雑記」カテゴリーアーカイブ

環境整備

 仕事に取りかかるためには環境整備と資料整理が欠かせない。というわけで,お盆休み週間に入って取りかかるのは「そうじ」。ありがちなパターンだが,独り暮らしゆえ仕方ない。
 狭い家の中,仕事で使うものと,生活で使うものが混在している。それをより分けるのはなかなか難しい。その上,昔懐かしいものが出てくると,思わず手が止まってしまうから,この手の作業は時間がかかるものなのだ。
 おかげで少し家の中も見通しが良くなったか。ものが多いのは相変わらず。一部は,職場に持って行くしかないな。

夢の後味

 今朝見た夢は,あまりいいものではなかった。旧友たちが登場したり,あるいは現在の職場の人たちが出てくる夢など,知人が集団で出てきて一緒に過ごしている夢は幾度か見る。ただ,あまり幸せなシチュエーションになった記憶がない。今朝のは,高校時代の友人と偶然電車内で出会うのだが,彼の名前を呼んでも彼は反応するどころか,明らかに自分を避けていたのである。それも,出会ったことをとても都合悪そうに思っている顔して,二三言葉を投げて,そのまま無視して携帯電話で話をしている。それも途中から聞かれてまずいと思ったのか,中国語を話し始めるのだ。
 それ以外にも旧友たちが登場するが,なぜだか余所余所しい。こちらは「元気ぃ!ひさしぶりぃ!」とハグハグするのを期待していても,そうはならないから不思議である。それからむなしく目が覚めて,朝一番で落ち込んでみたりする。自分の夢なのに自由にならないのももどかしいが,なにか精神的ストレスでもたまっているのだろうかと不安になってしまう。夢の中くらいは幸せでいたいものだ。
 そのあと,まったく関係ないことを思い出して,インターネット検束して時間を費やしていた。気が済んだところで,授業準備をするために部屋の文献資料の整理に取りかかる。いまのうちに蔵書目録を作り始めた方がいいかも知れないとぼんやり思う。
 実家に日本教育学会・第63回大会のプログラムが届いていた。今年は北海学園大学(北海道札幌市)で8月26日から27日に行なわれる。プログラムによると大会史上初めて北海道の私立大学で行なわれるとのこと。実行委員会の皆さんも気合いが入っているらしい。国際公開シンポジウム「21世紀における教育改革の展望と新しい教育的価値」とか,いろいろな領域の課題は興味深い。昨年は早稲田であったというのに行けなかった。今年も難しいかな。
 お盆の時期といえば,各省庁から予算関連のニュースが飛び込んでくる頃でもある。もうちょっと元気出して,フォローアップしよう。

今日のいろいろ

 球技大会やサマーセミナーといった行事も一段落したが,同時並行している仕事はたくさんあって,成績漬けもその一つだ。出欠記録や提出課題を整理しなければならない。真夜中の職場に残って独り寂しくやっている。
 今日は備品のデジカメ修理をするためにメーカーのサービスステーションに寄り道をしてから出勤。以前にも個人で利用したことがあったので,勝手知ったる‥‥という感じだ。最近ではメーカーと運送業者の提携が進んでいて,修理品の回収や返送なども含めて短期間に修理を完了するサービスが当たり前のようになっている。けれども,どの程度の修理代が必要なのか見積もりたいときには,せっかくのサービスでもなかなか難しいものがある。そういうときには持ち込みできるサービス拠点が近くだと便利だ,
 結局,たいした故障でもなく,部品代より技術料が高いという修理結果となった。まあ,とにかく立て替えをして備品修理もできたのだから,よかったよかった。
 それから職場に到着したら,駐車場のところで卒業生に会った。数週間前も校舎の中で再会したのだが,母校の図書館に来て,いろいろ調べものや職場での準備をしているとのこと。しばし立ち話に花を咲かせた。教え子がこうして活躍していることが,僕にとってはとても嬉しいことだ。

