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デジタル教科書議論のために

 明日(27日),民間の「デジタル教科書教材協議会」が設立され,そのシンポジウムが開催される。有力者や有識者が集う教育の情報化推進の動きだけに,これまでのものとは注目度が違う。

 これと連動するように「みんなのデジタル教科書教育研究会」という有志による会も結成され,こうした動きに関心のある人々同士で垣根のない情報交換する活動を展開し始めている。

 明後日(28日)には,文部科学省「学校教育の情報化に関する懇談会」の第8回が開催され,先に示された「教育の情報化ビジョン骨子(案)」に関する討議を行なう予定である。

 その他にも,総務省の動きIT戦略本部の新IT戦略などが平行している。

 電子書籍やデジタル教科書の動向について自分なりに追いかけてきた私にしてみると,こうした動きは歓迎すべき側面と憂慮すべき側面の両方があって,注意しながら様子を見ている。

 気になったり,考えていることは,次のようなことである。

 ・これまでの教育の情報化に関する取り組みの到達点と残した課題についての整理がないか,少なくとも共有されないまま議論がスタートしている。(先行事例との継続性の無さ)

 ・校務の情報化や学習の情報化などの取り組みに優先順位を付けて,取り組みやすいところから順次目標達成していくべきなのに,児童生徒による活用や学力向上目的の利用というハードルの高いところに注力して足踏みをしてきたことを忘れて,児童生徒用のデジタル教科書を優先して考えている。(優勢順位付けの無さ)

 ・今後ますます,地方の教育行政のあり方が,学校教育に光としても影としても差してくる。問題は,地方の現状と展望に照らして,いかなる学校教育および教育の情報化を具現化するかであり,それを可能にする国家的な施策とは何かを明らかにしなければならないがビジョン素案にはそうした視点が欠けている。(国と地方との乖離)

 ・デジタル教科書のハードウェア要件を絞り込むといった議論は,「デジタル教科書問題」という全体テーマのイメージを共有する手段として意義はあるが,現実的には意味がないこと。(ミスディレクション効果)

 ・道具や教材教具はまず提供されてから善し悪しを磨き上げていくものであり,こうも事前に盛り上がるのは,端的に教育的な理由以外の要素が多く混在しているからである。こうした複雑な問題を見通すための情報提供が少ない。(議論吟味のための情報の無さ)

 etc…

 日本の学校教育は,日本自体が世界の中で相対的に沈下していくのに引っ張られる形で沈んでいるのだと思う。しかも国内で地域間格差が生じながら。

 デジタル教科書は,学習指導要領や検定教科書によって保たれてきた全国一律の教育水準と機会提供という看板を降ろしたところで本格的に普及していく教育・学習のツールになると考えられる。

 それはつまり,地域(とそこでの教育)にとってICTや情報化とは何かがはっきりしてこなければならないこととも関連している。

 もちろん,デジタル教科書を推進する理由の一つには,経済活性化のために文教市場をもっと拓きたいという人々の思惑もある。それがナショナルブランドやメーカーによって占められるものか,地方の商業にも果実を落とすことになるのかはデザイン次第だ。

 いずれにしても地域にとって何かしらのメリットをもたらさない限りは,デジタル教科書も教育の情報化も,学校教育に根付いていかないだろう。それが結局は,日本国民をさらに世界から取り残す結果を招くことにもなる。

 日本人は何をとるのか,その具体的到達目標が明確にされないまま,とりあえず21世紀の学びは大事ねという曖昧な総論賛成状態では,また十年後にリセット状態から教育の情報化を議論することになるのだろう。

 デジタル教科書議論が,お互いの腹を割って,教育のため,商売のため,地方のため,政局のためという構成要素を明らかにしながら,それでもなお,共通のプラットフォームで議論する努力のもと展開していくことを願う。

韓国デジタル教科書

 とある仕事の中で、韓国のデジタル教科書について触れる部分があったので、念のために情報のウラを取り始めた。出来るだけ一次情報に近い所の文言を確認したいが、頼りになるのはネットだけ。限界あるのも承知しているが、とにかく可能な限り情報を掘り出していく。

