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サーバー引越

 教育らくがきと教育フォルダのサイトを別のサーバーに引っ越すこととした。以前から使用している「edufolder.jp」ドメインを新しいサーバーに割り付けての再スタートである。

 サイトを開いてから,もう17年の年月が経過した。私自身,こんなに長くWebサイトを運用するとは思わなかったが,もはやWebサイト運用とは履歴保管業務のようなものなので,可能なかぎり継続運用していくこと,その手段が目的化するのもやむを得ないかなと思う。

 昨今は,「りんラボ」の方で「ですます」調の文章を掲載する機会の方が多い。

 本来の私のブログスタイルは読み手のことなどあまり配慮しないで書きなぐる駄文なのであるが,昨今対外的な仕事が増えて,分かりやすいことや伝えることなど求められる状況にあることから,どうしても「りんラボ」の更新頻度の方が多くなってしまう。

 もうしばらくすれば,お祭り騒ぎも終わって,また誰にも相手にされない日々が始まるだろうから,そうなったら静かに駄文を書く日々に戻れるだろう。

 それを期待して,新しいサーバーの準備などもした次第である。

 

前略

 過日は,長らく連絡を差し上げない中で突然に面会をお願いして,お忙しいところをお邪魔いたしました。久し振りにお話が出来て,とても嬉しかったです。

 先生のもとで学んでから,早17年が経とうとしています。

 自分が不出来であることは繰り返すまでもありませんが,少しは賑わいになるからでしょうか,最近は文部科学省でアルバイトする機会をいただいています。

 在学当時,先生が文部省の審議会に出席されるお話しを聞くたび,そんな雲の上のような場所で仕事をするとは,どんな世界なのだろうかと思っていました。

 いまこうして文部科学省に出入りさせていただくようになって,そのときの想像との違いなど楽しみながら仕事をさせていただいています。もっとも,私自身はこの手の仕事の作法に慣れておらず,思いつくことを好き勝手に発言して周りを困らせている程度です。

 ほぼ同時期に,教育内容と指導方法が別々の会議で議論されているのは不思議なものです。しかも先生がいらっしゃる方は初等中等教育局,私がいるのは生涯学習政策局という別の部局。お互い遠巻きには情報が漏れ伝わっているのかも知れませんが,縦割り組織の難しさからか,連携しているとは言い難いのが現状です。

 そちら教育目標・内容・評価の議論で「求められる資質・能力の枠組み」が検討されているわけですが,こちらの指導方法の議論ではICTなどの道具も活用したイノベーティブな学びの姿とそのための指導方法のモデル化を検討しています。

 21世紀型のスキルや能力といったキーワードで緩やかに繋がっているようにも思いますが,それにしてもこの辺の大きな地図を誰かが把握して事態は進行しているのでしょうか。そういう意味で指導方法に関する先生のご意見も聞いてみたいと思ったりします。

 ただ,あと残り少しで私に何が出来るとも言えないので,大きな変化よりは小さな最善を盛り込むことに努力できたらなと思います。

 17年前は,インターネットも普及の手前だったこともあり,もう少しゆっくりと物事を考えたり,小難しい本を読む余裕があったように思います。

 それから環境も立場も変わってしまいましたし,歳もとったために,ただでさえ無かった能力が衰退していること否定できません。それでいて何かを諦め切れてない自分の浅はかさにいまだ悩まされています。

 とにかく,いまはいただいた仕事を自分なりに頑張りつつ,一段落したら落ち着いて研究作業に没頭したいと思う今日この頃です。

 

季節はめぐり

 まだ何も見られていないのだろう。その向こう側にあるいくつかの要素は,おそらくその姿形を現わすまでに幾多もの出来事を要するのではないかと覚悟はしている。

 込み入ったこの時期を過ぎれば、不必要な見当違いを犯すこともないだろう。

 物事には両面あるのだから、うまく付き合っていくには、悪い面を上手に避け,善い面を慈しむことでうまくバランスするしかない。

 物事の後始末に関していえば、それはとても難しいものであるとは思う。

 私自身、場をかき回しては、とっ散らかった状態を片付けることなく放置することがある。おそらく後始末をする側に立ってみれば迷惑この上ないのだろう。

 講演や会議の場で好き勝手な発言や行動をして悦に入っている私には、そういう人々の苦労は全く見えていない。たぶん何とかなるのだろう、そんな漠然とした期待と無責任を混ぜ合わせながら、次から次へと動き回るだけなのだ。

