月別アーカイブ: 2006年7月

運動もいろいろ

 今後の計画を練っているので,あんまり余裕がないのだけれど,気晴らしに見たCMが興味深かったので,駄文に。教育フォルダからリンクを張っている「Ads of the World」は,いろんな宣伝ポスターやCMを見ることが出来る。そこに「World Swim For Malaria」という募金運動のCMがあった。
 世界には興味深い広告が多いことは「世界まる見え!テレビ特捜部」なんかでご存知だろう。ごく普通のも,下らないのも多いとは思うが,やはり圧倒的な出稿量を背景に,内容的にも芸術的にも高い水準にあるものも多い。とにかくいろんな広告があって,場合によってはとても面白い教材にもなりうる。
 さて,見つけたCMは「World Swim For Malaria: Jambo jet」で,タイトルからは「swimとjambo jet?なんだろう」とあまり想像がつかない。しかもよく見ると「マラリア」とも書いてある。ますますわからない。
 CMを見ると,子どもたちが空港のカウンターで遊び回る映像とフランク・シナトラ「Come Fly with Me」の歌声が聞こえる。JALのCMをモノクロにした感じともいえる。でも実際にはジャンボジェットを7機分いっぱいにする子どもたちがマラリアで亡くなっているという事実を紹介するCMだった。
 けれども,なんで「World Swim For Malaria」なのか?「swim」って単語は,「泳ぐ」以外にも意味があったんだろうか。疑問に思って辞書を引くと「困難を克服する,乗り越える」という意味もあった。「マラリアという困難を乗り越えようって事か?けれども,それじゃforはおかしいだろう…」
 仕方ないので,「World Swim For Malaria」にアクセス。なんだちゃんと日本語版が用意されている。説明を見るとみんなで「一緒に泳いでから募金しよう」という運動だった。つまり人を集める口実・手段として「スイム」大会を催して,そして,いくらでもいいから募金してもらうということだ。すでにイベント期間は終わったが,募金自体はできると思う。
 「水泳」が良いアイデアかどうかはさておき,なるほど単に募金を呼びかけても大きなムーブメントにはならないということらしい。ここにもマーケティングの発想があるのかも知れない。
 「ホワイトバンド(ほっとけない世界のまずしさ)」なんかは募金直接送金ではない運動ではあるけれども,あの白いバンドを使って上手にプロモーションしていた。(その問題も指摘されている
 水泳とホワイトバンド。どちらがどうとはあえていわないけれど,興味深い比較である。こういうのは社会科や総合的な学習の題材にならんかな。2つの運動の在り方を比較するだけでも,世界の動かし方の勉強になるかも知れない。その入り口としてCMも有りだと思う。

