新しい年度が始まる。昭和のスターが去ったり,ポケットベルサービスが終了したり,大学教員の役職名が変わったりと,いろいろなことを経て始まる平成19年度だ。
4月1日のユーモアを楽しむ機運は無くなっているのだろうか。もう少し上品で楽しくなるようなネタを準備すべきところ。準備不足と輪をかけた駄文で恐縮である。書く側にも読む側にも余裕が失われている以上,冗談は冗談にならないのかも知れない。
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さて,気を取り直して。いよいよ本年度から大学院生として学びなおし。あれこれ取り組みたいことはあるが,欲張らず地道に勉学・研究に励むことにしよう。
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弥生27日目
東京で接する人と物事にザラザラしている部分があると書いてみたが,要するにこれまで自分の慣れていた手触りと異なることを意味するのだろう。
そういえば,10年前にもコミュニケーションのプロトコルが一変したことに苦労したことがあった。学生から社会人になって,要求されていることが異なることに戸惑った。それは失敗を繰り返しながら慣れていったものだった。
そしてまた一大変化である。案の定,今年に入っていくつか失敗する。素直に自己反省するしかない。
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いくつかのことに絡んで,伝聞は恐ろしいということも再確認する。羅生門的というか,藪の中的というか。自分もその事に振り回されがちになるが,もう一度心鎮めてやり直さなければならないと思った。
さて,落ち込んでばかりいられない。誠心誠意頑張りましょう。
気晴らし散歩
日曜日に研究会。米国航空宇宙局(NASA)の教育活動についての報告を聞いたりしていた。現場の先生の発言に「あたしゃガッカリだよ」という気分を感じなかったわけではないが,まあ,それが現実なのだろうと思うしかなかった。いろんな先生がいて,そういう多様な人々を認めて慮ることが大事なのだと肝に銘じよう。
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わかっている。最近,なんだか心がとげとげしくなっていることは。言い訳がましいことを書けば,この街で接する人や物事のザラザラした部分の多さに「ちょっぴり」うんざりしているせいでもある。これが東京という街の暗い面なのかと,ステレオタイプな感想をあてがって済ませてしまおうかどうしようか。
考え込んでも仕方ないので,散歩に出かけた。桜を見るなどして,心和みたかった。
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『通販生活』で買った傘が壊れていたので,新宿カタログハウスの店に持って行って修理を頼むことにした。3年保証だから無料修理してくれるという。なんかホッとする。
それから紀伊国屋書店とリニューアルしたジュンク堂新宿店に寄って書棚とにらめっこ。『現代思想』4月号が恒例の教育特集をしていたので買う。岡崎勝氏の論考タイトルがオフコースの歌詞をもじったものなのを見て,オフコースファンとしてはちょっと悲しかった。
暖かいから桜もぼちぼち咲いてないかなと思い,桜を探して歩く。青山霊園が名所だというので歩いていったが,まだほとんど咲いていなかった。残念。
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自分が周りからガッカリされていることも分かっている。その事にどう対応するかは継続課題である。見えてきたことが増えてきた分だけ,見えなくなったものも多い。もうちょっと時間かかりそうだ。正直なところ,そんな悠長な時間がないことも承知しているのだけれど…。
まあ,私も遅咲きなので,桜と同様に咲く苦しみを十分味わうことにしよう。
弥生22日目
名古屋市の住所から転出し,東京都某区に転入した。ついで国民年金の変更手続き。窓口の端末画面を見ると「60歳まで287月」と表示されていた。月単位でカウントダウンされているのを見て,目の前に数直線が伸びる光景が浮かぶ。
春から通う大学院に入学書類を提出した。今日は学位授与式,明日は卒業式があるらしく,学内のあちこちで記念撮影する人達を目にする。さて,私も2年後,同じように笑っていられるかどうか。いまは先輩諸氏の修了を祝福しよう。
