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多様と差異と格差

 以前からフィンランド教育への関心が高かったが、最近は尾木ママの紹介もあってオランダ教育にも関心が向きつつあるようだ。

 もともとオランダの教育は、リヒテルズ直子氏によって紹介されることが多く、amazonを検索するとあれこれ著作を見つけられる。オランダ自体を幸せな国と紹介する本もある。

 西欧諸国の教育は、断片ばかりが不連続に取り上げられて,なかなか全体像を描くことが難しい。どうやら多様な教育が許されているということは見えてくるのだが,それを担保しているものが何なのかを突き詰めると「そういうお国柄」という結論に行き着く繰り返しだろう。

 日本に住む私たちにとって、そうした西欧の教育がまぶしく見えるのは、私たちが「国家行為としての教育」から卒業する段階にあるのにそれが出来ていないこともあるのだろう。

 学習指導要領、教科書検定、教育費国庫負担…どれも国民が等しく教育を受けられるように設けられた制度や仕組みだが,それらの設計が想定した時代からは長い時間が経過しているであろうし,根本的な見直しに着手することもないまま、その都度の手直しで引き継いでいるのが実情である。

 その結果何が起こったのかというと,新しい試みに対して上記の制度や仕組みが足枷になってしまう場面が強くなっているということである。

 「国家行為としての教育」という言葉から連想されるような、国が何から何まで管理統制する教育はいまや幻想に過ぎない。けれども、そういう心性は一般の人々に根強く、教育システム改善の糸口が国レベルにあるとばかり考えやすい。

 けれども、実際には都道府県や市町村レベルにこそ問題の糸口がある。

 公立の学校教育に限っていえば,設置者管理主義と呼ばれる原則によって、地方自治体に教育をコントロールする権限と責任が付与されている。身近な学校に何か課題があるとすれば,それは地方自治体レベルで解決することが基本なのである。

 しかし、日本にある1800もの地方自治体の現実は様々であり,問題解決のためにもてる資源も異なっている。課題解決が出来るかどうかも異なれば,それ以前に、何を課題として捉えるか自体が異なっている。

 そのことを十分に踏まえないまま,国が号令をかければ地方は動くと考えることが無茶なことは、ここ数年、幾人かの地方自治体首長たちの動向を見ても明らかである。

 国内的な視野と国際的な視野との狭間で、私たちが目指すべき日本の教育の将来像がはっきりしない。

 多様であることを求められているが,多様であることは差異を受け入れるということでもある。日本国内には多様な現実がうごめいているものの、それはどちらかというと差異としてではなく格差として現われているのかも知れない。

 差異を認める制度で多様な在り方を保証するのではなく,型を決めてかかる制度はそのままに,格差が多様な現実を生んだだけというのが日本の現状なのだろう。

 意図せざる格差による差異は具現化しても,差異化を意図して教育に取り組もうとすると、型を重んじる制度に阻まれるという具合だ。

 それが単に国内の差に留まらず,国際の場で活躍するためのベースの差として問題が深刻化しつつあることに、危機感を抱かざるを得ない。

 個人的には、日本の教育の諸制度はもっと自由度を加えていくべきと思う。それは大幅な弾力的運用という形式をとることから始まるだろうし,それで済むこともたくさんあると思われるが、ゆくゆくは法制度自体が再構築されなければならないと思う。

 ただ、どのような手順でそれが進むとしても,教師の専門性を深めていく必要があることには変わりなく,そのための条件整備は何よりも優先されなければならないし、そのことに関する障壁を解決するために大きな決断が必要だ。

 もっとそのことに関心が向くように仕向けなければならない。

日々…平成二十四年卯月二十日

 新年度が始まり,職場では授業も始まって、いわゆる通常運転状態。ルーチン生活が始まったともいえる。定時刻に起きて、定時刻には寝る毎日。もうすぐ崩れるとしても、なんと健康的な日々だろう。自炊も復活させた。

