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内部文書

 入手した教育逆再生会議の内部文書は驚くべき内容だった。すでに多くの識者が指摘や批判をしている通り,教育水準の衰退化による国民統制のし易さとコストの低減,地方分権による格差の確保と国家行政不備からのミスディレクションなどのシナリオが明確に記されている。
 会議の公開/非公開議論についても,最終的には非公開とすることは決定済みであったようだ。情報の枯渇によるマスコミ報道の特性は事前に分析し尽くされており,細分化された議題を小出しに分散報道させることが,結果的には一般の関心を低下させる効果をもたらすことが企図されている。
 文書に手書きで書き込みされたメモには,ツッパリ先生として知られる担当室長を利用するアイデアが示されていた。室長をマスコミ報道に登場させることで本人の自己顕示欲を満たし,一般ウケをねらいつつ,報道に関する問題が発生した場合には本人をスケープゴートに仕立てる方針のようだ。官僚としては,利用しやすく切りやすい人物を重要ポストに就けた方がやりやすいという慣習がある。そもそも過去の発言の不整合など問題をたくさん抱える彼はそれに適任というわけだ。
 内容や手書きメモ部分から,この内部文書は私たちがマスコミやWebサイトから見ることができるメンバーによって作成されたり,その中で配布されたものではないことは明らかである。
 文部化学省自体の解体論にまで触れている箇所があることから文化省側の関係者でないことは想像できるが,安部内閣周辺によるものか,内閣部に通じる関係者によるものなのか,あるいは自眠党関係者なのかはハッキリしない。
 いずれにせよ,安部首相という,この国の教育を壊してまでも憲法改正を達成し,後世に名を残すことこそ最終目的と考えている総理大臣のもと,内部文書に記されたシナリオが着々と進行している。教育逆再生会議に名を連ねる経済人達も,そのような方向性によって自らの事業が潤うことを歓迎しており,異を唱える教育者や研究者の発言の影響を薄めるためにも非公開は当然だったようだ。
 内部文書は次のように結ばれている。
 「今日,様々な問題が我が国の衰退現象として語られる。しかし,問題なのは人々の問題意識が高まり,疑念などによって行動効率が低下し,ひいては消費効率,経済効率が低下することにつながっていることである。まさに教育こそ問題である。
 我が国には,英語教育効果の抑制に成功してきた実績がある。このことによって日本語圏を枠組みとした経済市場の囲い込み体制を維持してきた。また,通訳・翻訳市場の活性化や,現状を維持できる範囲で民間英語教育市場の発展にも貢献した。
 我が国が今後も経済大国として持続し,再び世界でナンバー・ワンの地位を取り戻すためには,教育の効果を可能な限り抑制し,従順な愛国者,従順な消費者,従順な労働者を輩出しなければならない。そのためのレリバンスを高め,コストを低くすることこそ,我が国をかつての勢いにまで逆再生する唯一の途である。」

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東大・学力問題に関する全国調査

 東京大学21世紀COE・基礎学力研究開発センターによって「学力問題に関する全国調査2006」が行なわれ,その最終結果が質問紙と共にWebサイトに掲載されていた。大変興味深い基礎調査になっている。
 ちなみに日本教育新聞(10/2付)に東京大学・金子元久教授が解説記事を書いているので,併せて見ると分かりやすいと思う。質問紙と集計表を見るだけでもいろいろ見えてくる。
 金子先生の解説をさらに勝手にかい摘んで紹介すると…。アンケートに回答したのは全国の小中学校の校長先生。校長先生たちは,子どもが以前より教えにくくなったと感じ,その背景として教員の質の低下とは考えておらず,むしろ家庭の教育力低下や問題が大きくなっていると考えている。教育改革についても早すぎて現場が追いついていないと感じ,教育問題が政治化されすぎているとも考えているようだ。将来については,子どもの学力格差が広がるという観測を持っている。以上,こんな感じである。
 解説記事では,校長先生たちが答えたことによるバイアスがある点について留意しながらも,極めて高い比率でこのような傾向を示している事実についても考えるべきだと述べている。
 実際の集計値解釈は多様なので,必ずしも上の如く端折ったようには数字を読まない立場もあると思う。それに,この調子だと学校や教員側に悪い点が何もないような印象も受けてしまうだろう。これは質問内容が学校教育の問題点をえぐり出すようなものではないことも関係している。
 それから学力向上の取り組みの効果を質問する項目で,習熟度別学習指導について聞く部分がある。最近では習熟度別学習をネガティブに捉える論説・論考があり,一見効果がありそうでも,実のところ多様性の中での学びが阻害されるという問題点を指摘する。今回の調査で校長先生は,効果が「ある程度」以上あると考える人がほとんどだった。この結果は想定範囲内としても,そこから先の議論とどう接続するかまでは,この調査では届かない。
 いずれにしても,こうした調査結果を踏まえた教育再生議論をすべきである。けれども,きっとそんな議論もなく民間委員の持論を闘わせて物事が運ばれていくのだろうなと予想できるのである。かくして,予想通りになったときの私たちのタメ息が「美しい国」を遠ざけるのだと思う。

