私たちの仕事は「知の階段」を構成することにある。私はカリキュラム研究という分野に軸足を置きながら,教育工学の知見を用いながら教育研究活動をしているが,カリキュラム研究は知の階段の全体を見通すことを目指した学問だといえる。
人はそれぞれ知の階段における自ら選んだ踊り場で活躍しているわけだが,その階段がどこから続いてやってきて,どこへ続いていこうとしているのかを強く意識しておくことがカリキュラム・マインドというわけである。
こうした知の階段に関わる知的な情報環境は,情報機器・技術の進展によって急速に変化してきたことはご存知の通り。その変化をどう解釈すべきか議論はいろいろあり得るが,私は基本的に望ましい方向へと進んでいると思っている。
ただ,いくつかの懸念材料もなくはない。私たちの視界に刺激や情報をもたらすチャネルの選択が狭まっているのではないかという懸念である。選択肢が少なくなっているというよりも,私たちの選択行動に幅がなくなっていると考える。結果的に選択されないチャネルは淘汰されてしまう。
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本の販売2兆円割れ 170誌休刊・書籍少ないヒット作(20091213 asahi.com)
http://www.asahi.com/national/update/1212/TKY200912120271.html
分かりやすいニュースが流れていた。もちろん,この記事に対しては「1980年代水準に戻っただけでは…」という捉え方もあり,膨れ上がった出版業界が適正な姿ではなかったのではないかという議論もある。1980年代の出版文化が過度に乏しかったという話が無い以上,特に大きな問題ではないともいえる。
しかし,2009年現在の出版文化や取り巻く社会文化的な水準が,20年30年の月日を蓄積しただけ豊かになったとも聞かない。本当のところ私たちは,知の階段をちゃんと上がってきたのだろうか,それとも降りてきてしまったのだろうか。
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新潮社『フォーサイト』が休刊を発表した。また,毎日新聞社が共同通信に加盟するというニュースも流れた。子ども向け雑誌とはいえ,歴史ある『小学五年生』『小学6年生』,『学習』と『科学』が休刊した。
日本国内市場を対象とした出版業ではグローバルな時代を生き残ることが難しいという,その具体化が起こっているだけともいえる。けれども,歴史や志があるにも関わらず,経済的に立ち行かないで衰退してしまうもののなんと多いことか。
一体,いま20代30代の人々は,今後数十年の人生の中で,どんな出版物や雑誌を読んでいくというのだろう。それはインターネットや電子書籍で補い得るものなのだろうか。そもそも,そのようなメディアでさえ,良質な情報をどのようなビジネスモデルで確保していくというのだろう。
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一生懸命に駆け上がっていたと考えていた知の階段,それそのものが同時に沈み続けているとしたら…。上がるスピードの速い人たちが増えているとはいえ,そうでない人々にはいよいよ厳しい時代がやって来る。