教育関連の記者でもあったフリーライターの斎藤氏による「教育ニュース観察日記」が2ヶ月ぶりに更新再開。復活始めから教員免許更新制に関する様々な情報を提供してくださっている。さすが取材のプロである。
どうも文部科学省は,教員養成系大学・学部に対して影響力を強めようとしている印象。「在り方懇」騒動や教員養成GPといった流れの上に,さらなる締め付けをねらっているようにも見える。なんか教育学部っていうと不祥事も多くなってきたからね,そういうことに対する厳しいお灸据えかな。
教育フォルダのホストサーバーがダウンしている模様。そのうち復旧すると思う。
投稿者「rin」のアーカイブ
FMトランスミッタ
なかなか新しいPodcastをお届けできずにいるが,そろそろ機会を見つけて新録したいと思っている。気になっている皆様は,しばしお待ちいただければと思う。
さて,インターネットでラジオ番組やビデオ番組をお届けできるようになった今日,個人が電波でラジオ放送をするのを楽しみたい人は少なくっていると思う。
けれども,イベントなどで電波を使って放送したいときもあるだろうし,それにリアルタイムで不特定多数の人々に番組を届けることにはある種の喜びがある。やってみたいと思っている人もいるだろう。
電波でラジオ番組を放送したい場合には,「トランスミッタ」という機器が必要だ。今日,手に入るトランスミッタは,iPod等の音をカーラジオに飛ばして音楽を聴くためのものがある。けれども,この場合のトランスミッタは,せいぜい数メートル範囲のラジオに届くようにしかつくられていない。これではラジオ放送と言うには物足りない。
そこでもう少し遠くまで電波が届くトランスミッタが欲しい。そんなトランスミッタを探し求めようとすると,個人が購入できる手頃なものがほとんど無い。昔は,FMトランスミッタにもいろいろあったのだが,いまは需要がほとんど無いこともあって,この手の商品がほとんど消えてしまったのである。
イベント放送をしたいと思っている人には,業務用を探すか,ワイヤレスマイクシステムなどで代用するかしかない。非常に残念な状況なのだ。
—
しかし,FMトランスミットを製造して販売しているところが無いわけではない。実はtxDesignというところが,FMトランスミッタを設計して製造し,希望者に販売している。とはいえ,いつも販売しているわけでなく,毎回FMトランスミッタを設計して,数量限定で販売し,売り切れたら終わり。またいつか新しいFMトランスミッタを設計したら販売するという,不定期販売数量限定なのである。
そして,このたび,新しいFMトランスミッタの販売が始まった。それが新型FMステレオトランスミッタ「STM301」である。38,000円(送料別)と,少々値が張るものの,このレベルのFMトランスミッタの完成品を手に入れるのはそう簡単ではないので,必要な人には安い買い物である。
私もこの前のバージョンを購入して,お世話になった。手作りだけど,とてもしっかりとした作りで信頼できるので,興味関心ある方はぜひ問い合わせをしていただきたい。
Podcastで世界にラジオ番組が発信できる時代だが,だからこそこうしたアナログなメディアも見直したいものである。
「見えない危機」
とあるお仕事の関係で,とある中学校で製作されたビデオ作品を見ることになった。その作品,まあ,映像作品としての質がどうのこうのという次元とか,題材の深刻さに比して制作者の姿勢は軽すぎないかとか,そういう「野暮」な指摘をするのは置いてといて,若さが成せるユーモア作品なのである。
願わくは,この中学生たちのお調子者具合やマイケル・ムーアばりの風刺ぶりを皆様にもお届けしたいと思い続けていたが,幸運なことに作品が見られるようになっていた。
それが「見えない危機」である。
私の記憶が曖昧になったためなのか,かなり全体の軽快さが無くなってしまっているような気がするのだが,彼らのコミカルな演技とやりとりの部分は,微笑ましさからしょうがねえな〜コイツらみたいな経路を通って,その脳天気さに笑わされてしまうのである。
