月別アーカイブ: 2005年5月

ブロードバンドスクール特別講演会

 30日(月曜日)の主菜「特別講演」とは,特定非営利活動法人ブロードバンドスクール協会が設立一周年を記念して行なった特別講演会のことであった。文部科学省初等中等教育局参事官の中川健朗氏,社団法人コンピュータソフトウェア著作権協会専務理事の久保田裕氏,独立行政法人メディア教育開発センター理事長の清水康敬氏という豪華な方々の講演である。

 ところで,6月2日〜4日まで,毎年恒例でお馴染みの大規模な情報教育関連イベント「New Education Expo」が東京で行なわれる。毎年行きたい行きたいと思い続けているのに,あれこれ事情で参加できていないのが実情。今年も怪しそうなのだ。
 ところが,今回の特別講演のお三方は,New Education Expo2005にも登場される予定。ならば,先取りの美味しいとこ取りでブロードバンドスクール協会の特別講演会に参加してしまおうということにしたわけだ。

 インターネットから流れる情報を介して,お三方については存じ上げていたけれど,どんな温度をお持ちの方かは,会ってみなければわからない。そういう意味で,直接お話を聞いて,その語り口や考えに接することができたのは大きな収穫だった。講演会の後には,懇親会が設定されていたが,協会設立一周年のパーティーでもあることだし,新幹線の時間もあることなので,懇親会には参加せず。その代わり,質問をすることにした。(ちなみに講演会の様子のページに映っている質問者らしき人物は,私です。)
 お三方それぞれに質問を投げかけて,お答えを返していただいた。その質疑応答内容や講演会自体の様子のレポートは次回。実は私一人で質問時間を消化してしまったので,大変申し訳ない気持ち。もともと時間がおしていたとはいえ,罪滅ぼしも兼ねて,私から見た講演会や,情報教育の風景をご報告したい。

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はじめてのHills

 東京出張,本日のお品書きは「東京研究」と「講演会参加」だ。主菜は情報教育に関連する「講演会参加」なのだが,午後からなので,前菜として「東京研究」。要するに街角探検をする。

 ところが,昨夜からあいにくの雨。五月雨の季節だからだろうか,晴れって言ってなかったか,天気予報さん。雨の中を歩くのは避けたい。さりとて,歩き回ってナンボの東京探検。あれこれ考えて思いついた研究対象は,「六本木ヒルズ」だった。そうだ,まだ行ったことがない。
 そんなわけで,ライブドアだとかのIT企業や外資系投資銀行などがオフィスを構えていることでも有名で,フジテレビのドラマ「恋におちたら」の舞台でもある六本木ヒルズへと乗り込んだ。
 東京メトロの日比谷線六本木駅で下車すると,あらら,駅は工事中。六本木ヒルズの入口となるべく生まれ変わる最中のようだ。そんなエリアを抜ければ,おしゃれなイメージに合う近代的な施設へと紛れ込むことになる。

 いやもう,完全にお上りさんなので,素直にヒルズ・ツアーに参加することにした。訪れる観光客のためにツアーが用意されているのだ。ご存知の方も多いと思うが,六本木ヒルズは辺り一帯の施設全体の呼称であり,その中心にそびえ立つのが森タワー。その高層階にある展望施設と美術館などをメインとしていくつかのツアーメニューが設定されている。とりあえず一番間近に出発するツアーを選ぶことにした。

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かわいいねぇ

 日テレの「NNNドキュメント’05」を観た。「赤ちゃんと語ろ」というテーマ。一人の助産師さんの活躍を通して出産そして育児に突入するお母さんたちと赤ちゃんの様子を追う。

 子育てノイローゼについては,話題になってからかなり時間がたっており十分知られているはず。けれども,辛さを理性でわかっていても,実際に当事者になるとやはり子育てはストレスを連れてくるようだ。なにより,子どもの接し方をアドバイスしてくれる身近な人の存在を欠いている現代社会。登場した助産師さんが主催する親と子の教室に参加するとかのコミュニケーション活動をしなければ,閉鎖空間に赤ちゃんと二人きり,精神的にも息詰まる。そんな世界に向けて,今後の保育士は子育ての支援を積極展開しなければならない。私の職場は,その職業の養成を担っているが,ますます頑張らなければ。

 いや,それにしても,子どもたちの笑顔のナントかわゆいことか。この子たちのために我が仕事があるというなら,それは幸せというものだ。教え子たちよ,私の代わりに現場で頑張れよ!

