季節はめぐり

 まだ何も見られていないのだろう。その向こう側にあるいくつかの要素は,おそらくその姿形を現わすまでに幾多もの出来事を要するのではないかと覚悟はしている。

 込み入ったこの時期を過ぎれば、不必要な見当違いを犯すこともないだろう。

 物事には両面あるのだから、うまく付き合っていくには、悪い面を上手に避け,善い面を慈しむことでうまくバランスするしかない。

 物事の後始末に関していえば、それはとても難しいものであるとは思う。

 私自身、場をかき回しては、とっ散らかった状態を片付けることなく放置することがある。おそらく後始末をする側に立ってみれば迷惑この上ないのだろう。

 講演や会議の場で好き勝手な発言や行動をして悦に入っている私には、そういう人々の苦労は全く見えていない。たぶん何とかなるのだろう、そんな漠然とした期待と無責任を混ぜ合わせながら、次から次へと動き回るだけなのだ。

 それでも、ときどき私は人に聞いてみる。私ってうまくやっているのでしょうか、と。でもそんな他力本願な質問を、まじめにとり合ってくれる奇特な人はもういない。私はその人の子どもでも教え子でもないのだ。ましてアドバイスに足る人物でもない。そんなものは自分で答えを見つけなさいと愛想笑いが返ってくるだけである。

 仕方がないので、相変わらずゴーイング・マイ・ウェイのまま。

 誰かを不幸にしないための決断は、不意に訪れる。

 そのときのために、いつも過去・現在・未来のことを考え続けておかなければならない。そうやって、季節はめぐり、また今日がやって来る。