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憧れ漂えば

 6月は毎週のごとく東京または大阪へ出張していた。呼ばれたものもあるし,自分で出かけたものもある。どの出張も好んでいたものの,出張準備で日々が自転車操業の様になっていたのは辛かった。

 そんな慌ただしい日々があったせいで,このブログも3月から更新していなかった。幾度となく書こうとして,途中までの下書きがたくさん溜まっていたのだが,公開に至らずお蔵入りが続いたという次第である。この駄文もどうなるかは分かったものではない。

 国の事業に関わっていた副物産として始めることとなった歴史研究会が慌ただしくなり,しばらくはそれを軌道に乗せるための作業で頭も手もいっぱいといったところ。

 コツコツと作成してきた年表も、いろいろ公開手段を模索しながら提供を開始している。最初は珍しいから年表も魅力的に見えるかも知れないが,手に入れば見慣れてしまって急速に関心が薄れるのも想定内のこと。問題は,いかに人々の履歴を引き出して年表づくりに参加してもらうかであり,そのためにもニューズレターや研究会が大事かなと思う。

 そういう研究のプラットフォーム形成は,研究会を開くだけなら勢いでできないことはないけれど,次代に残していくつもりなら地道な作業を通して踏み固めながら続ける以外に王道はない。しかも,これから生み出す身軽な未来を相手にするのではない,酸いも甘いも溜まりに溜まった重たい過去と現在を扱うのだから,それ相応の覚悟が必要だと覚悟しなければ。

 そんな研究の傍らで,とあるアプリのことを考える日々が続いている。Share Anytimeである。

 私の好きなアプリにNote Anytimeというノートアプリがあって,仕事や出張時のメモやノートとして常用している。iPadがメインの場合は、Note Anytimeでアイデアや文章を考えて,適宜ほかのアプリと連携するという使い方である。また、作成した文書の校正作業もPDF化してNote Anytimeに読み込んで行なったりする。

 そのNoteAnytimeの姉妹アプリがShare Anytimeである。

 Note Anytimeはタブレット端末上での手書きノートという課題に本気で取り組んだアプリだったけれども,Share Anytimeはインターネットを介したコラボレーションノートという課題に取り組んでいるアプリだ。

 Note Anytimeを真っ先に小学校の出張授業で活用したことを事例として取り上げていただいたご縁で,MetaMoJi社に訪問したとき,このアプリのプロトタイプを見せていただいたことがあった。50人が同時に書き込む実験を行なった,あのデモ映像を見た時の衝撃は大きく,これを教育の分野で活用する可能性に思いを巡らせた。

 しかし一方で,コラボレーションアプリを教育学習に活かすことの難しさも感じていた。それに関してはりんラボのブログでも書いた。コラボレーションアプリには一定の利用価値があるけれども,よほど上手に場面設定しないと個に返る学習成果には結びつかないことも起こり得る。仕組みや現象としての協働活動自体には,それほど大きな意味はないからだ。

 そして,何よりこの手のアプリで一番難しいところは,利用環境の設定や整備である。

 コラボレーションするためのコラボレーションアプリというものが,そもそも個人を基本とする学習環境でどのように導入されるべきなのか,実際のところしっくり来ていないのである。

 フューチュースクール推進&学びのイノベーションの両事業において,校内ネットワークをベースとした授業支援システムやコラボレーションソフトを利用した授業というものを幾つも見てきたし,それはそれで成り立っているように思う。けれども,私にとっては,そこで協働作業された一切合切のデータがいまどのように保存されたり,再利用されたり,あるいは処分されているのかの方が数万倍重要な研究対象だと思っていて,もしそれが授業支援システムやコラボレーションソフトでなければ見られなかったとしたら,児童生徒はのちのち自分の学習にアクセスするのが大変だと思うのである。

 もちろん,協働学習で生成されたデータなど,学習が終われば(目標が達成されれば)見返すにも値しないものだと見なすのであれば,授業支援システムやコラボレーションソフトに閉じていようが,都合によって破棄されようが問題ではないのかも知れない。しかし,わざわざ入れたシステムやソフトによる結末がそれだとしたら,私にはそのことがよく分からない。だったらデジカメで撮影して残せばと言われたら,もっと分からない。

 だから,Share Anytimeのプロトタイプを見た時,これがNote Anytimeに装備される機能だと思って,可能性を見いだしたのだった。個人が日常的に使うノートアプリが,必要に応じて他者とのコラボレーションにも使え,その成果を自分のノートに残しておける。協働学習の成果を個人に返すことが出来る初めてのアプリが登場すると夢想したからだった。

