弥生22日目

 名古屋市の住所から転出し,東京都某区に転入した。ついで国民年金の変更手続き。窓口の端末画面を見ると「60歳まで287月」と表示されていた。月単位でカウントダウンされているのを見て,目の前に数直線が伸びる光景が浮かぶ。
 春から通う大学院に入学書類を提出した。今日は学位授与式,明日は卒業式があるらしく,学内のあちこちで記念撮影する人達を目にする。さて,私も2年後,同じように笑っていられるかどうか。いまは先輩諸氏の修了を祝福しよう。

 書店に寄って教育関係2冊。
 上田小次郎『公立炎上』(光文社ペーパーバック2007.3/952円+税)は,筆者の経験と様々な文献や情報提供をもとに現場の実態を綴ったとされるもの。トーンとしてかなりネガティブに書かれているし,構成もつぎはぎ感が強くて,読むと暗くなること請け合いである。
 藤原和博『校長先生になろう!』(日経BP社2007.3/1500円+税)は,ご存知「よのなか科」の藤原校長先生による書。これまで様々なところに書いた原稿と校長先生になるための完全マニュアルが含まれる。民間校長を3000人増やす構想を実現するため要となる本というわけだ。
 悲観的に語るか,楽観的に取り組もうと呼びかけるか。同じ事態に対して各人が取る態度は様々だ。その温度差の調整こそ,もっとも厄介な問題であることも全員が先刻承知である。ゆえに日本には「曖昧」という名の緩衝材が良くも悪くも活かされてきた伝統があるのかも知れない。
 ネガティブにとどまっている人々には少し休憩してもらいつつ,ポジティブに意欲のある人々が動けるところから(また誰かが動きやすい条件整備をしつつ)動いて現場に活力を取り戻すしかない。そんな空気が生まれれば,休憩していた人達もまた戻ってこればいいのである。もっとも自己研鑽をサボれば戻れないだろうけどね。

 のんびりとした希望的観測のもとで「いまの子ども達」はどうなるのよ!とお考えの皆さんもいらっしゃると思う。実際の個別的な対応は現場に任せるしかないし,誰もが納得する対応の仕方はないと諦めるしかない。
 再び健全な公教育を取り戻すには時間がかかる。もはやその立ち位置を誤魔化すことはできない。ならば,大人の私たちは,正しい選択をすることを約束し実行していくこと以外に,いかなる子ども達に対する義務を全うする方法はないと考えるべきだろう。何が正しいかは依然議論の余地があるにしても。