—
正直なところ,学校施設の耐震化工事に関して,地方による取組みの温度差が激しく,それはつまり地方財政の問題などに連なる,あまり明るい話ではないのだ。しかも,いまや日本列島はいつどこに地震が来るのか,まるっきりわからない状態。東海地方が来る来ると言い続けられていながらも,日本海側で頻発したりと大変な事態である。学校施設の耐震化の遅れを笑いにすることについて,ある種の違和感を感じないわけにはいかない。
しかし,もしあなたが,そのような感情からこの作品や関係者に対してクレームをつけようとしたり,問題にしようするなら,それこそお門違いも甚だしいと言わざるを得ない。もし何かしら文句をいいたければ,耐震化が進まぬ現状を生んでいる他の何かに対して言うことの方が最優先されるべきだろう。
—
おそらく私たちは,物事の優先順位の付け方について,その対象のフィールドが広まってしまったことに気がついていないのかも知れない。このようにリンク一つで映像作品をご紹介していることが,当たり前に思えているのかも知れないが,それがとても広大な時空に見る者を連れ出していて,見る側にも短絡的な言動をの慎しみをどこかで要求しているということは,もっと考えられて然るべきだと思われる。
中央教育審議会は,年内に行なわれる学習指導要領改訂の柱を「言語力」の育成に重きを置いたものにするとしたらしい。この「言語力」というものが,審議会においてどのような質のものとして了解されているのかは,もう少し情報を待たなくてはならないが,報道の範囲で紹介されている具体的な例とやらを見ると,「表現伝達手段としての言語」観が強く表れているように思う。
ちょうどヴィゴツキーを読解中なので,機会を改めて「言語」の可能性について考えみたいと思うが,そのような次元とはかけ離れたところで「言語」をいくら柱に置いてみても,目先の学力の向上に焦点化しているという,実に短絡的なものにならざるを得ない可能性がある。
いじめや人間関係をめぐる問題を考えるのに「言語力」が重要であるという場合には,その内実についてもっと丁寧な解説が必要だと思うが,このままでは,単に口や言葉の上手な人間が,いじめの言葉の表現を豊かにしたり,言葉巧みに人を貶めたりすることさえ考えられ得るのである。
その意味では「道徳」の必要性を繰り返す人々もいるのかも知れないが,その場合にもまた,どのような道徳を行なうのかについての明確な説明や展望の提示がないと,手垢のついた領域だけに,多くの人々が誤解を繰り返すだけである。
それゆえ,私自身は以前にも書いたように「哲学」という領域を真剣に考えた方がよいと思っているのだけれど,それについては,情報学の観点から考えようとしている人々のアイデアをうまく援用できないものかなとも考えている。それがゆくゆくカリキュラムの問題としてつながれば,私も帰るところに帰れるわけだけれども,それはまだまだ見えない私自身の行く末についての話である。
—
とにかく「見えない危機」をご紹介するにあたって,その純粋なバカさ加減を素直に笑おう,という話から,久し振りにシリアスな雰囲気の駄文の展開に至るとは,書いてる本人も思ってなかった。いずれにしても上記のリンクから笑いに行って欲しい。
平均気温の変遷
この時とばかりに大学の施設を活用し,日中は涼しい部屋の中で過ごしている。クーラー派ではないのだが,自宅でクーラーを使わないとなると暑くて,とても勉強という状態ではない。小型扇風機をディスカウント店で買う手もあるが,やはり広々とした研究室の環境で取組んだ方が気持ちがいい。
—
それにしてもこの暑さはなんだろうか。北海道さえ最高気温が35度を超えたとも聞く。温暖化(グローバル・ウォーミング)がますます進んでしまったかのようだ。アル・ゴア氏の映画でも気温の上昇をグラフで印象的に描いていた。
日本の気温もグラフ化したら,かなり右肩上がりで上昇しているのだろうか?と思って,まず東京と名古屋の観測地点での平均気温の経年変化をグラフ化してみることにした。