 それでも、ときどき私は人に聞いてみる。私ってうまくやっているのでしょうか、と。でもそんな他力本願な質問を、まじめにとり合ってくれる奇特な人はもういない。私はその人の子どもでも教え子でもないのだ。ましてアドバイスに足る人物でもない。そんなものは自分で答えを見つけなさいと愛想笑いが返ってくるだけである。

 仕方がないので、相変わらずゴーイング・マイ・ウェイのまま。

 誰かを不幸にしないための決断は、不意に訪れる。

 そのときのために、いつも過去・現在・未来のことを考え続けておかなければならない。そうやって、季節はめぐり、また今日がやって来る。

 

振り回して振り回されて

 ぼちぼち2012年度から2013年度へ。この3月で,国の事業に関わるお仕事が終わる。

 総務省のフューチャースクール推進事業では,徳島県東みよし町立足代小学校の担当研究者を務めた。もっとも,実質的には何の仕事ができるわけでもないので,立場を活かして行政についての動向と歴史を調査する作業に明け暮れた。文部科学省の学びのイノベーション事業でもアルバイトをした。指導方法のWTで最初のたたき台議論に参加し、ここでも行政の一幕を垣間見た。

 いろいろ勉強になって楽しかったが、どちらにしても性には合わないようなので,お役目が終わってホッとしている。郷に入っては郷に従えとは言うものの、それじゃ面白くないので好き勝手に振る舞った。ご迷惑をおかけしたこともあったから,これで一区切りつくのは良いタイミングである。

 国の仕事に関わる以前も、自分なりに関心を持って国の動向を理解していたつもりだが、仕事を請け負って,それがまったく浅いものであったことを痛感した。通り一遍の出来事知識では,この界隈の事柄を正確に把握することが難しいことを思い知る。

 歴史を探らなければと思った。様々な要素が複雑に絡み合う歴史の流れを追い置ける必要性。

 ところが,この界隈の歴史を知るための知見の整理がないことも知る。

 公表されている先行知見は,大ざっぱな整理の域を脱し切れておらず,基礎調査を踏まえた歴史情報としての信頼性に不安も少なくなかった。

 教育分野の情報化に関わる「ひと・もの・かね」の出来事を追いかけるため,一次資料・二次資料を渉猟して確かめていく必要がある。

 国の仕事をお手伝いしたのは,その作業に取り掛かるのに,とても役立ったと思う。

 歴史を追いかけ始めてから,過去を知る人物が幾人もこの世を去っていく。

 資料も集約されているとはいえず、散逸しているものも少なくない。

 関係するアクターが多種多様で、それぞれがそれぞれの考えや場で動いている。

 社会一般の人々は,ときどき伝わる断片をもとに想像を膨らませて理解する。

 知見や成果が積み重ねられることもなく,進捗も不明確になりやすい。

 こういう悪循環から抜け出す必要がある。

 そのためにも,過去の出来事と現在の出来事を歴史の流れとして整理する基礎作業が必要だと思う。

 基礎作業を曖昧なまま特定主題を議論しようとしても,関係性を踏まえた理解に届かない。

 2013年は,そのための作業を加速させたいと思う。

 iPadのような興味深いデバイスが登場した今、これをどう活用するかは教育実践を担う専門家である教師が考えていけばよいフェーズになった。教師が試行錯誤できる環境の確保こそ大事と思う。

 そうなると,研究者としての関心は、過去の歴史に向かうか、もっと先の未来を考えるかである。

 私は過去を遡ろうと思う。

 

活字とフォントを想いながら

 書かれた計画が実践されることの過程に関心があって、カリキュラム研究の世界に足を踏み入れたのだけれども、その問題意識をうまく主題にすることもままならず、幾年も時間が経ってしまった。

 書かれたものと実践することの狭間。

 パソコンとネットワークが、この問題ととても関わりがあることを直観したことから、情報とカリキュラムを考えることが私のテーマだと悟って、領域の越境を試みたものの、もともと要領がよいわけではないから、越境だけでくたびれてしまった感じがある。

 国の事業に関わることになって、七転八倒を演じてみたことで、いまさらながら過去と現在と未来を見通すことの重要性と,自分の関心がこの見通しの関係性と重なることを理解した。

