何のためのデジタル教科書

 「デジタル教科書」が話題に上ることがある。教育の情報化に関係するトピックスとしてはホットな話題だとも言える。電子書籍へ注目が集まったことも相乗効果となった。

 デジタル教科書とは何か。

 電子書籍のように、教科書や教材が電子化されたものと想像できる。電子化されると、それはデジタルデータだから、昨今のWebページと同様にマルチメディアで表現され、インタラクティブな構成も可能だ。ネット接続されていれば既存のWebサイトともリンクするからオープンだとも言える。

 要するに、電子書籍やらWebやら動画やらのデジタルな情報資源を、教科書的に利用すればそれはデジタル教科書になるし、教材として使えばデジタル教材とも呼べるだろう。もしもデジタルな情報を記録する側に回って、その時に使ったソフトウェアの道具(ツール)があるなら、それをデジタルノートとか呼ぶことになるかも知れない。

 デジタル教科書とは、その程度のものである。

 他の方々は同意しないかも知れないが、私の考えでは、使い方が呼び方を規定している関係にあるように思う。

 だから、デジタル教科書を解説するときに登場する「指導者用デジタル教科書」と「学習者用デジタル教科書」という分類は、使い方の異なる主体で区別した結果できあがったものである。

 このうち、指導者用デジタル教科書に関しては、指導者の使い方が想定しやすく、実際の商品がすでに存在していたこともあって、カテゴリとしての共通理解は形成されているといってよい。端的には電子黒板(IWB)に映すためのもの、それである。

 ところが、学習者用デジタル教科書に関しては、学習者が教科書をどのように利用するのかハッキリと共有されていたわけでもなく、それをデジタル化して何が起こるのかについても、ほとんど想定がなされていない中で、名前だけが先行して付けられてしまった。

 率直に書けば、学習者用デジタル教科書とは「指導者用デジタル教科書以外」を指し示すために存在するようなものである。

 ところで、学習者用デジタル教科書なるものが成立するためには、その手前に踏まなければならないステップがある。

 学習者用デジタル教科書を動作させる機器(デバイス)が準備されることである。

 もし、使い方が名前を規定している説が正しいのであれば、件のデジタル教科書が動作するデバイスは、学習者の手の届く範囲に存在しなければ学習者用デジタル教科書にはならない。

 現状、デバイスはどの程度学習者の手の届く範囲にあるだろう。

 千差万別といったところである。

 研究事業に関わる学校などには試行的に学習者一人一台のデバイスが用意されているところも出てきてはいるが、ほとんどの学校で学習者が自由に使える状況にないだろう。家庭でのデバイス所有程度も一様ではない。

 このことから現状では、学習者デジタル教科書なるものが全員にまんべんなく使われるのは難しいことがわかる。

 また、学習者用デジタル教科書は動作するデバイスの性能や機能に規定される性質を持つこともわかる。

 こうした様々な制約や要因に強く影響を受け、そのうえ学習者の使い方によって求められる形が異なるであろう学習者デジタル教科書とは、本当に一体何なのか。

 皆さんはすでに、学習者用デジタル教科書と言えそうなものの実例をいくつか目にしている。

 たとえば大学の授業テキスト(教科書)として、電子書籍を使う試みがある。大学生という学習者が講読するために使うのだから、一般的な電子書籍ではあるが学習者用デジタル教科書と呼んでも間違いではない。

 iPhoenやiPad用の学習・教育アプリなどがある。これも教科書かどうかの見解は分かれると思うが、読みもの、ドリルもの、動画観賞ものなど、学習者が使えるものが多数ある。

 一方、国の事業として、児童生徒一人一台のデバイス環境を前提とした学習者用デジタル教科書の開発もなされている。各人にデバイスが確保されていることを前提とできるので、授業における学習者デジタル教科書の活用に期待がかけられている。

 いまのところ、これは実証校の公開授業を参観しない限り、一般の目に触れる機会がほとんどないため、どのようなものであるのかはあまり知られていない。「教育の情報化ビジョン」という文書に学習者用デジタル教科書に関する解説があるが、それを参照しながら開発されているとイメージしてもらう他ない。

 いずれにしても開発中のため、模索は続いている。

 学習者用デジタル教科書は興味深いテーマではあるかも知れないが、個人的には、そこが本丸ではないように思っている。

 どちらかといえば情報活用ツールとしての学習者用デバイスをどうするのかが問題だと思っているのだが、それもどんな機種や機能・性能を持つのかということではなくて、学習に必要ならば(学習者用デバイスやデジタル教科書に限らず)どのようなツールであれ自在に取り入れられるような条件整備こそが大事だと思っている。

 しかし、そうなれば、必然的に「何のためのデジタル教科書か」という問いが浮上する。到達しようとする学習の目標次第では、デジタル教科書なるものである必然性をなんら説明できない場合もある。

 たぶん、21世紀型スキルとかDeSeCoなどの話題と無関係ではないのだろうが、残念ながら、そのような論点を踏まえたデジタル教科書の議論は十分なされていない。