ただ,漫然とグラフ化してもわかりにくいと思ったので,今回は東京と名古屋の「8月」の平均を経年的に取りだしたものでグラフ化してみた。まあ,7月でもよかったかもしれないが,今月は8月だし,そのあたりで…。
気象データは,我らが気象庁が誇る「気象統計情報」のサイトから。最初,取っつきにくいが,すぐに使い方がわかる。気象に関しては大変有り難いデータベースだ。こういうものがちゃんと整備され無償で公開されていることは行政サービスの基本中のキだね。
—
さて,グラフの見方であるが,上段が「東京」,下段が「名古屋」である。
そして,左が「8月の毎日の平均気温」で,真ん中は「8月の毎日の最高気温の平均」であり,右が「8月の毎日の最低気温の平均」というわけである。
ご覧のように東京は観測が1876年から始まり,名古屋は1891年となっているので,比較条件に多少問題はあるが,今回はだいたいの感じを掴むためのグラフ化なので,正確なデータ比較などはご自分でやってみて欲しい。
それから東京と名古屋という観測地の選択も,これが日本の気温の代表とは言えないという問題はある。長野とか,九州とか,その辺の環境でどうなのかもまた見てみたい。
というわけで,ご覧のような感じだ。グラフの縦横比率次第で印象も異なるが,このスパンで見た限りでは「東京は極端ではないものの緩やかに右上がりしている(様に見える)。名古屋はあんまり変化がない(様に見える)。」といった感じ。ううむ,あまりセンセーショナルなグラフにはならなかったな。
もしもこのグラフの範囲を絞ったり,縦横の比率をいじると,かなり違う雰囲気になるのかも知れない。とにかく,暑いことには変わりないのだが,なんとかならんのかな。
—
ところで,このページでグラフが出てくるってことは,たいがいグラフを作る仕事をしてるってときなのだが,今回も同じ。しかもこの前発売されたばかりのアップル社・表計算ソフトNumbersでゴチャゴチャやっている。脱線せずに早く仕事しないと…。
今日もヴィゴツキー日和り…
今日も午前中から大学にやってきてヴィゴツキーの文献を眺めている。おおよその俯瞰図を描いてから細部を埋めようとする質なので,あっちこっちの文献を行ったり来たりして,自分の中の整合性を調整している。この作業に時間がかかるのが,私の要領の悪さである。ああ。
—
ヴィゴツキーの生涯は,37年ほどと短かったが,残した業績の影響の大きさは計り知れない。というか,彼の「心理学における道具的方法」という理論を知るにつけ,この重要な原理的知見が80年代になってようやく世界的な注目を集めて再評価されているという事実に,唖然としてしまうのである。それは私が生きているうちに起こっていることだったのだから…。
ヴィゴツキーの生きていた当時,心理学の世界において主流であったのは,行動主義的な考え方だった。もの凄く単純化したところだけ言えば,刺激と反応という連合(SとRの連合)で表される世界観といっていい。何か原因があって,それがストレートに結果につながるような構図である。全てはそうした単純なS-R連合へと還元できるというわけだ。
で,ヴィゴツキーは「それじゃ見落としてしまうものがあるんじゃない?」と疑問を投げかけて,SからRへの単なる直線経路ではなく,媒介物Xを置いたS-XとX-Rの経路を提示して見せたのである。曰く「こうした新しい経路による構造が重要だ」と。
このXという媒介物は,私たち人間の精神について考えれば「言語」であるといえる。そして「言語」というのは文化的で歴史的なものであるので,この考えに基づく人間の精神の発達理論を「文化−歴史的発達理論」という風に呼ぶ。ヴィゴツキー理論と言った場合には,この文化−歴史的発達理論のことか,それを含んだものということができる。
「媒介物を経由した,その構造が新しい」となると,それはまあそうだろうし,何も難しそうな部分がない。けれども,そのシンプルさゆえに,その考え方は強力だし,基礎的な知見としての耐性もあるわけだ。