 コラボレーションを実現するアプリに関する思索は,もう少し前からしていた。

 私が東京暮らしで2度目の大学院生をしていた時,後輩が大学の講義におけるバックチャネルとノートテイキングの学習への可能性について研究していた。ゼミで「協同ノートテイキング」に関して報告と議論をしていた時に,私なりに考えていたデジタルノートのコラボレーションの在り方を発言したことが,私の中で思索を深めるきっかけとなった。

 ちょうどその時期,小学校に出入りしていたので,学校の文書を既存のグループウェアで管理することの難しさについていろいろ考えを巡らせていて,アクセス権限というものを根本的に考え直す必要があるのではないかと思っていた。協同ノートテイキングも,自分の書いたノートを相手とどのように共有するのかという点にアクセス権の考え方の再考が必要だと思ったのだった。

 その時に思い描いたのが,普段は自分のノートなのだけれども,自分のノートの好きな部分を外部に対してオープンにできて,お互いが相手のノートの許された部分を覗き合えて,それを引っ張ってくることも出来るというものだった。あるいは逆に,基本は外部にオープンなノートであり,指定した部分をプライベートにできるという使い方もできるもの。そうすれば,同じ講義を受けているもの同士でノートを共有でき,後輩の研究の文脈でいうバックチャネルも活性化するのではないかと考えていた。

 しかし,それを実現するには技術的な課題も多く,無い物ねだりといった認識で立ち止まっていた。少なくとも,あのプロトタイプを見るまでは。

 遠くない将来に製品化するという言葉を社長さんから聞き,私はのんびり待った。待つのは得意だ。しかし実際には,それほど待つこともなかった。

 やがて登場したのは,コラボレーション機能付きNote Anytimeではなくて,Share Anytimeだった。正直なことを書けば,困惑というか,「う〜ん」という気持ちが先に立った。独立したアプリになるとは思わなかったから。

 いろいろ触らせていただいて,Share AnytimeをNote Anytimeの代替アプリに使えないかと試したりもしていた。けれど最初のバージョンは大好きな万年筆のペン先選択が無い…。代替アプリとしてはまだ成熟を待たねばならなかった。うん,待つのは得意だ。

 何でもかんでも一つに詰め込むのはよくないという考え方も正解だろうし,2つのアプリが連携すればよいだけのことだし,ビジネス的なこともあるだろうから,新しい妹アプリの誕生を素直に喜ぶことにした。

 とにかく,多人数の書き込みがリアルタイムに反映されるシステムというのはインパクトが強かった。それ以上に,場所と時間を超えて情報の差分を届けることができることに感銘を受けた。

 授業で多人数が書き込めればそれで学習が成り立つわけではないが,このアプリの可能性を生かす場面がどこかにあるんじゃないかとも思い,それ以来,あれこれ考え続けているというわけである。

 先日(7/7)にNote AnytimeとShare Anytimeの新バージョンが登場した。

 Share Anytimeはシェアノートの書き込み権限の考え方を一新した。旧版は,フリー会議と限定会議という種類を用意して,シェアノート作成者が種類に応じて権限を設定する方法をとっていて,分かりやすいとは言えなかった。

 新しい方式は,種類を撤廃して,作成者が権限を設定するシンプルな形に変化した。これは重要な改善の一歩だと思う。あとは作成者が権限を設定する方法をどれだけ現実的な状況にあわせて簡便にできるか解決するだけだから。

 それでもShare Anytimeを実際に活用しようとするには「ハードル越え」の必要性が残っている。いざ利用すると決めて環境を整備するような導入方法なら問題はないが,そのための環境を用意するわけでもない私のような教員が授業で軽く使い始めるには超えなければならないハードルがいくつもある。

 これはShare Anytimeに限った話ではない。ほとんどのコラボレーションアプリがこれに失敗しているのである。だからほとんどのコラボレーションアプリは会社やビジネス利用のような大掛かりな事例しかなく,個人が気軽に使っていますという事例を聞かないのだ。

 Share Anytimeは確かに目新しいコラボレーションシステムを売り物にしているけれど,私にとってShare Anytimeの生命線はNote Anytimeの姉妹アプリであるということに他ならない。個人に返るコラボレーションは,個人のノートに返せるシェアノートとの連携なしには実現しないからである。

 この利点は,他のアプリやソフトにはない。だからずっとShare Anytimeの事を考えている。

早寝早起き

 恒例の歳取りがあって,早寝早起き生活をすることにした。あえて無理しなくても歳取れば嫌でも早起きになるのかも知れないが,この3〜4年間のフューチャースクール追っかけ生活が一段落するにあたって,新たなペースを確立しなければならない時期がやってきたとも思うので,積極的に切り替えることにした。

