歳をとった証し ((米国滞在記01))

20061007_air 歳をとった証しの一つか,9時間ものフライトを経て米国に着くことが,大した長さではないと感じる。搭乗,離陸,食事,映画,一睡,朝食,思索,書類記入など慌ただしくこなしていくと,気がつけば目的地の空港に着陸している始末である。地球は狭くなりました。
 今回の旅は,米国に住む妹夫婦のもとに実家の家族で集うことと,ハワイで行なわれているE-Learnという国際学会に出席をして世界の研究動向を勉強することにある。いつかはそこで研究発表するためにも,まずは先達の姿を目に焼き付けないと…。それと,自分への退職祝いと合格祝いも気持ち的には兼ねている。
 世界はすっかり狭くなり,金銭的なことを除けば,航空網の拠点間なら手軽に移動できるようになった。国によっては飛行機を降りてからの陸路の方が大変なのかも知れないが,とにかく私たちは世界のどこへでも行けるようになった。


 
 けれども,人の心は奥深く,全幅の信頼という言葉からはみ出してしまうこともしばしばだ。私はまた,自分が滑稽な場所に立たされていたことを知ることになった。神様は何ゆえ,そんな事実を今さら私に知らしめたのか。全幅の信頼が届かぬ,そのまた先の話を知ることに何の意味があるというのか。
 古い傷の痛みは,合わせ技でやって来る。それが今の幸せへの対価というならば仕方がないのかも知れない。けれども,周りへの信頼が少しずつ薄れていくことを幸せというべきなのか,そのことに躊躇いを感じないわけではない。
 まあ,すでに終わった話である。この旅で,つまらない話も人生の糧にしてしまえばそれでいい。過去の人々には,いまでも心より感謝を。これからも続く人々や,また新たな人々との関係を大事にしていければと思う。そう思えるのも,歳をとった証しの一つかも知れない。