アップルが,「第1回デジタル教材コンテスト」開催し,作品募集をしている。QuickTimeを使ったムービー教材か,Podcastingを利用した授業企画を考えるという2つの部がある。小中高校の教職員の方を対象としているので,普段の経験を活かした作品や企画を応募してみてはいかがだろうか。グランプリ賞品はMacBook Proである。
それにしても,審査員の顔ぶれを見たら,知っている人ばかり…。皆さん,ちゃんとマックユーザーである。
投稿者「rin」のアーカイブ
大学院再開とポッドキャスト
秋がやってきて,大学院も後期(ここは冬学期と呼んでいる)が始まった。何かと慌ただしかった夏季休業が終わって,ある意味では平穏な日常が帰ってくるともいえるし,それなりに賑やかな日々が始まろうともしている。
とあるバイトで過去の教育番組ビデオを通して視聴する作業を続けており,他の事柄に時間を振り向けることが難しかったりした(とはいえ現実逃避はいっぱいした)が,それも一段落したので,ようやく文献読みとか思索とかに時間を使えそうである。なんだかんだと前期以上に落ち着かないかも知れないなぁ〜。ははは。
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ポッドキャストのリスナー数が増えているが,新しい録音をしていない。先日,渋谷方面の放送局の人とご一緒したら,「2人以上でやったほうがいい」とアドバイスされた。そろそろ出演者を本格的に募集したほうがよろしいかもしれない。
そもそも「教育らくがきPodcast」は,ボッドキャスティングなるものが登場するよりも,はるか以前から企画され,実際に制作されていた。新し物好きだから,そういう実験的試みは結構早かったのである。前身の「教育フォルダラジオ」はいろんなコーナーが数回録音され,パロディやコントみたいなものもあったが,いまやファイルを見つけ出せない。ひとりしゃべりはこのときからスタイルが固まっていたようである。(いきなり佐伯ゆたか先生の話題に触れているあたり,まあ…,縁というものは変な風に絡むものだなぁ。)
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まあ,結局挫折企画として葬られたあと,再度ポッドキャストとして蘇ったりしているのは,質は低くとも「俺にだってオープンエデュケーションできるんだ!」という高らかな志があるから…,と書ければいいんだけど,実は,ちょっと面白い事してみたいという安易な発想なのである。
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というわけで,リスナー数の増加は,新しいのが聞きたいという要望の一つの表れとは思うので,ぼちぼちポッドキャストも新展開を考えよう。
これだ!このソフトを探してたんだ!
「インスピレーション」というソフトがある。アイデア表象ツールであり,アイデアプロセッサと呼ばれる類いのソフトである。最近で言えば,アイデアマッピングツールといえば通りがいいかもしれない。
インスピレーションはその手のソフトとしては有名で,そしてなかなか使いやすいソフトであった。現在でもアメリカの開発元でVer8が発売されているが,日本語版はない。
とても歴史が有るソフトなので,OSの移り変わりとともにバージョンが上がったわけだが,日本語版はVer6でストップしている。そのためMac版はOSXには対応していないし,Win版もXPで動作確認できてるだけ。今後は白紙なのである。
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そんな過去のソフトウェアとなったインスピレーションなきあと,あの「マインドマップ」旋風も手伝って,今度はマインドマップ・ソフトがあれこれ登場する。これもアイデアを視覚化する点では似ているが,トニー・ブザンという人が提案した方法論みたいなものが注目されたため,どれも何かしら似たような空気が漂っている。
問題はトニー・ブザンが箇条書き風のノートテイクを「つまらないノート」と言って切って捨てるところにある。つまらないことには同意するが,そのおかげで世のマインドマップは「中心イメージからの枝分かれ」という原理が教条的に受け入れられてしまって,その手のソフトも「中心トピックス」が必ず必要になってしまっている。
ものによっては中心トピックスが,必ずソフトの作業領域の中央に位置づく必要があって,スペースを自由自在に使いたい場合,たとえばKJ法(カードやポストイット)的な使い方は,許容してくれないものも多い。
特に,それは操作性において色濃く,表面的にはKJ法的にアイデアをちりばめられるとしても,その状態を生成するのにマウスドラッグが必要だったりと,手順が多くなって結構煩わしさが伴うのだ。
