物事の終わり-01

 先日,国立公文書館に出かけた。大学院における授業課題として訪れたのであるが,特別展だけでなく施設全体を大変興味深く見学することができた。
 文書館という施設は,国立のものだけでなく地方にも設置されているし,また大なり小なりの組織にはそれぞれ文書にまつわる業務を負った文書室といった部署が存在する。いずれも,何かしらの利用価値のもとで永続的に保管が必要な文書を管理することが役目であり,その保管対象も単なる紙だけでなく,音声テープという場合もあれば,昨今ではデジタルデータという場合も多い。
 そもそも文書館という施設ができたのは,公文書の散逸を防ぐということが大きな理由である。過去に記録された文書は,その時代の証言をする歴史資料になりうる。特に公文書は国の歴史の記録であり,私たちが未来に向かって正しく歩むための貴重な記憶でもある。その記憶が,文書の処分や紛失によって消えてしまわないために,文書館という組織と関連の法律が整備され,しっかりと保管されなければならない。私たちが死んだ後にも,文書館は私たちの生きた時代を後世に伝えるために生き続けなければならない組織なのである。
 それほどの重要性を担う施設であり,国のレベルで記憶を司る位置にあるのが「国立公文書館」という施設である。この施設には,国家にかかわる公文書,並びに歴史資料が厳重に保管されていると同時に,国民がその権利に基づいて閲覧することができるようなサービス機能がある。
 驚くべきは,国立公文書館が設置されたのが,1971(昭和46)年だということ。国立公文書館は私と同い年であるということだ。こんな重要な施設は,私が生まれるずっと前から設置されて運営されているのだとばかり思っていたのに,そうでもなかった。しかも国立公文書館法という法律の成立は,1999(平成11)年と,ついこの間みたいな時である。そして,2001年には独立行政法人となり,御取り潰しの対象になっているというわけである。

 物事の核心が,どこかずっとずっと遠くの向こうにあって,畏れ多いものだとばかり思っていたら,実はそうでもなくて無駄に遠回りしていたみたいな気持ちになることがある。
 その遠回りは,徒労なのだろうし,端から見れば滑稽で,こいつ大丈夫なのかと懐疑さえ抱かせる。そしてたぶん,単純素朴に,その通りなのだ。
 それでもその遠回りに意味があるとすれば,「その遠回りには実りがないことがわかった」という点で意味があるのではないか。いや,それはあまり本当のことではないのだが,多くの誰かにとってはそのような結論の方が都合よいのだと思う。
 他の誰かにとってのことよりも,私にとっての遠回りは,実に様々な出会いと経験をもたらしてくれたという点で,とても大事なものである。褒められた道筋ではなかったとしても,私は私の遠回りに関わったすべての人物事に対して感謝するほかない。他の誰に何を言われようが,自分自身の人生として誇りに思っている。
 そして,その道すがら書き綴っていた駄文が,遠回りの記憶として残っていたりする。この駄文たちも,それぞれの時期における私自身の実像や虚像などを織り交ぜ,時代に振り回されながら書き綴ったものとして,それ自体は生成され存在している。その点で,駄文自体の存在は事実である。
 けれども,その存在はどこまで行くのだろう。私はその存在を維持していく事ができるだろうか。そもそも,今後も駄文を生成し続けるべきなのか。10余年の月日が流れてもなお,同じ調子で駄文を書き続ける事に,自分自身が縛られてしまっているのではないか。そのことは常に悩ましい問題だった。

 アーカイブズの世界は紙文書だけでなく電子文書をも射程に入れ,より一層活発化している。そうした世界に触れることを通して,私自身が書き散らした駄文も(その価値があろうとなかろうと)可能な限り保管し続けることが,勝手気ままな発言をしたある種の責任として必要だと考えてきた。
 しかし,そうした記録を自ら公開しておく事が,記録保管に関わるこちらの思弁も駄文執筆時の背景も推し量られる事なく,私の公式な態度表明となってしまう場合がある。それは一つ一つの駄文の内容というよりも,そうした駄文自体の公開を許容している意識態度が問題と成り得るということである。
 仮に自ら公開を止めても,インターネット上にはいくらかのコピーが残存して流布し続ける。そうした残存データの存在を考えれば考えるほど,むしろオリジナルの存在意義は強まることも分かっている。だからこそ,普通の人々は余程のことがない限り,個人的感想などを含むものは匿名で書き捨て,記録データに対する責任から降りることでバランスを保っている。あるいはもっと賢い人々は,インターネット上で駄文を書き散らさない。

 物事の終わり。それは永続的な価値を考えれば考えるほど,逆照射されて強く前面に出てくる。