こうした重要な概念を打ち出したのがヴィゴツキー30代のこと。それまでの間に,いろいろ考えていたとすれば,若き日の彼の優秀さがここからも理解できる。なるほど「心理学におけるモーツァルト」と評されることも納得できる。
—
と,ヴィゴツキーな時間を過ごしているが,今日は共同担当者との打ち合せの日だったにもかかわらず,待てど暮らせどやってこない。どうやらフラれたらしい…。さては,お盆モードで忘れたな。まあ仕方ないか。
なんかこのまま一日終わるのも面白くないので,上野に出かけてみるか…。
ヴィゴツキー日和り
お盆時期の日曜日。人々が帰省する中,課題に取組むため大学に出かけた。東京大学のある本郷三丁目周辺も,日曜日の上にお盆なので,いつもより静かな雰囲気を帯びていた。しかも清々しい青空だ。
大学内も人がいないわけではないけれど,蝉の大合唱を除けば,騒がしさもなく,穏やかな時間が流れていた。そういう雰囲気だと課題にも落ち着いて取り組める。これが毎日続くといいのに…。
中央図書館へ図書探し。研究室の自転車を借りて,シャーッとキャンパスを駆け抜ける。これもまた青空の下,気持ちがいい。必要な文献を借り,昼食を買い込み,また研究室に戻る。
先生や同級生がポツポツとやって来て,適度に人の存在も感じつつ(誰も居ないは居ないで寂しい…),しばらくしたらみんな帰ってしまったので,また独りで文献を読んでいる。途中,先生に質問できたのはよかった。
—
何を読んでるかといえば,ヴィゴツキー関連の本である。レフ・セミョノビッチ・ヴィゴツキー。ソビエトの(いまは「ロシアの」と表記すべきだろうけれど…)の心理学者で,世界的に影響を与えた研究をした人物である。彼の主著『思考と言語』を日本語訳したのは,日本の教育学界の重鎮の一人である柴田義松先生である。
教育原理の講義を受けた私たちの頭の中は「(ヴィゴツキー=発達の最近接領域)→柴田義松先生」という図式がしっかり刷り込まれている。しかし,悲しいことにヴィゴツキーに関する知識はここ止まり。それこそ「発達の最近接領域」という概念の内容すら,「出来ないところから出来るところへとステップアップする過程におけるギャップのこと」という漠然とした認識でしかなかった。これは正しい説明になっていないらしい。
いやはや,そもそも私たちにとって「ソビエトの」心理学者という響きが,どんなものであったのか,当時を思い出していただきたいのだが,とにかくソビエト連邦というのは閉鎖的な国で,そこに抱いた怪しさたるや,いまでこそ戯画的すぎて笑ってしまうのだが,当時は本当に「一度いったら戻って来られない場所」という怖さがあったのである。
それもこれも冷戦下におけるアメリカとの対立や,007スパイ映画とか,「シベリア抑留」といった言葉とかから受ける操作されたイメージだったわけだ。だから「ソビエト教育学」なんて言葉を聞くと,触らぬ神にたたりなし,ソ連語なんてよくわからないし…さよなら〜,って感じで敬遠していた。
けれども,それを丹念に研究している先生たちがいた。柴田義松先生など,ソビエト教育学のもつ可能性をしっかり理解していた人たちは,僕らお子ちゃまがスパイ映画で「悪者・ソ連」を刷り込まれているのを苦々しく…思っていたのかよくわからないが…,とにかく真面目に原著を翻訳して,日本における研究の土台をつくってくれていた。
とはいえ当時,ソビエト教育学が話題にされる機会は少なかったし,柴田先生も,本当はとても優しい先生なのだが,話すまでは近づき難い方だったので,やっぱりなかなか距離が縮まらなかった。これはもう時代のせいである(と勝手に責任転嫁してしまおう^_^;)。
90年代にソビエト連邦が崩壊し,小国が離散した。あのソ連に対する戯画的なイメージが薄れ,ロシアという呼び名が耳慣れるようになって久しい頃,幸運にも再度ヴィゴツキーに触れるチャンスがめぐってきた。