 残業&夜更かし生活に慣れたところを朝型&早朝出勤に変えられるのか怪しいものだが,3月は授業が無いだけに融通を利かせやすく,意外とあっさり切り替えてしまった。

 いままでは夜の暗い環境の中だとゆっくり作業に没頭できると感じて寝ずに起きていたりして,それが終わりのない夜更かしになりやすく睡眠時間を短縮させていたわけでもある。

 けれども,暗い環境で作業するのが好きならば,一日の未明に作業するのも同じこと。

 残業して遅い時間に帰宅する生活も,精神衛生的にも寂しいので,明るいうちに帰るように心がけることにした。

 やってみて大きな変化は,一日が長く感じられるようになったこと。

 朝のドタバタがないので,一日の始まりに落ち着きがある。いままでゴミ出しもドタバタしていると後手に回って家の中に溜まりがちだったが,家事をしてゴミ出ししても出勤に慌てることがない。

 職場もまだ出勤する人も少ないので,残業して人が少ない環境に似ている。むしろ,学生たちが行き来しない分だけ静かなので理想的でさえある。授業が始まってみないとどうなるか分からないが,この調子なら授業の朝準備も慌てずに行なうことができそうだ。

 帰りは,明るいうちに職場を離れるのが若干後ろめたい気分が残るものの,お店が閉まっておらず活気がある頃に帰路につけるのは気分的にも嬉しい。夕食の材料をスーパーに買いに行く際も商品が残っていて選択肢が増える。

 デメリットは,テレビ番組を見てしまうと就寝時間がずれ込んだりすること。しかし,幸いテレビ離れも進んでしまったし,見たい番組は録画すればタイムシフト可能だから,これはやり方次第で解決する。これからは,自宅での作業も含めて,とことん未明や朝にシフトさせていくことがポイントだなと思う。

 また,他人と合わせて動く時には,この早寝早起きは途端に難しくなるのかも知れない。夜仕事を終えてから飲みに行くなんて機会があると,次の朝が辛いかも。まぁ,これも幸い付き合いがほとんどないので日常的には心配なさそう。

 どれだけ早く寝て,いつもの時間の早く起きれるか,ゲーム感覚で自分に課して続けよう。

年度の隙間

 2〜3月は年度末ということもあって慌ただしくもあり,逆に授業が一段落ついたので時間的な柔軟性が増す時期でもある。悪巧みはこういうときに膨らませやすい。

 果たして国の事業に関わっていなかったら出張をこんなに頻繁に出かけていたのか,今となっては分からないが,時間的な融通は東京出張などもし易い。平日に国立国会図書館などで資料探しをすることができるのも,この時期ならではである。

 とはいえ今年は,関東地方が大雪に見舞われて大変な事態になっているので,その渦中に飛び込むかと思うと不安も大きい。なんだかんだと悪天候にあってもギリギリのところですり抜けて逃げ出せることも多いのだが,今回は覚悟が必要かもしれない。

 最近はあれこれ図表化する作業を片手間に進めている。

 情報デザインやインフォグラフィックには関心を持ち続けていたので,そうしたテイストを盛り込めないかと思うのだが,関心があることと出来ることは違うのだというのは当たり前で,やはり絵心って大事だなと思ったりする。

 とにかく論文にしろ書籍にしろ執筆するには収集した情報を整理して見える化しなければならないことは明らかで,そろそろその作業も並行して進めないと時間的にもきついのかなと思っている。まぁ,わりとそういう作業は好きな方なので苦痛ではない。

 さて,いろいろ雑事も多いが頑張ろう。

計算が紡ぎ出す

 長時間稼働させて不調となったRAIDハードディスクを復旧する作業を走らせている。もっともその作業にたどり着く前にハードウェアの不調があり,それを乗り越える試行錯誤もあった。偶然にもハードウェアが復活したので,ファイル修復ソフトを動かして,あとはスキャン作業を待つだけである。もちろん,修復が成功するのかは終わってみないとわからない。

 RAIDハードディスクなのにハードウェアが故障しては本末転倒。しかもRAIDのタイプをデータ保護優先にしなかったために復旧も面倒と泣きっ面に蜂状態だ。次回からはRAIDのタイプを保護優先で使うことにしたい。

 Macには「Data Rescue」という優秀なファイル修復ソフトが存在している(PC版も存在する)が,今回はハードウェア側の試行錯誤があだになって,本領発揮が難しいかもしれない。いずれにしても,高度な計算を繰り返しながら修復可能性のあるファイルを探し出している最中である。最後には,修復が成功しているかどうかを目視で確認しながら修復する。

 SNSに情報やつぶやきを投げ込むことが当たり前になってきて,インターネットを介して閲覧する表現物が多様な形をとるのも珍しくなくなっている。

 ツイッターのタイムラインが各人異なっており,大量のツイートが機械計算によって振り分けられて出力されていくのは,最初の頃には馴染みが薄く理解するのに苦労した。

 Facebookの近況書き込みやコメント,いいね反応なども,さまざまな利用履歴を分析して計算した上で表示結果が算出される。変化に富んでいるといえば聞こえはいいが,落ち着きがないから情報の軽重も定まらないまま押し流されていく。

