旅行」カテゴリーアーカイブ

帰国 ((米国滞在記10))

 急いで荷物をパッキング。ホテルのチェックアウトをする。当初の予定とは異なる嬉しい配慮があって感謝。バスの予約について思い及ばなかったので,タクシーで空港に向かう。
 成田行きの飛行機に乗って7時間30分の旅。これも映画見たり,考え事していたらあっという間に過ぎてしまった。こういうのには慣れっこである。エコノミーも通路側なら快適なものだ。
 さっさっさっと帰りたいので,荷物受け取り,税関,JRをさぁーっと通って,今ようやく東京の部屋にたどり着いた。何だかんだとあっという間に日本である。
 今回の旅のまとめは少しずつするとして,とにかく2週間ぶりの東京。またここから再スタートだ。

国際学会と研究者同士の語らい ((米国滞在記08))

 eラーニングにまつわる国際学会E-Learnがハワイのシェラトン・ワイキキ・ホテルで開催された。途中,現地15日にハワイ地震と大停電に見舞われ,電気機器類が使えない状態で学会進行するという前代未聞の事態も起こった。14時間程の停電の末になんとか復旧。翌日からの学会は,何事もなかったかのように人が集まり,進行していった。地震・停電の日は,朝から雨。翌朝も曇り空だったが,次第にハワイ晴れが戻り,夕方のセッションになると参加者が激減したのは,まあ,前日のこともあるから仕方ないのかも知れない。
 大災難に見舞われた日まで,学会会場で知人に会えなかったが,翌16日は中原さんに発見されて声を掛けてもらった。前日の地震・停電の顛末を話し合った。そろそろ昼食に行こうということになって,二人でザ・チーズケーキ・ファクトリーというレストランに出かけた。こんな小洒落た雰囲気のよい店で男二人が向かい合って食べたというのも,なんか絵的に摩訶不思議。けれども,中原さんとこうしてゆっくり話すことは初めてなので,これから長いお付き合いになるだろう最初の長話の場所としては悪くないと思うのである。
 教育学から教育工学へという異領域への越境をした人は何人かいると思うが,中原さんもその一人だし,私にとり越境者の先達になる。私が地方短大の教員としてのほほんと過している間に,彼はたくさんのチャレンジをして,たくさんの成果を上げてきている優秀な人である。運に恵まれていた部分もあると本人は語るけれども,運も実力のうち。そして極めて現実主義の人である。それは,そうでないとやってられないほど多忙な人だからだとは思うが,私たちから見れば,それは,勝算のもとに的確な課題設定ができる人として,彼の魅力でもある。だから,僕のような勝算もないのに「あれどうかな,これどうかな」という発想乱発屋にとって,中原さんと長話するのは,結構緊張するのである,実は…。
 中原さんは来年度から私がご厄介になる大学院の先生ということもあって,大学院に入ってからのことなどいろいろお話しいただいた。で,とにかく「始まったら忙しいですよ」と脅されるから気が気でない。かなり英語力が必要になるととか,ワークショップでは喧嘩も起こるとか,忙しくて自分の研究は出来ないかもとか,気持ちが暗くなる予告がいっぱい。まあ,苦労は承知で飛び込んだのだから,覚悟を決めてやるしかない。
 そういう話もしながら,中原さんの昔話も聞いたり,自分の昔話も少し話したり,楽しい時間だった。翌17日も会場で研究の話になって「テーマが教師支援は難しいなぁ…」と呟かれたりして苦笑いするしかなかったのだが,教師に提供するツールの在り方なんかの話はとても興味深かった。
 中原さんとの昼食を終え会場に戻ったところで堀田先生発見。隣のホテルなのになかなか会えなかったが,ようやく会うことが出来た。夕食をご一緒する約束をしてから,しばらくあちこちの発表を聴いた。まだ慣れないのか個々の発表を聴いて,その場ではフンフンとうなずけるものもあるのだが,頭に残らない。まだこの分野の文脈に頭が染まってないからだろうか。もっと経験を重ねなければならない。