 でもお恥ずかしい話…この頃身体のあちこちが悲鳴を上げていて、運動不足というか日頃の不摂生が露呈し始めた。特に腰と背中がガチガチ状態。整骨院にでも行こうかなと思う。

 混沌としていた生活と仕事の状況を整理しようと思いつつ、ずっと後手に回っていたが、ようやく生活の場に溜まっていた「もの」を捨て始めた。

 なんとなく生きてきた人生よりも生きていく人生が比べると短かそうだと思えたところで,生活や娯楽関係のものはミニマムでも大丈夫と思えるようになっている。

 問題は仕事関係の資料類だが、書籍はともかく、書類はデジタル化して物質は捨て去ることを基本路線に取り掛かるしかない。ゴールデンウィークは研究室の整理に取り掛かろうと思っている。自分を見つめ直すよいチャンスだ。

 苦手なスケジュール管理をGoogleカレンダーの使い方を見直し、やり直している。昨年から「超」整理手帳のアプリも使えるようになったから、その点でも必要な作業。

 思うに、すべての学会が自分たちの研究会や学会の日程をGoogleカレンダーかデータで提供してくれると楽なのだが。デジタル化には気遣いが重要だとつくづく思う。

 意外と忙しいのだな、自分って。なるほどプライベートが荒廃するわけだ。

 研究発表計画も立て直して,違う分野の学会に出て学ぶ予定も立てる。どう考えても関心が教育工学には収まらないし。とにかくやってみよう。

 最終年に入ったFS推進事業も、とくに何も連絡は来ないから、心配になって学校の先生に聞くとあれこれ慌ただしくやり取りが進んでいるよう。何も知らずにいて学校の先生方に申し訳ないと感じつつ、はぁ…研究者とかはこういう形で蚊帳の外に置かれるのだなぁと思うとやるせない。

 そんな感じだから,なおさら自分で勝手に動いて情報収集するしかない。昨年度末に好きなだけ自腹出張したので,わりと気が済んじゃったところもあるが、もう少し頑張って全国回ってみようと思う。

 さて、今夜も自炊しないと…。

躊躇えばエンターテイメントにはならない

 新年度が始まり、NHKの教育番組にも新顔がお目見えした。その中に「歴史にドキリ」という番組があって、中村獅童氏が歴史上の人物に扮して歌って踊る歴史番組となっている。

 先日、第1回が放送され、番組Webサイトでも動画が見られる。しかし、どうもあまり評判が良くないらしい。

 実際、私も第1回分を見て、残念な気持ちになってしまった。毎回のテーマに誘う中村獅童氏の演技から番組は始まるのだが、歴史解説映像の間に挟まれている歌と踊り部分が浮いてしまって、存在意義が見いだせなかったからである。

 授業で見せることを目的とするならば、番外編にあるように歌と踊り部分は省いてもらって、もう少し落ち着いて解説して、中村獅童氏に語らせたほうがよっぽどマシだと思う。

 個人的にこの番組のスタートには期待していたし、応援していたのだが、この調子で続けて大丈夫なのか心配になってしまった。

 実は昨年度のうちに、この番組のパイロット版を見る機会を得ていた。

 それは徳川家康を扱った回として制作されたもので、現在放送開始されたものよりももっとポップな造りになっており、番組の構成は似ているが構造が全く違っていたのである。

 そして、私はそれが結構気に入っていた。

 正直なところ、そのパイロット版も授業で使えるという調子のものではなかった。むしろコンセプトからして、授業で使うということをあまり気にしてなかったといっていい。

 私は、パイロット版にそういう割り切りを感じて、そのチャレンジ精神を応援したかったし、放送版の最初に掲げられている「History is entertainment.」という言葉を徹底したほうが、むしろ印象深いものになるのではないかと思っていた。

 ところが、実際には製作者側も迷いを隠せなかったようだ。

 Webサイトに公開されている番外編は、先ほど指摘したように授業を意識して無難な造りへと変更してある。

 しかし、たぶん実際につくってみて、製作者としての面白みがなかったのだろう。申し訳程度に歌と踊りを復活させたのが第1回という感じなのかも知れない。だから中途半端さの残る番組となってしまった。