 ブログも頻繁に更新すると落ち着かないものだが,それでも最終的な表現結果について人間本人が責任を持っているという点では,計算で紡ぎ出されたものより安心かもしれない。

 計算で紡ぎ出すものが非人間的だからダメとかいう話をしたいわけではない。仮にそれが非人間的だとしても,嫌ならば最後に人間が介在すれば済むことであって,時々は自分の直面している事態を引いて眺めてみるのは大事だよねという,いつもの駄文に過ぎない。

 教育の情報化に関する議論は,いつも引いたところで他の選択肢のことを慮って,それぞれの選択を主張すべきだと思うのだが,わりと引き足りない人たちが多くて古めかしい型式の議論に閉じこめられている人が多いように思える。

 デジタルがアナログを駆逐するはずもなく,むしろ思惑とは裏腹にアナログな作業がさらに要求されることを見て見ぬふりしているだけなのだ。その増えるアナログ部分にこそ本当の力を注ぎたいというにもかかわらず,まるで不必要な仕事が増えるかのようなとらえ方しかしてもらえない。

 ある商品を見るとき,その商品を実現たらしめている技術や設計のフレームワーク理解をする。根幹に採用されている仕組みが理解できれば,どれだけ根や葉を気にしているかもわかってくる。

 私たち人間も論理的な行動をとる場合には,判断材料と判断基準があって,それを思考して判断結果としての言動が決定される。もちろん飛躍も人間にはつきものだが,それもおおよそ経験則で捕らえられるものである。計算高い人間がいることはよく知られたことでもある。

 そんなことをぼんやり考えながらファイル修復作業が進行しているグラフを眺めているが,果たして修復されようとしているファイルは正常なものなのだろうか,そもそも修復されようとしているファイルにはどれほどの価値があるというのだろうか。

 実のところ,そのままハードディスクの故障とともに消え去っても良いデータばかりなのかもしれない。計算が紡ぎ出すものの中身は,結局,その程度のものなのだと思ったほうが残りの人生を楽しめるというものだろう。

“有識者”なるものに座ってみて

 2010年にひょんなことから総務省フューチャースクール推進事業に関わることになり,末端の研究者で地域担当ではあったものの「有識者」なる座席につくこととなって3〜4年が経過した。

 始まる直前に書いた駄文には,えらく前のめりなことが書いてあるのだが,結局のところ,その席に座ってみたからといって私はほとんど何も変わらなかったし,何も出来なかったと思う。

 いや,おかげさまで国の事業の仕組みがある程度は勉強できた。

 現実逃避は過去に遡って,年表のようなものを生み出した。

 関係者だとかこつけて,国内のあちこちに出張することもした。

 しばしの間,ちやほやもされた。

 そうやって,なんとなく仕事やっています風の数年が経過し,とりあえず私の仕事は残り数ヶ月で終わろうとしている。一実証校を担当するだけの研究者が騒いだ成果としては悪くないともいえるが,とにかく長かったお祭り騒ぎがようやく一段落するのかと思うと,ちょっとだけホッとする自分もいる。

 担当になった実証校は素晴らしい小学校で,月に一度訪れるか訪れないかといった頻度では,まったく追いつけないほど目まぐるしく変化する学校だった。それは日常的に変化を楽しんでいるというか,いろんな可能性を試してみることに躊躇がないというか,とにかく全国に10校ある実証校の中で最も冒険的な性格を持つ実証校だといえる。

 それというのも,その地域が教育における情報化の対応について早い時期から取り組んでいたという歴史があり,先生方に情報機器の活用に対する一定程度の認識が共有されていたこと,また長年にわたって地域の情報化対応に尽力されてきた先生が実証校に在職されていたことも好影響した。必ずしも全ての先生方がICT機器の活用に長けているわけではないけれども,取り組みを支える環境としては申し分ない条件があらかじめ揃っていた。

 その上,フューチャースクール推進事業では常駐ICT支援員が1名配置され人的な補助も加わることになるのだが,やって来たICT支援員は好奇心と向上心に満ちた類いまれなる才能をもった人物だったことは特筆すべきことのひとつだと思う。

 ICT支援員は,ICT環境のトラブル対応などを前提とした役割で配置されたが,学校に勤務する以上は教職員の一人として学校に加わり,児童達からは(パソコンを主に扱えど)「先生」という存在として関わり始めることになった。その中で,技術的なスキルの向上はもちろんのこと,学校教育における様々な事象についても学ぶこととなり,取り組み当初はハードウェアなどのトラブル対応が主だった仕事も,目立ったトラブルが治まってからは授業づくりに積極的に関わる仕事内容になったことは当然の成り行きだったと思われる。