 すでに韓国デジタル教科書の公式サイトはブックマークしてあったし、研究校も探してあったので、そこら辺を中心に情報を引き出す。残念ながら韓国語並びにハングルはほとんど分からないので、ネット翻訳がフル活躍だ。以前、韓国の人たちもネット翻訳で堂々と日本語サイトにアクセスして、情報交換していることを聞いたことがあるので、私も活用してみた。

 幸い、研究校は詳しく情報発信をしてくれているので、実証実験の様子を遠い地にいながら、少し垣間見ることができた。

 韓国のデジタル教科書は様々なマルチメディア学習コンテンツとインタラクティブなワークノート、オーサリングツールとネット端末機能を総合したデバイスとなっている。

 もともと韓国にはEDUNETという教育情報インフラシステムが稼動しており、デジタル教科書もこれと連携したシステムとして構築されている。

 ご存知の通り、韓国はマイクロソフト製品を国の基盤システムに据えているので、ほとんどWindowsベースなのだが、コンテンツ管理システム自体はオープンに作られているので、デジタル教科書にはLinux版も用意されて、同時に開発が進められている状態である。(まあ、Linuxで動けば、Macで動かすのも難しくは無い。動かすだけなら…)

 子どもたちは、国語や算数、社会や英語活動等で一人一台タブレットPCを目の前におき、デジタル教室にある70インチ以上の大スクリーンを合わせて見ながら授業を受ける。

 いくつかの動画を見る限りにおいて、先進校の小学5、6年生だし、訪問慣れしているだろうことも手伝って、一斉と個別の混在した授業は一応成立していた。しかし、授業題目によっては、教室の統制をどうとるのか悩ましい問題もありそうだ。日本の授業の組み立て方だと、かなり難しいかもしれない。

 デジタル教科書開発とそのための授業方法の開発が研究目的なので、もちろん良い所ばかりでなく、不都合な点や問題点を明らかにする活動もしている。バグ報告掲示板や定期的に行われる調査や試験、実践公開に関する情報発信も学校によって程度の差はあるが行なわれている。調査はアンケートやヒヤリング等が併用され、調査事項は学習効果に関することはもちろん、ソフトウェアの使いやすさとUIに関すること、デバイスの使用によって引き起こされる健康上の問題はないか、心理的な負荷はないかなどを調べる調査まで、実に様々である。

 こうした実験校の発信している情報をみると、対外的なショーケースに過ぎないとはいえ、デジタル教科書に対する韓国の本気度を少し信じてしまいたくなる。まあ、それでこそショーケースなのだけれども…

 はたして日本のデジタル教科書普及に手を上げている人々が、どの辺まで本気を持続させようと思って取り組み始めているのか、私はまだ計りかねている。十年後もそこに留まって見守ってくれてるほど教育の人でもないだろうし、だからと言って日本や教育を思って力を注ごうとしてくれている事は否定すべきではないし…。私は相変わらず遠回りしながら片方で応援しつつも、片方で問うていくことしかできそうにない。

タッチデバイスを現在へ

 今年,タッチデバイスに関する話題のさらなる盛り上がりが予想される。そのための布石をつくってきたのは他ならぬiPhoneに代表されるスマートフォンの登場と認知であった。そしてiPadの登場。いよいよタッチデバイスが実際に私たちの手の触れる場所へやって来る。

  従来の携帯電話は単なる電話ではなくネットに繋がった情報デバイスであるとの事実が,教育界に情報モラル教育の必要性を認識させてから,まだ長くは経過していない。昨今の携帯電話はスマートフォンの影響を受けて更なる高性能化を果たし,完全にインターネットの世界を前提とした情報デバイスになっている。学校のPCよりも自由度が高い。それを学校教育でどう扱うべきかは,ほとんどコンセンサスが得られていない。まして,カリキュラムはほとんど蓄積が無い。

 学校教育はどうしてこんなにも情報化やICTの動きに対して後手に回ったのだろうか。

 一体,学校教育を取り巻いてきた私たちは何をしてきたことになっているのだろうか。

 2000年頃の私たちは,世紀の越境を学級崩壊や学力低下の問題を抱えながら歩んでいた。その後,e-Japan戦略が国家戦略として示され,教育分野も2005年を期限とした目標を掲げたものの,これを達成しないまま2010年を迎えている。2009年度の補正予算に掲げられた「スクールニューディール事業」も政権交代と事業仕分けによって,滑り込み組を除けば,すっぱり廃止された。