 過去の積み重ねと未来を指向する現在。

 正直なところ、私は歴史が苦手な児童生徒学生であった。記憶せねばならない対象としてのそれは、私の手に余るものだった。けれども、歴史の重みを七転八倒の中で再確認する。私たちは過去を無かったことにして現在や未来だけに関わることはできない。そのことを嫌というほど感じた。

 過去を見直す作業を始めた。

 まずは文献資料を掘り起こして整理することから。もっと早くに始めておけばよかったとも思う。でも今始められてよかったとも思う。

 過去の文献資料は、コンピュータで検索できるようになったとはいえ、実物は活字印刷物であることがほとんどである。1995年頃にインターネットが普及し出すまでは圧倒的に活字印刷物が主流であり,21世紀に入ると電子資料といったものがあれこれ増えてくる。

 活字とフォントによって表記された資料を縦横無尽に集めて整理する作業は大変である。作業自体はまだ途上なので,途中成果といったものも乏しい。

 しかし、記録を確認する作業にあって、その信憑性を推し量ることがこんなにも慎重を期さねばならないものだとは想像もしなかった。

 フォントによって表示された電子資料は、改変性の高さもあって信憑性に一定の疑念を持ち続けなければならないというのは、ある程度承知もしていたし,覚悟していた。

 活字によって印字された印刷資料は、学術論文ならば査読の手続きによって信憑性が担保されているが、そうではない著書や雑誌論稿には誤字や誤認や曖昧さが少なからずあり、発表時期の古さと相まって事実確認に手間がかかることも多い。

 過去を見直す作業の必要性は確信になっているが、半世紀にも満たない歴史を振り返るだけで、こんな苦労を背負い込む実情に唖然ともしている。でも、最近は楽しくなってきている。

 そして、〈デジタル教科書〉関連本の件である。

 2010年頃から賑やかになってきたテーマであるから,それに関連する書籍がいくつか出版された。関心の高い問題にいろんな文献資料が登場することは好ましいと思うが,問題を抱えたものもある。

 特に私は次の2冊については、問題が大きいと考えている。

 ○中村伊知哉・石戸奈々子『デジタル教科書革命』ソフトバンククリエイティブ2010
 ○新井紀子『ほんとうにいいの?デジタル教科書』岩波ブックレット2012

 この2冊の著者達は〈デジタル教科書〉に関する動向の中枢に関わる当事者でありながら(であるからこそかも知れないが…)、劣悪な著作を活字として世に出した。

 何をもって「劣悪」と書くのかといえば,先々の時代に過去の文献資料として参照された場合、信憑性のある資料としての価値を大きく落としているからである。

 たとえば、中村伊知哉氏と石戸奈々子氏の著作は、他者の著作物の一部を無断引用した疑惑を抱えている(関連情報)。この事実に対して釈明などがないまま著作は絶版化し、図書館などに所蔵されたものが閲覧できる状態にある。

 当世の読み物としての価値を重視しただけなのかも知れないが,デジタル教科書に関して理解を得て推進しようとする立場の人間が、このような中途半端な著作の放置の仕方をするのは褒められた姿勢ではないし,記録として残る文献資料としては信頼性に大きく欠けることになる。

 新井紀子氏の著作は、上記のような問題はないものの、著者自身が謳っているような平等な議論の理解をしようとするには、大小多くの問題点が含まれている。

 この本を「あるデジタル教科書懸念派の数学者が書いた問題提起」と割り切って読めば,それほど大きな問題ではない。その偏った問題意識も乱れた文章展開も、懸念と批判のためであると明らかであれば、読み手はいくらでも調整が可能だからである。

 しかし新井氏は、あくまでも論点をまとめサイトのように分かりやすく提示しているだけだと主張し,自分自身は当事者ではなく中立な第三者な風を装っている。これでは、記録として残る文献資料として後世の人々を欺くことになってしまう。

 過去の文献資料を調べる作業をしている身としては,このような記録の残し方がとても腹立たしく思えるのである。こんなことは、現在の私にとって損得にはならないが、未来の私と同じ作業をする人間にとっては面倒な苦労になる。そう思うと恥ずかしくすら思う。

 一般書に対して何を怒っているのかと思われるかも知れない。昔の一般書だって正確さや出来に関して褒められるものが多いわけじゃない。そもそも一般書ってそんなもんじゃないと割り切ることが自然なんだと多くの人が思っているだろう。

 私もそれがジャーナリストや作家や編集者が書いたものなら、目くじら立てる気もない。斉藤貴男が『世界』誌の連載でフューチャースクール実証校の数を間違えて記述したとしても,別にそんなの気にしない。