 けれども,私も夕方には人気が少なくなったのを見て,すっかり終了モードに切り替わってしまった。ハワイの青空が私を呼んでいる,と思ったので16:30過ぎに退却。
 そこで,岩崎さんと会うことが出来た。少しお茶でもしながらお話をした。翌日発表をされるので,内心緊張されているらしいが,傍目には落ち着いているように見える。海外経験もあって,英語も出来る人だから,そういう意味では全然心配いらないのだろう。社会人を経て,大学院生となり研究を続けているという点では,岩崎さんも私の先達である。しかも小さなお子さんの育児から家庭のこともしっかりこなすところが凄い。私は頑張っている近い世代の人達が好きなので,そんなところからも応援をしたい人の一人である。
 彼女が学ぶ関西大学は,教育工学分野の総本山みたいなイメージが私にはある。とにかく西にいろんな人材が集まっているように見える。今度の日本教育工学会は関西大学で行なわれるので,そういう意味でもなかなか面白くなりそうな気がしている。ちょうど関西大学の院生の皆さんは,その準備でてんてこ舞いといったところだろう。岩崎さんからは,そんな皆さんの近況や,大学院の雰囲気などの話を聞くことができた。
 そろそろ堀田先生との約束の時間。二人だけで鉄板焼屋へと出かけることとなった。堀田先生とこうしてゆっくり食事をご一緒するのも初めてのことだと思う。堀田先生は小学校の先生をされていたが,その時代から研究熱心な方。雑誌や文献で様々な実践事例を披露されていたコンピュータ教育分野の先駆者である。言葉の響きはともかく,私にとっての有名人の一人である。現在では,メディア教育開発センターや文部科学省でお仕事をされる立場にある多忙な方でもある。
 堀田先生とは,関大の黒上先生の共同研究でお会いしたのが始まりだ。その黒上先生は,こちらも様々な共同研究でご一緒させていただいている中川先生との出会いも運んできてくれた,私にとって大恩人。そして,堀田先生にとってもそれは同じだったようだ(黒上先生や中川先生のお話は,また別の機会に…)。そんな話から,堀田先生が現職から現在に至るまでに直面した様々な苦労話を聴かせていただいた。それは,退職をしてこれから再度勉学しようとする私へのエールでもあったと思う。先生の気持ちが伝わってきて嬉しかった。
 鉄板焼を後にして,ホテルのバーへ。マイタイを味わう。堀田先生は翌日一足先に帰国される。日本に帰れば,先生方とご一緒している様々な共同研究の仕事が目白押し。「無理させてないかな」と聞かれるが,今はいろんな方からのお誘いを出来る限りお受けして,いろいろ学びたい。元来怠け者であるから,そうしないとやらないのである。もしご期待に添えていないなら,お声が掛からなくなるだけ。そうならないように,前に進むしかない。
 ハワイで起こったこの数日の出来事を振り返り,またご一緒している仕事で実りのある成果が出せることを祈りながら,優雅な調べと美しいハワイの夜景に酔いしれたひとときだった。 
 この日,研究に携わる人達3人と語らう機会を持った。日本国内で会うことも出来る人達だが,それだと語らうまで行かないことが多い。むしろ国際学会などを契機に出会う方が,こうしてじっくり語り合うことが出来たりする。それは異国の地に赴き,確保された時間の中のことだから当然なのかも知れないが,それがとても大事だし,有り難いこと。国際学会で見聞きしたことをもとに議論することもたくさんある。それによって日本と世界との関係のもとで,日本の研究者同士が意識を闘わせたり共有したりすることが出来るという側面もあるのだ。
 とにかく,災難の後に訪れた意外な幸運に感謝したい。お三方にも感謝。