 残念な事態。そんな言葉が慰めのように中空を駆け巡る。各自がやるべきこと,出来る事に取り組むことが大事だと,物分かりのよい納得を奨励する空気が漂う。確かに,それが一番力を持つのだろう。誰のせいでもない以上,誰がどうこうできる話でもないのかも知れない。次の機会のために,一から積み上げ直す作業は必要だと思う。

 けれども,それは一体いつの機会のことを指しているのだろう。

 ハードウェアやICTを学校教育に導入することが目的化しているような動きに対して,多くの人々がけん制球を投げる。モノを売りつけるだけ売りつけて業者だけが儲かって終わるだけと案ずる声や,新しい道具が教育の営みを根本的に改善するわけではないのだと道具の導入を冷ややかに見る目が増えている。まずは実験的に確かめてから,事例を積み重ねてから,可能性と限界を見極めてから,その上で慎重に教育活動をデザインして普及させなければならないと正論が流布される。

 なるほど。それは一理ある。

 いやしかし,なぜ私たちは学校教育の場に道具が導入されることをまずは引き止められるのだろうか。

 子ども達への影響を理由に,失敗が許されないと述べるその口や頭は,どんな理想的な導入プランがいつ紡ぎ出され,それがどんな方法で学校現場の教員に正しく伝えられると踏んでいるのだろうか。その成果は,導入タイミングを遅らせることを十分に納得させるにたるものだと,何をもって説明するのだろう。

 もちろん,教員の適応力の水準が低いのだと指摘した上で,無目的にハードウェアや道具だけが導入されても使いこなせるわけがないと看破する意見はもっともである。だから,納得できる利活用の方法を蓄積するのが遠回りとしても近道なのだということも理解できる。その努力は,今も誰かが取り組んでいるし,今後も引き続き多くを積み重ねていくべきである。

 しかし,そのような努力を継続的に取り組んでいくことと,ハードウェアや道具が導入されることは決して順列に為されなければならない事柄ではない。

 正直なところ,前者の努力には多くの人々が意識を払うけれども,後者の努力は企業や業者がやればよいと考えて,どこか頬被りではなかったか。

 本当にそう思うなら,自分でやれよ…。

 私が私に対して出した意見である。

 

 私は,2010年代のうちに,先生たちの間でタッチデバイスが日常的な道具になっていると考えている。

 その出発点は2010年のiPadであろう。

 そして,iPadが集めたタッチデバイスへの期待をAndroidタブレットが引き継ぎ普及が始まると予想している。

 私たちが今すべきなのは,iPadのもつ「わくわく感」要素をしっかり見極めて,Androidタブレットに正しくフィードフォワードしていくことである。その成果はOLPC(子ども1人にPC1台プロジェクト)にも反映されていくことがベストである。

 日本の私たちは,モノの善し悪しを見極める力はどの国よりも高いはずなのだから,下手にオリジナリティを固執するようなことをせず,素直に善きものを取り込み,悪しきものに改善を加える努力で貢献していくことが望まれる。

 その作業と並行して,どんどん学校現場にハードウェアを普及させる努力をないがしろにしてはならない。本気でモノを売り込む努力無くして,本気でモノを改良していく努力も生まれはしない。それぞれのプレーヤーは,それぞれの立場から普及に貢献していくことが望まれているのである。

 要するに,これまでのハードウェア売り買いも道具売り買いも緊張感が足りなかったのであり,緊張感がないところに真摯で誠実な商売や消費もあり得ない。

 今の私は,その緊張が生まれるような知見提供や活動を積極的に展開していくことが大事だと考えている。

 私は,電子デバイスをまったく導入しない学校教育の可能性もあるとは思っている。カリキュラム研究に携わる人間として,いつ何時でも,その可能性と選択肢について立ち戻り吟味することを厭わない。けれども,今のところ,私は電子デバイスが利活用される学校教育の可能性の方に魅力を感じているし,その方向性でカリキュラムを考えていきたいと願っている。