 歴史を題材にしたバラエティ番組は様々あれど、歌って踊るネタで最近人気を博しているのが「戦国鍋TV~なんとなく歴史が学べる映像~」である。

 こちらはローカルテレビ局の番組ということもあって、番組作りも面白いコンセプトで攻めているのが興味深い。先に頑張っているだけに、いろんな試みをして人気を集めている。

 「歴史にドキリ」はこの種の番組の新しい仲間として、先輩の良い部分を吸収して、自分の味を徹底的に出していくべきなのだ。あちらはバラエティ番組、こちらは教育番組。おのずと独自色も出てくるはずなのだ。

 そのためには徹底したエンターテイメントを追求しなければならないと思う。楽曲はもっと時間をかけるべきだし、番組を映像クリップと歌と踊り部分をくっつけたような造りにするのではなく、一つの作品にしなければ意味がない。

 それは授業で使うとか使わないとかそういう話ではなくて、「History is entertainment.」というコンセプトに正直であるのかということである。そういう突き抜けをしない限り、授業どころか、極上のエンターテイメントを通して歴史を知り学ぶという活動にすら届かないものになってしまう。

 残念ながら、NHKの教育番組には法律的なルールがあり、学校教育に利活用される番組でなければならない。

 そのため「授業で使われることを気にするな」といった趣旨の上記のような応援は、ほとんど意味をなさないのが現実である。

 たとえば、かつて小林克也氏が進行役として登場した「おしゃべり人物伝」のようにNHK総合テレビの番組としてなら、そういったつくりもあって良いのだろうけれど、学校教育番組としてその路線を徹底することは難しいと思う。

 そんな制約の中にも関わらず、この番組を作ろうと考えた製作者の人たちの茶目っ気に私は好感を抱いたし、こういうコンセプトの番組が一つは(全部は困るけど)あっても良いのではないかと思ったのだった。

 まぁ、面白くなくなった現在のテレビ番組の中で、80年代の深夜実験番組的な匂いのする番組がたまに出てきたことに嬉しくなったというだけなのかも知れない。

 でも、製作者も楽しい、視聴者も楽しい、そんな番組こそ、長く私たちの記憶に留まるのではないだろうか。そう考えれば、パイロット版から見え隠れしていた「History is entertainment.」というコンセプトを徹底するところに、本当に私たちを教育してくれる番組が存在するように思う。
 

新年度もマイペースで

 平成24年度に入った。職場は早々に入学式が挙行され,新入生オリエンテーションが行われている。明日から在学生も含めて前期授業開始である。

 今年度も月曜日から木曜日までまんべんなく授業を割り振られたが、金曜日は授業割り振りがないので,補講や出張がやりやすい。再び自転車操業的な日々の始まりだが,外部のお仕事も継続しているので、どちらも頑張らないと。

 様々な人たちの変わりゆく立場を眺めながら,今回は特に大きな変化もない自分を振り返ったところで,もう少し原点回帰を肝に銘じようかと思っているところである。

 関心の赴くままに対象を追いかけて教育の情報化関連の世界にたどり着いているのだが,かつて学んだコテコテの文系知識をもう少し活かせる場所もあるはずなのだ。

 カリキュラムの世界を勉強していたとき、私の関心は履歴の「歴」をどう考えるか理屈をこねていて、そこから最近は教育やその情報化の「史」を掘り起こす過程に入っているのだけれども,ゆくゆくはそれらを「歴史」として合わせていくことが大事なのかなとぼんやり思ったりする。

 そのためにも歴史学についていくらか勉強しなければ。最近関わっている別の仕事でも歴史に関することが含まれていて,ますますその必要性を感じたりする。

 自由に好き勝手なことをするのが難しくなっている時代に,好きなことをやらせていただいていることに感謝しつつ,今年度も頑張りたい。

 
 