 斯くして,担当していた実証校は,教育という本筋を押さえながらも,ICT機器のもっている可能性を探るため,あれこれ気軽に使い倒してみる雰囲気が出てきた。先生達同士のざっくばらんなコミュニケーションの中で,冗談のようなアイデアが飛び出した時に,ICT支援員がそれに応えようと本当に実現してしまったりする機会が増える毎に,全員がICTを活用した授業づくりのアイデアを練る楽しさに引き込まれていったことは想像に難くない。

 最後の公開事業研究会の際,実証校から「学びのイノベーション事業は,教師の協働的な学びや授業作りを促した」というまとめが発表されたことは,そのことを指していると思う。

 さて,担当研究者である。

 たまに実証校に顔を出せば,次から次へと興味深い取り組みや変化を聞かされる。それも,ほんの一部なのだろう。最初はできる限り把握するように努めようと思ったが,時間も経たず,そんな努力は無意味なことだと理解した。次にやって来れば,前に聞いた話はガラッと変わっているのだから。

 担当実証校について訳知り顔をすることはできなかった。

 担当者としてプレゼンを求められても,間違っているのではないかと不安ばかりが募った。

 私は何を「有識」しているのだろう。

 次々に会う関係者は数が多くて覚えるのが大変だった。

 話題にされる名前や言葉は耳慣れないものが多すぎた。

 これは一体全体,何をゴールにした事業なのかさえ分からなくなってきた。

 私は旅に出ることにした。

 まずは,省庁で行なわれる研究会や協議会を傍聴しに出かけた。

 雲の上の連中は,一体何を話し,何を見ているのか,確かめたかった。

 けれどそこに何があるというわけではないことが分かった。

 ならば,他の実証校はどうなのか。

 雲の上に何もないなら,全国10校の実証校では何が起こっているのか。

 私の当て所もない実証校巡りの旅が始まった。

 視察という体の良さとは裏腹に,事業にどう関わればよいのかという問いの答えを探すような旅だった。

 それと同時に,過去に遡ることもした。

 歴史を掘り起こそうとは,前々から考えていたが,絶好の機会だった。

 過去から現在に至る道のりを辿れば,関わり方のヒントが見出せるかも知れない。

 知らない名前や言葉も,そうする中で理解できるかも知れない。

 やみくもに古い資料を漁り続け,コピーし続けた。

 旅の途中の様々な出会いは,嬉しい出来事にも繋がった。

 途中,何度も苦い思いを味わった。

 怒りを感じた時も多々あるが,そういう目に遭うのは自分の足りなさのせいでもあった。

 もちろん,いろいろ迷惑もかけた。自由すぎる自分の器の小ささは諦めるしかない。

 そうやって時間を潰してきて,気がつくともうすぐお役御免である。

 教育の情報化対応についてあれこれ蓄積することはできたものの,フューチャースクール推進事業や学びのイノベーション事業において何か自分なりに達成感があるかと問うと,何もできなかったという答えしか思い浮かばない。達成感というよりは,疲労感たっぷりである。

 もっとも,そういう問いは自問自答するものでもないので,他者の評価にゆだねるしかない。

 ところで,旅の成果はあったのか。

 答えらしきものは見つかったのか。

 全国をめぐってぼんやり思ったのは,めぐることに意味があるということだった。

 四国八十八ヶ所めぐりのような境地とはまた別なのだろうけれど,巡り訪れ,相手の話を聞いたり自分のことを話したりする,そのこと自体に意味が生ずるような感触を得たりした。

 研究者はどんなにひっくり返っても外部の存在。ならば,そういう立場で接するという行為自体に儀式的な意味があるのだろう。実用的には役立っていないとしても,巡って訪れる者が居るという世界の中で,私たちは何かに取り組み営んでいる。ただそれだけなのだ。

 でも,私の貯金は底をつきそうなので,それもそろそろ終わらないとね。

前略

 過日は,長らく連絡を差し上げない中で突然に面会をお願いして,お忙しいところをお邪魔いたしました。久し振りにお話が出来て,とても嬉しかったです。

 先生のもとで学んでから,早17年が経とうとしています。

 自分が不出来であることは繰り返すまでもありませんが,少しは賑わいになるからでしょうか,最近は文部科学省でアルバイトする機会をいただいています。

 在学当時,先生が文部省の審議会に出席されるお話しを聞くたび,そんな雲の上のような場所で仕事をするとは,どんな世界なのだろうかと思っていました。

 いまこうして文部科学省に出入りさせていただくようになって,そのときの想像との違いなど楽しみながら仕事をさせていただいています。もっとも,私自身はこの手の仕事の作法に慣れておらず,思いつくことを好き勝手に発言して周りを困らせている程度です。