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書店に寄って教育関係2冊。
上田小次郎『公立炎上』(光文社ペーパーバック2007.3/952円+税)は,筆者の経験と様々な文献や情報提供をもとに現場の実態を綴ったとされるもの。トーンとしてかなりネガティブに書かれているし,構成もつぎはぎ感が強くて,読むと暗くなること請け合いである。
藤原和博『校長先生になろう!』(日経BP社2007.3/1500円+税)は,ご存知「よのなか科」の藤原校長先生による書。これまで様々なところに書いた原稿と校長先生になるための完全マニュアルが含まれる。民間校長を3000人増やす構想を実現するため要となる本というわけだ。
悲観的に語るか,楽観的に取り組もうと呼びかけるか。同じ事態に対して各人が取る態度は様々だ。その温度差の調整こそ,もっとも厄介な問題であることも全員が先刻承知である。ゆえに日本には「曖昧」という名の緩衝材が良くも悪くも活かされてきた伝統があるのかも知れない。
ネガティブにとどまっている人々には少し休憩してもらいつつ,ポジティブに意欲のある人々が動けるところから(また誰かが動きやすい条件整備をしつつ)動いて現場に活力を取り戻すしかない。そんな空気が生まれれば,休憩していた人達もまた戻ってこればいいのである。もっとも自己研鑽をサボれば戻れないだろうけどね。
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のんびりとした希望的観測のもとで「いまの子ども達」はどうなるのよ!とお考えの皆さんもいらっしゃると思う。実際の個別的な対応は現場に任せるしかないし,誰もが納得する対応の仕方はないと諦めるしかない。
再び健全な公教育を取り戻すには時間がかかる。もはやその立ち位置を誤魔化すことはできない。ならば,大人の私たちは,正しい選択をすることを約束し実行していくこと以外に,いかなる子ども達に対する義務を全うする方法はないと考えるべきだろう。何が正しいかは依然議論の余地があるにしても。
弥生20日目
名古屋から東京。明日は現場教員向けのセミナーがあるので主催メンバーとして参加。当日の進行がスムーズにいくように頑張って働く。
帰ってくる前,古巣に絡んでブルーな知らせを受ける。苦々しい出来事。いつもの通り駄文で吐露したいところだが,別件と混同されても困るので,また別の機会に。人を慮ることは難しい。
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東京は桜が咲いた。満開になったら散歩に出かけよう。心穏やかでいたい。
卒業おめでとう
当人にしてみると9年間という時間の長さが,長いものなのか,短いものなのか,判断がつかない部分もある。たとえば,こう言い換えてみようか。「9年間の教育歴があります。」それは教員として長いものなのだろうか,それとも箸にも棒にもかからない短いものなのだろうか。
短期大学教員時代最後の教え子達が,卒業の日を迎えた。
これまでも幾度と駄文に記してきたが,当初2年間は担任として受け持つはずだったクラスの娘達を1年で放り出し,私は大学院へ再入学するため短期大学を退職した。
短大のクラス担任変更など大した問題ではないと思われるかも知れない。そもそも,担当教員がまともな助けをした経験を持つ人々など,ごくわずかなのだろう。
けれども,私が居た職場では,それが機能していたし,少なくとも私はそれを機能させようとしていた人間だった。だから,私は退職しても,機会あるときに彼女たちの様子を見に出かけ,卒業式には出席しようと決めていたのだった。
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風で肌寒かったが,晴天に恵まれた。卒業式は終始和やかな雰囲気だった。本当なら最後の時間を学生達とゆっくり過ごしたかったが,京都への出張が重なったため,わずかな時間しか許されなかった。
式から戻った控え室で,担任を引き継いだ先生と一緒に,一人一人に卒業証書と記念品を手渡す。彼女たちには私からバラの花を一人一輪ずつ贈った。彼女たちからは「レンデフロール」のバラの花を贈られた。お互い内緒で用意していたのが同じバラだったというのは,なんとも不思議なものである。
