月別アーカイブ: 2009年7月

新しい扉と繋がる相手

 お腹が空いたので近くのラーメン屋で夕食を食べながら,地元の新聞に目を通した。5月末に可決された緊急経済対策補正予算で地方に配分される地域活性化交付金について,6月中に予算化したのは徳島県の24ある市町村のうち2市とのこと。その他は9月までの議会で予算化される予定という。予算が本格的に使われるのは秋以降らしい。

 GoogleがウェブブラウザChromeを足がかりにパソコンのOS提供に乗り出すという情報が駆け抜けている。先日の駄文で,学校教育をプラットフォーム・メタファーで考えたばかりだったので,このニュースは背筋に寒気を走らせるものだ。

 アプリケーションが世界対応することにある程度成功したところで,プラットフォームをそれに合わせて置き換えてしまおうという転倒したように見える試みは,もしも学校教育に当てはめて考えるならば,優秀な人材を外部世界から取り込んでくることを意味している。

 つまり,日本の学校教育だから日本人の教師が支えるという当たり前に信じられてきた構成が,世界に対応する学校教育のために世界の優秀な人材を取り入れて支えていくという構成に変わっていくことである。

 すでに看護や介護の世界では,海外の人材を受け入れることが現実の問題として進行している。日本語や日本文化の壁は,以前問題として立ちはだかっているが,日本語が堪能な外国人はたくさんいるし,日本人よりも日本文化を愛している外国人もたくさんいる事実を踏まえると,壁の問題も乗り越えられない壁ではないことは自ずと了解される。つまり,学校教育の世界に,海外の人材が流入してくることも,非現実的な話ではないということだ。

 世界的な視野で今後の持続可能な学校教育プラットフォームの在り方を考えたとき,単純には2つの方向性があると思う。コストをかけて独自のプラットフォームを維持して世界と繋がっていくこと。あるいは,コストをかけないで世界のデファクト・プラットフォームに委ねてしまうこと。

 前者は,教育制度や学校現場を自国のリソース(資源)でしっかりと支えていく在り方で,世界の動向を踏まえて教育内容などを臨機応変に対応していく必要がある。すべてを自前で用意するだけコストもかかる。

 後者は,自国のリソース(資源)にこだわらず,世界に流通している教材や人材なども積極的に活用して,学校教育自体を世界市場に乗せてしまうことである。その度,かけるコストに見合ったリソースを世界から手に入れられる。

 ちなみに,日本の学校教育は,コストをかけずに独自プラットフォームを維持してきたのではないか。そのような手法が,従来までは通用していたかも知れないが,今後も通用するとは言えない時代に変わりつつあるということである。

 いま,小学校の「外国語活動」の取り組みが話題になっている。これが実質的には「英語活動」となっていることもご存知の通りである。しかし,BRICsというキーワードで知られる新興国の存在が日増しに強くなる中,本当に英語でよいのかという疑問もくすぶり続ける。

 たとえば,なぜお隣りの中国語や韓国語ではないのか。そのような疑問と議論は,継続的に取り出されなければならない事柄である。中国と台湾と日本の関係という三角関係の問題を考えたとき,あるいは韓国と北朝鮮と日本という三角関係の問題を考えたとき,さらには,お互いの国がますます人材を流動させるようになったときに,自国の学校教育の現場をどのラインにおいて開き,また閉じていくのか。そのことの想像力が問われているということである。

 非正規教員(という用語は本来正式には存在しないが…)の割合が高まっているということは,日本の学校教育はコストをかけないことを意味している。この方向性を維持していくなら,やがて語学指導講師として関わっている外国人講師の存在を入り口として,外国人の非正規教員の採用の事例が増えていく可能性も否定できない。

 日本が経済的な優位を維持できなくなり教育職員の人件費の補助に更なるメスが入ったとき,さらに少子化による学校教育全体の存在縮小によって投入されるコストの削減を余儀なくされたとき,あるところで(校内研究のもとで教育を先鋭化していく努力に代表される)現場教師たちの熱意は破裂し,それによって支えられていた「日本の学校教育」は委ねられる者を失ってしまうかも知れない。