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私個人としてはあくまでも,アイデア入力をキーボード中心で連続して行なえ,その後,それをマウスで関係づけながらマッピングしていくことをしたい。
入力時に,階層構造も簡単にキーボード操作で制御できれば嬉しいし,次々とアイデア・トピックスを増やす操作も,単にリターンキーやエンターキーなどで自然できるものが良い。
だから最初見た目はKJ法的にアイデアが羅列し,あとでじっくりマップを練り上げるものが欲しい。それをうまい具合のバランスで実現しているものは,ほとんどなかったのである。
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その中で,一番希望イメージに近かったのは,その操作性もデザイン性においても,Mindjet社のMindManegerというソフトで,こちらは企業にも導入されている立派なソフト。
ただし,中心ピックスの位置固定問題があった。これは我慢するしかなかった。けれども,それ以上に,私が構築する環境だと,日本語のトピックスを連続入力する際に入力文字取得の問題が発生し,パッパッパッとアイデアを入力していく肝心な作業で使い物にならなかった。
新バージョンになって改善されているかと思いきや,残念ながら問題はそのままだった…。
こうして,なかなか気に入ったアイデア表象ソフトに出会えぬまま,長らく漂っていた。
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アイデアマッピングツールのネタがあれば,すぐにも探しに行き,マック版があれば試してみたが,どれも操作性や動作の軽快さやデザイン性などのバランスに難があり,いまひとつだった。
「こりゃ,もうオムニ・アウトライナーとオムニ・グラフで我慢するしかないかぁ」と思っていた。ちなみに,この2つはデザイン性と柔軟性はよろしいが,キーボード操作を重視してない点が残念。そもそも2つ組み合わせて使うのは煩わしいし…。
そこへ,また新しいアイデアマッピングツールの情報が舞い込んだ。
「マインドピース?どんな感じだろう…」
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「マインドピース」はアイデア粘土細工ソフトウェアであると紹介されている。京都の小さなソフトウェア会社のソフトで,いまにところオンライン上でのみ販売。しかし,これを開発したプログラマー氏は,あのデジタルステージ社がリリースした数々のソフトの開発にかかわっていた人物。これはもう期待度大である。
そして,マインドピースは小粒ながら,まさに理想に近いアイデア表象ソフトだった。
マインドマップ的な使い方はもちろんできるし,中心トピックス的なものも生成されるが,2つ目のトピックスを入れたら,それはもう中心でも何でもなくなる。KJ法的な使い方にもフィットしている。
なによりデザインセンスがよい。まだ小さなソフトウェアだけれども,ゆえにシンプルで軽快で,柔軟性もありそうだ。まだまだ改善・拡張の余地もあるし,欲しい機能がたくさんあるが,それは今後の楽しみでもいいくらいである。
まさに「これこれ,これを探してたんです!」というソフト。マック版のみならず,Win版もあるので,ぜひ試していただきたい。
こういう小さなソフトウェアを育てて末長く使いたいものである。
バナーつくってもらっちゃった…。→
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ちなみに同じ京都にあるこちらは大学の京都大学から「アイデア革命」というソフトも登場している。こちらはWin版しかないが,発想支援という,また違ったコンセプトでプロデュースしている興味深いソフトだ。
嬉しいのは学校機関へのプレゼント企画をしていること。条件が合うようならぜひ応募してみてはいかがだろうか。締め切りは12月末。
日本教育工学会大会・最終日
2007年9月22日〜24日の三連休,早稲田大学・所沢キャンパスにて日本教育工学会第23回全国大会が開催され,大会自体は無事終了した。早稲田大学の大会スタッフの皆さんの大会運営スキルの高さと,爽やかさが印象的だった。
わたくしはと言えば,3日間連続して参加し,初日・2日目と(懲りずに3日目も)あちこちで質疑応答に手を挙げた。日本教育工学会の流儀ではないのかも知れないが,「質問は発表者へのお礼,もしくは礼儀」といったような教えを受けてきたため,今回自分が発表しない分,できるだけそれに従った。基本的には何も質問が出なさそうなときに手を挙げたり,なるべく発表内容から離れないけど話題が膨らむような質問をしようと心掛けてみた。
