月別アーカイブ: 2007年4月

NHKアーカイブス

 朝から「NHKアーカイブス」の検索画面とにらめっこ。依頼あって過去の番組を探している。地道な作業を続けながら「ものごと最後にゃ手作業だな」と思う。
 「NHKアーカイブス」は,NHKが放送してきた番組を保管管理する部署で,一部は公開されているので然るべき場所で視聴することができる(最近,全国の放送局でも見られるようになった)。約37万番組がアーカイブズとして扱われているが,その中で視聴できるのは約6000番組だそうだ。

 今年の2月からは,番組をインターネット経由でWeb検索ができるようになっていた。NHKアーカイブスに登録されないものもあり,それらの番組は検索できないが,そうでなければ放送日といった番組概要を得ることができる。
 検索システムは開発途上中といったところだが,情報内容の方もデータベース検索を前提としていたわけではない時代もあって,見直しは必要みたい。
 Googleとは異なり,こういうものは機械的な単純検索なので,たとえば教育問題に関する番組を検索するために「教育」というキーワードを入力しても「教育テレビ・スペシャル」なんて帯タイトル付いてたら,何でも検索に引っかかってしまう。
 立花隆氏が連載記事の「第95回 明治の「バラバラ事件」もヒット 読売新聞の記事DBを体感」で新聞データベースのキーワードを地道な手作業でつけた効用について興奮気味に語っている。私もたまに,丁寧な手作業無きところにイノベーションは無い,のではないかと思う。

 ちなみにNHKアーカイブスを教育活用しようという試みは「タブレットPCとNHK映像を使う「世界初」の授業、東大が公開」といったものがある(この試みについては他にも「東京大学が考えるナレッジワーカー育成の王道」というコラムなどがある)。
 私たちがお世話になった学校放送も,土曜日の深夜に「学校デジタルライブラリー」という番組で,現場に使ってもらえそうな映像コンテンツを淡々と流し続けて頑張っている。
 過去の財産は膨大で,まともに関われば人生丸ごとかかってしまう。けれども,音楽ライブラリの世界にiTunesやiPodがやってきて,膨大なライブラリとのつきあい方を変えたように,映像ライブラリの世界にもそのような変化が間もなく訪れるのかも知れない。
 そのためにはまだまだマシンパワーや技術の進歩と様々な事務的な問題のクリアが必要だ。それは,まさしく「丁寧な手作業」に他ならない。

卯月6日目

 朝起きて,報告書を書き上げなきゃと思い,コツコツ書いてたら,用事一つすっぽかしてしまった。ああ,恥ずかしい失敗をしてしまった。やっぱり頭のネジがゆるみっぱなしかも知れない。
 とにかく書いてた報告書を仕上げてメールで送る。情報の真偽を確かめるためにもっと調べたかったけれど,時間がいくらあっても足りないので,言い回しをぼかしたり,情報を捨てたりして,諦めるしかなかった。

 本日は先輩達が修士論文の途中経過を発表する会が催された。1年後には同じ事を私もすることになるわけで,どんな雰囲気かを知るためにも発表を聴いて回った。
 学際情報学府は,文理混在した研究科なので,発表内容は文字通り広範囲に及び,関心の幅が広い人にとっては極めて刺激的な時間であった。もともと教育学のカリキュラム研究畑に居た,気の多い私のような人間には,世界の奥深さを再確認する良い機会にもなった。こういう多彩なもの達を,どうやればねじ伏せて見渡せる地平に持ってこれるのか。カリキュラム論的にいろいろ考えられそうだ。

 なんて余所余所しく書きっぱなしではいられない。いよいよ来週から授業スタート。ネジしめてかからないと…。

入学式

 今日は入学式。行ってきま〜す。

 平成19年度東京大学大学院入学式が本郷キャンパス安田講堂で行なわれた。入れ替えで2回行なわれ,総長式辞と研究科長式辞を聴く。いよいよ東京大学大学院学際情報学府の大学院生としての生活が始まった。
 小宮山総長の式辞はシンプルだが印象的であった。配布された東京大学憲章とアクションプラン2006を紹介し,東京大学が「世界における知の頂点を目指す」ための両輪であると位置づけた。

 知の頂点を目指すために必要なものは何か。「知識」あるいは学識ももちろん大事ではあるが,むしろ「勇気」が大事であると総長は説く。
 この「勇気」には3つの勇気が含まれているという。「孤独を恐れぬ勇気」「功を焦らぬ勇気」「他流試合に挑む勇気」の3つである。
 「孤独を恐れぬ勇気」は,自らの研究テーマを追究する際,細分化された研究コミュニティや学問体系において,ますます他者の理解を得ることが困難になっているという状況に耐えるため必要である。
 「功を焦らぬ勇気」は,ともすれば業績数を増やすことが目的になってしまう風潮に抗して,どれだけ自らの研究行為に誠実であれるかという際に必要なものである。論文発表は手段なのであって目的ではない。
 「他流試合に挑む勇気」は,他者との学術的な論争を恐れず積極的に論を交わすことで,自らの研究の弱点を埋めたり,研ぎ澄ませていくために必要である。特に世界水準の研究を目指す以上,海外の研究者との他流試合にも挑むべきである。
(正式な記録はこちら「平成19年度 東京大学大学院入学式総長式辞」)

