大阪の談話

 広島から帰った翌日,大阪某所へと出掛ける。科学研究費補助金というものがあって,申請の上で認められると補助金を得て研究活動が出来るという制度になっている。認められた研究活動グループの一つに入れてもらっているので,その研究会に出席したわけである。
 広島で少し打ち合わせた研究の分野が「教育社会学」や「教科の歴史研究」から現場の実践に迫るものとすれば,こちら大阪での研究会は「教育工学」や「カリキュラム分析」から思考力育成する現場の実践へとつながる授業モデルを提示してみようというもの。
 研究会はとても面白かった。というのも,今回は研究代表K先生の大学の学部生と大学院生の皆さんも参加して研究会が行なわれたからである。さながら大学のゼミのように進み,よくある英訳の議論から用語定義の問題,ちょっとした眠気など,いやぁ,また大学院で勉強したい気持ちになってしまった。


 研究会のテーマは,高次思考能力を育成するにはどんな授業や評価をすればいいのかを探るために事例を見てみようというものだった。今回発表で取り上げられていたのはApollo Parkways Primary School(略してAPPS)の取り組みである。おっ,なんかMacintoshがたくさん活躍している学校だ。それだけで僕的にはOKだったりして^_^;。冗談はさておき,学校の基本情報の中にあるカリキュラムの解説を見てみると,学校全体が思考技能の育成にまなざしを向けた総合カリキュラムが中心になっている。ちなみにAPPSはオーストラリアのビクトリア州にあるプライマリースクールだ。
 私も研究会の前日にホームページをチラッと予習してみたものの,視察の報告や教員用のカリキュラムづくりガイド冊子には研究会の場で初めて接するため,全体像を描くのに時間がかかった。でもなかなか興味深い。
 APPSは4学期制で,それぞれの学期に8つのキーエリアから選ばれた題材が当てはめられる。「社会協和Social Harmony」「伝統文化Heritage」「情報伝達Communication Networks」「調べ学習Investigative Studies – (科学Science)」「世界的調和Global Balance」「文化的多様性Cultural Diversity」「健康や豊かな生活Well Being」の8つ。ホームページの表記からなので,研究会では調べ学習は「科学」となっていたし,実はあちこちで様々な表記がゆれているみたいだ。
 1年4学期制となれば,8つのキーエリアを消化するために2年かかることになる。というわけで,APPSはらせん的なイメージでカリキュラム全体を捉えている。実際どうなのかはわからないが,アナログレコードでいうところのA面とB面どちらが表になっていようともそれぞれ連続しているように意識されているのかも知れない。
 こういう大枠は,まあいいでしょう。問題は各学期でテーマとなった内容がどうやって授業内容として準備されるのかである。そこでカリキュラムづくりのためのガイド冊子が素材と方法を提供している。すでに膨大な蓄積があるらしく,トピックとそれに関する基本的概要や課題,さらに理解すべき事項を箇条書きにまとめたものがガイド冊子に収められている。
 ただし,それもテーマに関する大まかな枠組みであり,実際の授業計画に落とし込む作業が必要だ。そうした授業づくりの時間が各学期の最後に2週間用意され,次学期のほとんどの取り組みが組み立てられるのである。ガイド冊子には,その作業を支援するための手続きもおおよそ示されている。
 授業実践を構想する際に,様々な思考の技法も活用されている。シンキング・ツールといったり,マインド・ツールといったりするが,日本でいえばKJ法みたいな発想法を思考技能の育成に道具として活用しているわけだ。プラスとマイナスとインタレストからテーマを扱おうとするPMI法とか,カギの絵に「特徴」とか「理由」「変化」とか「適用」とかの文字が書いてあってカギを組み合わせながらテーマを学習する「学習カギ」,それぞれ立場の特徴をもった6色の帽子を用意してかぶりながらテーマを掘り下げていく「6 Hats」とか。いやはや,数はそうでもないが発表聞いているだけでも目まぐるしい。
 こうした技法とともにルーブリックを設定し,ポートフォリオ評価が行なわれるという段取りだ。それだけじゃ,皆さんまるっきりわかんないかも知れない。すいません,端折りました。
