ビジネスの世界はいと難しきなり

 ニッポン放送株をめぐるライブドアとフジテレビの攻防戦は,株式市場の様々なルールを駆使したパズル解きのような手段を次から次へと繰り出して,そのからくりに感心する一方で,あまり生産的でない様相も呈している。日頃,マスコミのパターナリズムがもたらす弊害を嘆いている立場からすると,ライブドアがちらっと見せてくれた「あぐらをかいていたマスコミへの一撃」劇は,「この日本でも何かを変えられる余地がある!」と希望を抱かせる痛快な出来事だった。
 報道機関は,社会の公器であるという認識から,一企業がマネーゲームによって経営支配することはそぐわないとか,外資が一定割合以上の株を持ってはいけないとか,そういう理屈がある。しかし,はっきり言えば,そんな建前で守られるほどの器が今日のマスコミにあるとは思えない。所詮,利益追求体であり,広告代理店と共謀して日本人の脳みそを馬鹿にしてきた前歴がある。しかも,8チャンネルは見るだけで馬鹿になると揶揄されたテレビ局だ。インターネット企業と協業して,羽目を外すことくらい,お家芸で軽くやってくれればいいだろうに,結局,その裏で自分の取り分をしっかり確保している人間がわんさといることを再確認できたまでか。
 ライブドアにしても,インターネットの可能性を熱心に信じて取り組んでいることには共感するが,若い企業ゆえだろうか,一つひとつ表出してくるものに成熟さや思慮深さが足りない。だから,パターンの蓄積を持つ先輩達に軽んじられるのであろうし,熱意がいまいち伝わらない。とにかく,この騒動からは世代の違う集団が関係を取り結ぶに伴う諸々の問題や課題を見出せるし,だからこそ個別具体的な衝突よりも,今後日本で生きたり働いたりすることの姿や質とは何かを考えるのに絶好の話題だと思う。


 季刊『LIBRARY iichiko』誌では,「ホスピタリティ』というキーワードで様々な特集が構成されている。No.83(SUMMER2004)では「ホテルのホスピタリティ」が特集テーマであり,一流ホテルの総支配人達にインタビューした記事が掲載されている。そしてインタビュアーが斬り込む際に「(特集を組んだインタビュアー側では)サービスとホスピタリティを区分けしています」と議論の前提構図を提示している。「ホテルのサービス」という言葉は聞き慣れているが,「ホテルのホスピタリティ」という言葉も実は大変重要なのである。
 ところが,金子郁容氏が上梓した『学校評価』(ちくま新書2005/680円+税)の頁をめくると,「学校教育も,ひとつのサービスである。」という言葉を紹介する文章で始まっている。そうでなくても,教育もサービスであると考える論議はあちこちで盛んだ。それを実践している最たる存在が学習塾や予備校という新教育産業であるのは,ご存知の通りである。
 さて,それで思うに,ゆくゆくは「学校教育は,ひとつのホスピタリティである。」という言い回しが流行るというか,よく聞かれるようになるだろう。実は,それが本来の学校の在り方だった,なんて言い出す人もいるだろうし,実際すでにいるのかも知れない。単なる二項対立としてでなく,それこそシナジーするように捉えられるべきか。
 中教審の周辺において,自由主義や新保守主義に影響された「サービス」としての教育の必要性やそうした次元でのパフォーマンスの高い教育環境の構築が議論される。学習指導要領もまた,そうした方向性に沿うように,より効果的な内容となるよう検討されるだろう。少しでも「ホスピタリティ」の次元に対する思慮をもって,議論が見直され続けていくことを期待したい。
 
 ところで冒頭の話。ライブドアは,「サービス」についてはフォローし得ても,若さゆえに「ホスピタリティ」までは十分な想像力を持って提供できないのかも知れない。だから,たとえ硬直していたとしても,私たちに心地のよい安心感を提供するパターナリズムを持ち合わせている上の世代の集団の方が「ホスピタリティ」を(相対的だとしても)提供し得ているのかも知れない。やっぱり,両者がうまく歩み寄ることが大事なのではないかなと思うが,この攻防戦,いよいよ法廷も舞台となってきたようである。