 その先に繋がっている相手とは誰なのか。あるいは,そうなる前に繋がれるべき相手とは誰なのか。

 世界と繋がって活躍している教育研究者はあちこちに居るはずなのだが,そこからの声をもっと日本の学校教育とその現場を考えるために活かしきれていないことが悔やまれる。

再会

 軽妙に書いた(つもりの)駄文はそうでもないが,四六時中,昼夜を問わず試行錯誤を重ねて書いたような文章は,再三見直して書き終わった時点から,もう見たくなくなる。どこまでも満足してないし,もう苦しみたくないし,できるだけ頭から追い出して冷却したいからだ。

 ちょうど半年前,私は人生二度目の修士論文を書き上げようとしているところだった。寝ても覚めても論文執筆がつきまとい,残された時間の中で手持ちの材料を論文として成立させるにはどうすべきか大いに悩んでいた。しかも容赦の無く睡魔が襲う。そんなこんなで出来上がった論文を出し終えると,逃げるように論文を開かなかった。

 昨年度の学会でこういう研究をしますという予告発表をした手前,今年度の学会でこんな結果でしたというご報告をしなければならない。忘却の彼方に押しやった様々な思考を呼び戻すための助走が始まった。

 関連文献を触ったり(まずは物理的接触が大事である),お世話になった先生たちのブログを読んでみたり(自らの不義理を自覚するのも大事である),そして関係する話題を駄文で取り上げて悪態をついてみたりする(自分を鼓舞するにはこの方法が手っ取り早い)。

 そして,昨年の学会発表申し込み時に書いた要旨原稿あたりから,自分の書いたものを見返す。はっはっはっ,何書いてあるのか分からんな。熱に浮かされていると,こういう小難しいものを書いてしまうらしい。これじゃあ,誰も相手にしないかもね。

 七夕である。

 あれから半年経って,私はようやく自分の修士論文の頁を開いた。

 謝辞が長い。

 大好きなものを最後に残したら,時間切れで食べられなかったみたいな出来である。

 ただ,懐かしい友と再会したような気もする。よみがえる東京の日々…。

 さて,頑張って原稿書きましょう。

小さな世界の中で

 人間の知的活動の構造をプラットフォーム・メタファで表現することがある。基礎基本能力によるプラットフォームが形成されており,その上で様々な知的活動(アプリケーション)が動かされているという構図である。

 こういう階層構造的捉え方は単純すぎるので,もう少し動的な部分も加味するためネットワーク・メタファを導入することもあるだろう。メタファの合わせ技を使って,複雑な状況を説明することがしやすくなるかも知れない。

 もし学校教育をプラットフォーム・メタファで考えたとしたら,僕には,アプリケーションにあたる教育内容やカリキュラムにはある程度注目も集まるし,10年毎にバージョンアップしてきた歴史もあるし,動きがあるように思えるのだけども,プラットフォームにあたる部分について,ほとんど代わり映えがしていないように思えてならない。

 さながらWindowsのバージョンアップのように意味もなく更新料を払っている感覚に近い。いつになったら64bit版を主流にするの?みたいな話である。アプリケーション側としては,肥大化するデータの処理のため64bit対応ソフトに変化を迫られているというのに,プラットフォームがいつまでたっても32bit版の遺産を捨てきれずに大胆に変われていないのである。それでいて動かそうとするアプリケーションもデータも,どんどん肥大化していく。

 Windows7になると喜ぶのは結構だが,じゃあ32bit版インストールする?64bit版インストールする?どっち?って選択する段になって,「やっぱり資産があるから32bit版かな」という選択が働いたら,64bit版は何なんだろう?
 

 僕はときどき,教育研究の様々な示唆が,現場の先生方の「本当のポテンシャル」を見失って引き出さず,結果として従来と同じところにエネルギーを注がせ続けて,可能性を摘んでいるんじゃないかと不安になることがある

 確かに日本の学校現場における授業研究を始めとする校内研究の伝統と蓄積は,今日にも引き継がれている部分は大きいし,そうした日本の教師の実直さのおかげで,困難な情勢の中でも日本の学校教育が維持されている。日本の先生方は優秀だと思う。

 一方,海外の教師には,恐ろしいほどムラがあるのかも知れない。国によって,地域によって,学校によって,そして個人個人によって,それぞれ違う考え方で動いている(ように私には見受けられる)。でもそのことを承知の上で,もう少し言及するなら,海外で教師になる人々の多くが大学院を修了するようになっている点は,日本と大きく違っている。(おかげで先生のなり手が見つからず授業が行えない事態が発生しているところもある。)

