有り難いことに賞与をいただいた。
もちろん夏にもあったが,今年就社したばかりだから金額のインパクトは冬の方が強い。あらためて,愛知県に居たときにお世話になった皆様,東京でお世話になった皆様,徳島で迎えてくれた人々に感謝。大学教員に引き戻されたと表現してはいるものの,食べていけるように導いてくれた恩師に本当に感謝感謝である。
そして,今日は職場の祝賀・忘年会。
200名もの出席者による大掛かりなものは初めてなので,振舞いもわからないし,目当ての人を発見するのも難しく,結構大変な会だった。
それでも,人とおしゃべりするのは好きなので,隣り合わせた先生や職員の方とおしゃべりしたり,所属している学部長先生や分属させていただいている学科の先生や学務関係の先生にご挨拶などして,それなりに交流できた。本当はもっとあちこちご挨拶すべきだったが,本当に人捜しが大変だったので,心の中の感謝に代えさせていただいた。
日頃は独り研究室に閉じこもって,授業の準備したり,雑務を処理したり,プログラムのコード書いたりして過ごしている。だから,非常に限られた人としか日々接していないのだが,200人もの人が集まると,まだ知らない人達が同じ職場に働いていることが分かって,それはそれで嬉しい気持ちになる。
理事長先生がわざわざまわられて来て,声を掛けてくださる。最後に「本はあるか?」と聞いてくれた。「研究する本がなかったら,また言いなさい」と言い残して次へと去っていく。どっちかというと時間が欲しいという気持ちが強いが,それでも「本があるか?」という質問は,なんて素敵な声掛けだろう。考えてみれば唐突な台詞だが,これもこれで嬉しかった。
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帰り際,「りん先生」と呼び止められて,振り返るといつもお世話になっている総務の事務職員さん。「あの私,○○学科の…」と言われて,最初は「???」という感じだったが,「△△の母です」と言われて驚いた。
「大変お世話になっているみたいで…」とお礼を言われてしまったが,そんなに大したお世話をした記憶がないので,「いえいえどっちかというと,こちらがいろいろ教えてもらっています」と素直に答えるが,何やら話が大きく伝わっている感じで,かなり良いことをした風になっているらしい。とにかく,いつでもウェルカムですとこちらも合わせてお礼をした。
人と人はどこでつながっているのか分からないものだなと単純素朴に思う。そして,どこでどうつながっていくのかも分からないなと思う。
その可能性に対して常にオープンでいたいという気持ちが強いので,私は特定のグループに留まり続けたり,特定の人ばかりを指名するようなことは,なるべく避けるようにしている。逆にそういう風にされそうになると,少し距離を開けるように振る舞う。お互いのフリーハンドを尊重するためには必要だと思うからである。
仲間を持った方が強いのは,その通り。でも仲間を尊重しすぎれば,外に対して盲目になる余地を生む。そのことに自覚的であれるかどうか,私たちは常に問われていると思う。
正直なところ,あまり幸せな生き方ではない。早く年貢を納めろとも言われるし,善くしていただいた人々とも距離をつくって失礼を繰り返すことになる。それでも,いつも心に感謝の念を忘れず,片想いを続けられることにある種の幸せを感じないわけにはいかない。
私はまた多くの人達とすれ違う。あとは自分なりに挑戦を続けるだけである。