 そのために多くの変数を変えていくという「意志」「行動」が必要なのだと思う。

 それは,研究者というよりも実践者としての選択なのだが,私はまさに今,そちらに重きを置いている。

  私は子ども達がタッチデバイスを活用する日が来るとも思うのだけれども,正直なところ,その部分に関しては自分の立場をニュートラルにしようと考えている。

 多くの人々の関心は,子ども達一人一人がタッチデバイスあるいはデジタル教科書・ノートを持つ事に向けられている。そのことは了解しているし,私にとってもそれは興味深い未来予想図なのだけれども,私にはその前に小中高校の先生方にとって一般的なツール(それは使うなら使うし,使わないなら使わないという選択が自然にできる位置づけの道具という意味合い)になることが最優先だと思っている。そのこと無しには,どうしても子どもの方まで想

教育ツールとしてiPadをどう考えるか

 アップル社から新しいタッチデバイス(指で画面をタッチすることで操作する機器)である「iPad」が発表されました。発表日から60日ほどで発売予定。つまりこの春から購入して使うことが出来ます。

 すでにiPhoneという携帯電話機と情報端末を掛け合わせたスマートフォンと呼ばれる商品が普及を始めています。これもサイズは小さいながら立派なタッチデバイスの代表ですので,iPadがどのような操作をする機器なのかは,少し試してみればおおよそ見当がつくと思います。

 iPadの教育利用(あるいは教育活用)の可能性を想像する人が多いことは,ネット上の書き込みやTwitterでのツイートの内容を見ることからも伺い知れます。しかし,この可能性はどこまで本物なのか。

 視聴覚教育の歴史を追えば,これまでも様々なデバイス(映写機やOHPやテレビやAV設備等々)が登場するたび教育利用が試みられてきました。コンピュータの時代がやってきて,主役が電子機器になっても同じです。教育用パソコンも形が変わり,性能が進歩し,ネットワークに繋がるなど,その度ごとに繰り返し繰り返し教育での利活用が考えられ,先達によって試行錯誤が繰り返されてきました。

 そして最近は,携帯電話という機器を前にして,とうとう学校教育は排除的な態度も取り始めました。学校教育に落とし込むには,あまりにも商業・消費文化の都合に染まりすぎていることからくる隔たり感というか,扱い難さ。それでいて,教育関係者自身もパーソナルなコミュニケーションツールとして好きに使っているバツの悪さ。「これは学校教育が扱うべき対象物ではない」と閉じてしまう方が全体的に見れば破綻をきたさないで済むと考えて,その道を選択するところも多くなりました。

 度重なる新しいものへの対応,そして,やってきた手に余る代物への拒絶。本当に「教育の情報化」なるものが学校教育の根幹に必要なものなのかという懐疑が堆積したまま,一方で情報モラルは大事ですねと調子を合わせなければならない事態に,私たちは陥っていると考えることは出来ないでしょうか。

 そんな困難な状況にも関わらず,iPadなる新しいデバイスが登場したということに,どれほどの意味や価値があるのか。また新しさだけで化粧したがらくたを押し付けられるのではないか。携帯電話ならば正体は分かるにしても,タッチデバイス?それで教育や学習の何が出来るのか?と訝しく思う人々が出てきても,不思議なことではありません。

 そのことを踏まえつつもなお,今回のiPadには期待できるものがあると考えています。

 iPadは操作するためにiPad本体以外のものを必要としない情報ツール。

 端的にこれだけがこの新しいツールに備わっている可能性です。付け加えて言えば,一枚の板状のタッチスクリーンで本体が構成されていると見なせること。このことが学校教育現場で利用するのに最適であると考えてよい理由です。

 もちろん,充電にはACアダプタやケーブルが必要ですし,デジカメのメモリカードを読み取るにはカードリーダアダプタが別に必要になります。しかし,そのようなオプション利用の場面を差し引いて考えれば,iPadはその一枚のアルミ板のようなタッチスクリーン本体を扱うだけになります。

