)
Transfer of Learning from a Modern Multidisciplinary Perspective
(Current Perspectives on Cognition, Learning, and Instruction)
目次情報
http://www.loc.gov/catdir/toc/ecip0513/2005009105.html
※今回の読書会では、以下のchapterを取り上げて輪読します。
【5】Chapter 1
Schwartz, Bransford and Sears
これまでの転移研究で用いられてきた指標とは異なる視点から新しい転移像を構築することを目的に。ターゲットとなる問題を解決出来るかどうかではなく、ターゲットとなる問題をよりよく学べるかどうか、将来の学びへの準備としての転移、という概念の提唱。
【6】Chapter 2
Wolfe, Reyna and Brainerd
fuzzy trace theoryという理論的枠組みから、転移を可能にする記憶の形態を考察する。
【7】Chapter 4
diSessa and Wagner
複雑な知識の集合としての概念が、文脈等の情報とどのように関係するのか、熟達者と初心者における概念やその適応能力の仕方の違い等から転移における問題を考える。
【8】Chapter 7
Hickey and Pellegrino
評価と転移との関係を評価を構成する3つの側面、学習理論、教授と評価の心理的距離、総括的あるいは形成的評価等の評価の役割、から考える。
【9】Chapter 10
Dziembowski and Newcombe
古典的研究の詳細な見直しから、これまでの研究が見落としてきた転移元と転移先における概念の違いや、転移の可塑性を明らかにする。
【10】Chapter 11
Hakel and Halpern
How People Learnの知見から、転移を促進する為の方法を考察
【11】 Chapter 12
Fisch, Kirkorian and Anderson
インフォーマルな場からの転移とはどのようなモノなのかを、テレビの教育番組の内容がどのように転移するか等から考える。
※当日、研究会終了後、懇親会をいたします
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研究会幹事:三宅正樹(東京大学修士課程)
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教育基本法改正案,特別委可決
教育基本法改正案が,特別委員会での審議は尽くされたとの与党の見解で採決され,与党のみで可決した。野党は欠席。数の論理で突き進むのが政治とはいえ,このご時世に極めて非教育的なやり方を見せつけながら決まっていく教育基本法改正に,若い世代は何を思うのだろうか。
「審議は100時間を超えた」から採決しようだなんて,森精機の100時間運転試験じゃないんだから,もう少し気の利いた理屈を考えてほしいものだ。結局,この土俵の上では,どんなに審議の必要なネタを引っ張り出しても,100時間経てば審議はどうあろうと多数決で決めてしまえという結末があることになる。「やらせ質問」(一時期マスコミは自分たちの悪行を思い出すから「やらせ」を嫌って「仕込み」と呼んだ時期があったなぁ)の方がまだいくらも善意を感じられるくらいだ。
教育基本法が愛国心を高らかにうたおうと,それ自体は問題じゃない。教育行政に関する記述や国民から引っぺがされた直接の責任の消失によって,教育基本法は私たちを教育の主体から教育の消費者へと追いやってしまうことになる。
だから,たぶん,教育基本法改正は,このご時世の多くの人たちにとって問題じゃないのだ。とりあえずお給料をもらって,とりあえず日々の生活ができている,本当にこの国のマジョリティには,何でもない話なのだ。ただこれから衆院や参院で繰り広げられる大根芝居を眺めるためのネタに過ぎないのだと思う。そうやって,次は日本国憲法改正で盛り上がるだけ。
これは未来への大いなる「いじめ」なのだということを,その芝居に立つ人々が誰も考えないことに危惧を抱く。
私は思うのだ。もし教育基本法を改正することで,日本の文教予算を一気に世界水準,いや世界トップに引き上げる準備に取りかかってくれるというなら,私は自分の個人的信条がどうかはともかくとして大賛成してあげる。
もし改正することで,教員養成と教員の自己研修に対する努力に対して手厚い補助や条件確保をしてくれるというならば,毎年改正されたっていい。子ども達が通う学校が,社会の中で最も勉強に適した建物や設備を備えるように各種の法律や予算を優遇してくれるというならば,税金が高くったって納得する。
教育基本法の改正は,そういう約束に値する,あるいはそれを期待するに値する出来事なのか。そのことが一番気がかりなのである。そして,分かり切ったことではあるが,そんなことはあり得ないということ。そのことがすべて一般の人々にも見通せた上で,政治家は茶番を演じているということに,ため息をつかざるを得ないのである。
こんな世界のために死んではいけない。大根役者達よりたった一日だけでも長く生きて,笑ってやるべきだ。
霜月12日目
ブログ更新もせずにいると心配のメールを幾つかいただく。細かい事柄は別として,とりあえず問題なく生きながらえている。原稿を書いたり,会議に出たり,イベント事に参加したりと慌ただしかった。
そんなこんなでテレビを見る暇もなかったから,フジテレビが放送した教育番組?とやらも見てない。何か興味深い議論があったのかどうなのか気にはなるが,もはや議論ということ自体にはあまり意味がないようにも思える。結局,議論の果てにこんなご時世になっているのだ。そう思うと駄文を書く自分の手も止まりがちである。
