教育情報化の歴史を整理し直す必要を改めて感じたのは、国の事業に関わり始めたから。物事は積み重ねで進むのだから、関わる以上、それまでの流れを理解しておくことが大事であろうと考えたからだった。
最近、朝日新聞が紙面上で教育情報化について大きく連載しているのが一部で話題になっているが、あの程度のことでも一人で調べようするとなかなか大変だったりする。まして、全体像を把握するのは難しい。
さらに、歴史過程の連続性や整合性を検討し始めると、その作業には悲哀のような感情がつきまとい始める。いくつものミッシングリンク。繰り返される挫折。見慣れたいつもの顔ぶれ。取り残された学校現場。いつまでも続く海外への羨望と視察。拡がっていく温度差と格差。
正直なところ、この歴史に対する反省なしには、ビジョンだとか何だとかも虚しく響くだけに思える。教育情報化においては20世紀の総括が終わってないし、だから21世紀の学びは来るはずはないし、多くの人々が19世紀の旧態に依存せざるを得ないことを許しているのだろうと思う。
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非力だとは承知の上で、私自身はできる範囲で過去を整理する作業を眈々と進めたいと考えている。もちろん私が直接的に関わったものなど何もないのだから、本当なら私には資格はないが、この転倒具合こそがこの領域の不幸の一つなのだから仕方ない。
だから私は、次の時代を任せられる若い世代の人を見つけたい。誰か真正面から教育情報化に取り組みたい若い人はいますか。私たち上の世代を乗り越えていく人、誰かいますか。