 これに匹敵するのは,算盤(そろばん)くらいではないでしょうか。

 ノートと鉛筆のメタファを採用したタブレットPC(とスタイラス・ペン)は,メタファの域を脱して魅力を訴える決め手に欠けてしまいました。

 パソコンをペンで操作するメリットはいくつかあれど,おおよその場合でマウス操作との違いが出ず,また,ペンを使って「書く」行為を活かそうとすれば,ノートと鉛筆との違いが曖昧になる。

 さらには,キーボードを使う場面において,ペンを使った操作との一貫性は放って置かれたままになりがち。ペンがPCから糸でブラブラと繋がれて揺れている光景は,スマートとは言い難いものでした。

 また,ネットブックと呼ばれる小型PCとの融合を図ったタイプもありましたが,小型軽量であるメリット以外のデメリットについて改善が図られているとは言えませんでした。

 私はタブレットPCとスタイラスペンというツールにも活躍できる機会があると考えています。しかし,活躍できる機会以外において,日常の道具としてのスマートさがあるかと問われると,私には上記のような光景を率直にお答えする他に考えがありません。

 ネット上に「iPadはわれわれのママにぴったりのデバイスだ!」という記事が掲載されました。iPadに対して多くの批判や失望の意見があり最悪な駄作であるとの指摘があるが,その認識は間違っているのではないかという意見の記事です。曰く「iPadはコンピュータ嫌いな人々のためのコンピュータだ」と。

 私は全面的にこの記事に賛成です。

 それというのも先日,私自身が両親にiPhoneをプレゼントした経験があるからです。多少サイズが小さいという問題点はあれど(高齢者になれば皆さんもその苦労が分かります…),私の「ママ」さえもiPhoneをあれこれ試しながら使いこなし始めたからです。これがiPadであれば,今度は重たいとか支えるの面倒とか言いそうですが,視覚的にはもう少し楽に操作できるのではないかと思われるのです。

 高齢者を引き合いに出すのは,少し卑怯なのかも知れませんが,私はごく普通の人にとっても楽に操作できる点は共通していると思います。あるいは,若いがゆえに物足りなさを感じるのかも知れませんが…。

 少なくとも,学校教育現場で使う道具としての条件は,ミニマム・シンプルな道具であり,物足りない余地が備わっていることです。ミニマム・シンプルであれば,道具としての煩わしさは少なくて済みます。パソコンのようにトラブルを運んでくることも少ないでしょう。物足りない部分は,そこに自分たちの教育・学習活動をつくって差し挟める余地があると考えることができます。

 タブレットPCとスタイラスペンの組み合わせや,他のタッチ式タブレットPCなどと,アップルのiPadが似て非なるものと考えられるのは,ひとえにツールとしてのシンプルさを満たしているかどうか,その違いです。

 その上で,ソフトウェアによって何が出来るのか,使い方・活用の仕方によって何が出来るのか,といったところでの工夫が教育や学習活動にもたらす可能性を決定していくことになると思います。

 iPadというデバイスは,ようやく現れた「教育現場に導入することを真剣に考える価値を持ったツール」だと考えます。

 それを私がもっともらしく言うよりも,遥か前にアラン・ケイという人物が描いたダイナブックというツールのことを思い出していただければ,納得のいくことだと思います。ようやく時代が追いついた,それが2010年なのかも知れません。

Google Waveは過去を束ねるのか

 先日はTwitterを話題に取り上げたが,先月末にGoogleが開発者を集めて披露した新しいコミュニケーションツール「Google Wave」が気になっている。

 新しいといっても,Google Waveはこれまでのメールやチャット・IMや掲示板・ブログ,SNS・グループウェアを融合させたようなもので,コミュニケーションの時間軸と領域面を統一的に扱えるようにした点に特徴がある。

 現在のGmailには画面の片隅にGtalkと呼ばれるインスタントメッセージ(IM)機能が表示されており,ある意味ではメールとIMを融合して利用できる。しかし,これは単に画面が一緒になっているだけで,機能は別々だった。

 Google Waveは,全く新しい設計によるシステムがメール的にもIM的にも使えるように振舞い,同じように掲示板やブログ,SNSやグループウェア的に使うことも可能にしている。こうした様々な機能の顔を持っているくせに,実はすべて統一されたWaveというシステムで管理されているので,メール的なメッセージとIM的なメッセージ,ブログ的なメッセージなどすべてが時間管理でき,そして複数の人々がどのようなやり取りをしたのかも統一的な領域に記録される。

 だから,過去のコミュニケーション過程を,機能の種類を越えて統一的にさかのぼることも出来るのである。

 分かり難い?