変わりゆく立場

 今年に入ってから続いていた出張の旅路もようやく終わりを迎えた。

 こういう慌ただしい日々をこなすのは生来得意ではないため、自宅が放ったらかしになるという犠牲が伴う。家事というのは独りでするもんじゃないとつくづく思う。

 いろんな人々に会うことができた。

 直接間接に様々なことを言われた。

 「教育らくがき」がストレートに物を書かなくなったことを指摘する人もいた。そろそろ公的に貢献しなければならない年齢だと知らせる言葉もあった。新しい世代の息吹を直接感じる場面にも遭遇した。

 私自身も,また様々な方々も、変わりゆく立場の中で試行錯誤していることを感じた。いつまでも続くと思っていた「浅はかなりし頃」は、こういう形で遠い日々に変わりゆくのかなとぼんやり考えたりもした。

 子ども達が未来を生きるために必要な支援をすることが学校教育の使命であることは、今も昔も変わっていない。しかし、昔に比べれば今ほどそれが難しい時代もない。

 支援しなければならないことが多岐にわたり、それはますます増えていると言われる。けれども、実際に私たちが用いる評価のまなざしは旧態然としていて、一向に変わる気配がないとさえ思われている。

 昭和の牧歌的な日本共同体の幻想を温存することで、一定程度この国のアイデンティティは保たれてはきた。けれども、そのコストが現実問題として維持できなくなってきている中で,決断が迫られている。確かに、いま痛みを伴って変化が起こっている。

 もっとも、すでに破綻はじわじわと教育現場を襲っている。

 初等教育段階はそれだもまだ手厚さが残っているかも知れないが,中等教育段階はどうなっているのだろう。ベネッセの「第5回学習指導基本調査」の分析によれば高校教育において基盤は喪失していることが指摘されたりしている。

 私たちが教育を論ずると義務教育を主要な関心対象にしがちで,そこから上位学校段階への接続の在り方などに関して十分な関心を向けられていたとはいえない。一般の人々の関心が受験をゴールとする教育それ以上の関心を中等教育に対して向けていたかどうかは怪しいだろう。そんな状態が基盤喪失を許してしまったのかも知れない。

 コストを度外視せずに、手厚い教育をすることは可能なのか。

 何をもって手厚いとするかにも拠るだろうけれども、私自身はいろんな意味での規制や呪縛を緩めることで可能になることも多いと思う。

 また、コストをかけるべき箇所を見直して変えることが大事だとも思う。優先順位が正しく精査されていないこともたくさんあるからだ。

 場合によっては他から教育へリソースを奪ってくる必要もあるだろう。それは逆にコストをかけろという話になるが,本来的にはそのような方向でコンセンサスを得る努力をするのが私たち関係者の仕事なのかも知れない。

 私が「敵の正体」を自分で確かめようと決意して上京したのが6年前。

 何かそこにやっつけるべき主体が存在していると、ナイーブに考えていたところがあったのかも知れない。

 けれども、実際に目の当たりにしたのは、生真面目な人々の集合で成り立つ空気だった。

 ミイラ取りはミイラになったのか?

 取るべきミイラがなかったときに、ミイラ取りには何が残るのか?

 空気に巻かれていた包帯だけを手にして、私は痕跡から輪郭を描くことから始めなければならないことに気がついた。

 私が過去を追いかける立場をとり始めた理由は、そんなところにある。
 

何のためのデジタル教科書

 「デジタル教科書」が話題に上ることがある。教育の情報化に関係するトピックスとしてはホットな話題だとも言える。電子書籍へ注目が集まったことも相乗効果となった。

 デジタル教科書とは何か。

 電子書籍のように、教科書や教材が電子化されたものと想像できる。電子化されると、それはデジタルデータだから、昨今のWebページと同様にマルチメディアで表現され、インタラクティブな構成も可能だ。ネット接続されていれば既存のWebサイトともリンクするからオープンだとも言える。