文月13日目

 すっかり乱れた生活を整えるべく,早起きからスタートした。構想を練るため文献に触れたりするが,午前中から暑さが厳しくてダラッとしてしまう。午後は仕事に関係のない調べ事のために出かけ,早稲田大学に立ち寄って恩師に会い,十何年ぶりに「歯医者さん」に出かけ,溜まった洗濯物を一遍に片付けるためコインランドリーを利用した。
 というわけで,歯医者さんを訪ねたのである。どこか悪くなった,というわけではない。一体全体,私の歯はいまどのような事態になっているのかを知りたかったからである。短大に勤めた9年間,春の定期検診と潰瘍で苦しくなって病院へ駆け込んだ以外は,病院のお世話になる余裕もなかった。特に歯医者は,高校時代に通ったきり,15年くらいは縁がなかったということになりそうだ。さすがに「一度は見てもらいたい」という気持ちになってくる。
 退職して,やっと時間が空いた(そりゃそうだ)。いまさらどの面提げて歯医者に行くべきか困ったが,とにかく家のすぐ目の前にある歯医者さんに出かけることにしたわけである。「初めてなんですけれども…」と受付に告げて,「とりあえず歯を診てもらって,クリーニングしてもらえたら…」ということにした。
 歯のレントゲンを撮り,下顎側の歯石など「キュイ〜ン」と削り取る作業が始まった。もう大人ですから,ドリルの音には驚かないが,十何年間に溜まった歯石を取り除く作業の大変さみたいなものには,口をガバ〜っと開けながら苦笑いしてしまった。助手のお姉さんにこういう姿を見られるのは恥ずかしいが,彼女もレントゲン失敗して私は放射線を2回浴びる羽目になったんだから,まあ,お相子ということで…。
 それで,今回は下顎側だけで終わって,次週上顎の歯石除去と今後の措置について決めることになった。どうも下顎の親知らずのせいで虫歯ができているらしい。が〜ん,とうとう虫歯ですか。こんな不摂生な生活だから,いつかはそんなことになるだろうと思っていたが,やはり…。とはいえ,むしろ歯医者に来てよかった。何やら,いろいろ治療され始めることになって,ちょっと抵抗感はあるが,この機会に処置しておかないと。感謝感謝。
 そして夜,大量の洗濯物をバッグに詰め込み,街を歩き回る1人の男。しばらくして小さな喫茶店に併設されたコインランドリーにたどり着いた。さて,どの機械で洗濯しようかと辺りを見回す男に,おばさんが出てきて「こっちは小さいの,あっちが大きいの」と声を掛けた。男が「この辺は他にコインランドリーないですか」と訪ねると,「みんなやめちゃったからね。ドロボーが多くて…。あたしもやめたいんだけどね」と言葉が返る。
 「あんた,ワイシャツと下着洗うの?だったら小さいので分けて洗った方がいいよ」と,いつの間にかコインランドリー利用のレクチャーが始まった。「まずね,先に200円入れて,洗濯槽を洗うの。それから洗濯物入れて」「あんまり洗濯物が少ないと,こすれないからキレイにならないのよ」「女性ものの下着はドロボーされるんだけど,男物はだれも盗らないから,30分くらいブラブラしてきてもいいよ」「ワイシャツはね,最初に液体洗剤ぬっといてからもってくるといいわね」「乾燥機から出すときは一度洗濯物をパンッとひろげて熱を逃がしてやるとシワになんないから」とかいろいろ。
 郷に入っては郷に従え。年長者のアドバイスは有り難く受け止めよ。コインランドリーのオーナーらしきおばさんの指示に従いながら,男はなんとか洗濯を終えた。汗だくになりながら洗濯をしたのだが,その汗だくのTシャツは,とりあえず家で洗うことになるのか。「ありがとうございました」と告げて,男は洗濯物を再び抱えて,帰路についた。
 いまどき安価な洗濯機はたくさんある。コインランドリーの需要は減っていると考えるのが妥当だろう。それでもコインランドリーに頼る人々は少なからず居る。そんな人達のために,コインランドリー頑張れ!

人生いろいろ学会もいろいろ

 先週末,日本カリキュラム学会が奈良教育大学であった。前日の夜に,他の仕事の区切りがついたところで,急いで東京から名古屋へ,早朝に名古屋から奈良へ向かって,なんとか朝から出席できた。
 身辺の慌ただしさもあって自身の発表参加とはならなかったが,学会は今回もいろんな意味で勉強になった。目新しいものはなかったにせよ,自分の問題認識枠というものがそれほどはずれてはいないということは確認できた。問題はこの足踏み状態を次に推し進めるよい手だてを考えて実行することか。
 課題研究やシンポジウムの企画や進行の難しさは相変わらずだった。昨年は課題研究について,大いに不満を書き殴ったけれど,今年もまだ「ポリティックス」って言葉を解説するだけで終わっている人がいて,思考の停滞具合に寒ささえ感じた。それともあれはクーラーの効き過ぎだったのだろうか。
 けれども,そう感じたとしたら,それはそのまま自分へ反射してくる。その先を考える必要を感じるなら,同じ研究共同体に属する者として「俺の展望はこうだぜ!,君のはどうだ?」というスタンスで関わらなければ…。問題は,それがうまくできていないから,相も変わらず堂々巡りなんだ。
 私としては,一度でいいから,午前中に大御所の方々が登壇した課題研究を,午後に各世代を交えた「懇親会まで生討論」で議論する,その司会をやりたい。恐ろしくて誰も討論してくれないかも知れないが,こういう議論を解釈するための議論を率直にオープンにしないと,ポリティックスとか情報共有とかの一歩先は無理である。私個人は,人生で1回くらいそういう企画を実現して研究者生命を終えたいと思う。
 一年ぶりにお会いする方々に退職の報告をする。いろんな反応があった。肯定的なものもあれば,残念だね系も。肩書きが無くなって「自分の名前で出ています」という状況は,自分よりも相手にとって(つきあい方が)辛いのだなということも,だんだんわかってきた。とりあえず,人々の目がやさしいうちに次のステップに移らねば。
 人が集えば,たくさんの考え方がそこにあって,それはそれぞれにとって妥当な状態にある。そのことに思いを巡らせることも大事だけれど,もう少し自分の手持ちの考えも認めてあげなくちゃいけないのだなと,少しばかり思った。