近年ではユーリア・エンゲストロームによる「活動理論」の提唱と山住勝広氏による日本への積極的な導入によって,その理論的源流ともいえるヴィゴツキーの研究も注目を集め出した(ただし中村氏によればヴィゴツキーの理論は活動理論ではないという)。
さらにヴィゴツキーを扱う研究者である中村和夫氏や神谷栄司氏の議論も日本のヴィゴツキー研究を発展させていこうとオープンに展開している(ヴィゴツキー理論をどのように捉え直していくかで,なかなか刺激的な展開があるようだ)。
柴田先生自身もまだまだご健在で,『思考と言語』は今世紀に入って新訳版が出されたし,入門新書も書かれている。
まあ,ロシア語がちんぷんかんぷんなので,こうした先生方の成果に頼らざるを得ない。むかし敬遠してしまった後ろめたさを解消するためにも,あれこれ読んでみたいと思う。
—
ちなみに,ヴィゴツキーに関する参考文献としては,
柴田義松『ヴィゴツキー入門』寺子屋新書(子どもの未来社2006.3/800円+税)
中村和夫『ヴィゴーツキー心理学 完全読本』(新読書社2004.12/1200円+税)
が初めて読むには手頃な感じである。
あれこれ平行して読んでいるので,実はこの2冊を読み切れていないが,「発達の最近接領域」のことも含めて,後日また書いてみたいと思う。
葉月9日目
名古屋での集中講義を終えて,東京に戻る。すぐさま(大学院の)授業課題でもあるワークショップ準備に取りかかっていた。休む暇なく役割を代えなくてはならないので,なんだか変な気分である。
ワークショップ(WS)の本番前に必要なプレ実践を行なった。少人数ではあったが協力者の参加を得て,なんとか一通りのプログラムをこなす。あれこれ手直しが必要な部分が見つかり,これから本番に向けてさらに作業を重ねなくてはならない。
どんなWSをするのかは,詳しくは後日ご紹介したいが,「思い出」に関して何かをしようとするWSである。そのWSの参加者に向けて冊子をつくろうと考え,久し振りに編集作業をしていた。InDesignというソフトでページレイアウトしていく。昔,職場で手引き書みたいなものをつくったときも,このソフトでああでもないこうでもないと作業したことがある。それも懐かしい。
—
WSの冊子に「社会の出来事年表」を載せることになったので,『情報の歴史』(NTT出版)というその筋の年表本では有名な本を参照したり,インターネット上の情報を合わせて作成した。1950年から2008年まで,ずらずらっと主要な出来事や当時流行った歌やテレビや映画が並ぶ。
年表がキレイに出来上がって,まじまじと眺めていたら,自分が結構長く生きてきたことを再確認することになった。当たり前のことだが,いま大学院で一緒になっている人たちより10年くらい余計に時代を体感している。そのわりには,キレイさっぱり忘却の彼方へと追いやっているみたいだ,ははは…。
歴史に学ぶことと,時代に固執することとは違う。けれども,私たちはどこかそれを上手く処理できていないのだ。ある種の金言名句を尊ぶことが乱世においても確かな道理だと考えることは悪いことではないのだが,変わりゆく世の変わり果てた私たちを思うとき,その言葉を今日の葛藤と合わせ置かずに唱えることは,ご都合主義になりかねない危うさがある。
本当に時代の上っ面しか触れずに生きてきたのだなと,自分を思うことがある。本質的に消費社会万歳な人なのだ。デパートは大好きな場所の一つである。モノに溢れている,この世のなんと幸せなことか。年表を振り返り,懐かしい消費の象徴たちと再会して胸が躍る。そういう幸せな世界が続けばいいなと願う。
そう願う以上,続かない現実を認識しなければならない。
—
冊子づくりも一段落したので,次なる仕事に着手しなければ。過去のテレビ番組を振り返る仕事とか,学会の発表準備とか,合宿での発表の準備とか…。賑やかな夏である。それにしても暑い…。
カリキュラムデザイン-04
集中講義最終日。今年もあっという間に終わった。ダラダラと講義をし続けるスタイルは,しゃべる方も聴く方も疲れがたまってしまうので,毎日なにかしらワークを取り入れて,物事が構成・構築される楽しさや難しさを体感してもらった。
