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資料漁りとセミナー

 前々から参加しようと申し込んでおいたセミナーが土曜日に開催されるので,再び状況することになった。今回は平日移動なので,東京大学の図書室に行って調べ物。到着したのが4時で閉館の5時まで1時間しかないが、あらかじめ狙いは定めて資料をコピーしていた。

 夜はホテルにチェックインしたあとで書店に出かけて目ぼしい文献があるかどうかを眺めて過ごした。それから新しいワイヤレスキーボードを購入した。iPadで文章を入力するときに使うためである。

 宿題がいろいろ溜まっているので頑張らないと…。

平成二十三年葉月二十二日

 先週末は東京近辺を無計画滞在していた。

 某推進事業の有識者会議なるものが東京であって,それが終わった翌日は東京大学行って調べ物したり,その翌日は横浜を散策してICTを活用した実践研究会のイベントを覗いたりした。

 そもそもあれこれ見聞を拡げて,ものを考える仕事がしたかったので,こんな風に過ごせるのは幸せである。

 しかし,現実はそう優雅にいかず,悩ましいこと目白押しといったところだ。

 ある電化製品に不具合があって修理を必要としている。

 修理を依頼するも,修理のできる人間がいつまで経っても来ない。

 不具合がある事は,企業の窓口に何度も伝えている。

 なのにいつまで経っても不具合をどうにかしてくれそうな人が来ない。

 納得できないまま不具合のある電化製品をだましだまし使う。

 諸外国ならありそうなエピソードだけれど,日本のこと。

 そういう状態におかれれば,誰しも企業を信頼しなくなる。

 窓口に文句を言っている私は,ただ修理してもらいたくて語気を強めているだけなのに,相手にとってはクレーマーになるのだろうか。

 たぶん,誰もが自分の仕事をそつなくこなしているのだろう。

 その結果として物事が解決しなくても,物事の解決が自分の仕事の目標でない限りは,そのことに責任はない。

 それもそうだなと思う。

 私はそんな仕事を選ばなかったけれど,そういう仕事が世の中にあって,そういう仕事でがっぽり稼げる(かどうかは定かじゃないけど…)のだから,そういう仕事ぶりをしている人達を非難しても,私ばかりが気疲れするだけである。

 だから私に出来る事は,そういう企業の商品を買わない選択肢を喧伝するくらいしかない。それとて,本当に必要なこととも思わない。気が向いたからやるのに近い。

 ご縁というのは,双方の想いが重なり合って育まれるものである。

 それが期待できないのであれば,さよならするのが一番である。

 まあ,この国は,新世代や新規開拓よりも旧世代や既得権益のようなものを大事にするお国柄であるから,単に想いのベクトルが違うだけなのだと思う。

 その方が魅力的だから。

 それが魅力的だと思えるモノサシで世界を見ていても,自分が生きている間は問題ないから,そりゃそういう風になるだろう。

 だから,研究者みたいな集団が,新しいものに対する価値や魅力を高く見せられていないということにも大いに問題があると思う。

 もっとそういうことに貢献できるよう動かないといけないなと考えている。
 

平成二十三年文月二十八日

 職場も試験期間に入り、出席処理やら成績処理やらでごちゃごちゃしている。

 先日は学会発表をすべり込みで申し込んだ。何も成果らしきものはないのだが、関わっている仕事について報告することが大事だろうと思ったし、問題提起をするのに時機を逸してはならないと思って、かなりいい加減な内容で出すことにした。

 完璧主義が災いして、ろくに研究成果を上げられていないのだから「いい加減」くらいがちょうどいいのかも知れないが、発表する以上は事実を伝えて、考えをちゃんと提示することにしよう。

 少し前に開発して公開したiPhone用の新幹線予約アプリが、再び注目を集めて評判も上々のようである。

 これも私にしてみれば完成度は中途半端なので、本来ならば完成度を高めてから出したかったが、そも言ってられない事情もあったので「いい加減」なところでリリースしたものであった。