 けれども、この3人はそろいも揃って研究とか大学とかと深いかかわりにあり、デジタル教科書に関しては主要なアクターという当事者の立場にある人間である。そういう立場にある人間が,印刷書籍においてこんな乱暴な仕事をしていることを、受け手である私たちが腹立たしく思わず、他に誰が腹立たしく思うべきなのか。

 私はこの3人に猛省を促したいし、この2冊の著作について無批判に扱っている人間に対しては、その真意を問うなど厳しい態度をとらざる得ない。

 もちろん、こうした批判は、私自身にも向けられる可能性はある。

 後世に役立つ記録を残し得ているのだろうか。頼まれ仕事で書いた一つひとつの文章は、読み手を欺いてはいないだろうか。真意を届けるために言葉を選び間違えてはいないだろうか。

 活字媒体のための原稿はもちろん、こうしたフォントによる電子媒体に書く文章も、気を配りながら書いている。

 確かに、主張を効果的に見せるために、芝居がかった言い回しは飛び出す。小気味よさや、見栄を切った文章は、小さいながらも人々の感情に働き掛けて、私が正論を述べているように見えるよう誘導していることだろう。

 だからこそ、そのことをいつも傍ら自戒しながら、できるだけ気を配って文章を書き綴るしかない。

 両親に感謝するこの日に、あらためて自分の作業を確認しながら、そう思いを新たにした。

 まだまだ頑張ります。
 

なぜ『ほんとうにいいの?デジタル教科書』は書き直されるべきか

 歴史を遡るためには史料を漁ることが大事なのだけれど,史料があるだけで正しい史実が浮かび上がる十分条件にはならないことは,歴史学の素人でも分かっている。

 自らの立場を明らかにしつつ,公正な議論へ開かれるように努力する方法論はいくつかあるとは思うけれども,少なくとも史料を丁寧に扱わなければならないことは不可欠だろうと思う。

 丁寧に扱うという方法にしたって,寸分たがわずというやり方や、筋は曲げずというやり方など,様々あるが,いずれにしてもそのやり方で,論者への信頼や論の信憑性が左右されることも事実だと思うのだ。

 何の因果か,新井紀子氏の『ほんとうにいいの?デジタル教科書』(以下、新井本)につっかかる契機をもってしまい,少しずつ本戦のための準備をしている。

 私個人はデジタル教科書なるものについての議論は、歴史や事実を幅広く整理し確認した上で展開され深められていくことを望んでいる。その上で建設的な見解や行動に結びつけることがベストだと考えている。

 膨大な論点があっては、議論も拡散するとは思うが,だからこそ、論点の位置づけや論点と論点の関係性を整理し確認する必要がある。それも恣意的になる危険性もあるが,そのことへの配慮の仕方が論者への信頼や論の信憑性を左右するのだと思う。

 そして、私が新井本に対して批判的なのは,冷静公正な議論のために執筆したと表明しながら,こういう部分について乱暴だということにほかならない。

 もしこの本を入り口にデジタル教科書議論に参加しようとすると,間違った知識と偏った議論を踏まえて始めることになり,これを軌道修正するのにエネルギーが必要となり,本来の建設的な議論へのエネルギーが削がれてしまう可能性がある。

 ただそれだけのことではあるが,そのことが契機となって私は新井本を批判的に検討する作業に関わることになってしまったのである。

 いったい新井本は何を間違っていて、何が偏っているのだろう。出だしの「はじめに」の1頁分だけで、この本の酷さが現われている。

 
○(2頁)「協同教育」

 →【誤記】:正しくは「協働教育」。参照した資料に誤字があったのかも知れないが,少なくとも原口一博議員や総務省は「協働教育」という表記で進めていた。著者も編集者もチェックが甘い。

 
○(2頁)「この事業はいわゆる事業仕分けの影響もあり二年間で幕を閉じたが、現在も実証実験は続いている」

 →【誤認と矛盾記述】:二年間で幕を閉じた事実はない。現在も続いていたらそもそも幕は閉じてないので矛盾した記述である。読み手が混乱する。

 
○(2頁)「明治以降、私たちは紙の教科書で教育を受けてきた。それがデジタルに置き換わるとするならば、(後略)」(中略)「そもそも、紙の教科書を今デジタルに置換える必然性はあるのか。」