携帯モラルを探しに

 日曜日だけども,東京に来ている。このところ携帯電話に関わる研究会があちこちで発足しているが,私も携帯モラルに関する研究会に加えていただくことになって,その初めてのミーティングが行なわれた。
 情報モラルに関する研究や教材開発は,先行する成果がいくつもあり,それなりの実績を残している。しかし,もっとも普及しているネット端末「携帯電話」(ケータイ)に焦点化したものはまだ少ない。それに教育に絡めて携帯電話をどう位置づけ捉えるかの議論は,十分共有されていない。携帯電話に関する研究が方々で取り組まれ始めたのは,いよいよ必要になったということなのだろう。
 もっとも,これらの研究はもっと早くに取組むべきだったのかも知れない。ここまで普及し,ケータイを使う風景が固定化してしまった今,モラルについてじっくり考えさせるだけのモチベーションを勝ち取ること自体がとても難しくなっているように思う。それでも携帯モラルに関して取り組まないでいいわけもない。何かしら皆さんの議論や生活に資する成果を出す必要がある。
 ミーティングは短いながらも中身の濃いものだった。もう少し議論を重ねたい部分も残るが,それは今後に。カリキュラム論の研究者を自称し,教育工学分野に片足を突っ込んでいる私は,さて,どれだけ違った視点から議論に広がりを与えられるだろうか。
 ミーティング場所から最寄りの駅までの道のり。統括者の先生と語る。携帯モラルの感覚を身につけてもらうために必要なこととは何か?モラル感覚がついたことを評価するにはどうすべきか? その必要性に同意しつつも,難題に思考をめぐらし続ける。シチュエーションと切り離した状態でモラルを確かめる術があるのか。不可能なような気もするし,評価の確かさを少し犠牲にさえすればどこかにブレークスルーがあるかも知れないとも思う。あるいはカリキュラム評価に活路を見出すか‥‥。
 新たな思考の旅が始まった。

プロジェクトに参加

 日曜日と月曜日,東京に出掛ける。とあるプロジェクトの初会合。結構たくさんの人たちで構成される取組みなので,楽しみでもあるし,緊張もする。全体の方向性を掴まえた上で,良い意味で持ち味を出せたらと思う。

教育学〈うすくち〉

 非常勤先の看護専門学校にて教育学講義。2年目だから楽になったかと思いきや,実のところ暗中模索状態が温存されたままである。相手が教職志望とかなら教育学周辺の情報を料理すれば食してもらえるが,看護師を目指している人たちのお口に合うとは限らない。そんなわけで。今年の教育学講義は,自分としては〈かなり〉薄口に味を薄めた授業をしている。
 それから,お昼過ぎの眠たい時間帯でもあるので,いろんなワークを取り入れるのが歓迎されるらしい。ワークの持ちネタがないわけではないが,〈わかったつもり〉になられる不安もあって,濫用をしない主義なのだ。ただ,それは裏を返せば,「ワークを取り入れないで講義すれば授業をやったつもりになれる」というこちら側の満足主義を招いているだけかも知れない。

 そんなわけで今日の〈薄口〉教育学講義では,田中久夫『教育研修ゲーム』(日本経団連出版2003/1800円+税)から「印象交換ゲーム」を拝借しアレンジしたワークを行なう。こういうネタ本は,揃えておいて損はない。
 当然だが,授業に対するコメント用紙の感想は,ワークに対する好意的な評価でいっぱいだった。普段はなかなか知ることのできない他者から自分への印象情報。自分の思っていたとおりに相手にイメージされていた人もいれば,多くは意外な見方をされていたことに驚いたり,喜んだり,ショックを受けたり。もちろんあくまでも印象であることは念を押してある。とにかく,こういう新たな事実の発見や気づきがありそうなワークへの食い付きは良い。

 さて,今年はいよいよ,看護の分野を題材とした内容を盛り込み始めようかと思う。教育学的には薄口かも知れないが,少しでも学生たちの意識に近い題材で話を進めたい。ワークも扱う以上は,オリジナリティや工夫を凝らしたいものである。

お熱い世の中で

 帰宅して,ボーッとWeb記事を眺めていたら,木村多江さんという女優さんが結婚するというニュースがあった。この女優さん,誰なのかすぐにピンとこないかも知れないが,この頃だと月桂冠のCMで奥さま役を演じた方で,見れば誰もが知っている人だと思う。
 CMでも見せた,落ち着きある雰囲気の良さ,綺麗さとちょっぴり可愛さがあると表現すべきだろうか。ファンというわけではなかったけれども,同い年だし,とても好感を抱いていた女優さんなので,結婚のニュースは,なんか複雑(^_^;