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とはいえ,質問スキルが高いともいえないし,場の空気に煽られすぎて大言を口にしたりと,あまり良い印象を周囲には与えなかった部分もあったかも知れない。だとしたら,申し訳ないと思う。来年の大会では,発表する立場になることは確定的なので,役割交代ということで,質問攻め役は他の誰かに譲ることになるだろう。役者はフローティングしてこそ新鮮なのだから。
自分の発言の妥当性について,ぼんやりあれこれ考えた。発言内容というよりは,発言場所や自身の立場というもの,周りの人たちへの配慮,そういうものが大事なのだという指摘は,もっともなことだと思った。たまたま紹介された春木良且『人を動かす情報術』(ちくま新書)には「情報ステージ」という時間的空間的な範囲のことが書かれているらしいが,まさに私はそうした情報ステージについて認識が甘かったのだと思う。
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一つ一つの研究発表はそれぞれ興味深くて,めぐらす思考によい刺激を与えてくれるものばかり。また,今回は私自身,教育工学の積み重ねという観点から様々な発表題目を眺めてみることができたので,ようやく入口が分かったという感覚である。
長らく研究世界に身を置いていて,ようやく入口かいっ!と先達の皆さんには呆れられるのかも知れないが,残念ながらそれが私の勉強速度である。後方から皆さんを追いかけるばかりである。(と書いて,やる気無いように誤解されるのも困るので,野暮は承知で書くけれど,どんなに後方にいようが「諦める」つもりはいまのところこれっぽっちもない。)
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どんなに誠実でも,どんなに物事を真摯に問うても,その世界のルールに基づいて成果を積み重ねない限り,ゼロに等しい。ゼロに何を掛けてもゼロ。そんなシビアな世界。勝手口から出入りしてた分は,まあ置いといて,あらためて入口から入り直しである。
3日間の学会大会を終えて,あらためてそう思った。来年は上越教育大学での開催。頑張ろう。
日本教育工学会・初日
9月22日〜24日まで,早稲田大学・所沢キャンパスで,日本教育工学会大会が行なわれている。所属研究室にとってはメインの学会ともいえるので,初日から最後まで参加することになっている。
大学院生になって日々追い立てられていたので,今回,発表というわけにはいかなかった。来年以降は是非頑張りたいと思うが,その前哨戦として,質疑応答で間が空きそうなら可能な限り質問しようと思って臨んだ。
ちょっとハリキリすぎて,物議を醸した場面もあったようなのだが,まあ,その弁明は後日落ち着いて書くとして,とにかく明日以降もなるべく頑張ろうと思う。でも,ちょっと大人しくしようか…^_^;
memo20070919
・大学9月入学の学長裁量
・道徳の教科化見送り
・台形の面積復活
・OECD教育調査結果公表
アイドル×テクノ×80年代×…
ACと聞いて思い浮かぶものは何だろう。電源アダプタか,学術ドメインか,アダルト・チルドレン?もう一つよく知られているのは,公共広告機構だろう。たまに集中してACの広告を見る機会がある。
ACの広告は毎年テーマが決まっていて,いろんなクリエータが作品を応募してつくっているわけだけども,今年のテレビCMがどんなものかご存知だろうか。テレビを見ている方は見たことがあるかも知れない。あの,印象的な曲と女性グループ,異様な着ぐるみが登場する,環境問題の広告である。なんと「NHK共同キャンペーン」なのである。ある意味ビックリだが,ある意味納得である。
そして,非常に印象的な曲なので,ずっと歌い手を気にしていた。ようやくこの頃,「Perfume」という女の子3人組であることがわかってきた。そしていよいよCDが発売されたので,どうやらそのプロモーションでマスコミ露出が多くなってきたようなのである。曲名は「ポリリズム」。
Yahoo!動画で「Perfumeスペシャル」というのをやっていて,彼女たちの過去の曲などを無料で鑑賞することができる。いやはやガールズ・テクノ?いくつかの曲は80年代的懐かしさもあって頭にこびりついてしまった。
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古くはキャンディーズやピンク・レディーに始まり,おニャン子クラブやCoCoとか,ribbonとかなどを経て,女性アイドルも時代と共に入れ替わり立ち替わり。一方で,フォークがニューミュージックになり,グループサウンズとか,テクノとか,ポップミュージックなんかも流行り,いまじゃヒップホップとかハウスとかラップとか…,まあ時代を象徴する曲調も様変わりし続けてきた。
見るもの聞くもの,何かしら過去の何かと重ね合わせちゃえるところまでくると,とにかく眩暈できる何かがありゃいいのかなと思えてきたりもする。そういう意味で,ちょっとPerfumeというグループが唄っている曲は,現実逃避にはもってこいだなと思えたりした。