長い一日 =りん版= ((米国滞在記07))

20061015_rain ちょっと寝て,目覚めたので顛末記を書いてみよう。その日は朝から雨だった。ハワイに来たのに雨とはどういうことだと,悲しい気持ちだった。たぶん国際会議に出席するためにハワイに来るという,かなり間違った行為に関して人々の気持ちが悲しいからそういう天気なのかなと,勝手に想像して始まった一日だった。
 eラーニングという分野を中心とした国際学会E-Learn。メジャー国際学会への参加は初めてなので,どんな雰囲気なのか,どんな研究がなされていて,どういう風に発表されるのかを見ておきたかった。今回の旅のそもそもの発端は,それだったのだ。そこにサンフランシスコの妹夫婦や姪っ子甥っ子に会う計画が足された。
 さて,初秋のサンフランシスコから常夏のハワイへ。確かに降り立ったハワイは夏模様。けれども,天気はすぐれず,到着したその日は夜に小雨も降った。学会会場であるシェラトン・ワイキキ,その隣にあるロイヤル・ハワイアンに宿泊することになっているので,そこにチェックイン。同じシェラトンなのだが,こちらはちょっと別館っぽい作りになっている。
 部屋について,荷物を開き,インターネット接続を確保して,メールをあちこちに打ち,着替えて,会場下見に出かけた。堀田先生はその日発表で,私が到着した18:00すぎ頃は発表関係者の皆さんと夕食にでも出かけて,そのまま飲んでいるに違いなかった。だから,とりあえずフロントでメッセージを残したいとお願いして,留守電に吹き込んだ。
 それが長い一日の前日だった。
 いよいよ学会への参加だと意気込んだ翌朝。6時半頃にアラームが鳴ったので,メールチェックなどしながら支度をはじめる。そろそろシャワーでも浴びようかと,洋服の準備をしていたそのとき,部屋が揺れた。
 ご存知のように,地震は二度来ることが多い。最初が「表面波」という軽い揺れ,そして「実体波」という本格的な揺れである。最初の揺れは軽く収まった。「オッオ〜」と外人みたいな驚き方しながら,経験的に次がくるかどうかを身構えた。部屋の時計は7:14だった。後に知った報道よると7:07が公式見解らしい。しばらくして実体波がやってきた。かなり大きい。大丈夫かな。机の上のものなどを気にしながら部屋全体を眺め,どこに隠れようかと思案した。そうこうしているうちに揺れは収まった。
 状況に変化無し。机のものは落ちなかったし,水も電気もそのまま。早くシャワーに入って支度して,会場へ行こうと思った。バスルームで歯磨きして,シャワーにはいる。雨に地震とは…,まったくどういうことなのかと思いながら,湯を浴びていると,明かりが消えた。「おっ?」と思っていると,明るくなった。「こりゃまずいな大丈夫か。早く頭洗って,シャワー出よう」。そして頭そして身体を洗っていて,とうとうバスルームの長い暗闇が始まった。
 真っ暗の中でシャワーを浴びる。身体に石けん残りがないよう入念に浴びる。まだ湯は出ていた。けれどもタンクの水がなくなったら断水するのではないか。とにかく急いで洗い流してバスルームから脱出した。
 部屋は薄暗かった。窓からの光は雨天のため少なく,時計表示も消えていて,明るいのはノートパソコンの画面だけだった。すぐにスリープさせた。身体を拭きながら外を見る。朝だから明かりの状況は分からない。中庭と工事中の建物と遠くのビルが見えるだけの景色。シェラトンと反対側の建物のかなり端っこに部屋を用意されたので,情報を得るには不向きな場所なのだ。
 こんなこともあろうかと,ミニ・マグライトを持参してある。単四電池型なのでそんなに明るくないが,真っ暗なバスルームを照らすには十分。ロイヤル・ハワイアン・ホテルでは館内放送もなく,電気がない以外は穏やかな時間が流れていた。実際にはロビーにたくさんの人がいたし,隣のシェラトンのロビーにも雨ということもあって,たくさんの人達が足止めを喰らいごった返していた。逆説的だが,さすがリゾートホテル。優雅な空気は確保されている。
 そんな調子だったので,停電時に人々が叫んでいたのは聞こえなかったし,館内放送もなかったから緊迫感も伝わってこなかった。ロイヤルハワイアンは古い建物だから,ここだけが停電しているのかも知れない。まあ大丈夫だろうという雰囲気だった。ただ,それは逆に怖いこと。火災現場にそれと知らず取り残されているシチュエーションかも知れない。とにかく身支度をして,シェラトンに向かった。
20061015_lobby シェラトンに近づいて驚いた。本館も停電していたのだ。そしてロビーにはたくさんの人が行き場もなくて集まっていた。え〜,と思いながら会場へ。ところがやはり学会も停電で8時からのレジストレーション受付もストップ状態。係の人によれば,ハワイ全域にわたる大停電だそうで,復旧の目処は分からないという。