なんとか全員に花を手渡した。時間である。じっくりとさよならを交わす余裕がなかったのは残念だが,惜しまれながら別れられるのは,ある意味幸せなのだろう。縁があれば,また会える。
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私もまた,研究者としての側面と教育者としての側面の2つを持つ人種である。ただ,私のそれをややこしくしているのは,研究者としての側面を父親から,教育者としての側面を母親から譲られた性格に重ねてしまっているところにある。
私の母は,とても心配性で感情的な人である。だから教育者としての私は,おそらくものすごく過干渉なのだと思う。行動においてというよりも,思念としてそうなのである。「あの娘達は大丈夫だろうか」,そんなことをいつも考えてしまっている。
その行き過ぎを食い止めるのは,研究者としての私である。私の父は,独尊的で現実的な人である。いくら心配したってしようがない。人の関係は,実際には煩わしく,信頼に乏しい。そういう不確かな世の中で自立する構えを崩さない。物事は,最後は独りで解決するものなのだ。
普段の私はどちらかといえば母親似である。とはいえ,父親似の部分も根深く存在する。そのバランスの上に短期大学教員を9年間続けてきた。その事も感慨深く思い出される。
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僕は君たちを「想う」。それは愛とは言えないし,単なる好きという訳でもないから。ただひたすらに君たちを「想う」よ。その事が,何を生むわけではないにしても。
2年前,神妙な面持ちで教室に座る君たちのことが,今でも鮮明によみがえる。クラス担任といったって,所詮は有名無実の存在かも知れない。けれども,受け持つ2年間,君たちを見守ることが仕事なのだと思った。できることは,それくらいだと考えた。
やがて君たちの多くは幼児・保育の現場で子ども達と向かい合う。あるいは,いつか子どもを授かることになる。そうしたら,その子達を「想って」欲しい。その事を願いながら,僕は君たちを「想う」。
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私の短大教員時代は,これでようやく本当の幕を閉じることになった。卒業おめでとう。手を振る彼女たちに言葉を返して祝うとともに,ひそかに自分に向けてこのときを祝った。
弥生16日目
ドタバタしながら名古屋に移動した。しばらくこちらで雑用を済ませていく。やはり3月の慌ただしさは相変わらず。いよいよ長い春休みが終わりを迎えることになる。
新しい環境や関係に適応するために,あれこれ試して疲れ気味というところもあるが,基本的には元気である。ただ,運動不足だけは,もうちょっと考えて何とかしなければならない。生活リズムも整えなくては。
あれこれの宿題も積み上げられたまんまだが,3月残りの時間でなんとか片付けたいところ。さて頑張ろう。
弥生1日目
いよいよ3月。年度最後の月となった。ここ数日ぼーっと彷徨い続けたので,ここらでシャキッとし直さないといけない。放電しきったんだから,ちゃんと充電しないとね。
さて今月は,米国出張を皮切りに,大学院入学手続きと合宿,年度末のあれこれセミナーに参加するといった予定になっている。
また海外渡航…,最近の落ち着きのなさはこれが原因かぁ。この先数年分を先取りしちゃった感がある。今回はインテル社の教育支援事業に関連した出張。きっと,あれこれ秘密事項ルールがあると思うので,参加するセミナーの内容をリアルタイムにお届けすることは難しいかも知れない。
でも,報告を書くことが出張の条件なので,いずれ皆さんにも内容をお伝えできるはずである。え?最近,あちこちに魂を売りすぎてないかって?ミイラ取りがミイラになっちゃう危険はよく分かっているけれど,私はこんな性格であるから大丈夫。たぶん誰にとっても手に余るんじゃないかな。
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卒業する教え子達の卒業パーティー(謝恩会)があったようだ。卒業式の前に開催するのが世間的に珍しいか。さっそく写真が公開されていた。ちょうど受け持っていたクラスの娘達が写っている。まあ,どの娘もキレイにめかして…,2年間よく頑張りました。