 研究論文とか学会発表と違って、現実のオープンフィールドに投入された結果がフィードバックとして返ってくるという点は興味深い。

 そんな異世界をまたいだ状態に長く居ると、社会と関わることがよく分からなくなってしまう。誰なのか知っている人達よりも誰なのか知らない人達との繋がりが強くなってしまうのは、どういう事態をもたらすのだろう。

 もしかしたら、孤独の研究にあるように、私は自己制御力を失って、だから知っている人達に対してツンケンし始めているということなのか。

 mixiもTwitterもFacebookも便利なツールではあるのだけれど、私自身がそもそも人付き合い下手のために、それが単にツールで増長されてしまっているだけなのかも知れない。Google+なんかも登場しているが、誰一人からも招待されないという点で、私がソーシャルじゃないのは明確になっているわけだ。

 というわけで、どちらにしても無茶苦茶なことをすることも多い私だから、良くしてくださっている人々に変な迷惑も掛けられないゆえ、周りと距離があるのは結果として悪い状況ではない。しがらみ無い分、喧嘩も売れます ^_^;。

 総務省で「フューチャースクール推進研究会」、文部科学省で「学びのイノベーション推進協議会」がスタートした。

 前者は7月27日に初会合。残念ながら試験期間中だから傍聴の予定を立てられなかった(もっと早く告知してくれれば…)。

 後者は8月3日に初会合。こちらは急いで予定を調整することにして、また夜行バスの傍聴ツアーに出かけることにした。

 お仕事と直接間接に関わる会議だから、なるべく関係者の顔や雰囲気を見ておきたいと思う。公開される部分だけとはいえ、情報も直接取得した方が分かりがいい。

 さてと、熱い日が続くが頑張ろう。

平成二十三年文月十六日

 本日は職場のオープンキャンパスでミニ講義の講師をした。午前と午後に繰り返したが、短時間でできることも限られているので、パソコンでスライドづくりをする簡単なものだった。

 思索をすればネガティブになりがちなので、なんとかこの状況を打開するために、回り道とはいえ生活・職場環境の見直しから始めることも同時に進めている。

 休みに入ったら真剣に家に中の整理をしようと思う。衣類や雑貨を収納するちゃんとした家具が無いし、部屋のレイアウトも引っ越し時のいい加減な配置のままで機能的では無い。ひどい散らかり様だから、客人は呼べない。

 職場も似たようなもので、増え続ける蔵書は置き場もなく。必然的に仕事の場所確保も難儀する。これでは作業のたびに掃除が必要で、時間がもったいない。

 コンピュータも新調することにした。基本的にモバイル派なので、従来購入してきたパソコンは小型軽量のノート型で処理速度はほどほどのものばかりだったが、今回はデスクトップ型のハイクラス・マシンを購入することにした。

 負荷の高い仕事をしたいというわけではなく、蓄積されてきた私自身のデジタルデータを整理するためである。

 デジタルカメラのデータに始まり、過去の文書書類データ、ビデオデータ、音楽データ、ダウンロードデータなどが、複数のハードディスクやCD-ROM、DVD-ROM、USBメモリなどに散財している。それこそフロッピーディスクやZipディスク、MOディスクにも残っている。

 そろそろこうしたデータを整理しておくことも大事かなと思う。バックアップを繰り返し、様々なバージョンが存在するデータもあるだろうし、完全に同じデータにもかかわらず重複して存在しているものもあるだろう。そうしたものも整理したい。

 そのためにも最新鋭のマシンは必要だ。ファイル一つ開くのに待ち時間が長かったり、内容を表示するのに時間がかかると、膨大な量のデータ整理は終わらない仕事になってしまう。