 日本は,世界でも先駆けて学士教員という水準を実現した国であった。そのことが日本の教育を支えてきたことには違いない。ところが,気がつけば世界はその日本を見習い追い越して,とっくの昔に修士教員の水準へと引き上げた。日本は,自らつくり出したプラットフォームが頑強すぎて?,いまだ変えられずにいる。

 もちろん大学院もつくらせたし,教職大学院も導入した,教員免許更新講習なんてサービスパックまでリリースしたが,どれもこれも根本を変えるものとはなっていない。
 当時の教員養成系関係者を震え上がらせた「在り方懇」は,あるいは変わる機会だったのかも知れないが,若い大学教員には「何ですかそれ?」の昔話になってしまった。あなた達がGPとか呼んでいるものの前段にそういうものがあったんですよ。まあ,使徒襲来みたいな話です。
 

 教師学という領域に関連する論文を編んだ『成長する教師』(1998)という本と,レッスンスタディという角度から教師の学習を扱った『授業の研究 教師の学習』(2008)という新旧2冊は,確かにどちらも学校教育のプラットフォームである教師の仕事について注目した専門書なのだが,世界に対する開かれ方にかなりの違いがあるとも言える。

 この2冊の間には,10年という年月の隔たりしかないように思えるが,インターネットやケータイの普及,世紀の越境と戦争,地球規模の環境問題の顕在化などを経ているとも言える。これらの変化をただの「流行」であると考えるのか「不易」を見直す深刻な課題であると考えるかで,2冊に対する評価はかなり変わってくることになる。

 前者の本が,わりと従来の伝統的な教師世界を対象としてぐりぐりとプラットフォームを論じたのだとすれば,後者の本は,海外で受容された日本の授業研究である「レッスンスタディ」を経由させてプラットフォームを論じたものといえる。もちろん二者択一の話ではない。日本の学校現場におけるプラットフォームの議論を,後者の議論空間にも対応できるように発展させることが重要ではないか?という問いかけである。
 

 大変貧弱な例え話で言うならば,新聞社のことを思い浮かべるとして,日本の五大新聞社(日経,毎日,朝日,読売,産経)やスポーツ紙,地方のローカル紙を思い浮かべるだけでなく,ニューヨーク・タイムズとか,ワシントン・ポストとか,ウォール・ストリート・ジャーナルとか,(倒産しちゃった)シカゴ・トリビューンとか,ピープルとか,ル・モンドとか,ガーディアンとか,インディペンデントとか,そういう世界の新聞のことも思い浮かぶくらいに世界に開かれているのかどうかということである(読めるとか読めないとか,そんなの関係ない)。

 それともこれは,ちょっと世の中の目立つところを見聞きして分かったことが嬉しくて,バカの一つ覚えみたいに「世界ってのは広いんだぜ,おまえも世界に出てみろよ」と自慢話をしている青二才の戯言レベルの問題意識なんだろうか。(例え話だとしても)世界の新聞紙の名前が言えたところで,何が変わるって言うんだ,バカ。

 もしも,私がバカなだけなら,心配することもないなら,それが一番いい。ただ,私には,そのことが「32bit版を使うのが現実的だから64bit版なんか使わない」という選択に似ているように思えるだけである。それでいいならそれでいい。

 フルタイムの大学教員に戻って数ヶ月。早くも半期を終えようとしている。このペースにもう一度慣れるのに,ずいぶん体力的なエネルギーを消費している。こりゃ困った。

 さて,私は受け持った学生たちのポテンシャルを引き出せたのだろうか。そのことが大いに問題だ。私自身が自転車操業だったから,もしかしたら,もっと深められたことも深めきれなかったのかも知れない。私のハイペースに慣れてくれたところで授業が終わってしまうという問題もあるかも知れない。

 すべてを一気にバージョンアップできるとは,もちろん思っていない。今まで高校で50分授業のペースに慣れた大学1年生たちには,90分ノンストップ授業はビックリだろう。専門用語で語られる講義の内容を,先生が理解しているように学生が理解できることもあり得ない。時間をかけてじっくりと付き合わなければならないのはどの学校段階でも同じ。プラットフォームが徐々にバージョンアップしていくのを見守らなければならない。