文部科学省「初中教育ニュースメールマガジン」が配信された。いじめのこと,科目未履修のこと,教育再生会議のことなど含んでリニューアルの勢いに乗っている模様。果たしてこの省の人々は,信頼に足る私たちの味方なのか,隙あらば胡座をかく厄介者なのか,はたまた官僚組織と専門職集団としてのジレンマに引き裂かれた悩み多き人達なのか。きっと全部混ざってるから機能しない複雑省庁と化しているのかも知れないが,とにかくここはうまく問題に立ち向かって欲しい。
(いや,しかし,政治家としての力量がどうかはともかくとして,答弁する伊吹文部科学大臣の応対力というのは素晴らしいと思う。穴馬かも知れない。)
今日は日帰りで古巣の短大へ。教え子達が大学祭で頑張っているのを見に行ってきた。久し振りだったが相変わらず元気そうだった。途中まで担任をしていたクラスの学生達は,結束も強くなっているようだった。他のクラスに比べて就職が決まった学生が多いらしい。自立が早かったおかげだろうか,喜ばしいことである。
さて,ここからは缶詰状態。またしばらくお仕事に没頭の予定。
霜月5日目
日本教育工学会大会を終えた。父親との約束もあり名古屋へ。学会を終えてみての感想や考えることは山ほどあるが,やはり書くのが難しい。あまりに多くの問題が複合的に絡んでいるので,キレイに整理して書くには時間が必要。いまそれをしている余裕がない。
新幹線に乗る直前までの道のりを渋谷のMさんとご一緒した。仕事柄たくさんの人と接しながら何かを生み出す仕事をされているので,そのまなざしから見えるものを聞くのはとても興味深い。
「何になるんですか,また大学の先生になるんですか」とか聞かれた。何になるかは結果として出てくるもの,と思うようにしてたから,いざ質問されると大した答えがない。「教育に貢献できれば…何でも」そう答えた。
何かつくることにしよう。でも何をつくろうか。いざとなるとよいアイデアが浮かばない。Sさんは一緒につくってくれるだろうか。考えなければならないことが,まだまだたくさんありそうだ。宿題もやらないと…。
シンポジウムとその夜に
諸々のイベントが終わってすっかり夜も更けたというか,しばらくすれば夜が明けそうというか…。語らったり,盛り上がる機会をもてるというのは,なんと嬉しいことだろう。
詳しくは後日書きたいが,2日目のシンポジウムは最後の最後で私もフロアから発言することになった。シンポジウムのテーマに即して考えるべきことは何なのか,あれこれ思案しながらシンポジアストの皆さんの話を聞いていた。
21世紀に入ったにもかかわらず,そしてWindows XP(すぐにでもVistaへ)やインターネット,Googleがインパクトを与えている日常になっているというのに,そのことに呼応した見解を述べなくてもよいものだろうか。私がこの世を去り,まだ見ぬ子ども達が私たちを振り返ったときに,彼らが何を思うのかについて想像力を巡らさなくてもよいものか。
私にしてみれば,せっかく同時代に生き,こうして同じ場に集って語る機会をもった者同士,もっと大事にし合いたいと思うのである。とはいえ,単なる理想論というよりは,シビアに現実を見ることから始めるべきだというのが,私の主張だった。結局私たちは,分かってもらえる相手とコミュニケーションしてる振りをしているだけで,外に対しても内側においても,分かり合えてない相手とのコミュニケーションに欠けていたのではないか。
まあ,また後日詳しく書こう…。
懇親会と飲み交流会では,ご挨拶程度しか出来ていなかった先生方や大学院生の皆さんとしっかりお話しできる機会をいただいたり,とても有り難かった。大胆なことは好きだが,元来恥ずかしがり屋(そのうえ,うっかり屋さん)なので,たくさんの方々に失礼をしていると思う。それぞれの皆さんとちゃんとお話しできる機会がやって来ることを辛抱強く待ちかまえていたい。
日本教育工学会2日目
一昨日の夜から関西入りして,昨日からの日本教育工学会に参加している。この学会とのご縁は2001年にさかのぼり,そのときは他分野の人間という感覚での参加だった。しかし,いよいよこの分野のフォーマットの上に則って自分の研究を展開しなければならなくなったから,あれこれ意識しながら発表などを聞いている。
1日目のシンポジウムは「ICT教育とそれを支えるシステム」というテーマを聞いた。別の部屋では「社会人学習環境を創る」という,これも興味深いもの開催されたが,やはり教育現場関係のシンポを選んだ。
あらためて,シンポジウムというのは難しい。いや,設定されたテーマが難しいのかも知れない。ICT教育がどうなるのか。そんな問いかけに陥ってしまったら,きっと議論百出だし,なにより今は政治問題と化しているのだから,研究者集団として何かをアピールすることは出来ても,問題対象を研究するというアプローチからどんなに迫っても,実りはないのかも知れない。損得で動くゲーム盤の上にのっかる覚悟があるかどうかを問われてしまう。
(そういう意味では社会人学習環境を創るのは,団塊の世代からのニーズもありそうだし,世代交代によって薄まりつつある企業ノウハウや知識の喪失危機という意識が市場を生み出す損得世界が広がっていて,まだ夢があるのかも知れない。それを夢というかはいろいろ議論もあるかも知れないが…。)
様々な一般発表を聞いて,分野の幅広さと様々な関心があることを改めて認識する。応募総数は過去最高数だそうで,確かに会場中を走り回らなければならないくらい。
やはり体力は大事ということか。ちなみに関西大学は街から離れた自然多き場所にキャンパスがあり,街を見下ろせるその展望は素晴らしい。今朝は正門でバスを降りて大会会場まで歩いてみたのだが,学生さん達が朝から声を上げてスポーツしていたり,秋の気配を漂わせるキャンパス内の山道は,優雅な気持ちを抱かせてくれた。
周りが木々に囲まれているだけに,学舎周辺の空間には大きな木のようなものはなく,現代的な建物でシャープに空間が構成されているので,そのコントラストがまた興味深い。
さて,これから2日目のシンポジウムが始まり,懇親会があり,夜の交流会とイベント続き。そういう機会にいろんな人を知ってみたいと思う。人見知りせずに,上手くは話せるといいのだけれど…。