投稿者「rin」のアーカイブ

ネット社会系ドラマ

 名古屋の実家に寄ったのは,父親との打ち合わせのため。それと録画していたNHKのネット社会系番組3部作をゲットするためでもあった。早く東京でHDレコーダー買えよ!って突っ込まれそうだ。
 情報教育の分野で話題となっていた番組で,その人気ぶりに再放送も繰り返され,DVDにまでなっている。なのに,私は今日の今日までこの3部作を見られていなかった。そして先日,見てないことを叱られたので,これは何としても録画した番組を実家からゲットしなければならなくなった。
 3部作(将来増えるかも知れない)は,もともとNHK教育で放送されていた「体験!メディアのABC」という番組の延長で制作された番組。ネット社会にまつわるミニドラマを見ながら,NHK解説委員の中谷日出氏とアシスタントの女の子の対話を通して,メディアとの付き合い方を考えていくという番組スタイルである。
 1つ目,「ネット社会の道しるべ」は,「特集!メディアのABC」として上記の番組の特別編として放送されたもの。「架空請求と個人情報」「電子メール」「掲示板」に関するトラブルのミニドラマ3本と解説で構成されている。
 2つ目,「ケータイ社会の落とし穴」は,携帯電話に焦点を当てた番組として放送されたもの。「メールへの頼りすぎ(依存と誤解)」「迷惑メール(騙しメールと架空請求)」のミニドラマ2本と解説で構成されている。
 3つ目,「ブログ社会の落とし穴」は,待望のブログに関する番組。「ブログデビュー(個人情報と悪意のあるブログ読者の存在)」「盲目的なブログ発信の危険性(虚偽情報の発信と著作権侵害)」のミニドラマ2本と解説で構成されている。それから俳優・堀田龍也氏の演技を見ることもできる。
 こうやって問題をドラマ化して分かりやすく見せるのは,考える材料として重宝する。実際,評判通り3部作のミニドラマ群はよく出来ていて,様々な問題を手際よく盛り込んでいる。
 (ちなみにネット社会や周辺の人々をドラマ化する手法に関して,ネット上でいくらか語られていたことを記憶している。一番近いところでは「電車男」の映像化に関して,あちこちで文章が書かれていた。そこでは不特定多数のネット住人をどう描くかという議論もあったように思う。田中美里が出演したドラマ「WITH LOVE」とか,あるいは映画「ユー・ガッタ・メール」とかに見られるメール・コミュニケーションの映像化もだいぶ定型化しているが,今後どんな映像表現が出てくるか,また楽しみである。)
 2004年に@ニフティがウイルス問題への啓蒙のために開設していたキャンペーンサイト「ウイルスの恐怖展」でも,「メールウイルスの恐怖篇」「不正侵入の恐怖篇」「フィッシングの恐怖篇」という3本のミニドラマを公開していた。これも教材としては,なかなか役立つ。教育向けではないので,少々脚色が大げさなのだが,案内役として役所広司氏が登場するし,ストーリー構成が良いものもあるので,ぜひご覧になっていただきたい。(現在保管されているサイトはこちら
 ああそうだ,まったく別件で情報モラル関連のシナリオを書かなければならないことを思い出した。駄文の最後はお仕事に続くパターンが最近多いなぁ…。

長月4日目

 2日にBEATセミナーがあり,交流学習について勉強。その後,懇親会や二次会で調子に乗ってしまい,日曜日は休肝日。月曜日もあれこれやってたら更新する暇がなかった。明日からは大阪出張。あ,そうか,大阪だ。いま改めて気がついた。締切りものがいくつかあるので,セミナーのこと書くのはもう少し後になりそう。ポッドキャストもそろそろ再開したいというのに,なんだか慌ただしい。むむむ。

長月1日目

20060901_passed 九月である。夏休みが終わり,気持ちの切り替えには良いタイミング。おかげさまで受験の吉報を得ることができ,来春から勉強させていただく場所が決まった。皆様に感謝。
 せっかくいただいたチャンスである。ゼロとは言わないまでも初心にかえって歩み,研鑽を積んで,教育の世界に貢献していきたい。それから,いろんな方々とコミュニケートしなければ…。それがこれから大事になってくると思う。
 さあ,心置きなくお仕事お仕事。ん?

思い出の「教育学」講義

 水原克敏編著『学校を考えるっておもしろい!! 教養としての教育学 〜TAと共に授業を創る〜』(東北大学出版会2006.7)は,教育学のテキストとしてはカラフルで若々しい雰囲気を盛り込んだテキストだ。
 内容は書名の通り。TA学生と共に創った教養教育・教育学の授業記録である。単に講義内容を再録しただけでなく,受講生立ちとの質疑応答はもちろん,感想コメントやディスカッションの様子などもTA学生の会話によって紹介されていく。講義で用いられた図や写真等の資料も豊富で,教養の教育学を勉強するには入りやすい。
 マンガや会話といった形式を採用すると,読み手や(この場合)学生の視線の高さを意識しながら内容を展開できる。入門書でこうした形式が多い。たとえばよくある誤解を登場人物にあえて提示させて,誤解を解くことでより望ましい知識を印象づけようとするパターンは基本であろう。また登場人物を複数用意し,役割分担させる場合もある。
 こうやってコミュニケーション過程を明示させることで学習負担を軽減させて理解を促す方法は,言ってしまえば手っ取り早さを期待しているところもある。昔だと「本との対話をしろ」って言われて,何かを読み取るかどうかは本人の努力次第だった。親切な入門書は,内容のポイントを乗せたり,議論ポイントや小質問を用意したりして,コミュニケーションの生成を助けようとした。マンガや会話を使って,コミュニケーション自体を描くものも出てきた。そこからメタコミュニケーションを期待する場合もあれば,オルタナティブなコミュニケーションを導くものなど分岐する。
 本書が楽しいのは,教育学講義の担当経験がある者として,自分の講義を思い出すからである。そういえばこんなことも扱ったなぁ…と。一方で,TA学生さんたちとのコラボレーションができることをうらやましくも思う。私はこれの縮小版を一人で切り盛りしていたのであるから,元気でした(いまも元気のつもりだけど…)。