 といってもこの雨である。どこへ行けるわけでもなく,会場ロビーで待つしかない。受付も出来ないから会場の情報ももらえず動き回れない。しばらくは受け付けカウンターで待ち,それからエスカレーターと窓側近くにある角の空間を陣取って本を読んでいた。
 9:20頃,学会参加者への軽食サービス始まる。ベーグルとジュース。有り難いことにミネラルウォーターのボトルも支給された。途中,主催者からのアナウンスがどこかの会場であったらしいが,駆けつけたときには話し終わっていて,どうなるのか分からず仕舞い。10:00頃,さらに人々が集まってくるが,雰囲気は変わらず。とりあえずキーノート(基調講演)会場へ行くが,少人数で始まる気配はない。
20061015_reg 気がつくとレジストレーション受付が始まっていた。おいおい,ちゃんとアナウンスしてくれよ。ようやく名前を告げて参加証とバッグ,資料をもらった。こんな感じ。ここで初めて,最終版プログラムということで,会場図と会場毎の発表題目を手にしたわけだ。それまではネット上の発表題目データベースで検索するしか見る手段がなかった。しかし「どんな発表があるだろうと眺める」ためには,検索は使いにくいのはご存知の通り。しかも会場図が当日まで手に入らないのは,初めての人間にはかなりフラストレーションがある。たぶんこれは,日本人が地図好きである話と,何かしら通底するものがあると思うが,それは別の駄文で論じよう。
 やっと学会の全体像が見えてきて,会場内を歩くと,すでにいくつかの会場(部屋)では発表らしきことが進行中であることに気がつく。E-Learnという,パソコンと液晶プロジェクタによるスライド投影をしながら発表するというスタイルが基本となっている学会で,停電というのは大変な事態。頼みの綱はノートパソコンのバッテリー。ここで笑うのは周到に紙ベースも準備した発表者かも知れないが,結局ほとんどみんな苦笑いしながら発表していた。
20061015_presen ノートパソコンの画面を見るため,ほとんどの会場で車座状態。17インチのMacBookでも文字となると遠くから判読は難しい。まして小型でプレゼン資料も細かい文字ばかりだと,発表者も大変である。ちなみに写真は午後発表されていた鈴木先生の様子。(鈴木先生とは先生が酔ったときにしかお会いしたことがないので,恥ずかしくてご挨拶せず仕舞いになった…。先生,何度もすれ違ってたのに無視して,ごめんなさい)
 午前中に話を戻すと,人も少なく,各会場のセッションも車座状態。しかもスライドの力を発揮できないから,しゃべりが中心の発表になっていた。初心者には,今日という日の特殊事情もさることながら,接近戦で英語議論しているのはハードル高かった。自分の英語経験の乏しさを再確認した。英語学校を本気で考えよう。
 で,どうも人々も学会モードではなくなっていたので(と勝手に解釈して),12時前に会場を出て,部屋に戻り,ラフな格好に着替えることにした。こうなったら街探検である。それから,関大の岩崎さんがハワイに来ているはずなので,様子を見にホテルを訪ねることにした。とはいえ,また会場に戻れるようにプログラムと参加証は携帯した。
20051015_abc 街へ出かけるといっても,そう離れるわけではない。周辺をぐるりするだけである。途中,ABCストアで行列発見。食料などを確保する人達が,順に並んで入店しているみたいだった。街中のお店は開店前の状態のまま。ほとんどのお店はお休みになったわけだ。いくつか食べ物屋さんも開いているが,そういうところには行列が出来ていた。とにかく街は電気を失い,信号もストップして,ほとんど機能していなかった。
 岩崎さんが宿泊していると教えられたホテルへ。昨夜のうちに着いていると思ったし,小さいお子さんも一緒に家族旅行みたいなので,きっとホテルで待機しているだろうと思った。とにかく「知った顔に会いたい」という思いで,お邪魔することにした。
 13:00頃,ホテルを訪ねてフロントに電話をお願いする。何度かの呼び出し音の後,声が聞こえてきた。「はろー…(日本語切り替え中)えっと,うんと,りんです」。なんだかよく分からない間で名乗った。先方は突然の電話にビックリした様子。「ロビーに行きます」と彼女は言って電話を切ったが,そのあとフロントに電話がかかってきて,僕が部屋へ行くことになった。何故かって,部屋は14階にあって,エレベータは止まっているのである。そりゃ,こちらが出向くしかない。
 14階くらいどうってことないかと思ったが,8階くらいまでは軽快に駆け上がった後,そこから一階一階がしんどくなった。14階にたどり着いたときには息切れ。運動不足も再確認した。英語と運動。世界で生き残るにはこの二つが大切かも知れない。(そういえば,古巣の職場の人が転職した新設大学がその二つを目玉にした「環太平洋大学」。意外とそのコンセプトは正しいのかも知れない。ああ,それもまた別の駄文で…。)