 →【偏った前提】:「置き換え」論は可能性として論じられることはあれど、「組み合わせ」論の方が大勢であり,どのように組み合わせたり,使い分けたり、遠ざけるべきかが議論されている。そのような議論の全体構図が示されず,「置き換え」論だけにふれて議論を進めるのはミスリーディング。

 
 上の問題点は、まだかわいい方である。

 この調子で、勢いに任せて論点が書き綴られていくのであるが,その勢いに面食らってほとんどの読み手は「批判的に書く=冷静な議論」だと勘違いしてしまうのである。

 勢いに任せて書いてしまったとする根拠はいくつかある。

 
○(36頁)「(オンラインサービスについて)このようなユーザ向けソフトウェアの開発目的は、教育ではなく消費にある。にもかかわらず、現在出回っている教育ソフトウェアの多くが、消費者向けのソフトウェアのインタフェイスを模倣している。そのことに、開発者の多くは残念ながら自覚的ですらないのである。」

 →【乱暴な適用】:オンラインサービスの批判を「模倣している」とだけ書いて、教育ソフトウェアに適用しようとしている。模倣している事例があるなら明記すべきだし,すべての教育ソフトウェアに問題があるかどうかも書かずに「開発者の多くは自覚的ですらない」と書くのは乱暴ではないか。

 
○(54頁)「「光回線への需要喚起による「光の道」構想」という政策目標が「デジタル教科書」の出発点となったことは,教育にとっては不幸であった。光回線が必須であるような形態で「未来の学校」(フューチャースクール)の青写真を描かざるを得なくなったからである。」

→【勝手な価値判断】:なぜ教育にとって「不幸」であるのか理由が明記されてない。逆にどうだったら「幸せ」なのかも明記されていない。行間や続く記述を深読みすると推察することはできるが、それが不幸か幸せかで表現すべき事柄なのか疑問である。

 
 35〜36頁あたりの記述は,NetCommonsという情報共有基盤システム(コンテンツ・マネジメント・システム)を開発者と一緒につくった人物とは思えない配慮の無さである。もしかして自分が作ったシステムにはそんな問題がないと自信を持っているのか,あるいは開発者と一緒の仕事で意思疎通に困難を感じたことの表われなのか,それこそ余計な詮索を誘ってしまう。

 デジタル教科書に関する議論部分についても様々あるが,それは本戦にとっておくとしても,こういう調子で議論を進めていたら,正しい正しくない、メリット・デメリットとか以前に、冷静で公正な議論に入りづらくなってしまう。

 だから私は、新井本こと『ほんとうにいいの?デジタル教科書』に批判的なのである。

 新井氏は数学者なのだから,こういう文章構造も美しくない著書を出すことになって、内心は苦々しく思っているのではないかと私などは推察するのだが,その点も含めてこの本は書き直されなくてはならないと思う。少なくとも収められている論点自体は重要なものもあるのだから。

 
 岩波ブックレットの最終頁には「「岩波ブックレット」刊行のことば」が常に掲げられている。

 「(前略)現代人が当面する課題は数多く存在します。正確な情報とその分析、明確な主張を端的に伝え、解決のための見通しを読者と共に持ち、歴史の正しい方向づけをはかることを、このシリーズは基本の目的とします。」

 いま一度、新井氏と編集者にはこの趣旨を思い出していただき,正確な情報と明確な主張でこのブックレットを書き直していただきたい。それに見合う何かを発信するでもいい。
 

教育と情報の歴史探訪へ

 もう少しで小学校におけるフューチャースクールが終わりを迎える。

 何か教師支援に関することでコツコツ調査研究でも始めようかと思い,教員研修の関していくつかの教育センターに連絡を入れながら資料を集め始めた年の夏,とあるメールが届いたことから私の教育情報化めぐりがスタートした。

 それまでも教育の情報化は関心事ではあったけれども,外野に立っていたこともあって,直接的ではなく間接的に動向を把握していた程度だった。それは誰か偉い人が関与して取り組むもので,私のような外野は話題になることを眺めてやじを飛ばすのが関の山だった。

 ところが巡り合わせとは面白いもので,東京暮らしが終わって徳島に引っ込んだと思ったら,国の仕事に関わることになり,県外へとお出かけすることも多くなった。行政の仕組みを理解しなければならない場面も増え,そのための術を自分で探さなければならなかった。