外部の非常勤講師が担当する,夏休みの集中講義で,どこか片隅でひっそりと開設されているような枠だから,自由に授業構成させてもらえていると思う。もちろん「お遊びが過ぎる」と眉をひそめられるのかも知れないが,たった4日間の授業が学生達に何かしらの知的インパクトを与えるには,それなりにトリッキーな授業展開があってもよいだろう。その代わり,私が語る教育のお話は,(ここの教育駄文でお馴染みの)それなりにシビアなものである。ときどき自分は若い芽を摘んでいるんじゃないかと不安になるが,それを乗り換える気概をもって教職に望んでほしいと願う。
—
1930年代や40年代のカリキュラムデベロップメント運動が,カリキュラムプランニングとカリキュラムデザインに分岐していったという歴史は,カリキュラム研究の幅広さを象徴している。それは「工学的接近」と「羅生門的接近」という言葉にも対応していて,両者の往還をどのように実現していくのかはいまだもって大きな問題である。私もまた,私なりの方法を見つけてこの問題に切り込むことになるのだと思う。
学生達が現場に立つとき,この大きな問題は,日常の中の教育実践という問題として立ち現れる。そのとき手助けになるものは,ある程度はチェックリストの類かも知れないが,そこのもう一歩奥で,私たち自身の身体性や歴史性が控えていることになるのだと考える。そこへほんの少しだけでもくさびを打つことが出来れば…,私が担当する集中講義「カリキュラムデザイン」はそんな思いに立脚している。
それが教育者としての私の立場だけれども,研究者としてはあんまりよろしくない考えなのが玉に瑕である。あ〜。
—
今年の受講生も頑張って取り組めていたと思う。ただ,反応が控えめな子達が多かったので,授業途中の私の不安は結構大きかった。あんまり面白くなかったかなと反省していると,コメント用紙では「とても面白かった」と書いてあったりする。もう少し丁寧に学生の様子を見ないといけないなぁと思った。
さてと,今年の出稼ぎもこれで終わり。どこか別の非常勤を加えてやってみるのも悪くないなと思った。それより大学院での研究と次の定職探しを真剣に考えた方がよさそうか。とにかく,再び東京へ。
カリキュラムデザイン-03
集中講義3日目。今回の集中講義は,新しい要素を入れたこともあって,従来までの内容を絞ったものとなっている。その分,評価規準や指導案の作成について繰り返し触れるようにした。
しかし,指導案はともかく,評価規準について考えるところまでくると,授業や評価を受けた経験しかない学生達が教師の立場に立って考えることは,なかなか難しい。すでに何かしらの実習経験のある学生もいるが,やはり,どんな風に授業構成すればいいかは,パッとは思いつかないものだ。
私自身,現場経験があるわけでも無し,学校を訪問する機会に参観する授業やあれこれの文献資料から構成した知識や認識がたまって,ようやく解説しているのだから,その難しさは百も承知である。
—
「カリキュラムデザイン」という科目は,「教育課程の意義及び編成の方法」という教職科目にあたる。(この科目名を付けたのは私じゃないが,偶然とはいえ,意義深いこの名が付けられていることに敬意を表する。でも来年度は「カリキュラム論」になるんだって,少し寂しい。まあ,担当依頼があるかどうか,わかんないけど…)
歴史的経緯や制度的な解説,学術議論の紹介など出来るし,得意とするところだけれど,昨年あたりからは,指導案の作成作業を通して周辺知識を吸収してもらうアプローチをとっている。そのためにも,まずは授業がどんな要素で成立するのかを少しでも感じ取ってもらうために,この講義自体にあれこれ教育技術を取り込まなくてはならない。