 お邪魔してお話を聞いたら,実は午前中にホテルに着いたばかりだという。ちょうど地震が起こった前後に到着予定の飛行機でハワイ入り。無事空港に着陸したものの,ドアが開かず,機内で3時間ほど待たされたという。あらら,てっきり昨夜のうちに着いていると思ったのだが,今朝の機内で地震の影響を受けていたとは。
 ホテルに着いたのは11時頃。エレベータが動かないので,大きな荷物はいまだ1階のロビーにあるという。そんなわけで荷物も紐解けない状態のところにお邪魔してしまった。またまたごめんなさい。
 そんな状況でも,お子さんは元気そう。一歳と数ヶ月だったかな。こういうときに子どもの機嫌が悪いとさらに大変なことになるが,幸いそういうことはないみたい。初めての海外旅行が分かるのか,結構楽しそうである。一方,旦那様はお疲れのようで,寝室で寝ていらした。まだお目にかかったことがないので,そのまま去るのも申し訳ない気分がしたが,お休みを邪魔するのも悪いので,早速と退散をした。お父さん,頑張れ!
20061015_dark さてと,それからまた学会会場へ。時刻は14:00前頃。他に行く当てもないので,ジュースとケーキを食べて,発表会場を巡ることにした。いろいろ話を聞いて,中途半端な英語力で理解したところでは,やはりそれぞれ開発などに携わった経験をもとに,その背景を語るというやり方が多かった。背景の理解を先にアプローチしていた人間からすると,少々物足りなさがあるが,教育工学の世界というのはこういうものなのだと,割り切って理解するしかなさそうだ。内容については,これもまた別の駄文で。
20061015_keynote  17:00には本日の発表が終わるが,今日は朝の基調講演が変更されて17:00から始まる。最後なので頑張って聴くことにした。約一時間の講演は,パーソナライズとインテグレーションが大事というお話で,googleやiPodの話などを例に挙げていた。まあとにかく,80人程度?の人達が最後の最後まで頑張って参加していた。もともと薄暗いところで話を聞くのは慣れているとはいえ,スライド無しでよく頑張りました。時刻は18:00過ぎ。
20061015_city 一旦ホテルに戻って荷物を置き,再度シェラトンへ行って,堀田先生のところに電話を入れてみるが不在。少しばかり景色を眺めて,それからロビーの新聞を眺めて,誰か見つけてくれないかなと期待するが誰にも声掛けられずに時間が過ぎる。街に出ても真っ暗。仕方ないので,部屋に戻って,なんとかインターネットの接続を試みる。
 電話回線は生きている。ならば内蔵モデムでアクセスポイントに電話すればインターネットが出来るはず。というわけで,モジュラコードを取り出して準備する。問題はアクセスポイントの電話番号か。今回はハワイの番号を下調べしていなかった。まず国際電話で国内アクセスポイントを試みるが,ダメ。そもそも対応していない。
 昨年のフロリダ視察の際に調べた情報はあるが,ハワイからフロリダはちょっと遠い。番号調べるにはそもそもインターネットに接続していなければならず,なんとも困ったジレンマに陥る。どこかに解決策はないかなとパソコンの中の古い情報を探し続けたら,「接続例」というところにホノルルの番号が書いてある。変わっていないことを祈りながらまずは手動で電話。やったー,ピ〜ヒョロロロって音が聞こえる。
 モデムから電話して無事インターネット接続を確保。ノートパソコンはバッテリーで動かしているので,あまりのんびりしてられない。とりあえずブログで報告と,いくつかのメールに返信して,ニュースサイトを閲覧。なんか大変みたい。
 それからしばらく,ラジオを聴きながら暗闇で過す。とにかく今日は疲れた。そしてぼーっとしていると開けた窓から歓声の声が聞こえる。ワイキキ通りのビルに明かりがつき始めていた。20:50頃。順次復旧している模様。まだこちらは真っ暗。まあ,そのうち復旧するでしょうとベッドの上で引き続きボーッとして眠った。目が覚めると明かりが点いている。21:35頃。時計を見ると00:12となっているので,21:20頃に復旧したことが分かる。
 というわけで,朝の7時半頃から夜の9時20分頃までの14時間弱の大停電が終わった。隣のシェラトンホテルは少ししてから復旧した模様。あちこち歓声が聞こえた。少しばかりメールチェックなどしたが,とにかく疲れたので寝る。
 いやはや,大変長い長い駄文になったが,これが私の長い一日でした。基本的にのんきな感じで一日が過ぎたのだが,考えてみると大変まれな事態に遭遇したわけで,無事であることに感謝しなければならない。気がついたら,夜も明けた。すっかりお腹が減っている。今日は思い切り食事で贅沢したい。
 追記:中原さんもハワイ地震に遭遇していたみたい。中原さんも堀田先生も,かなり危機感を持って対応されていたようだ。私の危機感の無さは何だろう…。まあ,動じない性格ということで…。

