そんなわけで成田空港に来ている。昔は公衆電話,それから携帯電話にケーブルでつなぎ,最近はPCカードやUSBでPHSか,私はやっていないがBluetoothで携帯を操る人もいるだろう。それがいまは公衆無線LANがあって,お金さえ払えば快適に接続できる。
すでにどこかの会社と公衆無線LAN契約している人は,自分のアカウントで接続できるだろう。私はまだどことも契約していないので,その場で電波に接続して,1日使用権をクレジットカードで購入して使っている。まったく,インターネットとクレジットカードの組み合わせは,商売人にとっては有利で便利な決済手段だ。私たち利用者にとっても便利と言えば便利だが,こまめにお金を使ってしまうので,いつまでたっても貧乏である。
これから行く韓国・釜山はインターネット接続環境がそれほど良くないらしい。インターネットカフェとか,それぞれの場所でパソコンが接続はされているようだが,訪問者が気軽に接続できる環境はまだまだのようである。ま,それも本当なのかどうなのか,今回の旅でいろいろ確かめてみたい。残念ながらソウルには行かないので,ソウルの様子はまた次回という感じである。
それでは,行ってきまーす!! と思ったら,飛行機がちょっと遅れるのだとか。う〜ん。
月別アーカイブ: 2005年9月
韓国・釜山へ
とある国際会議に出席せよとのお達しをいただき,釜山へ出かける。いつかは行ってみたい国であった韓国に,こんなに急に行くことになってしまい。何の準備もないまま明朝から出かける。準備がないのはいつものことだが,せめてハングルを勉強してから出かけたかった。まるでチンブンカンブンなんだもん。
それにしても海外へ出かけるのは,だいぶ久しぶりだ。もちろん,あっという間につくお隣りの国なのだが,海外は海外。海外で公的かつ国際的な催し物に参加するのはこれが初めてなので,恥や失敗を覚悟でいろいろ学んできたいと思う。いかに自分がローカルな場所に留まって長い時間を浪費してきたか,嫌というほど実感する旅になるだろう。まだまだこれから気を引き締めなくては。
韓国からの更新は,向こうのインターネット接続環境次第。無事に帰ってこられるとは思うが,一歩外に出たら何が起こるかわからない世の中である。とにかく頑張ってこよう。
台風大変
台風14号が接近中。何故か東京でとてつもない大雨という報道。あちこち大変である。名古屋の天気は,のほほんとしたもの。ときに土砂降りになることはあるのだが,妙に台風他人事といった風な天候なのだ。それは地震についてもそうだ。東海地方に大地震がくると言われ続けて長いのに,その間によその土地で地震被害が繰り返されている。変な場所だ,名古屋は。
アメリカではハリケーン「カトリーナ」の猛威によって受けた被害の復旧が進まないようだ。NHKではニューオリンズの街の様子を伝えている。避難勧告が出ていたにもかかわらず避難出来なかった人々にかなりのダメージが出ているようだ。避難できなかったのは何故か。それは避難するための車や資金がなかったからだと説明されている。貧困層に属する多くの黒人達が避難できず,また救助が遅れた理由も人種差別があったとする政府批判が起こっている。
アメリカの内情がこうした機会に注目を浴びることになったが,それは他人事ではない。東海大震災のようなものがやってきて,多大な被害が発生したとき,迅速な救助がなされるべきであるというのは当然としても,問題はその後の生活である。そこに経済的な格差が浮き彫りになるのではないだろうか。アメリカの貧困層に比べれば,日本の格差はまだ生易しいのかもしれない。けれども,日本社会が勝ち組負け組をくっきりとさせる競争社会に突き進んでいることを,この選挙の時期に考えると,何かしら不安な気分にもなるのだ。
ま,投票自体は済ませてしまったので,とにかく後は日本社会が良い方向へ行くように,自分の立場から頑張るしかない。
期日前投票
これから衆議院議員総選挙の投票に出かけようと思っている。もちろん正式な投票日は9月11日なのだが,お出かけする用事があるため,期日前投票制度を利用するわけである。区役所まで行くのが面倒だけど。
選挙を教育の話題から見ることも出来るのだが,小泉流の郵政色の着色芸が上手だから,どうも盛り上がりに欠ける。その間にも文部科学省は平成18年度概算要求を出して動いていたりして,国政って淡々と進むところとひねりにひねって動くところといろいろなのだなぁとため息。
今回の選挙で誰に投票するかは,まだ迷っているところだ。国政レベルで考える頭と,実際の候補者が並んでいて地元で投票しているという現実とが混ざり合い,なんとも難しい。
4年数ヶ月続いた小泉政権に対しての評価ひとつとっても両面ある。4年もの時間の割りには成果が少ない,むしろ悪化しているという考え方もある。一方で,日本全体の空気を少しでも変える時間として4年かかるのは仕方ないのかなという気もしなくもない。確かに足りないところもいっぱいあるが,腰据えて取組ませてあげることも大事かなぁ。