 どこかねじがゆるんでしまったのか,今日一日も超特急で過ぎてしまった。いろんなことをしたはずなのに,何もやってない気持ちになるのは,なぜなのか。まあ,とにかく生きて生活できているだけでも感謝しなければならないか。けれども,そろり思索にふけることがままならないのは,何とかしなければならない。さて,今宵は何を考えよう。

アルバムを眺めながら

 プリントに使う画像を探していたら,古いデジカメ写真データのフォルダを見かけたので,何の気なしに開いたら,見入ってしまった。学部時代から大学院へ進学し,就職した職場とアフリカやニューヨークへ旅した頃まで。この教育らくがきでもその軌跡は記録してきたが,映像で見るとさらに感慨深い。またノスタルジーにひたった。
 もちろん,酸いも甘いも含んだときの流れ。出会った人たちは,今頃どうしているのだろう。私の付き合い下手が禍して,失礼をしたまま疎遠になってしまった人たちも多い。それぞれの時の出来事を,今更になって反省してみたりする。あのとき,ああしていればよかった,こうしていればよかった。なんであんなこと言ったのだろうとか,どうしてそんな風に思ったり考えたのだろうかとか。
 「人見知りが激しい」ということになるのかも知れない。ただ,辞書的な意味で「知らない相手を敬遠したり嫌う」のとは感じが違う。おそらく私は「知らない相手にものすごい期待をしている」のだと思う。ただ,その半端でない期待はアンバランスなので,どこかでクールダウンをしないといけない。で,結局,そのクールダウンも極端だったりするので,「初めての人にあまり興味無さ気」に振る舞ってしまうのかも知れない。それがデフォルト・モードになってしまったとも言える。
 ニューヨークで出会った大学生の女の子から,帰国後に手紙をもらった。こちらも,落ち着いてゆっくりしっかりと返事を書きたいなんて思い続けているうちに時間が経過して,出せず仕舞いで終わってしまった。自分に落ち着く暇なんてないこと,考えればわかることなのに,中途半端じゃ手紙やメールを書けないという変なこだわりのせいで,いつも迷惑をかけてしまう。アルバムを眺めながら,なんか,そういうダメな自分に向かい合うことになってしまったひとときだった。

スクラップ

 ぎりぎりまで学会発表要旨原稿を書きなぐり続け,速達で送った。なんか修士論文の構想レジュメみたいな出来になったちゃったのは,研究再開リハビリのため原点回帰しているせいもある。たぶん「急がば回れ」なんだ,今の俺は。
 本来ならば,そのまま当日配布ハンドアウトの作成作業に移行すべきところだが,一段落もついたことだし,日頃積み残してある用事を済ませる。メール書いたり,家庭雑貨を買いに出掛けたり,実家の両親と食事したり,新聞記事をスクラップする。
 新聞記事のスクラップは時間がかかった。教育関係の記事が載った朝日新聞を実家からもらって貯めていたのが,かなりの量になったので,この機会に記事部分を切り抜く作業をしたわけだ。2002年や2003年あたりは,シリーズ記事が賑やかだったし,PISA学力調査の結果の悪さに騒いでいたことがわかる。ちなみに,この頃はフィンランドの教育に注目が集まっており,『教育』2005年6月号は特集を組んでいるし,今度の第10回OECD/Japanセミナーでも講演が予定されているようだ。
 もっとも新聞記事のスクラップを代わりにやってくれる雑誌がある。ニホン・ミック切り抜き速報・教育版』とクレヨンハウス子ども論』が有名だ。新聞代と考えれば定期購読できなくもない値段だし,教育関連の記事だけをピックアップしてまとめてくれるのは便利だと思う。残念ながら私は購読していないのだが,いつかはしたい。

ナイスなセンス!

 これはノスタルジアかつ美しい作品。20世紀という,矛盾に満ちていながらそれはまさに私たち人間の世紀を凝縮したセンスは,スクリーンセイバーでありながらも,いつまでも見つめていたくなる引力を持つ。
 未来派図画工作さんの「20世紀ボヤージ2.0」は,新しいMacOSX 10.4(Tiger)が繰り出すグラフィックスの魔法を使って織りなす絶品のスクリーンセイバーだ。それは息をのむ美しさと,数々の歴史と名言に心を打たれることになる。
 もしMacOS Xを持っていなくてもフラッシュバージョンで旅のフライトをして欲しい。MacOS Xバージョンには遠く及ばないが,感じはつかんでもらえる。なにしろMacOS Xなら,フルスクリーンで滑らかに動くのである。素敵すぎる。