 ほぼ同時期に,教育内容と指導方法が別々の会議で議論されているのは不思議なものです。しかも先生がいらっしゃる方は初等中等教育局,私がいるのは生涯学習政策局という別の部局。お互い遠巻きには情報が漏れ伝わっているのかも知れませんが,縦割り組織の難しさからか,連携しているとは言い難いのが現状です。

 そちら教育目標・内容・評価の議論で「求められる資質・能力の枠組み」が検討されているわけですが,こちらの指導方法の議論ではICTなどの道具も活用したイノベーティブな学びの姿とそのための指導方法のモデル化を検討しています。

 21世紀型のスキルや能力といったキーワードで緩やかに繋がっているようにも思いますが,それにしてもこの辺の大きな地図を誰かが把握して事態は進行しているのでしょうか。そういう意味で指導方法に関する先生のご意見も聞いてみたいと思ったりします。

 ただ,あと残り少しで私に何が出来るとも言えないので,大きな変化よりは小さな最善を盛り込むことに努力できたらなと思います。

 17年前は,インターネットも普及の手前だったこともあり,もう少しゆっくりと物事を考えたり,小難しい本を読む余裕があったように思います。

 それから環境も立場も変わってしまいましたし,歳もとったために,ただでさえ無かった能力が衰退していること否定できません。それでいて何かを諦め切れてない自分の浅はかさにいまだ悩まされています。

 とにかく,いまはいただいた仕事を自分なりに頑張りつつ,一段落したら落ち着いて研究作業に没頭したいと思う今日この頃です。

 

振り回して振り回されて

 ぼちぼち2012年度から2013年度へ。この3月で,国の事業に関わるお仕事が終わる。

 総務省のフューチャースクール推進事業では,徳島県東みよし町立足代小学校の担当研究者を務めた。もっとも,実質的には何の仕事ができるわけでもないので,立場を活かして行政についての動向と歴史を調査する作業に明け暮れた。文部科学省の学びのイノベーション事業でもアルバイトをした。指導方法のWTで最初のたたき台議論に参加し、ここでも行政の一幕を垣間見た。

 いろいろ勉強になって楽しかったが、どちらにしても性には合わないようなので,お役目が終わってホッとしている。郷に入っては郷に従えとは言うものの、それじゃ面白くないので好き勝手に振る舞った。ご迷惑をおかけしたこともあったから,これで一区切りつくのは良いタイミングである。

 国の仕事に関わる以前も、自分なりに関心を持って国の動向を理解していたつもりだが、仕事を請け負って,それがまったく浅いものであったことを痛感した。通り一遍の出来事知識では,この界隈の事柄を正確に把握することが難しいことを思い知る。

 歴史を探らなければと思った。様々な要素が複雑に絡み合う歴史の流れを追い置ける必要性。

 ところが,この界隈の歴史を知るための知見の整理がないことも知る。

 公表されている先行知見は,大ざっぱな整理の域を脱し切れておらず,基礎調査を踏まえた歴史情報としての信頼性に不安も少なくなかった。

 教育分野の情報化に関わる「ひと・もの・かね」の出来事を追いかけるため,一次資料・二次資料を渉猟して確かめていく必要がある。

 国の仕事をお手伝いしたのは,その作業に取り掛かるのに,とても役立ったと思う。

 歴史を追いかけ始めてから,過去を知る人物が幾人もこの世を去っていく。

 資料も集約されているとはいえず、散逸しているものも少なくない。

 関係するアクターが多種多様で、それぞれがそれぞれの考えや場で動いている。

 社会一般の人々は,ときどき伝わる断片をもとに想像を膨らませて理解する。

 知見や成果が積み重ねられることもなく,進捗も不明確になりやすい。

 こういう悪循環から抜け出す必要がある。

 そのためにも,過去の出来事と現在の出来事を歴史の流れとして整理する基礎作業が必要だと思う。

 基礎作業を曖昧なまま特定主題を議論しようとしても,関係性を踏まえた理解に届かない。

 2013年は,そのための作業を加速させたいと思う。

 iPadのような興味深いデバイスが登場した今、これをどう活用するかは教育実践を担う専門家である教師が考えていけばよいフェーズになった。教師が試行錯誤できる環境の確保こそ大事と思う。

 そうなると,研究者としての関心は、過去の歴史に向かうか、もっと先の未来を考えるかである。

 私は過去を遡ろうと思う。

 

活字とフォントを想いながら

 書かれた計画が実践されることの過程に関心があって、カリキュラム研究の世界に足を踏み入れたのだけれども、その問題意識をうまく主題にすることもままならず、幾年も時間が経ってしまった。