 じゃこういうシチュエーションを考えてみよう。

 あなたが,ある進行中のプロジェクトに途中参加することになった助っ人だとする。

 そのプロジェクトはいままで複数の人々によって様々な情報のやり取りがなされて,いまに至っている。あなたは過去の経緯を把握して,迅速に今後のプロジェクトのアイデアを提示しなくてはならない。

 ところが,過去のやり取りは,グループウェアに記録された会議録やメーリングリストで交換された意見,IMで補足された細かい情報など,様々なツールを使って行なわれていた。仮にすべてのログ記録が残されていたとしても,あちこちのツールに分散した記録同士を流れに沿って追いかけるのは至難の業である。

 これが今までのコミュニケーションツールの弱点だ。

 しかし,Google Waveが導入されると,この問題に解決の糸口が提示される。

 Waveは,それ自体でメール機能,掲示板機能,IM機能などを提供する。しかもそれらが有機的に融合されるので,システム側では,どのツールを使ってどういうやり取りが行なわれたのかをすべて統一的に記録できている。

 あなたはWave上で展開されたプロジェクトのやり取りを,単に「巻き戻す」だけでいい。すると,メールや掲示板やIMでやり取りしたメッセージが,すべて実際の時間順に巻き戻され,再生することが可能なのだ。

 すべてのプロジェクトが終われば,Wave上にプロジェクトのポートフォリオが出来上がるというわけである。

 Google Waveはオープンソースウェアとして公開される予定だそうだ。

 もしこれを高等教育機関で導入すると,各大学でWaveによるコラボレーション環境を持つことが出来る。さらに,Waveシステム同士はコミュニケーションすることが出来るらしく,他大学の人たちとのコラボレーションも容易なのだという。

 そうなると,教育工学的な評価云々という話はすっかり置いてきぼりだ。Google Waveの利用にセクシーさやエロスを感じれば,利用事例は増えていくだろうし,普及する可能性もあるかも知れない。使う?使わない?なんかそのことだけが問題とされてしまうような状況に追い込まれている。あとは教育利用のデザインをどうするのかって話だろうか。

 それにしても,彼らGoogleはいとも簡単に情報の時間と領域をマネジメントしてしまおうとする。その能天気さは,ある意味で羨ましい。技術先行ではあるけれども,少なくともまだ夢を語る余裕があるってことか。

 Think Globally, Act Locallyで頑張るしかない。

つぶやきから世界がみえる?

Topsy
http://topsy.com/

 Webの世界におけるTwitterへの注目がますます集まっている。Twitterとは1回140文字に制限されたつぶやきブログのこと。「いま何してる?」のかを短く書いたり,文脈説明なしに直面している出来事の感想を書いたりする。

 それ自体は,短い文章やつぶやきが書き込まれるだけの,何の変哲もないサービス。ところが,そこに検索のワザを掛け合わせて,つぶやきを拾い出して組み合わせ始めると,途端にそれが面白い情報源となることを人々は発見してしまった。

 ん?ちょっと待って。確かブログも同じような話じゃなかった?

 確かにブログも各人が興味を持っていることを書き綴るという点では,Twitterと同じであった。

 しかし,ブログの記事(エントリー)は「文章」であることが多く,一つ読むのも大変だったりする。それが,組み合わさって膨大となると,とても処理しきれない。

 その点で,Twitterは1回が140文字まで。自然と書き込まれる情報は「断片」になる。断片が集まれば,編集次第で面白いものが出来るかも知れない点で,ブログよりも可搬性があったのである。

 結局,どんな人間でも,制限された範囲に大事な情報を詰め込むためには,むき出しの生情報を放り込むもの。そして,自分の断片と他人の断片が絡み合う面白さを感じると,つぶやきを続けてしまうようである。

