明朝から東京。今回がやっとホントの東京移住の第一歩だ。部屋の契約に時間がかかった。明日,鍵を受け取って入居できるはずだ。いままた上京のための荷造りと,また散らかしてしまった部屋の整理で夜更かし中。徹夜になりそう。
これで落ち着けるかと思ったら,土曜日には金沢へ出張。その後,月曜日から東京で研究活動。荷造り作業の続きのために名古屋に戻る可能性もあるから,慌ただしい。商売道具の蔵書を丸ごと引っ越せれば悩みもないが,厳選しないと…。捨てるものがあるならば蔵書を預かろうか?との申し出もいただいた。また後日じっくり考えたい。
身を移すことが,こんなに手間かかることになろうとは思わなかった。気持ちは焦るが,ここまできたら開き直って,じっくりと取り組む覚悟で歩こう。
「雑記」カテゴリーアーカイブ
出戻り
東京から名古屋に戻ってきてしまった。部屋探しの結果,とてもいい物件にたどり着いたものの,手続きのためには名古屋に戻って処理した方がよさそうだという判断になったわけだ。
部屋を借りる申し込みをして,入居資格の審査のようなものを受ける。勤務先はどこか,年収はいくらか,あなたは日本人なのか,ということを聞かれる。ああそうか。私の名前,読み方が珍しいことをすっかり忘れていた。オーナー側にしてみれば,中国人じゃないのかとか,家賃は支払えるのかとか,他の入居者と釣り合いがとれるのかとか,いろいろ心配事があるのだろう。
名古屋の職を離れて,東京で勉学・研究することを理解しもらえれば,問題ないとは思う。けれども,やはり世間の目は厳しいものなのだということをあらためて覚悟しなければならない。
これからしばらくは蔵書と格闘である。引っ越し先に送るものと残していくもの,場合によっては捨てるものを選別しなくてはならない。どこでもドアが欲しくなる場面だ。全てを移動するとなると大変な輸送代がかかりそうなので,必要最低限のものをチョイスしなければならない。出費はかさむよ,どこまでも。
銀ぶら
今日は午前中、研究プロジェクトの会議に参加した。病院の跡地にある建物にメンバーが集まって、自己紹介や今後の方向性について説明などがあった。 これから東京暮らしを始めるにあたって、ペースメーカーになる仕事に関われるのは幸運だ。いろいろ頑張ってみたいと思う。
そのあと、銀ブラ中。Apple Store銀座でこれを入力している。いやはや、やっぱり東京は賑やかだ。
新しい旅路で-2
小雨降る東京は,春なのに肌寒さを感じる。流れに任せて入った不動産屋で部屋探し。お店の方の手伝いもあって,便利な場所に部屋を見つけられたので申し込みをした。家賃は安くはないが,最初の住み処は利便性を優先することにした。慣れたらもっと安いところへ移ることにしよう。
予想外に審査や手続きに時間がかかるし,必要書類を整えるためにも一旦は名古屋に戻ることになりそうだ。持ってきた荷物はどこかに預けて,さらに別の荷物も持ってこようかと思う。それにしても,住み処を移すのはなかなか大変なことだ。
新たな旅路で-1
未明になっても家の中の整理は切りがつかない。今日上京するというのに,なんとも悩ましい事態である。もっとも本格的な荷物移動はゴールデンウィークあたりを予定しているので,とりあえず大まかな整理ができればいい。
職場から持ち帰った(他人からすればガラクタばかりの)荷物から,たくさんの写真も出てくる。集めてみると,毎年撮影している教職員の記念写真が,私が着任した平成9年度から退職する平成17年度まで,一枚残らず全て揃っていた。やはり9年前の自分は,少しシュッとして若く見える。最近のものは,少しふっくらしたのかな。でも基本的にあんまり変わっていない気もする。
ここで昔話をするのはもう少し後になりそうだが,やはり時の流れと顔ぶれの移り変わりを見ると,感慨深いものがある。在職中,私が担任をしたクラスは3つ。そのクラス写真も,想い出とともに今頃どうしているのかおもんぱかりたくなる気持ちを連れてくる。一方で,たくさんの学生の名前を思い出せないことが悔しくもある。
荷物の整理をすればするほど,心の整理がつかなくなっては本末転倒。さあ,気持ちを切り替えて旅支度をしよう。もうすぐ夜明けだ。