というか,ただいま現実逃避中。仕事,一向に減らない…。
平成の…
いろんな行事や学習課題があって,なかなか更新まで手が回っていなかったら,いきなり安倍首相が辞任表明。そしたら,方々から「無責任野郎」とか「空気読めない奴」との声が上がり,ご本人はいよいよ体調不良で入院してしまった。
健康状態がよくないことには同情するが,それも含めて管理できてこそ政治家,そして一国の首相でしょ,という真っ当な意見を否定できるわけもなく,その辞退には美しさの欠片もない。
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そもそも教育再生会議は,『官邸崩壊』というルポ本の中で10頁に及んで描かれているように,ひどい迷走を繰り広げていたわけだが,今回の首相辞任で継続の後ろ盾がほとんどなくなった。すでに教育基本法も教育関連3法案も可決されたのであるし,そもそも教育再生会議の設置意義さえ疑わしかった。残り火を焚くには風が強い。
その事を察知して政治家になった某室長もいたが,彼もまた傘を失って強い風に晒されるだろう。もっとも彼の流儀によれば,目立たぬように大勢に従い,任期を全うしたら,その経歴で再び教育タレントとして活躍できればよいことになる。忘れられない程度にマスコミ(特に目立たないラジオ)で露出しながら,細々と過ごすのだろう。
もしも彼が本当にそんな風に過ごしたなら,いつの日か必ず,タックス・ペイヤーとして,彼を糾弾してやりたい。講演や著作で稼ぐのは勝手だが,税金から給与もらう公人になった以上,それを覚悟すべきである。
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合宿で京都へ行き,名古屋の実家を経由して,東京に戻る。「この頃,どうして自己否定的な駄文を書くのか?」という家族の問いに,いやあれは家族が読むことを想定した文章じゃないと解説。メタ的なずらしや煙に巻くための自演など,あれこれ混ぜ合わせて成り立っているというこのブログの性質は,身近な人ほど眉をひそめるようだ。ごめんなさい。
しばらく実時間がとられてしまう仕事や課題が続く。がんばろっと。
iPodはVideo時代へ
皆さんもニュースでお聞きになることと思うが,アップル社の音楽プレーヤー「iPod」が新しいラインナップと新しいサービスをひっさげて私たちの前にやってきた。
これまでも大きなiPodはビデオ再生が可能であったが,今度のラインナップは,そもそも画面のないの最下位機種を除けば,Video再生が標準機能であるというコンセプトを打ち出している。これは教育分野,特に映像コンテンツを扱う高等教育や教材ビジネスの分野にとって,大きなインパクトもたらす。
もちろん新しい「iPod nano」のデザインには賛否両論あり(ほっそりした従来デザインに比べて,新デザインは薄くはなったが太ってしまった),売れ行きがどうなるか予断は許さない。けれども上位クラスとして登場した「iPod classic」と待望の「iPod touch」と合わせて考えれば,今回のiPodが示した(Videoという)方向性が避けられないものであることは明らかである。
高等教育レベルだけでなく,小中高校段階に向けた教育コンテンツにおいても,そろそろVideo教材の波に対する準備を整えておかなくてはならないだろう。供給者側においては,当然ながらすでに開発に取りかかっていることだろうが,むしろ利用者である学校や保護者側の準備を考えなければならない。教材コンテンツばかりあって,上手な使い方のサジェスチョンが行なわれなければ,せっかくの宝の山も無意味である。
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私個人は「iPod touch」こそ待ちこがれた新iPodである。携帯電話機能が付けば「iPhone」というわけで,たしかに無線LANのない場所でも通信できる点で魅力的だが,日本での販売がどうなるか分かったもんじゃない。しばらくは「iPod touch」が日本で大ヒットするだろう。う〜んすると,なかなか手に入らないというわけか…。
ちなみにiTunes Music Storeからダイレクトに購入できるサービスも発表された。いちいちパソコンから曲などを購入して転送する手間が省けるようになる。つまり聞きたいと思ったときに,iTunes Music StoreにWiFi接続(無線LAN接続)して,購入できるわけである。
iTunes Uも同様に利用できるとなれば,「iPod touch」や「iPhone」単体で,大学の講義を自由に選んで受講できる時代がやってきたことになる。日本の放送大学も,ぼちぼち本気で対応を検討した方がよいと思うんだけど,どうなのよ?