 というわけで、考えてみれば本職が情報関係の教員であるのに非力なマシンしか持ってないというのもさみしい話なので、これを機会にバーンと購入することにした。

 人生折り返しをすぎる頃。

 いまさら焦っても仕方ないので、まずは個人としての生き方を見直すことから始めなければと思う。なにしろ、生活の風景があまりに不憫だと自分でも思うから。

 もうちょっと優雅な生活しよう。

平成二十三年文月十三日

 昼夜逆転の日々にも一区切りつけて、この数日から早寝をするようになった。必然的に早起きになるので、その時間に情報チェックや本などを読もうかと思う。

 手を付けていない課題が積み上がってしまい、その上、自身のモチベーションは減衰している中で、今後どのように自分自身を突き動かしていくべきか、悩む日々は続いている。

 私自身は、問題に捕らわれたいと思う性格ではない。

 無論、生に捕らわれている限り、この社会の問題の何かを背負い込んでいることは承知している。だとしても、それ以外の細かい解決可能なことにはケリをつけて、前進するのがよいと感じている。

 ただ、世の中には、その細かい事柄に留まることで生きている人達もいる。

 そのことに直面して初めて、世の中は政治で動くのだと理解した。私たちは大なり小なり、様々な形の政治力学に捕らわれている。その厄介さに気づくのはとても遅かったのだと思う。

 そういう意味では、2006年に東京に出ていくまで、私自身は牧歌的な社会で過ごしていたように思う。それは高望みしなければ、大変居心地の良い場所だった。

 そこから仕事を辞めて東京に出て、人・物・事がうごめく都市を少しばかり経験した。物事は、もう少しグローバルな哲学のもとに動いているかと思っていたが、そこで動いていたのは巨大なローカル意識だった。

 とはいえ、お世話になった場所で学んだことは多く、必然的に自分の至らなさを痛感することになった。ますます、自分の考えていた世界観が取り崩されていくようにも感じられた。時代の変化は想像以上に大きかったということかも知れない。

 世の中に対する認識が変わり、世の中自体も大きく変わり、その条件のもとで自分自身をどうドライブしていくべきか決めかねている。

 もっとも、迷った時には原点回帰せよ、は鉄則である。

 だから、正直なところ私が次に何やるべきなのかは、私の中では決まっている。ただ単に、その他の物事が片づかないことに対する苛立ちが積もっているのだろう。

 プログラミングとか、家の掃除とか、蔵書の整理とか、片づけたいと思っているものに少しずつ手を付けている。国の事業のお手伝いは、悩ましい現実に直面する少々厄介な仕事だが、悪態つきながらお役目終わるまで頑張ろうと思う。

 それらを片づけつつも、できるだけ文献に身を沈めて静かに文章を綴ろうと思う。それが本来私がやりたかったことだし、それ以外の派手なことを真似てみてもモチベーションは続きそうにない。

あっちへこっちへ

 6月は賑やかな月であった。

 個人的にもiPhoneアプリの開発に熱が入っていたということもあったし、審査員をさせていただいている学習デジタル教材コンクールの審査準備でたくさんのコンテンツを見ていたりもした。東京出張をしての審査会や研究会への出席。そして先日は愛媛で講演を行なう等、キャパシティの少ない私には大変な日々だった。

 7月は前期授業の締めくくりをしなければならない。と同時に、FSの会議がいくつか入るので、授業の隙間をやりくりしながら出張ということになりそうだ。

 25日にはえひめITフェアでフューチャースクール推進事業の講演とパネルディスカッションを現場の先生方とした。

 今回もお話したいことはたくさんあったが、詰め込み過ぎても伝わらないので、「御用学者として百点の講演」を目指すことにした。

 結果的には百点にならなかったけれど、わりと上手に演じられたのではないかと思う。会場は、その御用学者振りに呆れていたのか、それともツッコミどころがあり過ぎて困ったせいなのか、質疑の時にも無反応。相変わらず相手にされないらしい。