いつか通る道-7
この日がやってきた。9年間お世話になった職場を離れることになる。朝の辞令交付式に出席して,依願免職辞令を受け取った。それから最後の引継ぎ仕事をいつも通り夕方過ぎまで取り組み,最後のご挨拶をして,いつも通りに職場の正門を後にした。
何かを誰かのせいにするのではなく,何かを誰かのおかげですることに転換していきたい。そのためには自分の中の現状満足や他人まかせする誘惑と闘わないといけない。そんな闘いが今日に繋がったのだと思う。慣れ親しんだ職場を離れたいという私のわがままを理解して,快く送り出してくれる職場の皆さんに,あらためて感謝。だからこそ,これから歩む道筋も誠心誠意をもって努力していくことで恩返ししたい。
人生を考えるとき,必ず思い浮かべる本がある。マイク・ハーナッキー著『成功の扉』。成功本としてはシンプルな内容だが,人生のターニング・ポイントを考えるには十分な力を持っている。著者曰く,
何かを成し遂げようとするには,
必要なことはすべて
進んで実行する自発的な態度が必要である。
このような態度で事に臨むことによって,私たちは様々な困難を乗り越えられるし,実のところ困難自体が雲散霧消してしまうというわけだ。ところが,少しでも何か理由をつけたり誰かのせいにしたりして「必要なこと」を「実行する自発的な態度」をゆるめたり省略しようとすると,途端にこの成功法則は効力を失うのである。だから筆者は,最後にゲーテの言葉を引用してみせる。
実行できること,夢見ることができることは
何でも実際にやってみることだ。
大胆さのなかにこそ天才,力,魔力が宿る。
これでピンとこないなら,WBCで活躍したイチローの生き様を思い浮かべてみてもいい。彼にはビシッと目標があり,それに向けてすべての言動がある。その迷いのなさこそ,彼を天才たらしめているのだろう。彼ほどシャープにできないにしても,私たちだって同じように目標へ取り組む自発的な態度をとるチャンスは平等に与えられているのだ。目指さない理由はない。
この3年間で,職場に対して残すべき仕事に取り組んだ。それが私の置きみやげ。職場に残ってやりたい事柄はもっとたくさんあるには違いないものの,それが私のやりたいことの全てではない。だからこそ自分なりに目標地点を決めて,そして飛び出すことにした。もちろんこれは「結果的に」というお話し。実際には,ごく自然な流れのなかで起こった出来事。誰もがいつか通る道。
いつか通る道-6
東京出張から帰って,少し宿題をして,月曜日は職場で片付け。とうとう研究室を明け渡さないといけない。これから大阪出張とそのための準備があるため,月曜日の内に溶解処理すべき紙ゴミをまとめて,ゴミ出しは誰かにお願いせねば。そんなわけで片付け作業をしていたら,火曜日の夜中3時になってしまった。
9年間分の書類や物品は,忘れていた様々な人々や出来事の記憶をよみがえらせる。とはいえ,どれも過去の記憶。前に向かって歩まなければならない。さて,早く帰って寝ないと‥‥。
弥生13日目
確定申告しに税務署へ出かけた。昨年の申告書や確定申告テンプレートなど利用しながら自宅で申告書を完成させるので,税務署へは提出だけでいい。なら郵送でもよさそうだが,手渡しの方が安心できるので,わざわざ公共交通機関で出かけた。
雪が降っていてびっくり。案の定,税務署には車が列をなしていた。地下鉄の駅から少し歩くことになるが,やはり公共交通機関が正解だ。確定申告のために設置された臨時のプレハブには,たくさんの人が申告書作成コーナーの端末を待っていたり,税務署の人たちにアドバイスをもらうためにごったがえしていた。それを横目で見ながら,2階の提出窓口へと直行して申告完了。すぐさま来た道を引き返して自宅へ。そのまま荷物を持ち替えて職場へ出勤した。
「お金の教育」が話題に取り上げられる機会も多いが,こういう税金のお話しや会社のしくみ等,簿記の初歩的な知識を身につけることは今まで以上に必要だと思う。私自身,こうやって退職することになって初めて,自分の知識の薄さを痛感する。興味はあっても日常の仕事が慌ただしくて手をつけられなかった株式投資や経済活動に,いよいよ挑戦することになりそうだ。学術研究・勉強をしながら,同時に稼ぐ手だても考えなくては‥‥。