 思考力の育成をめざした取り組みの一つとして,大変興味深い報告であった。ただ,これを「カリキュラム研究的にはどう?」と質問されると,とても困ってしまう。そもそも「カリキュラム研究的に」述べる場合に,広大なカリキュラム論の空間の,どのフェーズやレベルの部分についてコメントすると良いのか困ってしまうのだ。システムのエレガントさ?,カリキュラムづくりにおける思想哲学的な吟味?,教師における方法と実践行為のずれや乖離?,個別テーマの選択の善し悪し?うーむ,この場の空気にあわせてもいいが,あえて「カリキュラム研究的に」と指定されている以上,それなりに違った視点を求められているのだろうし,かといって外しすぎて悩まれても困るし‥‥。こういうとき「カリキュラム研究者」になったことをちょこっとだけ後悔する。
 実は,端折った部分には,オーストラリア全体で定められた教育内容の枠が別にあってその内容とも関連づけられていることとか,なにやらブルームのタキソノミー(教育目標の分類学)の話題も出てきていて,結構盛りだくさん。これ,実践しているんだ,すごいなぁ。それ以外,カリキュラム的に言える事柄で目新しいことはあまり「ない」^_^;  ‥‥ってことはないけど‥‥。ははは,困った。
 思考力を育成するのに効果的な授業づくりにおいて,様々な思考法やカリキュラム原理を組み合わせて利用するのは良いチャレンジである。そのチャレンジが様式化できて共有できることが私たちの目標となる。
 ただ,あまりに道具やガイドに振り回されて,それを利用して授業づくりする教師本人の思考の深まりはどうなるだろう。具体的な授業作りの過程を経れば「必然的」に教師自身の思考も深まると前提して良いのかどうか。私には少し不安だったのである。
 たとえば日本では教育技術法則化運動からの流れにあるTOSSのような取り組みがある。それに対する賛否はこの際置いておくとして,その取り組みの全体図式を眺めると,共有される教育技術の法則部分とは別個に,教員自身の思想やモチベーションを啓発し維持するため別の装置部分があることがわかる。要するに知的蓄積と実践喚起の部分の両輪関係だ。これは何を意味しているのか。
 もし授業づくりのガイドラインやその道具立てが用意できたとしても,果たしてそのガイドラインや道具立てを使う意欲や適切な利用法を守るということが維持されなければ意図したとおりの効果が得られない可能性があるということだ。もちろんガイドラインや道具立てにそのような意欲を高めたり,適切な利用へと誘導する仕組みが巧みに埋め込めるならば理想的だろう。しかし,そのアプローチは実のところ教師による自由な発想を逆に妨げる要因にもなりかねない。これはジレンマだ。
 ということは,これは教育工学的な考え方へのカリキュラム的な警鐘になるのか?そして,複雑な情報処理において発生するといわれる「セレンディピティ効果」の可能性は? ああ,今宵はお時間となりました。続きは次回‥‥。

大阪の談話」への4件のフィードバック

  1. chiaki

    K先生の院生のchiakiです.きました!で,先日の研究会はカリキュラム研究的にどうでしたか・・・?冗談です.笑
    concept mapを視察にいかれるのなら土産話たくさん聞かせてください.

  2. りん

    ‥‥。 ^_^;
    (ひそひそ) あれぇ,concept mapだった? thinking mapかと思ってたけど‥‥。K先生に,なにげに聞いてくれます? ^_^

  3. inagaki

    コメントどうもです(^^) あ、知ってる人がコメントしてる・・・。とある学校の先生から「中学の社会科で概念地図を使った実践知ってます?」と問い合わせメールが。こういう方法の大図鑑を「どういう力を見取るのか?」をはっきりさせた形でまとめてみたいもんです。それが簡単ではないということが良く分かったのが22日ではありますが。

  4. りん

    おっ,inagakiさん,いらっしゃいませ。わざわざありがとうございます。大図鑑にまとめるのはなかなか面白そうですね。大阪帰りの書店でそういったものを探してみていたのですが網羅的なものは見つけられなかったです。
    ところで「みとる」って言葉は,もう全国区的な言葉になのかな?長野で勉強していたときにはローカル教育用語だとばかり思っていました。

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