電力復旧

 ハワイ時間9時20分にようやく電力が戻った。ワイキキ通りでは8時50分頃に電力が復旧し,周囲からは歓声が聞こえた。海外の人達は,こういうとき遠慮なく吼えたり,口笛を鳴らすものだな。
 というわけで,14時間弱もの長い大停電もようやくピリオド。明日は街も通常に戻るだろう。いやはや,貴重な体験をした。とにかく,今日は大変な一日だった。

ハワイで大災難中 ((米国滞在記06))

 ノートパソコンの残りバッテリーと電話回線の確保でこれを入力中。あまり時間はないので手短に。
 ハワイの現地時間で7時14分頃に地震が発生。それからしばらくしてハワイ全島が停電状態になった。どこもかしこも電気がない。ホテルなどはバックアップ電源でかろうじて要所要所で電気を確保しているが,当然エレベーターは動かないし,最小限の明かり以外は動かせない。
 という状況がいまも続いている。現在時刻は夜の8時45分あたり。街中真っ暗である。E-Learnというコンピューターがあってナンボのカンファレンスも,各自のノートパソコンでプレゼンするという形になって,かなりアットホームである。とにかく特殊事態のとなっていた。いくらかのリスケジュール以外,それぞれのセッションは予定通り進行。まあ明日復旧すれば,笑い話になるはずである。明日もこうだったら大変だな。
 人々は食糧確保のためにABCストアに並んだりしている。お店はどこも開店前の状態で停電になったので,ABCストアも勝手口みたいなところから数人ずつ入れて買い物させるようにしているみたいだ。しかも今日は朝から雨が降っていたので,人々は行く当てもなくてホテルのロビーなどに群がっている状態も続いていた。
 ホテルは一部自家発電で宿泊客などをさばいているが,エレベータも止めているから,高い階の宿泊客は大変だ。レストランも一部営業したら,長い行列である。
 まあそれ以外は,大した混乱もなく過している。ご心配いただいている皆様,ご安心を。でも連絡を取るのが厄介で,相変わらず一人きりで行動している。みんなどこへ行ったんだろう…。
 また電気復旧したらご報告します。あれれ,また街でサイレンが鳴っている…。街の方は大変なのかも知れない。
 ※正確な情報はニュースサイトなどで確認を。

初秋から常夏へ ((米国滞在記05))

 サンフランシスコでの滞在も満喫し,次なる滞在地ハワイへ。家族と姪っ子甥っ子ともお別れをして,4時間のフライトの末にホノルル国際空港に降り立った。ホリデーシーズンも過ぎて閑散としてるのかなと思えた。
 シャトルバスで宿泊ホテルまで。結局到着したのは現地時間の18:00。インターネット接続を確保してメールチェックなどしているうちに時間が経過した。今回出席する国際会議E-Learnの会場はシェラトンホテル。そのお隣に宿泊している。
 とりあえず会場がどうなっているかを下見しに行く。本日のレジストレーションは終了していた。会場ではウェルカムパーティーが行なわれているようだ。ドアから中を覗くが,知った顔は見えない。仕方ないので,一人で夕食をしに外へ出る。
 通りは高級ブランドのお店やご存知ABCショップが並ぶ。そして閑散としているなんてウソ。たくさんの観光客に,あっちもこっちも日本人だらけ。はぁ〜,新婚旅行らしきペアも多いが,あの独特な幼さを醸し出す日本の女子学生風グループもウヨウヨしている。職場を思い出すから,あんまり気持ちいいものじゃない。
 一人だと何を食べるかとても困る。月並みだが,ピザハットがあったので,そこで食べた。相変わらずボリュームたっぷりである。それから水や食料を少し買い,ホテルに戻る。天気が曇りのち雨のため,少し雨に降られた。
 明朝から基調講演と研究発表を聴くことになる。研究の動向を知ることも目的だが,どちらかというと国際学会での作法に慣れることの方が目的。発表者がどんな段取りで会場入りしたり,司会者と話したり,部屋のどこら辺の席を陣取ったり,スライドの準備や,スピーチの始め方や進め方,質問の受け方や答え方,その後の質問者への対応など。そういう身体的な作法などをじっくり確認したい。そういう経験が乏しいから…。
 あと,発表内容としては,どんなことに力点を置くものなのか,を把握できたらと思う。今回もたくさんの発表が並んでいるが,それぞれの題目は読めば分かるとして,発表者はどういう着目をして内容を発表するのか。質問する側についても,何に関心を持ちながら話を聞いているのか,そういうことは文字になったものから読み取るのは難しい。「ぶっちゃけ,何が大事なんですか」という議論が展開する場所で理解を深めた方が早い。
 そんなわけで,リゾート気分はあんまりないままに,このハワイを過してみる数日である。