 要するに、電子書籍やらWebやら動画やらのデジタルな情報資源を、教科書的に利用すればそれはデジタル教科書になるし、教材として使えばデジタル教材とも呼べるだろう。もしもデジタルな情報を記録する側に回って、その時に使ったソフトウェアの道具(ツール)があるなら、それをデジタルノートとか呼ぶことになるかも知れない。

 デジタル教科書とは、その程度のものである。

 他の方々は同意しないかも知れないが、私の考えでは、使い方が呼び方を規定している関係にあるように思う。

 だから、デジタル教科書を解説するときに登場する「指導者用デジタル教科書」と「学習者用デジタル教科書」という分類は、使い方の異なる主体で区別した結果できあがったものである。

 このうち、指導者用デジタル教科書に関しては、指導者の使い方が想定しやすく、実際の商品がすでに存在していたこともあって、カテゴリとしての共通理解は形成されているといってよい。端的には電子黒板(IWB)に映すためのもの、それである。

 ところが、学習者用デジタル教科書に関しては、学習者が教科書をどのように利用するのかハッキリと共有されていたわけでもなく、それをデジタル化して何が起こるのかについても、ほとんど想定がなされていない中で、名前だけが先行して付けられてしまった。

 率直に書けば、学習者用デジタル教科書とは「指導者用デジタル教科書以外」を指し示すために存在するようなものである。

 ところで、学習者用デジタル教科書なるものが成立するためには、その手前に踏まなければならないステップがある。

 学習者用デジタル教科書を動作させる機器(デバイス)が準備されることである。

 もし、使い方が名前を規定している説が正しいのであれば、件のデジタル教科書が動作するデバイスは、学習者の手の届く範囲に存在しなければ学習者用デジタル教科書にはならない。

 現状、デバイスはどの程度学習者の手の届く範囲にあるだろう。

 千差万別といったところである。

 研究事業に関わる学校などには試行的に学習者一人一台のデバイスが用意されているところも出てきてはいるが、ほとんどの学校で学習者が自由に使える状況にないだろう。家庭でのデバイス所有程度も一様ではない。

 このことから現状では、学習者デジタル教科書なるものが全員にまんべんなく使われるのは難しいことがわかる。

 また、学習者用デジタル教科書は動作するデバイスの性能や機能に規定される性質を持つこともわかる。

 こうした様々な制約や要因に強く影響を受け、そのうえ学習者の使い方によって求められる形が異なるであろう学習者デジタル教科書とは、本当に一体何なのか。

 皆さんはすでに、学習者用デジタル教科書と言えそうなものの実例をいくつか目にしている。

 たとえば大学の授業テキスト(教科書)として、電子書籍を使う試みがある。大学生という学習者が講読するために使うのだから、一般的な電子書籍ではあるが学習者用デジタル教科書と呼んでも間違いではない。

 iPhoenやiPad用の学習・教育アプリなどがある。これも教科書かどうかの見解は分かれると思うが、読みもの、ドリルもの、動画観賞ものなど、学習者が使えるものが多数ある。

 一方、国の事業として、児童生徒一人一台のデバイス環境を前提とした学習者用デジタル教科書の開発もなされている。各人にデバイスが確保されていることを前提とできるので、授業における学習者デジタル教科書の活用に期待がかけられている。

 いまのところ、これは実証校の公開授業を参観しない限り、一般の目に触れる機会がほとんどないため、どのようなものであるのかはあまり知られていない。「教育の情報化ビジョン」という文書に学習者用デジタル教科書に関する解説があるが、それを参照しながら開発されているとイメージしてもらう他ない。

 いずれにしても開発中のため、模索は続いている。

 学習者用デジタル教科書は興味深いテーマではあるかも知れないが、個人的には、そこが本丸ではないように思っている。

 どちらかといえば情報活用ツールとしての学習者用デバイスをどうするのかが問題だと思っているのだが、それもどんな機種や機能・性能を持つのかということではなくて、学習に必要ならば(学習者用デバイスやデジタル教科書に限らず)どのようなツールであれ自在に取り入れられるような条件整備こそが大事だと思っている。

