カリキュラムデザイン-03

 集中講義3日目。今回の集中講義は,新しい要素を入れたこともあって,従来までの内容を絞ったものとなっている。その分,評価規準や指導案の作成について繰り返し触れるようにした。
 しかし,指導案はともかく,評価規準について考えるところまでくると,授業や評価を受けた経験しかない学生達が教師の立場に立って考えることは,なかなか難しい。すでに何かしらの実習経験のある学生もいるが,やはり,どんな風に授業構成すればいいかは,パッとは思いつかないものだ。
 私自身,現場経験があるわけでも無し,学校を訪問する機会に参観する授業やあれこれの文献資料から構成した知識や認識がたまって,ようやく解説しているのだから,その難しさは百も承知である。

 「カリキュラムデザイン」という科目は,「教育課程の意義及び編成の方法」という教職科目にあたる。(この科目名を付けたのは私じゃないが,偶然とはいえ,意義深いこの名が付けられていることに敬意を表する。でも来年度は「カリキュラム論」になるんだって,少し寂しい。まあ,担当依頼があるかどうか,わかんないけど…)
 歴史的経緯や制度的な解説,学術議論の紹介など出来るし,得意とするところだけれど,昨年あたりからは,指導案の作成作業を通して周辺知識を吸収してもらうアプローチをとっている。そのためにも,まずは授業がどんな要素で成立するのかを少しでも感じ取ってもらうために,この講義自体にあれこれ教育技術を取り込まなくてはならない。
 普通の一斉授業はもちろん,グループ活動(ジグソーメソッド)と発表,ハンドアウト,ワークシート,コメント交換,スライド,ビデオ視聴,授業支援システム,メーリングリスト,調べ学習,発問,板書などなど。授業を構成する様々な手段があると知ることで,少しでも指導案へのイメージを膨らませてもらおうという魂胆である。
 毎週の平常講義ならゆっくり一つ一つ意識させながら見せられるが,集中講義の4日間でやると,一つ一つが十分に意識されないかも知れない。そういう弱点はあれど,とにかくやってみせている。
 空手の型を学んでいるようなもので,この授業内容が現場で役立つ実践的指導力の育成につながっているのかどうなのかを問われると,直接性があることを示すのは難しい。空手の実戦で型どおり戦っている人がいないのと同じである。だから現場経験を持つ実践家教員が指導すると,型の破り方を学べることが期待されているのかも知れないが,それも本人が実際に経験しないことには,単なる貼り付け型知識になってしまう点は変らない。まあ,やってみるしかないということか。

 台風は日本海に抜けた。いまは雨が降っている。前途洋々な若い人達の相手をしながら,ふと自分自身を振り返ると,なんて無茶な道のりを歩んでいるのだろうと思うことがある。
 他人には浮気性だと説明した方が分かりやすいのでそういうことにしているが,本当のところそんなんじゃないのだ。納得のいく核心を掴んでみたくて追いかけ追いかけしていたら,こんなところに来てしまったという感じである。けれども,核心という名の青い鳥は,そもそも傍にいたかも知れないわけで…,なんとも寓話的な心境である。
 この集中講義が終わり,お盆前に取組むことになっているワークショップの実践が終わると,ちょっとだけ息がつける(はずである)。春からず〜っと駆け抜けてきて,物事に追いつくのが精一杯の状態が続いた。その上,自分のすべきことが出来ていないのだから悩む。何とかしたい。