チルドレンズ・ディスカバリー・ミュージアム ((米国滞在記04))

20061012_cdm 甥っ子の誕生日祝いも兼ねて,サンノゼにあるチルドレンズ・ディスカバリー・ミュージアム(CDM)に出かけた。子ども向けの体験学習施設である。
 シリコンバレーにあるとはいえ,ここのCDMの内容はごく一般的なもので,テクノロジー系の展示が特段多いわけではない。テクノロジー系がご所望であれば,別に施設がある。それにかなり年季の入った施設で,わりと雰囲気もアットホームである。ウィークデー(平日)ということもあって,家族連れよりも,子どもを連れた奥さまたちが集まってくる場所といった雰囲気である。
20061012_wtr 子どもたちに人気があったのは,「Water Ways」という水とボールで戯れるコーナー。写真はちょうど人気がなくなった場面だが,ここにたくさんの子どもたちが集まる。水流を使ってボールを集めたり,跳ばしたり,水しぶきを浴びたりと,子どもたちが喜ぶ仕掛けがいっぱいである。
 一応,簡単な防水エプロンみたいなものが用意されているので,それを着用して楽しむのだが,子どもたちは無茶苦茶するので,あっという間にずぶ濡れになる。それでもカリフォルニアっ子たちは気にしないのだ。
20061012_u4 さすが子ども向けと銘打っているだけあり,4歳児以下の子どものこともちゃんと考えて,その子達が楽しむ領域も用意している。動機はどうあれ,この乳幼児や低年齢児への心配りというか,手厚さというところが,欧米諸国の教育施設づくりの根底にあって,いつも感心する。2階には低年齢児のための専用活動スペースが用意されていて,母子のたまり場になっているようだ。
 (余談だが,ここに集まってくる母子の様子から,幼児を育てるお母さんたちの苦労や孤独といった問題は,日本だけのものではないことが垣間見える。特にアジア系のお母さんたちが座って子どもを眺めている様子を見ると,どこか子どもの面倒を見る日々に疲れているような面持ちがある。チルドレンズ・ディスカバリー・ミュージアムのような施設には,教育施設としての高尚な目的以外にも,お母さんたちが子どもを遊ばせる行き場や居場所としての側面もあるのだろう。)
20061012_boy 2歳になった甥っ子もその恩恵を受けて,場内をあちこち動き回る。叔父ちゃん(私)の手を引っ張って「come on!」と誘ってくれるのは嬉しいのだけれど,「あっち」「こっち」と好奇心旺盛で,そろそろ戻ろうと促しても「no!」って言って,なかなかみんなのもとへ帰ろうとしない。君には負けたよ。
 実は,ちょうど私が渡米する日。東大BEATセミナーが開催されて,そのテーマが「イマドキ・キッズの遊び場、学び場/どのようなチルドレンズミュージアムを創るか?」というものだった。それに参加してから,こういう場所に訪れたら,もう少し違う角度から見られたかも知れない。(そういう意味では来月のセミナーといい,なんでこうもチャンスが前後してしまうのか…悔しい)
 それでも様々なアイデアを駆使して子どもたちに働きかけようとしたり,あるいは純粋に興味を持ってもらおうとする努力は,随所から感じ取れる。それは具現化されているのを見れば「なるほど」というものばかりだが,ゼロから発想して作るとなると,そう簡単ではないなと思う。
 けれども,こうしたノウハウやセンスは,子どもたちに長時間接する教師にこそ共有して欲しいし,そうした活動に積極的に関わるような教師自身のライフスタイルというものを現実のものとすることが,日本に必要なのだと思う。美しいばっかりに見とれてないで,創造する喜びが得られる条件整備を期待したい。
 さてと,ぼちぼちハワイへ移動する準備。いくつかの宿題も止まったままだから進めないと…。

スタンフォード大学 ((米国滞在記03))

 スタンフォード大学に出かける。ウィークデーの大学に行くのは初めてなので,キャンパスにはたくさんの学生さんが行き交っているし,建物の中ではいくつものクラスが授業をしていて,まさに大学。
 ところで,アメリカに来てからこんなお知らせを読んだので,早速申込をした。学習科学に接するには絶好の機会である。ぜひとも参加したい。
=================================================
【ご案内】公開研究会「BEAT ‘Special’ Seminar」
学習科学とICTは学びのあり方を変えるか
– 高等教育の変革を事例として –
2006/11/11(土)開催!
主催:東京大学情報学環
   ベネッセ先端教育技術学講座 (BEAT)
共催:東京大学大学総合教育研究センター
   マイクロソフト先進教育寄附研究部門(MEET)
後援:NPO法人 Educe Technologies
参加登録はこちら!
http://www.beatiii.jp/seminar/
=================================================
 11月のBEAT公開研究会は、学習科学の世界的研究者である
スタンフォード大学 Roy D. Pea先生、中京大学 三宅なほみ先生、
静岡大学 大島純先生という豪華ゲストをお迎えして、「学習科学
とICTは学びのあり方を変えるか」というテーマで’BEATSpecial
Seminar’としてお送りします。
(後略…詳細は続きにて)
=================================================
 