学習の学習の

 楽しみにしていた研究会がスタートした。何回かに分けて学習科学に関する英語文献を読んでいくのだが,初回3番目の発表担当ということで,直前までレジュメづくりに格闘していた。こういうのは久し振りである。
 学習について考える機会はあったが,「学習科学」として足を踏み入れるのは初めてのこと。どんな議論や問題意識が展開しているのか,どんな語り口でやりとりが行なわれるのか,新参者としてうまく話についていけるか心配だった。そこに初回発表だから,いつものように「当たって砕けろ」しか手元にカードがなかった(ライフカードのCMみたいに…)。
 研究会はとても有意義だった。なにしろ,その分野で活躍している方々の話を直接聞けて議論もできるのだ。学習科学では,学習環境の状況というのが重要視されている。私にとって,学習科学を学ぶ状況としてはこの上なく贅沢な状況であることはいうまでもない。それだけに,発表は緊張した。寝不足で頭回らないのも悔しかった。
 そんなわけで,「学習の学習の学習」という二重のメタ学習という課題も平行させながら,丸一日の研究会を過ごしたというわけである。会はまだスタートを切ったばかり。ある程度全体像がつかめて何か言えるようになったら,ここでも勉強成果を書いてみたい。とにかく,参加できることに感謝感謝。
 さて,次なる用件にいってみよう!

演歌の世界

20060701a_sky20060701b_sky 七月に入った。これまでにも増して慌ただしい日々が始まろうとしている。昨日は教育分野で事業を展開するソフトウェア企業さんとの共同研究プロジェクトにお誘いをいただいたので参加した。機会をいただけて感謝感謝。
 携帯電話を教育活用するためのアイデアを示唆するというのが私たちの課題。すでに継続的に研究に参加している現場の先生メンバーから意見や提案をもらったり,研究者メンバーからも論点の投げ掛けや議論の集約など発言がやりとりされて,研究会が進む。
 みんなでブレーンストーミングの場は大好きなのだが,私自身は頭の中で一人ブレーンストーミングする癖があるので,しばらく黙ったまま議論の行方を追っていた。
 手短に書けば,他社との差別化を図るためには,ポリシーを明確にして打ち出し続けなければならないという,営業のイロハの話になる。でなければ,ある種の流行を捉えたり,人々の不安意識を煽った形の売り出し方で短期的な成果を追いかける途へと入り込むしかない。そうなれば,あとは価格競争という体力・耐久力勝負の世界になってしまい,サービスに対する適切な維持コストも掛けられなくなる。これは健全とはいえない。
 というわけで,かつての職場でシステム購買の仕事をした経験もあるから,買う側として(つまり稟議書類を作成する人間として)押さえて欲しいことを述べて,教育分野で頑張ろうとするならば「演歌歌手」のように,最初はなかなか売れないかも知れないけれど(実際,ご存知のように教育界は腰が重い),一本筋を通して頑張っていれば,いつかは売れて人々に語り継がれるようになる,と話した。
 そりゃ企業人にとってはヒットソングで「ミリオンセラー」が欲しいのだろうが,教育業界をターゲットにした以上は,覚悟を決めて「演歌」を歌い続けなければならない。それでも売れたいなら「氷川きよし」になるしかない。
 という話をしながら,そりゃもうちょっとまともな意見もちょっとずつ発言しながら研究会を終えた。その後の意見交換会。「少し違う観点からの意見だったので新鮮でした」と言ってもらった。それから調子に乗って隣の方に,Web2.0界隈について聞いた話を受け売りながらも熱く語り,もっと営業や開発でこうやったらいいんじゃないか!と,なんか勝手にまくし立てていた。ははは…,すみません。

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