 冒頭に紹介した「Topsy」は,このTwitter上を流れるつぶやき群を情報源として検索結果を提供する検索サービス。

 つまり,Twitterを使っている人々が興味を持っている事柄から情報をピックアップするので,いま話題になっている事柄や,新しい情報を知ることが出来るというのである。

 私なんか,疲れたとか,眠たいとかつぶやいてるだけなのだが,英語圏の膨大なつぶやきの中には,いま人々が考えていることを見通す断片が埋もれているということなのかも知れない。

シート型電子黒板

 H21補正予算案(参院審議中)に盛り込まれている教育関係の投資の関係もあり,電子黒板などのICT機器に対する注目が高まりつつある。ただ,具体的にどんな製品をどれだけ導入するかは悩ましい問題である。

 というのも,文教向けの機器市場は販売数量が見込めそうで現実見込めないという不遇の市場として長らく扱われたために,企業努力にも限界があって,価格の低下が難しかった。

 そのため,例えばプラズマ/液晶ディスプレイを利用した電子黒板は,一台60〜70万円程度となっており,昨今の家電量販店に置かれている家庭用液晶テレビの価格と比べて,かなり割高感が残ってしまっている。もちろん,電子黒板にはタッチパネルのような仕組みが内蔵されている点で付加価値があるため,家電と単純な比較は出来ない。

 ただ,この高価格のために,本来であれば一つの学校に最低3台程度導入されるべきであるのに,学校に一台ずつになるのではないかという不十分な計画さえ聞こえる。なぜ一つの学校に最低3台なのかといえば,多くの学校が3階建てだと思われるからである。要するに1フロアに1台が望ましい。

 1台しか導入されないとなると,電子黒板を使用したい場合に,(取り合いになることは最初から覚悟の上だが)移動するときにエレベータを使わないといけないからである。普通の学校には給食運搬用のエレベータがあるかも知れないが,それでも使用する度に階を移動させるのはかなりの手間だ。

 私は学校への導入数を,学級の教室が存在する建物の階数で決め手もいいんじゃないかと思っている。

 ところで,電子黒板にもいろいろな種類があって,ニュースで新しいタイプの電子黒板が紹介されていた。

世界初のポータブル(テレビ東京WBS)
http://www.tv-tokyo.co.jp/wbs/2009/05/tt-115.html

プラス ワイヤレス インタラクティブパネル UPIC(ユーピック)
http://www.plus-vision.com/jp/news/news2009/news20090512.html

プラスビジョン株式会社
http://www.plus-vision.com/jp/

 こちらは液晶プロジェクタと組み合わせて使うタイプになるが,導入数が限られて,しかも場所移動が前提という使用方法を想定するならば,興味深いソリューションということになる。

ジャーナリズム学校の新必需品

School of Journalism to require iPod touch or iPhone for students
http://www.columbiamissourian.com/stories/2009/05/07/school-journalism-requires-ipod-touch/

 ふーむ,日本だとすでに携帯電話が席巻しているから別に目新しいことではないかも知れないけれど,iPod touchとIPhoneは高度な情報端末なので,進化次第では日本の携帯電話をあっという間に抜くかも…。結局,プラットフォームとしてデザインされているかどうかで差がついちゃうんだ。

 ケータイとかマンガ・アニメがあると思ってあぐらかいてると,すぐに置いていかれるかもね。

予定調整のための道具

ご都合.com
http://www.gotsugo.com/

 グループのメンバー同士で予定の調整をするのは,あっさり決まるときもあれば,全員がその場で予定を把握できなくて調整が難しいということもあり,なかなか厄介なことです。

 組織であればグループウェアを活用して,各自のスケジュールをある程度管理しながら半自動的に予定調整することをしたりしますが,そういうシステムの無い場合はどうしましょう。

 ネットには,そんなときに気軽に使えるスケジュール調整のツールサービスがあります。各自の予定を書き込んで調整できるというやつですね。

 「ちょー助」というサービスなどありましたが,新しく「ご都合.com」というサービスも始まったみたいです。試してみるのもいいですね。