国際学会と研究者同士の語らい ((米国滞在記08))

 eラーニングにまつわる国際学会E-Learnがハワイのシェラトン・ワイキキ・ホテルで開催された。途中,現地15日にハワイ地震と大停電に見舞われ,電気機器類が使えない状態で学会進行するという前代未聞の事態も起こった。14時間程の停電の末になんとか復旧。翌日からの学会は,何事もなかったかのように人が集まり,進行していった。地震・停電の日は,朝から雨。翌朝も曇り空だったが,次第にハワイ晴れが戻り,夕方のセッションになると参加者が激減したのは,まあ,前日のこともあるから仕方ないのかも知れない。
 大災難に見舞われた日まで,学会会場で知人に会えなかったが,翌16日は中原さんに発見されて声を掛けてもらった。前日の地震・停電の顛末を話し合った。そろそろ昼食に行こうということになって,二人でザ・チーズケーキ・ファクトリーというレストランに出かけた。こんな小洒落た雰囲気のよい店で男二人が向かい合って食べたというのも,なんか絵的に摩訶不思議。けれども,中原さんとこうしてゆっくり話すことは初めてなので,これから長いお付き合いになるだろう最初の長話の場所としては悪くないと思うのである。
 教育学から教育工学へという異領域への越境をした人は何人かいると思うが,中原さんもその一人だし,私にとり越境者の先達になる。私が地方短大の教員としてのほほんと過している間に,彼はたくさんのチャレンジをして,たくさんの成果を上げてきている優秀な人である。運に恵まれていた部分もあると本人は語るけれども,運も実力のうち。そして極めて現実主義の人である。それは,そうでないとやってられないほど多忙な人だからだとは思うが,私たちから見れば,それは,勝算のもとに的確な課題設定ができる人として,彼の魅力でもある。だから,僕のような勝算もないのに「あれどうかな,これどうかな」という発想乱発屋にとって,中原さんと長話するのは,結構緊張するのである,実は…。
 中原さんは来年度から私がご厄介になる大学院の先生ということもあって,大学院に入ってからのことなどいろいろお話しいただいた。で,とにかく「始まったら忙しいですよ」と脅されるから気が気でない。かなり英語力が必要になるととか,ワークショップでは喧嘩も起こるとか,忙しくて自分の研究は出来ないかもとか,気持ちが暗くなる予告がいっぱい。まあ,苦労は承知で飛び込んだのだから,覚悟を決めてやるしかない。
 そういう話もしながら,中原さんの昔話も聞いたり,自分の昔話も少し話したり,楽しい時間だった。翌17日も会場で研究の話になって「テーマが教師支援は難しいなぁ…」と呟かれたりして苦笑いするしかなかったのだが,教師に提供するツールの在り方なんかの話はとても興味深かった。
 中原さんとの昼食を終え会場に戻ったところで堀田先生発見。隣のホテルなのになかなか会えなかったが,ようやく会うことが出来た。夕食をご一緒する約束をしてから,しばらくあちこちの発表を聴いた。まだ慣れないのか個々の発表を聴いて,その場ではフンフンとうなずけるものもあるのだが,頭に残らない。まだこの分野の文脈に頭が染まってないからだろうか。もっと経験を重ねなければならない。
 けれども,私も夕方には人気が少なくなったのを見て,すっかり終了モードに切り替わってしまった。ハワイの青空が私を呼んでいる,と思ったので16:30過ぎに退却。
 そこで,岩崎さんと会うことが出来た。少しお茶でもしながらお話をした。翌日発表をされるので,内心緊張されているらしいが,傍目には落ち着いているように見える。海外経験もあって,英語も出来る人だから,そういう意味では全然心配いらないのだろう。社会人を経て,大学院生となり研究を続けているという点では,岩崎さんも私の先達である。しかも小さなお子さんの育児から家庭のこともしっかりこなすところが凄い。私は頑張っている近い世代の人達が好きなので,そんなところからも応援をしたい人の一人である。
 彼女が学ぶ関西大学は,教育工学分野の総本山みたいなイメージが私にはある。とにかく西にいろんな人材が集まっているように見える。今度の日本教育工学会は関西大学で行なわれるので,そういう意味でもなかなか面白くなりそうな気がしている。ちょうど関西大学の院生の皆さんは,その準備でてんてこ舞いといったところだろう。岩崎さんからは,そんな皆さんの近況や,大学院の雰囲気などの話を聞くことができた。
 そろそろ堀田先生との約束の時間。二人だけで鉄板焼屋へと出かけることとなった。堀田先生とこうしてゆっくり食事をご一緒するのも初めてのことだと思う。堀田先生は小学校の先生をされていたが,その時代から研究熱心な方。雑誌や文献で様々な実践事例を披露されていたコンピュータ教育分野の先駆者である。言葉の響きはともかく,私にとっての有名人の一人である。現在では,メディア教育開発センターや文部科学省でお仕事をされる立場にある多忙な方でもある。
 堀田先生とは,関大の黒上先生の共同研究でお会いしたのが始まりだ。その黒上先生は,こちらも様々な共同研究でご一緒させていただいている中川先生との出会いも運んできてくれた,私にとって大恩人。そして,堀田先生にとってもそれは同じだったようだ(黒上先生や中川先生のお話は,また別の機会に…)。そんな話から,堀田先生が現職から現在に至るまでに直面した様々な苦労話を聴かせていただいた。それは,退職をしてこれから再度勉学しようとする私へのエールでもあったと思う。先生の気持ちが伝わってきて嬉しかった。
 鉄板焼を後にして,ホテルのバーへ。マイタイを味わう。堀田先生は翌日一足先に帰国される。日本に帰れば,先生方とご一緒している様々な共同研究の仕事が目白押し。「無理させてないかな」と聞かれるが,今はいろんな方からのお誘いを出来る限りお受けして,いろいろ学びたい。元来怠け者であるから,そうしないとやらないのである。もしご期待に添えていないなら,お声が掛からなくなるだけ。そうならないように,前に進むしかない。
 ハワイで起こったこの数日の出来事を振り返り,またご一緒している仕事で実りのある成果が出せることを祈りながら,優雅な調べと美しいハワイの夜景に酔いしれたひとときだった。 
 この日,研究に携わる人達3人と語らう機会を持った。日本国内で会うことも出来る人達だが,それだと語らうまで行かないことが多い。むしろ国際学会などを契機に出会う方が,こうしてじっくり語り合うことが出来たりする。それは異国の地に赴き,確保された時間の中のことだから当然なのかも知れないが,それがとても大事だし,有り難いこと。国際学会で見聞きしたことをもとに議論することもたくさんある。それによって日本と世界との関係のもとで,日本の研究者同士が意識を闘わせたり共有したりすることが出来るという側面もあるのだ。
 とにかく,災難の後に訪れた意外な幸運に感謝したい。お三方にも感謝。