静かなとき

 
 先生お元気ですか。ご無沙汰をしております。
 春に上京したことは,ご存知のことと思います。いまは再び受験の身となりました。
 35になっても相変わらず落ち着きがないと,先生にはまた呆れられるかも知れません。
 身を固めるでもなく,彷徨うことが習性のようです。私の来歴からしてそのようです。
 「見えない世界を見る」ことが学問であると,脳裏に焼きつけたまま,ここまで来ました。
 けれども先生。求められているのは「人々が見ていない世界を見せる」ことのようにも思えてきます。そもそも,見えない世界はもう無いのではないか。むしろ,人々が見ていないか見方を知らないだけではないのか。そこにどんどん成果を提示していくことが大事である。といった流れにあるように思えます。そして,私なりにその流れに追いつこうと努力しています。
 先生からすれば,浮き足立って見えるでしょうか。私も,自分自身が心許ないです。
 教員養成系の学部で学んだ者に通底するのは「教育は人なり」。自己鍛練の必要性でした。
 そのことを支えずして,どんなに膨大な資源を費やしてみても,それは砂上の楼閣に過ぎない。
 だからこそ精神論としてでなく,また技術論で終わらない,方法論としての方途はないものか。
 それが,私の変わらぬ問題意識でした。今後もそのつもりです。
 いまはこうして,縁に助けられながら,東京の地より小文を書かせていただいております。
 特に,私の精神的基盤を育み,背中を押し続けてくれている両親には言葉にならない感謝を。
 先生にもご心配ばかりをおかけしております。次ぎ行くところがどこかは風任せの縁任せ。
 また先が見えてきたところで手紙を書かせていただきます。それまでどうぞお元気で。