 大きな事業の末端に関わり始めただけではあったが,教育の情報化に関する仕組みに直接関与する立場になって,あらためて過去の教育の情報化を振り返ろうとしたとき,その情報へのアクセスが極めて難しいことを思い知った。

 話題だけが先行し,その取組みが後に何を残して,どう積み上がっているのかを知るための資料は限られていた。この界隈は文部科学省だけが関わるわけではない,総務省はもちろん,かつては経産省も関わっていた(省庁再編前のことだ)。それらの取組みを加味して教育情報化を理解するためのまとまった手がかりは皆無と思われる。

 乗りかかった船というべきか,人一倍そういう事柄への関心が強いこともあり,教育情報化の歴史探訪を本格的に始めることにした。

 そんなわけで,流儀知らずをいいことに,あちこちに顔を出してはあれこれ質問などして勉強。まだ掘り起こしは足りないものの,少しずつ過去の流れのようなものが見えてきたりもした。

 ようやくフューチャースクール推進事業も区切りがつき,私自身の役目は解かれた。少しばかり文部科学省で始めたアルバイトの仕事が残っているが,そのことも含めていよいよ歴史探訪の本格作業を始めていきたいと考えている。まずは過去の文献を探しに行こう。

 そのまえに,一つ片付けておきたい仕事がある。デジタル教科書なるものに対する混乱状態をほぐすための情報整理作業である。これも資料をあれこれひっくり返して取り組みたいと思う。

なぜかプログラミングから始まる…

 年が明けて,最初の仕事は研究会出席の東京出張。

 フューチャースクール実証校めぐりを報告して,この分野の今後の方向性について諸先輩方の研究を学んだ。現状を把握することは歴史記録を残すためにも大事なことだと思う一方で,自分の動いている範囲がずれているのではないかという違和感も増していく。

 ずれを抱え込むことは何事においても重要なことなのだが,ずれが全体への問いかけにならなければ意味がない。それがうまいことできていないのではないかと感じている。

 太陽を見過ぎたのかも知れない。少しばかり遠ざけていたりする。

 それというのも,日々の仕事の傍らでプログラミング作業を再開したから。

 私がプログラミングに手をかけるというのは,何から遠ざかるためであることが多い。今回もきっとそういう気分になったのだろう。そうやって対象との距離を置いて,少し冷ましてから再度取り組むことがよい場合もある。

 以前,開発し公開していたiPhoneアプリをアップデートした。

 ところで,プログラミング教育を推進する人たちの活動を見ていると,少し複雑な思いになる。アプリ開発の経験からプログラミングを教育することは必要にも思えるけれど,私にとってのプログラミングは「没入」の要素が強く,そういうものを学校教育に取り入れるとしたらどういうバランスがよいのか,冷静になって判断が難しいとも思うからである。

 けれども,最近の補正予算で設けられた「理科教育設備整備費等補助」に見られる理科教育の推進の動きを見ると,いまは理科教育よりも情報科教育を推進する方が必要なのではないかとも思う。バランスを考えれば,圧倒的に情報科をプッシュして層を分厚くすべきである。

 先日のセンター試験の数学には,BASICの問題が含まれていて,う〜んと悩んでしまった。依然としてBASIC言語は学習のための基本言語足り得るのか。いきなりC言語じゃ駄目なんだろうか。あるいは,RubyやPHP,JavaScriptの方がもう少し現代的で役立つのではなかろうか。なんか無難なところでBASIC言語に落ち着いているとしか思えないのは,私の偏った見方なのか。

 道楽半分でObjective-Cを操りiPhoneアプリを作っている人間になってしまったので,その辺の議論を冷静にできなくなっていることが悔やまれる。

 私にとって,アプリ開発は,道楽であり,自己満足であり,技術的冒険であり,収益源でもあり,没入行為である。もちろん,アプリユーザーとのソーシャルな繋がりを生むツールでもある。そうした多様な存在であるだけに,これをどのような意義で教育の中に取り込むべきか,そのことについて世間的なコンセンサスをどこに持って行くべきなのか,迷いも多い。

 プログラミングも一段落して,出前授業や定期試験やお客様対応や出張準備など,相変わらずバタバタな日々が続いている。

 今年は情報発信を心掛ける一年にしたいと思っていたが,初っぱなから崩壊気味。最初に発信するのはアプリとなったが,あれやこれやまとめていかないとなぁと思う。

明けましておめでとうございます

 新しい年を迎えた。本年もよろしくお付き合い願いたい。

 教育らくがきもより思索をめぐらして書き綴っていきたいと思う。

 初心忘れるべからず。何事も当たり前と思わず,もう一度初めから語り直す覚悟で臨みたいと思う。そのためには,自分自身が勉強をし直さないと。

 とにかく,相変わらず模索を続ける一年を目指したい。

 