いつか通る道-5
最近になって『退職前後の手続きまるわかり』という本を買った。仕事を辞めることがどんなことなのか,こういう本をあらかじめ読んで知っておくべきとは思うが,幸か不幸か読む機会もなくここまで来た。とにかく「健康保険」「年金」「雇用保険」「税金」について手続きをしなければならない。
税金は,確定申告の締め切り日も近いので,その手続きと共に諸々を考えなければならない。健康保険は悩みどころか。国民健康保険に加入するか,それとも現在のものを任意継続するか。掛金を比較しないと‥‥。年金はこりゃもう国民年金へ。そして雇用保険に関しては,失業給付を得るならそのための手続きをしなければならない。ただハローワークで休職しないと失業にならないのが厄介だな。
口述試験で「いままで何やってきたんですか?」と不躾な質問を投げかけられて,そのあまりに投げやりな質問態度に思わず「教員ですが‥‥」と返した。けれどもその質問はある意味で的を射ていた。私の9年間の大学教員生活は,一体何をやっていたのだろうと自問したくなるからだ。善かれと思ってしてきた仕事は数々あれど,それが開花している手応えは薄い。総花式にやろうとしすぎたことにも問題があるのだろうけれど‥‥。
それでも,ここ数年は,仕事にケリをつけられるように努力してきた。あと1年残ればもっと仕上げられることもたくさんあるが,あと1年,あと1年とやってきて5年経ったのである。本当に切り替えたいなら,今のタイミングしかない。あと1年残ったら,ずっと残ることになる気がするから。
職場の先輩教員から「これから大変だぞ。なにしろ,りんさん,やさしすぎるから」と言われた。いつもやさしくできたら,どんなにいいだろう。私はやさしくなんかない。ただ自分に甘いだけ。それに自分で嫌気がさして,たまに無謀なだけである。
ハイビジョンカメラ
授業記録などでビデオカメラを活用する場面は多いし,最近は子ども達にカメラを持たせてメディアリテラシーの教育に繋げようとする授業実践もあるようだ。私も職場にデジカメやビデオカメラを導入しようとしたことがあるが,購入商品の選定には頭を悩ませる。
ビデオカメラに限れば,かつては「液晶ビューカム」の名でお馴染みだったシャープ製のものにも人気があった。三脚を立てて,記録画面をチラチラと確認するには便利だからである。もっとも最近の商品はどこも液晶テレビ画面を一通り備えているので,どれを選んでもよくなっているのかも知れない。
さてしかし,時代はとうとうハイビジョン。テレビの方も買い換えが少しずつ進んでおり,横長画面はすでに広まっている。家庭用ビデオカメラの市場も,ここでハイビジョンへと飛躍したいところのようだ。そこで老舗の底力を見せているのはソニー。全体的なブランドイメージや技術力が低下しいると,最近は批判も多いけれど,ビデオカメラ「ハンディカム」開発グループは着実に前進している。ハイビジョン・ハンディカムを続けざまに発売。そのたびに驚くほどの小型化を実現している。特に昨年発売された「HDR-HC1」は,完全に家庭用ビデオカメラ市場向けに耐えうる小型化を実現し,爆発的な人気を誇った。
ただ,なぜだソニー。君はどうしてビデオテープの出し入れを筐体の底面をカパッと開けるタイプにし続けたのか。おかげで三脚にセットして撮影中にテープ交換をすると,一旦三脚からカメラをはずして,本体ひっくり返し,テープを入れ替え,再び三脚にセットして,続きを撮影することになる。そんなことしているうちに時間を浪費し,撮影チャンスを逃してしまう。なにより,そんな作業で撮影者自身のリズムが崩れてしまう。これはソニー社ハンディカムの最大の欠点だった。
しかし,おめでとうソニー。今度発売した「HDR-HC3」はさらに小型化されて持ち運びが楽になっただけでなく,念願だった上からビデオテープ交換が実現されている。そうだよ,やればできるじゃん。これこそかつてのソニー水準。こだわりを感じるものづくり。
さっそく職場に導入しよう!と思ったら,ああそうだ。もうそんな立場じゃなかった。退職金で買おうかな。