同窓会から会報に載せる原稿を頼まれた。卒業生達に向けて近況報告。感傷的かつユーモアのある文章に仕上げる。もっとも,自分のユーモアセンスには懐疑的なので,ウケるのか全く不明。とにかく元気でやっていることさえ風の噂程度に伝われば,それでよしとしよう。
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打ち合わせに出かけたついでに,教科書の下巻を物色して買おうかと思い,神田の三省堂に寄った。以前置いてあった場所に向かったが,ない。場所移動したかなとあちこち見て回るが,ない。仕方ないので店員さんに聞いた。
「あの,教科書ってどこか移動になりました?」
「(ぶっきらぼうに)教科書は販売停止期間に入ったので,現在はお取り扱いしておりません。」
がーん…そうかぁ,販売停止期間になっちゃったかぁ…,欲しかったのに。
って「販売停止期間ってなんだぁ?」とお思いの方もいるだろう。説明しよう!,販売停止期間というのは,別にそういう正式な呼び方がある訳じゃないし,絶対買えない訳じゃない。
ちょうど新学期が近いこともあって,新年度から使う教科書を確保することを優先するために,一般書店販売を自粛している期間のことなのである。
でも,別に教科書コーナーまで撤去しなくてもいいのにね。在庫だけでも出しといてよ。この辺は申し合わせが出来ているのかも知れない。何しろ教科書は長いこと特別扱いされてきたので…。昨年,公正取引委員会が「教科書業における特定の不公正な取引方法」(教科書特殊指定)を廃止しようとしたら,業界から結構なリアクションが返ってきたことからもそれがわかる。
ま,とにかく三省堂では買えなかった。
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ぼーっとしすぎて,またまた宿題がたまってしまった。さて頑張らないと。
東京で迎える
そのたび憶えていようと思うのだけれど,自分が過去どこで誕生日を迎えたかは,意外と憶えていないものである。先日,東京に出てきて初めて誕生日を迎えた。
何の変哲もない一日。確定申告の書類作成のために,散らばった源泉徴収票等を探し集めていた。歳の数値は増えたのに,申告の数値は減っている現実は,滑稽なドラマを演じているようにも思えた。
国税庁のサイトにある確定申告書の作成サービスを利用して計算をチェックする。せっかくだからPDFで出力されたものをそのまま利用することにしよう。今年も収入があるなら,来年,電子申告に挑戦してみよう。
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そうやって家の中に閉じこもって夕方。このまま誕生日が終わるのも寂しいので出かけることにした。書店に寄ってみるが,こんな日に限って刺激を受ける本も雑誌も見あたらない。
それでも時間だけは過ぎて夜。そろそろ家路につこうとするが,夕食をどうしようかと思う。自炊するか…。ぼんやりそう思いながら家に向かうが,途中で思いつく。「そうか,今日は祝いの日だ。世界のやまちゃんへ行こう」
珍しく酒を飲みに行くことにした。生ビールと幻の手羽先二人前とトマトスライス。ただひたすら手羽先に食らいついていた。たまに昔のことを思い出したりした。そして今後のことを考えてみたりした。けれども,これから何がどうなるかなんて,まるきり分からなかった。
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教育学部を受験するため高校の内申書をもらいに,今は亡き高校の恩師に会いに行ったとき,先生はこんな風なことを言った。「お金と女には気をつけなさい。教員はこの2つに気をつけないといけない」
短期大学の教員になったときは焦った。この2つがワッと押し寄せてくるのだから…。幸い,どっちとも距離は遠かった。むしろ気をつけるとしたら自分自身の浅はかさだった。
その証拠に依願退職をした。任期でも何でもないのに自分から飛び出した。このご時世で,あんまり賢い選択ではないな。冷静沈着な人間であったなら,もう少しマシな異なる方法を選択するものである。かくして私は冷静沈着ではなかったのだ。恩師が「自分自身に気をつけろ」と付け加えていたなら…。(注:ここ笑うポイント)