 
20061011_scli それで,「スタンフォード大学のRoy D. Pea先生」(→本人Webサイト)とあるし,せっかく近くまで来たので,Roy D. Pea先生が所属しているThe Stanford Center for Innovations in Learning (SCIL)を覗きに行くことにした。お馴染みの石造りの建物を入ると,内部は木材を活かしたシンプルミニマムな内装で先進性を表現している。iMacが入り口にポンと置いてあるので,自由に利用できるようになっている。
 残念ながらRoy D. Pea先生の研究室を見つけ出す時間的余裕がなく,センターのパンフをもらうに留まった。それでもなかなか面白いプロジェクトを展開していることをあらためて知った次第である。
 恒例のスタンフォード・ブックストアで長居。めぼしい文献はないものかと書棚の前で粘るが,教育関係で大したものは見つけられなかった。もしかしたら地下でテキスト販売してたかな。確認し忘れた…。まあ,帰国後にamazonで購入するものをチェックして,あとはお土産を購入する。
 スタンフォード・ショッピングセンターにも訪れる。前来たときよりも広くなっている気がする。一通り眺めるが,GAPなんかを除いて,高級ブランド店が多く,あまり気軽に買い物できる場所ではなくなった感じ。そんなこんなで一日が過ぎていった。
 明日は甥っ子の誕生日。サンノゼへ行く予定。

続きを読む

シリコンバレーは淡々と ((米国滞在記02))

 こんなことなら国際運転免許をちゃんと申請してもらっておけばよかった。サンフランシスコ国際空港に降りたって,妹夫婦の家に泊めてもらってから数日経過。実はなかなか出かけられずに家にいたりする。
 一人で行動するならいざ知らず,実家の家族と一緒なので,移動手段や体力や眠気など,活動する条件がなかなか整わない。車はあるのだから運転できるとまた違ったのだろうが…,それだけに国際免許無しは痛いな。
 ところで,私がいま居るのは,人々が「シリコンバレー」と呼ぶ地域の真っ直中。地図的にそういう地名があるわけではない。サンフランシスコから離れて,サンノゼという東南方向にある街に向かったハイウェイ沿いの地域がシリコンバレーである。だからハイウェイを走っていると,有名な会社のロゴの入ったビルが見える。SunとかYahoo!とかNVIDIAとかIntelとか。
 グーグル社はマウンテン・ビューという街に本社がある。どうやらユー・チューブを買収したらしい。グーグル・ビデオが不調だったから,当然予測し得たことだけれど,いやはや,検索を可能にするためならどこまでも貪欲になれる会社だ。少しでもまともなタグ付けシステムを作ってくれればと思うが,まだおおっぴらに紹介するのは不十分か。といっても,しばらく前のAERAの記事といい,日本のユー・チューブ・ユーザーは拡大の一途だけれど。
 シリコンバレーはこここのところ快晴。気がつけば滞在日数も少なくなってきた。

歳をとった証し ((米国滞在記01))

20061007_air 歳をとった証しの一つか,9時間ものフライトを経て米国に着くことが,大した長さではないと感じる。搭乗,離陸,食事,映画,一睡,朝食,思索,書類記入など慌ただしくこなしていくと,気がつけば目的地の空港に着陸している始末である。地球は狭くなりました。
 今回の旅は,米国に住む妹夫婦のもとに実家の家族で集うことと,ハワイで行なわれているE-Learnという国際学会に出席をして世界の研究動向を勉強することにある。いつかはそこで研究発表するためにも,まずは先達の姿を目に焼き付けないと…。それと,自分への退職祝いと合格祝いも気持ち的には兼ねている。
 世界はすっかり狭くなり,金銭的なことを除けば,航空網の拠点間なら手軽に移動できるようになった。国によっては飛行機を降りてからの陸路の方が大変なのかも知れないが,とにかく私たちは世界のどこへでも行けるようになった。

続きを読む