 それでも、現場の先生方とのパネルディスカッションでは、ぶっちゃけた話しもして、総務省からやってきた課長補佐さんが大きくズッコケていた。現場の先生方のお話には、フロアも興味津々で、フューチャースクールと絆プロジェクトという2つの事業で取り組んでいる先生のお話を比較しながら聞けたのは面白かった。少ないながらも質問をいただいて、パネルディスカッションは好評のうちに幕を閉じた。

 他の地域の催しを知らないので、なんとも比較のしようがないが、たぶん一番面白いイベントになったんじゃないかと思う。某NEEとか、ナントカITソリューションフェアとかよりも、四国のローカルイベントの方が現在・過去・未来を語ってたんではないだろうか。

 東日本大震災から3ヶ月以上が経ち、私自身の心は少し落ち着きを取り戻しつつもある。もちろん被災者支援はまだ始まったばかりのことだから完全に落ち着いてしまって忘却してはまずいが、日常の中の様々な事柄に支援への回路が組み込まれるようになればいいなと思う。

 さて、調子を整えてまた頑張ろう。
 

遅い新年のご挨拶

 長らく更新が滞っていることも問題だが、この教育らくがきで年末年始のご挨拶を放ったらかしたのも珍しいことであった。
 遅ればせながら、2011年もどうぞよろしくお願いいたします。

 更新の滞りの主原因が、TwitterとFacebookなどソーシャルメディアへの軸足移動にあることは、あらためて書くまでもないかも知れない。

 ブログに軸足があるうちは、発信したいものがあればそれなりに文章を練る時間を確保して、ここに長い駄文を書き連ねるしかなかった。ブログに書く以上は、どうたらこうたら書かないと気が済まない性格であるから、必然的に駄文の積み重ねが生まれてく。

 けれども、Twitterに軸足が移り始めると、書きたいことをパッとツイートするのが習慣になり、それで発信意欲はとりあえず満たされてしまう。そのあとブログにああだこうだと書くのは、どこか野暮な気分になってくるから、いよいよブログ更新が滞るというわけである。

 まあ、そんな誰しもが百も承知の言い訳をダラダラ書いてしまうのも、私の駄文ブログならではというところである。

 昨年は、iPhoneやiPadに始まり、デジタル教科書やフューチャースクールに絡まって過ぎた一年だった。遊軍みたいな研究者なので、それはそれで賑やかにやれたと思うが、こもって勉強したり何かを書いたりする機会を確保する難しさが増した。

 それで、分散していた蔵書の統合を決断したのが昨年後半だった。過去に集めた文献資料も今の研究室にまとめて、研究室を書庫化すれば調べ事もはかどると期待したのだった。もっとも山積み状態の蔵書では検索性に欠けてしまうが…。

 とにかく、今年は過去を参照して現在を見直してみることに時間を掛けようかと思っている。繰り返される歴史を、もう少し先へ進む未来に繋げるための補助線を紡ぎ出してみようという魂胆である。

 もう一つやりたいと考えていることがある。Webやアプリのプログラミングである。

 NICER運用停止については別の駄文に譲るが、いま教師を支援する情報環境やサービスは新しい考え方のもとで構築される必要性が強まっている。

 どのような支援環境が求められているのか。そのような問いに対する様々なチャレンジが活性化されなければならないと思う。そうしたチャレンジをひとつふたつでも企てたいなと思っている。たくさんのチャレンジがあって、その中からウケるものも出てくるはずだ。

 悲しいかな指導学生がいないので、この企てはほそぼそと趣味的に展開するしかないのが玉に瑕だが、気長に取り組もうと思う。

 徳島に移って2年が経過する。今年も慌ただしい一年になりそうだ。

 どうぞ、よろしく。

霜月二六日

 慌ただしい月だった。

 フューチャースクールの研究者懇談会があって,熱い気持ちで過ぎた10月。11月に入って,実家近くの蔵書整理と掃除に明け暮れ,徳島に大集合した本や雑誌を研究室にどう収めるかを悩みながら過ごしている。