 書かれたものと実践することの狭間。

 パソコンとネットワークが、この問題ととても関わりがあることを直観したことから、情報とカリキュラムを考えることが私のテーマだと悟って、領域の越境を試みたものの、もともと要領がよいわけではないから、越境だけでくたびれてしまった感じがある。

 国の事業に関わることになって、七転八倒を演じてみたことで、いまさらながら過去と現在と未来を見通すことの重要性と,自分の関心がこの見通しの関係性と重なることを理解した。

 過去の積み重ねと未来を指向する現在。

 正直なところ、私は歴史が苦手な児童生徒学生であった。記憶せねばならない対象としてのそれは、私の手に余るものだった。けれども、歴史の重みを七転八倒の中で再確認する。私たちは過去を無かったことにして現在や未来だけに関わることはできない。そのことを嫌というほど感じた。

 過去を見直す作業を始めた。

 まずは文献資料を掘り起こして整理することから。もっと早くに始めておけばよかったとも思う。でも今始められてよかったとも思う。

 過去の文献資料は、コンピュータで検索できるようになったとはいえ、実物は活字印刷物であることがほとんどである。1995年頃にインターネットが普及し出すまでは圧倒的に活字印刷物が主流であり,21世紀に入ると電子資料といったものがあれこれ増えてくる。

 活字とフォントによって表記された資料を縦横無尽に集めて整理する作業は大変である。作業自体はまだ途上なので,途中成果といったものも乏しい。

 しかし、記録を確認する作業にあって、その信憑性を推し量ることがこんなにも慎重を期さねばならないものだとは想像もしなかった。

 フォントによって表示された電子資料は、改変性の高さもあって信憑性に一定の疑念を持ち続けなければならないというのは、ある程度承知もしていたし,覚悟していた。

 活字によって印字された印刷資料は、学術論文ならば査読の手続きによって信憑性が担保されているが、そうではない著書や雑誌論稿には誤字や誤認や曖昧さが少なからずあり、発表時期の古さと相まって事実確認に手間がかかることも多い。

 過去を見直す作業の必要性は確信になっているが、半世紀にも満たない歴史を振り返るだけで、こんな苦労を背負い込む実情に唖然ともしている。でも、最近は楽しくなってきている。

 そして、〈デジタル教科書〉関連本の件である。

 2010年頃から賑やかになってきたテーマであるから,それに関連する書籍がいくつか出版された。関心の高い問題にいろんな文献資料が登場することは好ましいと思うが,問題を抱えたものもある。

 特に私は次の2冊については、問題が大きいと考えている。

 ○中村伊知哉・石戸奈々子『デジタル教科書革命』ソフトバンククリエイティブ2010
 ○新井紀子『ほんとうにいいの?デジタル教科書』岩波ブックレット2012

 この2冊の著者達は〈デジタル教科書〉に関する動向の中枢に関わる当事者でありながら(であるからこそかも知れないが…)、劣悪な著作を活字として世に出した。

 何をもって「劣悪」と書くのかといえば,先々の時代に過去の文献資料として参照された場合、信憑性のある資料としての価値を大きく落としているからである。

 たとえば、中村伊知哉氏と石戸奈々子氏の著作は、他者の著作物の一部を無断引用した疑惑を抱えている(関連情報)。この事実に対して釈明などがないまま著作は絶版化し、図書館などに所蔵されたものが閲覧できる状態にある。

 当世の読み物としての価値を重視しただけなのかも知れないが,デジタル教科書に関して理解を得て推進しようとする立場の人間が、このような中途半端な著作の放置の仕方をするのは褒められた姿勢ではないし,記録として残る文献資料としては信頼性に大きく欠けることになる。

 新井紀子氏の著作は、上記のような問題はないものの、著者自身が謳っているような平等な議論の理解をしようとするには、大小多くの問題点が含まれている。

 この本を「あるデジタル教科書懸念派の数学者が書いた問題提起」と割り切って読めば,それほど大きな問題ではない。その偏った問題意識も乱れた文章展開も、懸念と批判のためであると明らかであれば、読み手はいくらでも調整が可能だからである。

 しかし新井氏は、あくまでも論点をまとめサイトのように分かりやすく提示しているだけだと主張し,自分自身は当事者ではなく中立な第三者な風を装っている。これでは、記録として残る文献資料として後世の人々を欺くことになってしまう。

 過去の文献資料を調べる作業をしている身としては,このような記録の残し方がとても腹立たしく思えるのである。こんなことは、現在の私にとって損得にはならないが、未来の私と同じ作業をする人間にとっては面倒な苦労になる。そう思うと恥ずかしくすら思う。