 しかし、そうなれば、必然的に「何のためのデジタル教科書か」という問いが浮上する。到達しようとする学習の目標次第では、デジタル教科書なるものである必然性をなんら説明できない場合もある。

 たぶん、21世紀型スキルとかDeSeCoなどの話題と無関係ではないのだろうが、残念ながら、そのような論点を踏まえたデジタル教科書の議論は十分なされていない。
 

高速バスな旅

 自腹出張が続いているので、交通費は節約しなければならない。日程がかなり前からわかっていれば早割りで飛行機のチケットを購入したりもするが、だいたい近くになって予定が確定するので、そういう場合は高速バスを使うことになる。

 徳島−東京間は片道6,000円が最安。でも、4列シートのバスなので、これで隣りに人が座って一夜を過ごすのはきつかった。だから最近は、3列シートのバスに甘えている。これだと8,000円也。2,000円の差額は安くはないが、それくらい贅沢させていただくくらいは働いていると信じよう。

 0泊3日の出張にすれば、宿泊代が浮く。その分を次回の交通費に回せる。どうしても宿泊しなければならない場合は安宿を探すのだが、最近安宿よりもスーバーホテルにはまり、もっぱらスーパーホテルに宿泊している。ポイントカードが貯まるとキャッシュバックもあるし、値段の割りにとても快適に過ごせる部屋なので、これも贅沢承知で続けちゃっている。

 来月も毎週のごとく東京へ出かける。

 徳島に引っ込んで、のんびり地方暮らしをしてフェードアウトするのかなと思ったら、そうは問屋が卸さなかった。確かに税金で勉強させてもらった分だけ恩返ししないと…。

 給料日がきて、一服。自転車操業な日々がまだまだ続く。
 

シンキングツールとの再会

 2012年2月4日に行なわれた関西大学初等部の研究発表会に参加する機会を得た。前日の予定が出張の主目的であり、大阪入りして初めて発表会の開催を知ったので、参加することになったのは偶然だった。

 関西大学初等部は2010年に開校した新しい私立小学校である。この学校では、思考スキルの習得による思考力育成の取り組みを行なっており、そこにシンキングツールとルーブリックと呼ばれるものが導入されている。この実践が注目を集めている。

 この学校と私には直接の縁があるわけではないが、大変お世話になっている関西大学の黒上先生が立ち上げに尽力されていることから、興味を持っていたというわけである。


 
とはいえ、実のところ全く無縁というわけではない。

 米国のシンキングツール実践事例を視察するよう、黒上先生からお使いに出された経験があるからである。米国フロリダ州オーランドにあるShenandoah Elementary Schoolに訪問したのは2005年10月のことだった。

 ところが当時の私は、職場でくるくる空回り。その年のクリスマスイブに辞表を提出して、翌年には東京に引っ越すという人生の転換点を迎えていた。

 せっかくお使いに出かけてお役に立つべきときにお仕事を放棄すことになってしまったというわけである。そんなわけで、シンキングツールは私にとって始まったまま終われなかったテーマとして、なんとなく頭の片隅に残り続けてきた。

 関西大学初等部ができるというニュースとその実践の方向性を聞いて以来、いつかは初等部に訪れたいと思っていたのである。
 (それに東京時代に修士論文でお世話になった先生もその学校でご活躍だと聞いていたので、久し振りにお会いできればとも思っていた。)

 これが神様のいたずらか、ひょっこりそのチャンスが訪れた。

 予定外だったとはいえ、前日の用事が公開授業の参観であったから、そのための準備は万端である。JRで高槻駅へと向かい、とことこと関西大学・高槻ミューズキャンパスへ。

 いやはや、ため息出ちゃうほど立派な建物である。

 しかし、建物以上に先生方の意気込みと実践に目を見張った。まだ4年生までしかおらず、6年制の小学校としては未完成状態、その中で、一つの大きな場所を生み出そうとして必死に頑張られている先生方の姿は迫力があった。