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手羽先を食べる私の向かい,衝立(ついたて)越しの席に男女がやって来た。顔は見えないが手元は見えるという衝立の向こうで注文が始まり,しばらくして二人ともタバコを吸い始めた。なんてこった,せっかくの手羽先三昧の雰囲気が,一発で台無しじゃないか。
タバコの害についてのビデオ教材編集に関わったことを思い出した。タバコは百害あって一利無し。そう昔から教えられているにもかかわらず,なぜ人々は平然とタバコを吸うのだろうか。
でもそれは,私が祝い事に手羽先を食べたいと思う気持ちと,どこが違うというのだろう。手羽先ばかりの夕食が健康的でないのは明らかである。それでも手羽先三昧を欲したのは私ではないか。
吹けば飛ぶような人のモラル。それが私たちの現実。だからこそ,徒労にも思えるかも知れないが,モラル教育を繰り返し繰り返し続けていく必要があるとも言える。けれども,それを担うことはますます難しい時代にもなった。
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もうじき大学院が始まる。案ずるより産むが易しかも知れない。内田樹氏も書いていた。教育や研究は,これから得るものが分からないからこそ成立するものだと(ん?そんな風には書いてないか?)。
きっと「分かっていなければならない」という強迫観念に翻弄されているのかも知れない。少なくとも教員として過ごしてきた日々は,そう振る舞うことが求められていた。
いまから「分からないです。だから調査・研究するんです」と素直に思えるようになれるかどうかが,私の課題なのかも知れない。初心,忘れるべからず。
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生ビールと手羽先を一つずつおかわりした。向かいの男女もタバコはやめて食事を楽しんでいる。そう,こんな感じでいい。とりあえず,今夜はこんな感じで過ごせればいい。
きっと目まぐるしい未来がやってくる。そのとき,私は思い出すだろう。東京で初めて迎えた誕生日,生ビールと幻の手羽先とトマトスライスを食べて過ごした時間のことを。今までの出来事とこれからの出来事の狭間で漂うことの出来た,何の変哲もない一夜のこと。懐かしく思い出すのだろう。
如月11日目
教え子たちの様子を見るため古巣の職場に来ている。2年間受け持つ予定だったクラスを1年でほっぽり出して上京したことから,この子たちには大きな借りがある。卒業するまで,なるべく行事などに行こうと心に決めていた。
卒業直前の大きな行事に立ち合って,学生たちの成長やクラス内の関係が様々に動いたことが分かった。もう少し時間があれば,よりクラスの団結も深まるだろうに…とも思った。最初この教え子たちは,それぞれ個性が強くて,またそれでいて遠慮がちなところもある分だけ,まとまることが難しそうだった。それゆえ物事がなかなか前進せず,お互いイライラしてしまいがちでもあった。そんなクラスが,最後の行事でひとつのものを作り上げる団結力を発揮してくれたのである。
辞めておいて身勝手な話だが,クラスが一丸となっていたことを見て嬉しかった。他の先生たちの支えと学生たちの根性の成果であるが,その様子を見て,私はうるうると瞳を潤ませた。本当にもう少しの時間と何かを取り組む機会があれば,このクラスはもっと強くなる。それを確信すればするほど,悔しい気持ちも増す。いろんな意味で。
間もなく学生たちは卒業の日を迎える。私にとっては永遠に教え子だし,彼女たちのためにできることがあるなら尽力する覚悟はあれど,今後は社会の中のそれぞれの場所に散って生きる日々が始まる。機会がない限り,お別れである。
結果的には,私もまた次の場所で生きる日々を新たに始められることになった。そのことを応援してくれた教え子たちに感謝。だからこそ,これからも恥ずかしくないように頑張らないといけない。
精神や倫理にだけ頼るつもりはない。けれども,誰かを想い,自分にとっても誰かにとっても恥ずかしくないように努力することは,どんな場面でも大切だと思う。うまくいかないときもある。迷って間違った方向に進むこともある。それでも常に意識していることで,進むべき道を見極めていくべきだと思う。それは個人レベルでも,地方自治とか国家政治のレベルでも同じことだと思うのだ。そのための手段は違うとしても。
校舎に響く学生と子ども達の声に耳を傾けながら,相変わらず小難しいことを考えて時間をすごしていた。