 これは先生という立場の人たちにとっても同じ。だからこそ,先生たちがどうしたらちゃんとバージョンアップできるのか,もっと真剣に考えなければならないのだけれども,みんながみんな忙しさに浮き足立っていて,結局は従来の範疇を繰り返し先鋭化しているだけに終わっているんじゃないか。そのことが心配なだけである。

七夕で星に願いを

 テキストマイニングのツールをあーでもないこーでもないとセッティングしつつ,これまた別件のデータを解析にかけては結果をコピペコピペ繰り返して集計してみる。名前の変わったどこぞのリッチな解析ツールを使えれば簡単なのかも知れないが,オープンソースのフリーソフトでやってみようと挑戦している。

 これ,辞書によっても結果が変わるんだろうか。MeCabという形態素解析ソフトにIPADICというIPA(情報処理推進機構)がかつてつくった解析用辞書の組み合わせで試していたが,どうやらUniDicという国立国語研究所などが共同研究としてつくっている解析辞書の方が,表記の揺れや語形の変異にかかわらず同一の見出し語を与えられるメリットがあるようだ。

 そんな入れ換え作業して,解析作業始めからやり直して,まあ,俺の休み返してくれぇと煮詰まって,近所の七夕祭りに出かけることにした。

 近くに徳島工芸村という施設がある。県立ホールなんかもある場所だ。灯台下暗しでまだ足を踏み入れたことが無かったので,これを機会に行ってみることにした。ちょうど同僚の先生から「土曜日に催し物がある」と聞いたばかりだったので,グッドタイミングである。

 七夕祭りの会場にはもともとコミュニティFMのスタジオがあったり,地元ケーブルテレビの人気番組?が収録に来ていたりとそれなりににぎやかだった。徳島に暮らし始めて3ヶ月。まだまだ地域のことはよく知らないので,地元テレビの人気タレントもラジオのパーソナリティもまだよく分からないが,ローカル空気に包まれて楽しく過ごした。焼きそば専門店の出張屋台があり,美味しい焼きそばとビールを楽しむこともできた。

 成り行きで,コミュニティFMを手伝っている学生さんたちがやっていた七夕短冊コーナーを一緒に手伝い,子どもたち相手に時間を過ごした。本当に久しぶりに子どもたちとやり取りをした。僕が本当に恋しているものがなんなのか,思い出したようにも思う。まだ頑張れると思いもした。

 イベントもそろそろ終わる頃,一段落したのを見計らって祭りを後にした。大学に戻り,もう一仕事。

 短冊に何を書いたのか? 「研究と教育活動がうまくいきますように」

 もう少し粋な願い事は書けなかったのかと我ながら呆れてしまうが,不出来な大学教員だから,それを願うのが妥当なのだと思う。叶うように努力するのは,他ならぬ自分だけれども…。

文月三日

 とうとう七月に入った。授業も大詰めで前期試験を出題する準備をしなければならない。学会発表の申し込み締め切りも近々やって来るが,まだ原稿は準備できていない。それから,あれやってこれやって…,う〜む。

 何年かぶりの賞与をいただく。まだ在籍数ヶ月ゆえ,大喜びできる額ではなかったものの,このご時世,いただけるだけでも感謝ものである。すべては必要経費として消えていくので,プライベート支出は来年度の賞与を待つしかない。一眼レフ・レンズ欲しかったなぁ…。

 来週末は久しぶりにカリキュラム学会に出席する。ずっとご無沙汰だったが,そろそろ最新動向を勉強し直さないといけないと思うので,出席を決めた。少し距離を置いてからもう一度眺め直すことになるので,また違った理解ができるかも知れず楽しみである。とはいえ,久しぶりだからこっそり参加しよう。あ,宿とってない…。

 来月は毎年恒例の集中講義「カリキュラム論」。この集中講義が来ると「夏が来た」という雰囲気になる。今年も四十数名の受講予定者がいるとのこと。頑張りたい。

 毎日,夜遅く帰宅する悪い癖がついたので,今日は明るいうちに帰ることにする。といっても雨雲の空だけど…。