普通の一斉授業はもちろん,グループ活動(ジグソーメソッド)と発表,ハンドアウト,ワークシート,コメント交換,スライド,ビデオ視聴,授業支援システム,メーリングリスト,調べ学習,発問,板書などなど。授業を構成する様々な手段があると知ることで,少しでも指導案へのイメージを膨らませてもらおうという魂胆である。
毎週の平常講義ならゆっくり一つ一つ意識させながら見せられるが,集中講義の4日間でやると,一つ一つが十分に意識されないかも知れない。そういう弱点はあれど,とにかくやってみせている。
空手の型を学んでいるようなもので,この授業内容が現場で役立つ実践的指導力の育成につながっているのかどうなのかを問われると,直接性があることを示すのは難しい。空手の実戦で型どおり戦っている人がいないのと同じである。だから現場経験を持つ実践家教員が指導すると,型の破り方を学べることが期待されているのかも知れないが,それも本人が実際に経験しないことには,単なる貼り付け型知識になってしまう点は変らない。まあ,やってみるしかないということか。
—
台風は日本海に抜けた。いまは雨が降っている。前途洋々な若い人達の相手をしながら,ふと自分自身を振り返ると,なんて無茶な道のりを歩んでいるのだろうと思うことがある。
他人には浮気性だと説明した方が分かりやすいのでそういうことにしているが,本当のところそんなんじゃないのだ。納得のいく核心を掴んでみたくて追いかけ追いかけしていたら,こんなところに来てしまったという感じである。けれども,核心という名の青い鳥は,そもそも傍にいたかも知れないわけで…,なんとも寓話的な心境である。
この集中講義が終わり,お盆前に取組むことになっているワークショップの実践が終わると,ちょっとだけ息がつける(はずである)。春からず〜っと駆け抜けてきて,物事に追いつくのが精一杯の状態が続いた。その上,自分のすべきことが出来ていないのだから悩む。何とかしたい。
カリキュラムデザイン-02
集中講義2日目。新しい内容を取り込もうと,いろいろ試してみるが,その部分は初めてということもあって据わりの悪い状態になっていたりする。今朝もそういう感じになってしまったので,自分の中では不満足な気持ちを抱いた。
学生に対してはそれっぽく説明して見せるが,それでも内容の繋がりの荒さは学生の授業理解に如実に反映されるもので,「難しかった」という感想は(昨日とは打って変わって)そういうことなのだと真摯に受け止めなければならない。
—
教育評価の代表選手として「絶対評価」「相対評価」「到達度評価」「ポートフォリオ評価」を取り上げて,それぞれの特徴や問題点など解説した。学生達の反応は,私からすると意外だった。比べてみて「相対評価がいい」と表明してくれた学生が少なからずいたのである。
ご存知のように,平成13年度に小学校などの評定が相対評価から絶対評価に変った。相対評価では各評定に人数配分があって,実際にクラス全員が総じて成績が良くても,評定上は「1」や「2」のつく子ども達が生じてしまう。そのせいで,学期を超えた評定の貸し借りみたいなヘンテコな事態も起こっていた。それを是正するのも含めて絶対評価へと変った経緯がある。
ところが,学生達の中には「先生が正しく評価してくれるか不安」「客観的に判断するのが難しい」という絶対評価の問題点を理由に「相対評価の方がいい」と考える意見があったのである。とても興味深い反応だった。
これは絶対評価に変った経緯を知らないというだけでなく,評価の難しさを考えたり感じたりした上での意見なのだろう。評価規準表などの取組みは,この問題を乗り越えるための地道な努力であるが,そのようなものに接して考えれば考えるほど,難しさを痛感するのだと思う。
—
それにしても夏の暑さは私たちのスタミナをどんどん奪っていく。使用している教室は新しい校舎にあるのだが,空調システムが中央管理方式になっていて,個別の教室で調節ができない(こういう使い難いシステムを解決するのが技術というものなのに,21世紀になっても何も改善されていない…)。みんな疲れがたまってしまった。
台風が近づきつつあり天気が心配だが,残り2日間も頑張っていこう。