葉月28日目

 本番を終えた。開始前の緊張感は相変わらずだったが,制限時間は守れたようなので,結果よしとしよう。最後は雰囲気が暗くなりかけたので,ソフト・ツッコミで笑いを誘ってしまった。ああ,いつもの悪いクセが…。
 あとは待つのみ。夏の宿題が残っているから,そちらに取り掛からないと…。でもちょっと気晴らしに映画でも観に行かせて〜。

葉月25日目

 一つ駒進めていいとのこと。こんなに緊張してPDF書類を見たのは初めてかも知れない。よし,立食いそば食べに行こう。それから街の書店で新ネタ集めをしよう。自分の思いが伝われば,なんとかなるさ。

葉月24日目

 稽古を始めて気がつくのは,日々無口に過していたのだなということ。声を出す生活をしていないのである。9年間しゃべり続けてナンボの生活から一転,独り部屋で籠もる生活。声を出す機会も場所もない。
 冥王星が惑星から外されたらしい。教科書会社は大慌てかも知れない。というか,そもそも増えるって話が,いきなり減らす話になって,それがすんなり決まっちゃうんだから,学者というのは自分勝手である。
 1930年に発見されて惑星の一つとして加えられた冥王星。2006年に新たな惑星候補が発見された際,惑星定義の見直し議論が発生してしまい,冥王星が惑星から削除されるという顛末。別にその決定は間違っちゃいないと思うが,配慮は欠けていると思うね。なぜそう感じるかを考えることは大事なことだと思う。
 自分たちが前提としたり共有してきた知が一方的に書き換えられてしまうことの違和感はどこからやって来るのだろう。また,仮にその出所が分からないとしても,違和感に対する配慮というものはどうすれば可能だろう。マスコミ報道によって世間に周知徹底することももちろん大事だけれども,それだけが配慮の全てでない。なんて考えていくと,いろいろ興味深い議論になりそうだ。
 当分,悩ましい時が流れる。まあ大丈夫。どんな結果になろうとも,面の皮の厚さにゃ自信があるから。

葉月21日目

 鉛筆で短時間に文章を書くのは結構大変。けれども,シャープペンシルと違って書き味はよかった。今回,トンボ鉛筆の「ゴム付鉛筆HB」を使った。お尻に消しゴムが付いた黄色い鉛筆である。
 日本の鉛筆といえば,黒色の三菱鉛筆が定番なので,黄色のトンボ鉛筆を見るとアメリカの学校で使われている鉛筆という印象がある。で,実際アメリカなんかに行って,黄色の鉛筆を使うと,書き味の悪いこと悪いこと…。書いてても滑りが悪いし,削る時にもバキバキ芯が折れたりする。さらにお尻の消しゴムの質も酷いこと酷いこと…。擦っても消えないし,硬すぎて紙がヤワなら破れてしまう。
 ところが,トンボの黄色鉛筆は,そんな欠点がまるでない。書き味滑らか,消しゴム柔らか。さすがメイド・イン・ジャパンである。というわけで,今日はこの鉛筆でたくさん字を書いた。

静かなとき

 
 先生お元気ですか。ご無沙汰をしております。
 春に上京したことは,ご存知のことと思います。いまは再び受験の身となりました。
 35になっても相変わらず落ち着きがないと,先生にはまた呆れられるかも知れません。
 身を固めるでもなく,彷徨うことが習性のようです。私の来歴からしてそのようです。
 「見えない世界を見る」ことが学問であると,脳裏に焼きつけたまま,ここまで来ました。
 けれども先生。求められているのは「人々が見ていない世界を見せる」ことのようにも思えてきます。そもそも,見えない世界はもう無いのではないか。むしろ,人々が見ていないか見方を知らないだけではないのか。そこにどんどん成果を提示していくことが大事である。といった流れにあるように思えます。そして,私なりにその流れに追いつこうと努力しています。
 先生からすれば,浮き足立って見えるでしょうか。私も,自分自身が心許ないです。
 教員養成系の学部で学んだ者に通底するのは「教育は人なり」。自己鍛練の必要性でした。
 そのことを支えずして,どんなに膨大な資源を費やしてみても,それは砂上の楼閣に過ぎない。
 だからこそ精神論としてでなく,また技術論で終わらない,方法論としての方途はないものか。
 それが,私の変わらぬ問題意識でした。今後もそのつもりです。
 いまはこうして,縁に助けられながら,東京の地より小文を書かせていただいております。
 特に,私の精神的基盤を育み,背中を押し続けてくれている両親には言葉にならない感謝を。
 先生にもご心配ばかりをおかけしております。次ぎ行くところがどこかは風任せの縁任せ。
 また先が見えてきたところで手紙を書かせていただきます。それまでどうぞお元気で。