けれども,民主党にでも政権を変わってもらって,もっと破壊の手を早めてもらうことに期待する手もある。小泉首相が自民党所属のままで破壊活動をしようとしているのは評価できるが,実のところ都合が悪いものは後回しにしていることも確か。だから,民主党に暴れてもらった方が悪制度の破壊も早い。その後の創造に心もとなさはあるが,やらしてみないとわからないし。
悩みながら区役所へ行くか‥‥。とにかく個人のレベルにおいては,一票を投じることこそ重要なのだから。
君たち男の子
ふむ,男は孤独なのかもしれない。もっとも人それぞれじゃないかな。小学校の頃から女の子同士と男の子同士の友達との付き合い方や遊び方は,ステレオタイプらしきものがあったし,今でもそれは再生産されているんじゃないだろうか。
生物的な差異がそれぞれの人間の付き合い方に強い影響を与えている面があることは否定できないし,そればかりでなく個人個人の生き方によって男であろうと女であろうと孤独と付き合うことになる人があれば,他者と和気あいあいと生きていくことができる。だから,たぶんこの話は「そういう傾向がある」って話だろうし,そういう男女観の再生産が依然として働いていることの確認になるのだろう。
この話題のもうひとつ興味深い側面は,男の孤独っていうものが「頼りがいのある存在」という強さ関することとして語られるのではなくて,「一人寂しい存在」としての弱さや苦しさのこととして語られることが,顕在化したっていう点である。その表裏が逆転したというか,強さの代表は「出産をする女性の頑強さ」に奪われてしまったというか。
それはどこから始まったのだろう。男達が軟弱化したという80年代的な社会の雰囲気に乗じて現れてきたのだろうか。あるいは陰謀論的にいえば,フェミニズム論者達の牙を抜くためにどこからか流布された似非女性頑強論であって,それに誰もかタダ乗りしてしまったということなのだろうか。あるいは男性的なものの象徴である経済好景気がバブル崩壊によって崩れ去ったことによる,お父さん達の元気のなさによって実体化したそれなのか。
男の子がパソコン通信的というなら,女の子はインターネット的という感じ? 確かに女子学生たちを見ていると,グループを上手に組んで学生生活を送っているし,そうかと思えばグループ再編も目まぐるしかったりして,気がつけばまた違う顔ぶれで集まっていたりする。孤独な私は,そんな環境においてはさらに孤独な男子なのだが,パソコン通信がインターネットメールできるようになってます的な付き合い方で,なんとか生き残っているという感じだ。
仕事に追われていたり,熱中するものがあるときには,男だろうと女だろうと孤独が隣りにいるものさ。そういうもんじゃないかな。
長月にようこそ
9月となった。今日から授業再開なのだが,ちょうど授業のない日だったので,自宅で仕事をする。こんな感じがいいのである。研究者なんだから,どうか誰も怒らないでね。
日曜日の東京出張は,またしても刺激的であった。とある研究プロジェクトでクリエイターに仕事を依頼することになっているのだが,その打ち合わせの場というものに初めて参加した。もちろん,その風景自体はごく一般的な話し合いやディスカッションのようなもので,特別なものではなかったが,複数の人間で創造的な仕事をするのはとても久しぶりだし,プロの方とご一緒するのは初めて。メンバー的にもざっくばらんに意見の出し合える雰囲気だったので,少々脇道に入り込んだり,話が膨らみすぎるという楽しいハプニングはあったものの,良い感じにスタートできそうだった。
職場の方は,悩みの種が相変わらず多くて,てんやわんや。自宅にいると携帯電話に否応なく問い合わせが入る。判断できる人がいないから仕方なく電話掛けてくるのはわかるけれど,何でもかんでも所属長に問い合わせればいいってものじゃないのになぁ。何かに手をつけるというのは,そういうのを覚悟することとはいえ,もっと現場判断できるスタッフが欲しい。
足して二で割り切れなかったけれど
この数日,休めなかった分を取り戻そうかとするように気の向くままの仕事をした。「気の向くまま」ってのが大事である。所詮,上手な休み方を知らない人間だから,その代わりに好き勝手なペースであれやこれや手を出している方が気楽なのだ。
無口に書斎で過ごすのが得意な父と,コメンテータばりに口出し好きな母の間に生まれ育った。噛み合ない両親二人に,兄妹三人が加わって,五人の揃っていた我が家の全盛期は毎日のように派手に家族喧嘩を繰り広げていた。ご近所にも届く大きな声量で,へ理屈から罵倒,ときには暴力を伴って展開していた。様々な事情を抱えて,そもそもコミュニケーションハードルの高い家族であったが,それにしても喧嘩状態における性格の不一致は甚だしかった。
全盛期に比べれば,家族も実家を出て一人減り,二人減り,やがて両親と私たち兄妹はバラバラ。それぞれ年齢を重ねて,だいぶ性格的にも丸くなり,落ち着いた家族間コミュニケーションを持てるようになってきた‥‥と思ったらそうでもなくて,へ理屈の知恵ばっかり増えたおかげで,スローながらも重厚感のある傷つけ合いをするようになった。まったく,人間というのは簡単には変わらない生き物だ。