気になる記事

 とうに学校界は「夏休み」という名の期間に入っているというのに,そこを職場にする私たち関係者は最も慌ただしい時間が始まったわけで,このブログもなかなか更新できずにいる。
 そんななかで気になったWeb記事があったので記録しておこう。一つはnikkeibp.jpの『数字・うら読みななめ読み 第17回〜間取り論争その1 「子ども部屋は自分でコントロールできる空間を与えるためにある」』というインタビュー記事だ。
 世界の子ども部屋研究をしている北浦かほる教授が指摘するのは,洋風化した空間と旧態依然の日本的行為との不整合が現代日本の親子関係を難しくしているのではないかということだ。インタビューはそれをとらえて「場の共有ではなく,行為の共有が大切なんですね」とうまいこと表現している。
 子ども部屋から見通した議論としては興味深い展開のインタビューだが,場の共有ではなく行為の共有という部分だけを取り出した構図理解には注意を要するだろう。記事中の『消極的な「旧日本型」コミュニケーションでなく,積極的な「ベルギー型」がこれからの日本の家族をつなぐのでしょうか?』という問いかけは,その構図を言い換えたものだが,果たして「旧日本型」コミュニケーションが通用しなくなったからといってそれを退けることには,もう少し議論が必要だと思うのだ。
 もう一つはasahi.comの「ユーザー置き去りの著作権攻防戦」という記事。私たちが知らない或いは黙っている間に,私たちを取り巻く世界は窮屈になりつつあることが記事から伺われる。この領域について教育世界はあまりにのんきなのかも知れない。
 「教育らくがき」でも取り上げた岡本薫『著作権の考え方』(岩波新書)は,どれほどの人々に読まれたのだろうか。もっと読まれなければならないし,それを読んだ後にこの記事を目にすると,自ら進んで住みにくい国になろうとしているようにも思えてくる。それもこれも一般人と称する私たちが手をこまねいて何もしていないからなのかも知れない。
 ビデオニュース社のサイトに,立花隆氏の講演ビデオが公開されている。立花氏の評価はいろいろと議論が巻き起こったこともあるので,話の内容はそれなりに割り引くとして,この講演後の質疑応答部分でベビーブーマー(団塊)世代の特徴について述べている件がある。それから立花氏自身の世代について言及している部分もある。それを聞いていると,日本という国の行き先について,ますます不安になってしまうのは私の悪い癖なのかな。

真夜中の朱ペン

 現場の先生方の研究構想の進展や学会発表準備の手伝いをするために出張する予定。その直前の今夜は,あらかじめ送ってもらった要旨原稿を見せてもらっている。夜更かししながら14人分を見ているところなのだが,まだ折り返し地点。いやはや,大変である。
 自分の不出来を棚に上げて,他人の原稿を添削するなんて,本当は心苦しいもの。しかし,不思議なものだが,他人の原稿になると気楽さもあってか,いろいろ見えてくるものが多い。自分の原稿だとどうしても盲目になるのは仕方ない面もある。それならばね客観的に見られる第三者として,徹底的に指導するのもありかな。
 見ている原稿のいろいろな弱点を見つけ出すたびに,これは自分自身が犯している失敗を鏡に映して見ているような感覚になる。つまり,自分の欠点は自分がよくわかる,というのを他人の原稿を通して実感しているわけだ。
 とにかくまだ残っているので早く見て寝たい。

お仕事依頼

 仕事の依頼をいただく。現場の先生方の研究発表指導を手伝ってほしいという内容。自分自身の発表もままならないのに他の人への指導なんてできるのだろうか,という懸念する向きもいらっしゃると思う。けれども第三者として見えるものもあるのだから,そういう視点でいろいろお手伝いさせていただこうと思う。
 橋爪大三郎『言語/性/権力』(春秋社2004)は,社会学者である橋爪氏の過去10年の論集となっている。理論社会学の中で氏がどのように思考を巡らせていったのか,久しぶりにちびちびと味わいながら読める本かなと思って買ったが,お仕事のネタにも使えそうなので,読み進めておきたい。

カリキュラム学会大会も無事終了

 今年も日本カリキュラム学会の大会が無事終了。途中参加で最初の課題研究や自由研究が聞けなくて残念だったが,代わりにいつもよりいろんな人とお話しする機会を持てたので,不思議と満足であった。来年は東京学芸大学が会場校となる。

日本カリキュラム学会へ

 職場で行なわれていた保護者会(この御時世,短大でも保護者会があるのです)を途中で抜け出し,愛知教育大学で行なわれている日本カリキュラム学会へ駆けつけた。自分の地元で開催されるというのに,今年は発表ができなかった。とても残念。そういうときの学会というのは,開き直らないと居づらい雰囲気でもある。
 とにかく午後に開かれた公開シンポジウムには間に合うことができた。行ってみたら大会費も懇親会費も事前に全額振り込んでいたらしい。シンポジウムが終わってそのまま懇親会会場へ。いつもとちょっと調子が違うけれども,とにかく流れに身を任せて幾人かの皆さんとおしゃべりなど楽しんだ。
 シンポジウムの内容とかは,大会が終わってから書きたいと思う。かなり長いこと研究向けに頭を使ってこなかったので,いろいろな議論に対する解釈にかなりずれがあるかも知れないけど。
 縁とタイミングがよくて,二次会に誘ってもらえた。そうでなければ地元ゆえ,そのまま帰宅してしまうところだった。研究者コミュニティというのがあるとすれば,そこでの楽しいひととき。いろいろ面白いことや嬉しい出会いもあったりして,本当によかった。また後日ゆっくりと報告したい。