 一般書に対して何を怒っているのかと思われるかも知れない。昔の一般書だって正確さや出来に関して褒められるものが多いわけじゃない。そもそも一般書ってそんなもんじゃないと割り切ることが自然なんだと多くの人が思っているだろう。

 私もそれがジャーナリストや作家や編集者が書いたものなら、目くじら立てる気もない。斉藤貴男が『世界』誌の連載でフューチャースクール実証校の数を間違えて記述したとしても,別にそんなの気にしない。

 けれども、この3人はそろいも揃って研究とか大学とかと深いかかわりにあり、デジタル教科書に関しては主要なアクターという当事者の立場にある人間である。そういう立場にある人間が,印刷書籍においてこんな乱暴な仕事をしていることを、受け手である私たちが腹立たしく思わず、他に誰が腹立たしく思うべきなのか。

 私はこの3人に猛省を促したいし、この2冊の著作について無批判に扱っている人間に対しては、その真意を問うなど厳しい態度をとらざる得ない。

 もちろん、こうした批判は、私自身にも向けられる可能性はある。

 後世に役立つ記録を残し得ているのだろうか。頼まれ仕事で書いた一つひとつの文章は、読み手を欺いてはいないだろうか。真意を届けるために言葉を選び間違えてはいないだろうか。

 活字媒体のための原稿はもちろん、こうしたフォントによる電子媒体に書く文章も、気を配りながら書いている。

 確かに、主張を効果的に見せるために、芝居がかった言い回しは飛び出す。小気味よさや、見栄を切った文章は、小さいながらも人々の感情に働き掛けて、私が正論を述べているように見えるよう誘導していることだろう。

 だからこそ、そのことをいつも傍ら自戒しながら、できるだけ気を配って文章を書き綴るしかない。

 両親に感謝するこの日に、あらためて自分の作業を確認しながら、そう思いを新たにした。

 まだまだ頑張ります。
 

なぜかプログラミングから始まる…

 年が明けて,最初の仕事は研究会出席の東京出張。

 フューチャースクール実証校めぐりを報告して,この分野の今後の方向性について諸先輩方の研究を学んだ。現状を把握することは歴史記録を残すためにも大事なことだと思う一方で,自分の動いている範囲がずれているのではないかという違和感も増していく。

 ずれを抱え込むことは何事においても重要なことなのだが,ずれが全体への問いかけにならなければ意味がない。それがうまいことできていないのではないかと感じている。

 太陽を見過ぎたのかも知れない。少しばかり遠ざけていたりする。

 それというのも,日々の仕事の傍らでプログラミング作業を再開したから。

 私がプログラミングに手をかけるというのは,何から遠ざかるためであることが多い。今回もきっとそういう気分になったのだろう。そうやって対象との距離を置いて,少し冷ましてから再度取り組むことがよい場合もある。

 以前,開発し公開していたiPhoneアプリをアップデートした。

 ところで,プログラミング教育を推進する人たちの活動を見ていると,少し複雑な思いになる。アプリ開発の経験からプログラミングを教育することは必要にも思えるけれど,私にとってのプログラミングは「没入」の要素が強く,そういうものを学校教育に取り入れるとしたらどういうバランスがよいのか,冷静になって判断が難しいとも思うからである。

 けれども,最近の補正予算で設けられた「理科教育設備整備費等補助」に見られる理科教育の推進の動きを見ると,いまは理科教育よりも情報科教育を推進する方が必要なのではないかとも思う。バランスを考えれば,圧倒的に情報科をプッシュして層を分厚くすべきである。

 先日のセンター試験の数学には,BASICの問題が含まれていて,う〜んと悩んでしまった。依然としてBASIC言語は学習のための基本言語足り得るのか。いきなりC言語じゃ駄目なんだろうか。あるいは,RubyやPHP,JavaScriptの方がもう少し現代的で役立つのではなかろうか。なんか無難なところでBASIC言語に落ち着いているとしか思えないのは,私の偏った見方なのか。

 道楽半分でObjective-Cを操りiPhoneアプリを作っている人間になってしまったので,その辺の議論を冷静にできなくなっていることが悔やまれる。

 私にとって,アプリ開発は,道楽であり,自己満足であり,技術的冒険であり,収益源でもあり,没入行為である。もちろん,アプリユーザーとのソーシャルな繋がりを生むツールでもある。そうした多様な存在であるだけに,これをどのような意義で教育の中に取り込むべきか,そのことについて世間的なコンセンサスをどこに持って行くべきなのか,迷いも多い。

 プログラミングも一段落して,出前授業や定期試験やお客様対応や出張準備など,相変わらずバタバタな日々が続いている。

 今年は情報発信を心掛ける一年にしたいと思っていたが,初っぱなから崩壊気味。最初に発信するのはアプリとなったが,あれやこれやまとめていかないとなぁと思う。