日本では12月に公開予定の映画「ZATHURA」。これは私の大好きな役者ロビン・ウィリアムズがかつて出演したことでも知られる映画「ジュマンジ」の姉妹映画だ。子どもたちが不思議な力を持つボードゲームを遊びはじめたことから大変な世界に巻き込まれるというアクション・ファンタジー映画だ。そして今度の舞台は「宇宙」。
きわめてハリウッド的ともいえるし,また宇宙開発の夢(あるいは幻想)を追いかけてきたアメリカ的ともいえるが,この映画のサイトを見ると,なんとまぁ「ティーチングガイドのダウンロード」と称して,教育プログラムとリンクしてある。
映画のプロモーションもかねて,スペース・サイエンスに関する教師ガイドのPDFと教室に貼るポスター,そして懸賞応募フォームが用意されている。映画関係者にとっては映画の宣伝,教育現場にとっては関心意欲の喚起と現場で使えるちょっとした教育内容の利用,家庭においては宇宙の話題を通した団らんを得るという利得一致の上に展開する企画だ。
PDFとなっている教師ガイドを見ていただきたいのだが,宇宙(天文)科学に関する勉強へと導く基礎知識やワークシートが盛り込まれており,評価のためのルーブリックと国家標準や基準との関連も表になっている。素材を提供したら,それをもとにどう授業を展開するのかは,教師のお手並み拝見といった風なのだが,それが教師のプロフェッショナリズムに刺激を与えてくれる。関心意欲を引き出すためのお膳立てとして,本物の宇宙飛行士への質問を書いて応募しよう!という懸賞まで用意されている。日本なら野口さんや毛利さんの出番だ。
ここでちょっと想像していただきたい。日本は豊富な教育資源を持ちながら,どうしてこの程度の演出や企画さえ欠くほど貧困なのだろう。着目したいのは,単発的な教育啓発企画の有無や数というよりは,それが成立する各方面の意識や取り組みの厚さである。アメリカの場合のそれは,偽善的かどうかは別として,こういう教育的貢献に関する回路がしっかりと社会の中に根付いているように思う。「メセナ」でも「ボランティア」でも「ビジネス」でも結構だ。何かこう,どんな場面でも何かしら「教育的貢献」というものが一つの規準として社会活動に存在するように見える。
ところが悲しいことに,日本では,自分たちがそうされてこなかったせいもあるかも知れないが,教育的貢献という発想が閉じこめられているというか,欠落しているというか。思い出したときに「教育も大事ですね」と取って付けたような存在でしかないのである。
教育の私事化や市場化の問題も,実のところ,そういう教育的貢献のない社会で議論すると,すごく大変なことになる。なにしろそういうコンセンサスがないから,自由を推し進めることによる行く末の姿は曖昧で不安だし,一方,公共性を強調する立場の人々は沈みゆく日本の危機に無頓着すぎて,結局どっちも訴求力がない。
かつても映画を引き合いに出してご紹介した数学者ナッシュのゲーム理論は,「協力行動を非協力ゲームの均衡点として導く」という発想のもとで展開する経済理論だが,そうした協力行動に「教育的貢献」を当てはめる形で市場をデザインするくらいの発想を持ち込まないと,いくら緻密な議論を展開したところで,それ自体がポイされるだけである。
その辺の問題意識を真正面から取り上げて読みやすいのは,広田照幸氏の『教育』(岩波書店2004)くらいではないだろうか。そのほかに何か良い素材があれば教えて欲しい。
私自身は,そのような教育的貢献をする手法を情報デザインという観点から考えたいと思っているが,さらに多くの知見を見渡して本格的に取り組むチャンスをうかがいたい。
さて,「ZATHURA」プロモーションの懸賞に応募して当たる「家族で行くフロリダ・ケネディ宇宙センターへの旅」とほぼ同じ場所,米フロリダ州オーランドに出かけることになった。海外学校視察のお役目をいただいたのだ。心強い助っ人と共に行く男二人旅。久しぶりのアメリカで,初めてのフロリダだ。宇宙ほどではないにしても,そこに冒険がまっている!