平成二十四年師走三十日

 今年も残り少なく、間もなく2013年を迎える。

 今年の教育らくがきの更新はだいぶ少なかったが、教育フォルダTwitterの方ではニュースをクリップし続けて,3000ほどの見出しが記録された。

 振り返ると、年明けから教科書問題や大阪市の教育基本条例問題など議論されていた。中学校におけるH20学習指導要領の本格実施について,柔道やダンスの必修化も話題となった。

 大津のいじめ問題は,いじめというトピックスが周回してきただけでなく首長部局と教育委員会事務局という組織構造の問題を浮かび上がらせるかたちで注目を集め,さらには教育長が襲われるという事件にも発展した。自分たちのローカルなエリアで起こっている問題として対処している感覚と,それがマスコミやインターネットで国内全体に知れ渡って注目されていることとのギャップ。そして遠方の人間がわざわざ襲いに行くという現実。
 これは単なるいじめ問題としてではなく,教育を取り巻く社会や環境が劇的に変化したことに学校教育がいまだ対応できていない問題として捉え直していかなければならない。

 スマートフォンの不正アプリやソーシャルゲームサービスの問題などにも注目が集まった年だった。iPhone5を始めとした新しい機種の登場やLTEサービスの本格化など,ますます高度な環境が個人の手に広まりつつある。先の問題も,こうした話題と無関係ではないのだ。

 年明けのアップルの電子教科書関連発表会でiBooks Authorという電子書籍作成ツールが公開されて色めきだったりもした。2011年末には朝日新聞で教育の情報化に関する大型連載もあったので、いよいよ国民的な議論として盛り上がりを見せるのかと思われたが、あまりそういった感じにはならなかった。それでもデジタル教科書学会などが設立され、教育の情報化に関わるコミュニティが増えたことは良い方向ではないかと思われる。

個人的には,フューチャースクール実証校をあちこち回った年だった。

 小学校10校に訪問することを目標に,公開授業の機会を捉えて出かけたりした。また,後半は中学校と特別支援学校の様子も見ておきたかったので訪れた。

 たった一度訪れただけでは,何か分かるわけないことを承知の上で,見聞きしたことをもとに積分しながら様子を知る。

 11月に石川県の大根布小学校を訪れて、全10校訪問を達成。小学校のフューチャースクール実証校は「十校十色」といってもよいものだった。

 その他,徳島県の上勝小学校と上勝中学校での出前授業を始めた。徳島県の講師派遣事業の一環で,上勝町の小中学校に初代iPadが導入されているので,それを使ったデジタルコンテンツ制作を指導するというもの。

 iPadを使って学習や制作の活動をする実践は,珍しいものではないが,その環境構築はまだまだ課題があって簡単なものではない。
 今回の出前授業も,わりとネット環境やiPadの設定などが導入してから曖昧な状態にあったところに持ち込まれたため,まずは環境を再確認,再構築するところから始めなければならなかった。

 まさか県事業の担当の方も,ただの出前講師が学校のICT環境にまで手を出すとは思ってもいなかったのか,私が児童生徒への授業を始める前に,学校のネット環境の確認や先生方への研修の段取りの話を始めると「先生,事業の範囲としては…」と最初は心配そうだった。

 それでも,幾度か訪れた際に,ネットの環境を確認しながら「業者の方には,コレとコレについて確認をして,繋がるようにお願いしてください」などと先生や事務の方に確認と要望のポイントを伝えたりして,かなりネット環境も整い快適に。

 先生方への研修も,そもそもiPadとは何かを紹介することから始めて,実際に触っていただいたりする中で,気軽に質問していただけるようにもなり,だいぶ理解していただけた。普段の学校生活の中でiPadを活用してもらうことも大事なので,先生方の理解はとても大事だ。

 Note Anytimeとの出会いやiPad 2を使った動画編集など,実際に活用する際のいろいろなトピックスもあるが,それはまたゆっくり書きたい。

 ぼちぼちいろんなことをまとめたいと思っている。

 せっかくだからiBooks Authorを使って電子書籍にしてみようかと思う。

 さて,年末年始もなんだかんだと慌ただしい。