 思考スキル習得と思考力の育成を担う「ミューズ学習」の授業も低学年中学年にも関わらず大変高度な展開を見せていることに素直に驚いた。最初からこうではなかったらしいが、2年程度でここまでくるとは、ミューズ学習の取り組みの可能性を感じた。

 シンキングツールも米国で視察したものを流用するわけではなく、むしろ様々な思考技法の知見を踏まえた上で小学生の学びにあうものを選択して独自に作り上げて活用していた。ポケモンのように、新しい技法を一個一個ゲットしていく形で習得させようというわけである。

 もちろん現在もこの取り組みは試行錯誤を重ねながら作り出している最中。

 だからこそ、今回の公開授業でも「事実」から「まとめ」を起こしたあと「主張」に結びつけていく場面が発生したときに、子ども達が「まとめ」と「主張」をうまく区別できないという問題に直面していた。

 その後、これを分科会の議論のテーマとして掲げ、いろいろな意見が飛び交うことになるのだが、どうも私にはピンと来ない意見も多かった。

 発言しようかどうしようか迷ったが、頭の片隅に残っていた「宿題感」が提出を促していたので、遠慮がちに「アメリカでは、シンキングツールをもっとあっさり使っていた。まとめと主張を迷ったところも、スパッとシンキングツールを使って解決してもいいのではないか」と発言をした。

 ところが、この発言内容が、どうも現場の先生には違和感があったらしい。

 記録をとっていないので正確な受け止めではないかも知れないが、とある女性の先生がこんな感じの発言をした。

 「どなたかアメリカではもっとあっさり…と言われましたが、子ども達が困難に直面して考えようとしている場面で先生が寄り添って一緒に考えてあげていたことがとても良かったと思います。あくまでも子どもが主体的に考えることを大切にしたい…云々」

 当日の発言となんかちょっと違う気もするが、とにかく「あっさり」に対して違和感を感じていたことは明確に表明していたように思う。

 その後も現場の先生方の感想や意見が続くのであるが、私の中ではむくむくと補足をしたい気持ちが大きくなっていた。もはや、いつもの暴走モードである。

 先ほどの先生の発言や思いを否定するつもりはなかった。

 だから、子どもが主体的に考える場面を一緒になって大事にする、それも重要であることを確認した上で、なぜシンキングツールをもっとあっさり使うべきかを、関西大学初等部の関係者でも何でもないのに、かつてのお使い経験だけでとうとうと語り始めた。

 何をしゃべったのか、正直なところあんまり覚えていないが、時間を浪費したために最後に講評をいただく来賓の先生方の発言時間がわずかしか無くなってしまったのは申し訳ないことをしてしまった。


 
 全体シンポジウムは、このミューズ学習を教科の学習へと応用することに関する様々な意見が出されていた。もちろん、思考スキルの習得にフォーカスするという方法自体も議論の対象となった。思考スキルを学んだ成果が教科の学習にも転移するのかどうか。

 たぶん、実践をもっと見たり体験してみないと、シンキングツールをゲットして思考スキルを習得していくことの意味や効果を理解しづらいのかも知れない。

 「あっさり使えば」という私の意見は、もちろん何も考えないで淡々とツールを使えばいいということを言いたかったわけではない。子ども達にだってツールを使うことが腑に落ちなければならないだろうし、それを成立させるためのプロセスは思いの外手間がかかるはずである。日本的な教育との融合にもかなり悩みが多いはずだ。

 だから、正直なところ「あっさり」という言葉に違和感を感じた先生の反応は正しいと思う。きっと、背後に隠れた様々な苦労を直感的に感じたからこそ、先生がもっと子ども達によりそう重要性を指摘したのだろう。そして実際、関大初等部の先生方はその苦労をされていると思う。