プレイバック19981226

1998/12/26 Sat.
[知ること]((情報の存在性))
 量子力学の世界にはEPRパラドックスという問題が存在している。どんな問題かを説明するかは厄介なので省略するが、量子の世界における情報伝達の不可思議を扱った問題だといえる。
 ところで、私たち教育を考える人間はしばしば「知ること」について思いを巡らす。知識論なんて議論もあるし、認知心理学という賑やかな研究分野もあって追いかけきれないが、もっと素朴に「知る」ということを考えてみると、先の量子力学のEPRパラドックスにも似た不思議な世界と妙に共通する感覚にとらわれる。
 たとえばこんな場面を思い描いてみてほしい。ある人が自分との約束を守らなかった。こちらとしては不快な気分になっている。ところが後で事情を聞くとどうにも仕方のない理由があったことを知り、不快感が和らいだという経験。私たちの心理というのは、情報を「知っている」か「知らない」かで瞬間的に変化してしまことは、たぶん皆さんも経験があるはずである。
 知っておけばよかったこと、それと同時に、知らなければよかったこと、そのようなものが世の中に混在し、私たちの生活を様々に彩る。それにしても何かを知ってしまったために起こりうる急激な変化というものは、かくも不思議な現象である。本当のところ「知る」とは何者なのだろうか。ある情報の存在を認めることが、自己の存在を大転換させる、そのダイナミックな働きに私たちは身を任せている。

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企業訪問

 今日は多摩にある某コーポレーションの本社でお仕事。教育研究者(放浪だけど…)として議論の触媒役を仰せつかったので出かけた次第である。
 学校教育界隈を漂流するような人生を送ってきたので,こういう大企業に出入りする機会は珍しい。社会見学気分も半分で,社員の方と一緒に社員食堂で昼食をとるところから今日の仕事(?)はスタートした。郷に入っては郷を楽しめ。例え一食でも同じ釜の飯を喰え。
 昼時だから,食堂にはたくさんの人々がいて活気があった。支払いは電子マネー。ずらっと並んだ電子マネー端末に向かって,みんな「シャリ〜ン」「シャリ〜ン」やっているのは新鮮であった。それから展望室やプラネタリウム(!)や引っ越し中の図書室を覗かせてもらって,会議の場所へ。
 今回は会議室ではなく,広いビジネスオープンスペースの一角を陣取って行なわれることになった。このスペースには,大小たくさんのテーブルとコピーがとれるホワイトボードや小型液晶プロジェクタがあちこちに散らばって自由に陣取りが出来る。気軽にディスカッションや会議が行えるようになっている。お昼の就業時間が始まると,ほぼスペースは満席状態になり,大なり小なりの会議が同時並行して賑やかに行なわれている。企業現場の活気というものを直に体験した。
 どうしても大学の会議や学校の職員会議なんかと比べたくなってしまうのは悪い癖だが,知的労働をする現場として最も先端を行かねばならない教育機関において,このような学習・研究活動の環境が整えられていないことや,ゴールを決めないだらだらとした会議の在り方を思い返す度に,ため息みたいなものが漏れてしまうのだ。
 とはいえ,そう簡単な話じゃないことも事実だ。『論座』6月号の天野郁夫氏や広田照幸氏の論考を読むと,その混沌とした現状に複雑な思いも抱かせる。大学は知の探究の場所として,どこへ行こうとしているのか。広田氏が描くような若い世代の研究者生き残りゲームと戦略の様相は,富めるものが富み,貧しきものがますます貧しくなる競争が研究者の社会にもすでに浸透したことを告げている。知の自由さというものを信ずべきフィールドにおいて何かを恐れて自由に知を共有できない,ということに率先して抵抗すべきは研究者なのだと思うのだが,せっぱ詰まった現実は,そんなことも甘っちょろい理想論と切って捨てるのだろうか。
 かく言う私は,ビジネスを目的とするフィールドでの研究活動に関与し始めた。私企業の利益に与するそのことの方が実のところ深刻な問題じゃないのかと論難されることもあるだろう。ただ,その先にいるたくさんの親子に届く某かに対して,少しでも貢献が出来ることがあるとするならば,それもまた研究者としての「チャレンジ」でもある(って,上手くまとめたか?)。
 というわけで,通信教育教材を開発している現場の皆さんと闊達な議論を展開し,私自身もまた刺激を受けて帰ってきた次第である。私にとっては,こうして大勢の人たちと一緒に仕事をすることが新鮮。たまにはこういう刺激もいい。

卯月8日目朝

卯月8日目朝
初めて携帯から書き込み。部屋はこんな感じだ。ああ、どうしよう…。

冒険がまっている

 日本では12月に公開予定の映画「ZATHURA」。これは私の大好きな役者ロビン・ウィリアムズがかつて出演したことでも知られる映画「ジュマンジ」の姉妹映画だ。子どもたちが不思議な力を持つボードゲームを遊びはじめたことから大変な世界に巻き込まれるというアクション・ファンタジー映画だ。そして今度の舞台は「宇宙」。
 きわめてハリウッド的ともいえるし,また宇宙開発の夢(あるいは幻想)を追いかけてきたアメリカ的ともいえるが,この映画のサイトを見ると,なんとまぁ「ティーチングガイドのダウンロード」と称して,教育プログラムとリンクしてある。
 映画のプロモーションもかねて,スペース・サイエンスに関する教師ガイドのPDFと教室に貼るポスター,そして懸賞応募フォームが用意されている。映画関係者にとっては映画の宣伝,教育現場にとっては関心意欲の喚起と現場で使えるちょっとした教育内容の利用,家庭においては宇宙の話題を通した団らんを得るという利得一致の上に展開する企画だ。

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20050419

○7:30頃出掛け。
○授業。行事やら何やら続いて,火曜の授業はやっと第1回目。
○昼食。カレーライス。
○授業。
○メール。ときに重大なメールは,束になって届くことがある。
○22:00頃帰宅。

『テーブルの上のファーブル』

 帰宅途中,ブラリと寄った本屋で見つけた。クラフト・エヴィング商會の新作本。その独特な世界と作品は,とても大好きなのである。まだすべての著作をコレクションできていないけれど,いずれは揃えたいと思っている。教育に関わる者として,こういうユーモアにも触れられる余裕を持っていたい。
筑摩書房2004/1500円+税