自分の子どもの教育問題
教育学や教育研究の分野が,世間に正当に評価されたり,活かされていないのが本当だとすれば,本来それが埋めるはずのスペースには何かあてがわれているのだろう。そんなスペースはそもそもこの国にないのか,それとも無視できるくらいに小さいのか,あるいは学問よりも有用な何かが活躍しているのだろうか。
そんなことを改めて思いながら,書店に立ち寄った。インターネットは,情報の欠片を見つけるには無限定な空間で都合がいいときもあるが,社会の姿を捉えるには外枠が曖昧すぎて役立たない。こんなときには昔も今も書店が一番である。
あらためて,学参(学習参考書など)や児童書の集まるコーナーをじっくりと探検してみた。いやはや,たとえばお受験一つとってみても,目がくらむような種類の図書が並んでいる。
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本来,私くらいの年齢になると子どもの一人や二人いても(もちろんいなくても)不思議ではない。世間の同世代お父さんお母さんは子どもの将来を考える場面を多々持つのだろう。ちなみに私の身近にもそういう方々が結構居る。
子どもを持ち,子育てに励むその先には,避けては通れない学校教育の問題がある。いざ自分の子どもの学校を吟味するときに,必要な知識や情報とは何か。それは実のところ,教育学や教育研究ではないのだろう。そう感じたら,少しばかり憂鬱になった。欲しがられていないにもかかわらず生き残るのは,並大抵の努力じゃ済まないなと。
学参の棚には,幼稚園から小学校,そして中学・高校と,それぞれの受験に対応した「受験情報本」がズラッと並んでいる。把握できないほどではないとしても,初めて見る者は選ぶのに困ってしまうくらいある。
奥さんにそそのかされ,自分の娘の小学校受験を考えなくてはならなくなった父親のつもりで,あれこれ受験本を眺め,一冊買うことにした。具体的な学校紹介や願書の書式が収録されたような図鑑形式のものもたくさんあったが,とりあえずは小学校受験にかんする基本的な知識を得るための解説書を購入した。
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仕事でいろんな方々とご一緒するときに,その方々が自分の子どもを事例にした話をすることがある。そういうときには,その内容を凄く注意深く聞いている。具体例が気になるのは確かだが,どちらかというと身近な事例をどの程度の距離感で捉えているのかが気になっていたりする。
ものを考えるときに,あんまりそのものと近すぎると困ってしまうからである。お世話になっている人を批判することが難しいのと同じで,距離は適当に確保しないと割り切りがつかない。
(自分自身のことはどこまでも答えが出ないし,他人とある程度の距離を取ろうとするのは,そんな直感が働いているせいかもしれない。)
この調子なら,当分は独り身で通せると思うが,人生何があるか分からないものである。もし仮に奥さんが出来て,子どもが出来たら,私は自分の子どもの教育問題に直接介入して,実践的に取組まなくてはならないことになる。ただでさえ,教育研究の無力感みたいなものを感じているにもかかわらず,結局私もまた,受験情報本こそ最大の助言者として教えを請うようになるのだろうか。
そこで,少しずつとはいえ,仮想的にそのようなジレンマに陥って,対処方法を考えてみようかと思ったのである。別に受験に役立つ教育学を開発しようというわけではない(でも市場的ニーズはあるかも知れない。家庭での「教え方」みたいな本や雑誌は,相当数出ている。下世話な話,いつかは「家庭教育らくがき」なんてブログをつくって,書籍化ねらいで文章を綴ってみるのもいいかもしれない。印税印税,はっはっはっ,ま無理だろうけど)。
個人的に,教育学や教育研究と学校教育や受験に身をさらす人間として,どう折り合いを付けていくのかを疑似体験しておくのは,悪いことではないと思うのである。
そうすると,結構増えてきた若いお父さんお母さん研究者の人たちと共通の話題で話が出来て,のけ者にされずに済みそうだから(そういう理由かよ,おい)。
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実のところ,日本教育学会でも,こういう表出の仕方ではないけれども,教育の「個人化」による教育学の危機あるいは失敗といった問題意識があちこちに噴出していた。おそらく,それの最たるものが初日の公開シンポジウムだったのではないかと思うが,まあ,それには参加していないので推測に過ぎない。
本来は国家およびその社会の成因としての国民を育成する「社会的な営み」であった教育が,どんどん「個人的な営み」へと変わっていったのは,その国が成熟した証でもある。そして結果的に,そのことが社会の教育基盤を崩しつつあるというのもありがちな近代成熟社会の病といえる。
立て替えとしてか,あるいは補完としてか,e-learningやOCWといった新たな潮流も見え隠れしているものの,それが崩れつつある部分に届いているかといわれると,心許ない。
受験を云々出来るのは,まだ教育基盤が崩れていない層(あるいは領域や地域)でのお話だろう。多くの人々は,受験の声を聞きつつも,ごく普通に公立学校に通うことに関わる人々であり,崩れつつある教育基盤の渦中にいる人たちである。そうした渦の中で,自分の子どもの教育問題を考えるとき,どんな風景が広がっているのか。少しでもその視野を共有できたらと思うのである。