 だから、私はもう少ししっくりくる表現を見つけて発言すべきだったのだろう。

 なんとなく、頭の片隅の宿題が大きくなった、そんな関大初等部での参観だった。

この頃の書店巡り

 最近は出張が続いている。出かけるのは大好きだが,移動中や宿泊先で仕事をするという芸当はできないので,出張が続くと宿題がストップするのが悩みのタネである。

 それでも旅路でボーッと考え事するので,頭の中は動いているともいえる。

 出張先や帰り道で時間の余裕があれば,ご当地の書店による。いまどき日本全国,似たような本しか置いていないのだろうけど,それでも書店で時間を過ごせばいろんな情報に触れられる。

 最近は書店内でめぐる書棚の比重が変わってきている。教育やコンピュータ関係はもちろん見るが,地方自治や行財政に関する書棚を眺めることが多くなった。

 というのも,昨今の教育や教育情報化などに関する主張や言説は,どの論者も大した違いがなくなってきており,勉強不足の人々を除けば,だいぶコンセンサスは出来上がっているように思え,むしろ注目すべきは具体的なアクションへと繋がる回路の方ではないのかと考えるようになっているからだ。

 いったい誰が事態の鍵を握っているのか。

 何をどうすれば知見を政策に反映できるのか。

 そんな素朴な疑問を見極めたくて,行政や財政の文献資料を手に取るようになっている。

 教育の情報化の歴史をさかのぼっていると,予算の話や事業の記録を見ることになる。けれども,何年に何とかいう予算が幾ら付いたとかいう話は残りやすいのか目に付くが,その背景の成立過程を掘り起こすのは簡単ではない。

 いったい何がどうなって教育情報化政策が動いているのか,教育のICT活用を専門にしている関係者でさえ完全に理解しているとはいえない。理解していたとしても,政策の形成過程に適切に関われている人間は本当に少ない。

 私自身,勉強をしていく中でやっと輪郭が見えてきたところ。事が単純でないことを知れば知るほど,短絡的な批判の言葉を飲み込むようになってきている自分を物足りなくも思うが,もっと効果的な主張の出し方はないものか,いろいろ模索しているところである。

 いまのところ思うのは,関連学会による政策提言の影響力が弱いこと。

 あるいは政策提案するための団体や活動が少ないこと。

 だからメーカーや企業系の情報ばかりで物事が動きやすくなっていたのだと思う。

 歴史を振り返る作業は,まだまだ資料の掘り起こしに手間取っている。

出張月間

 今週後半から出張が続く。主にフューチャースクール関係の参観のためである。まずは長野県、それから佐賀県、続いて広島県。このあと場合によっては大阪府。そして来月は東京都。

 旅は好きだが過密な旅程を組み立てて乗り物や宿の手配をするのは得意ではないので、結構大変である。それでもネットを活用してあちらこちらに予約をする。

 徳島県から他県に出たり入ったりするのも大変で、長野や佐賀は一泊またぎながら移動する。授業もあるから帰ってきて授業してまた出かけるという慌ただしさ。頼まれもしてないのによくやるよと我ながら思う。

 学者が現場を知ってるとか知らないとかがテレビやネットで話題になったりしているが、物事を探究しようという姿勢は少なくとも持ち合わせているはずである。私の場合は、なるべく現場に近づいてこの目で確かめようとする形で表れる。

 私自身の無力もあって、近づける程度もしれているが、チャンスがあるなら現地へ出かけたり、一次資料を掘り起こしたり、原因にさかのぼったりする努力を惜しまないようにしたいと考えている。

 フューチャースクール推進事業もあと一年強。私のお役目もぼちぼち終わる。学びのイノベーション事業はさらに一年ずれて続くが、どんな風に関わるのかは見えていない。個人的には実証校のお手伝いを続けられればと思うけれど、それは事業とは関係ないところでという形になるだろう。

 形や立場にあまりこだわりはない。そのときできることをするだけなので、今は関わっている立場で飛び回り、あとは適当に動き回ろうと思っている。