 月半ばにあった事業仕分けでフューチャースクールに「廃止」判定。

 来月はとある学会の研究会で,フューチャースクールとデジタル教科書の話をする予定なのだが,私に与えられた仕事を淡々とこなすだけである。

 珍しく,国のお仕事ができると張り切ったものの,何もせんうちに終わるのも寂しいものである。束の間の舞台をどうもありがとう,という感じ。あとは静かに暮らすとしよう。

 文献資料の裏取り作業をしていたのだが,そうしたらかなりいい加減な仕事にぶち当たってしまった。自分のところに集まって蓄積されていた情報を手際よく並べたつもりのようだが,その情報の鮮度を確認もしないで出版したらしい。

 出版されて数ヶ月しか経過していないのに,掲載されているURLがリンク切れになっていたりする。こういう初歩的ミスを犯すようでは,テーマに対する執筆者の姿勢が疑われることになる。こういう印刷物を恥ずかしくもなく出版する執筆者と編集者が活躍するようでは,次世代の子たちに示しがつかない。教育を云々するなら,その恥ずかしさをもっと自覚していただきたいものである。

 さんざん就活の時期を早めて大学教育の現場をかき乱した側の人々が「大学はロクな教育をしてくれませんから」と平気で言うのにも似た,この理不尽さを頭の片隅で忘れはしない。

 とはいえ,他にやりようがあったかのか,と立場を想像して思いを巡らせば,なるほど仕方なかったのかなと理解しないでもない。

 けれど,どうしてそんな風になってしまったのか。私たちは立ち止まって考える必要がある。次から次へと出来事がやって来て,それを処理するペースを維持しないと崩れ落ちてしまう恐怖感と闘わざるを得ない心情はわかるが,そのことがもたらしている弊害を考えなければならない。

 もうすぐ師走がやって来る。いつも走っているから,特別な気はしないけれど。

里帰り&集中講義

 夏になると担当している集中講義がやって来る。いつもは8月初めに予定が組まれるのだが,今年は8月末から9月にまたがる4日間だ。どこの大学も予定組みがどんどん困難になっているようだ。

 集中講義先は,実家近くなので,この機会は里帰りも伴う。

 こうして今でも実家の家族と過ごす時間を持てるのは幸せなことではある。買い物の手伝いや実家の草むしりなどして数日を過ごし,さて,そろそろ集中講義の態勢に切り替えなくてはならない。

 普通に実家生活を送ると,一応ネット接続はしているが,普段のようなネットコミュニケーションの連鎖と距離が生まれるので,メールもブログもTwitterも放ったらかしである。こうしてようやくブログなんかは書いてみたりする。

 先日は「教育の情報化ビジョン(骨子)」が出たり,ハーバードのサンデル教授が来日してあちこち講演を開いていたり,「光の道」構想の書名をソフトバンクが集め始めたり,民主党代表選が近かったりと賑やかではあるが,どれもピンとこない状態で,モヤッと感は否めない。

 どうしてピンとこないのか,集中講義をやりながら自分に問うてみたいと思う。

めぐり合わせ

 試験期間と採点作業も終わり、大学は夏季休暇モードに入った。細々とした校務や技術ノウハウ蓄積のためのプログラム解析作業をしながら過ごす日々が続いている。

 徳島は12日から阿波踊りが始まり、夕方になると街のあちこちに設営された会場で同時多発的に演舞が繰り広げられる。特に徳島駅前から阿波踊り会館を結ぶ道路は、交差する川沿いも含めて人でごった返す。この期間ばかりは、日頃閑散としている通りも、渋谷並の交通量である。

 そんな阿波踊りの賑わいを目前にしていた頃、一通のメール。予期せぬ依頼事に目をぱちくりしていた。

 ご縁があるなら、お役に立てるよう身を捧げるだけ。出来る事は限られているが、私なりに関わっていこうと思う。

 それにしても、めぐり合わせの妙を感じないわけにはいかない。人生の旅は、どこまでも興味深いものである。感謝。