 午後からは各研究科毎のガイダンスが行なわれた。お待ちかねの学生証を受け取り,時間割や授業シラバスなどの説明を聴く。考えていたよりもハードな毎日が待っているみたいだ。
 主な施設を案内されたあと,コース別の説明会。30名ほどの新しい顔ぶれの自己紹介やこれからの大学院生活の流れを再度詳しくレクチャーされる。先輩の経験談なども聴いた。よくばって授業を取りすぎると自分の時間が無くなるから注意した方がいいと強調されていた。バランスは難しい。
 その後,先輩方による新入生歓迎会が行なわれ,立食形式で歓談する。多様な分野が混在する学際情報学府という大学院は,他のコースやゼミとの交流が少なくなりがちなところもあるので,積極的に関わっていくことが大事になる。
 ビンゴゲームも工夫が凝らされて(名前ビンゴゲームになっていた),お互いが挨拶したりコミュニケートするチャンスをつくれるようになっていた。孤独になる大切さとともに,つながれる仲間が存在することも大事なのだと思う。
 歓迎会が終わり,ゼミ室に戻る。一緒に入った新しいゼミ仲間と一緒に授業のとり方など先輩からアドバイスを受けながら思案する。新しい電子メールアドレスの設定や図書館利用の書類など,あれこれ気に掛けていたら夜の9時を回っていたので,帰路につく。

 丸一日の入学行事が終わる。間髪入れずに翌日には先輩方の修士論文経過発表会があるし,来週からは授業も始まる。初心に戻って走り出すしかない。

卯月2日目

4/1■内閣府世論調査「悪い方向に向かっていると思われる分野」教育が36.1%でトップ
4/2■有識者会議「美しい国づくり企画会議」メンバー発表
 せっかくの新年度なのに,嬉しいニュースでは始まってくれないらしい。だれか企画会議のメンバーが教育問題に触れないことを確約してくれないだろうか。あっちにもこっちにも公的な井戸端会議ができて賑やかなものである。

 本日は会議出席のため東大へ。入学式はまだだが,新年度の活動は徐々に始まる。早寝早起きの生活を安定維持していけるように気をつけていこう。

卯月1日目

 新しい年度が始まる。昭和のスターが去ったり,ポケットベルサービスが終了したり,大学教員の役職名が変わったりと,いろいろなことを経て始まる平成19年度だ。
 4月1日のユーモアを楽しむ機運は無くなっているのだろうか。もう少し上品で楽しくなるようなネタを準備すべきところ。準備不足と輪をかけた駄文で恐縮である。書く側にも読む側にも余裕が失われている以上,冗談は冗談にならないのかも知れない。

 さて,気を取り直して。いよいよ本年度から大学院生として学びなおし。あれこれ取り組みたいことはあるが,欲張らず地道に勉学・研究に励むことにしよう。

声明発表

 全国教育委員会事務局改革推進連絡連携協議会は,4月1日付で声明を発表した。どうやら,すっかりこんがらがってしまったこの国の教育問題の原因を整理した上で,抜本的な改革をすることに本気になるようだ。
 ご存知のように,教育の問題は様々な要素が複雑に絡み合ったり,同じような問題に見えても個別のケースで原因や採るべき対処方法が異なる場合がある。しかし,マスコミを始めとして,人々の問題の捉え方は単純化する傾向にあって,それがまた教育問題の複雑化に拍車をかけるもとともなっていた。

 そこで先の改革推進連絡連携協議会は,教育行政の中間或いは根幹に位置するともいえる教育委員会事務局として,問題の所在を教育制度の側面から整理し,教育委員会事務局自身の問題点を明らかにした。
 この目的は,教育議論の地平をクリアにすることによって,教育委員会事務局が取り組むべき改革を明確にすることである。一方で,何でもかんでも教育委員会事務局のせいだと問題をごっちゃにして批判する世論を牽制する意味合いも大きい。このままでは教育委員会事務局の予算カットや人員削減,果ては廃止論まで具体化しかねない,との危機感が教育委員会事務局側にある。

 そこで声明では,今月96億円をかけて行なわれる全国学力テストへの完全不参加を表明。不足分を地方が補うことを条件に予算残金で,全国都道府県市町村の教育委員会事務局と地域社会との関係など徹底的な教育実態調査を行なうことを決定したとある。
 この機会に一斉に膿を出し,地域の実情を明確にした上で地方自治体毎の教育行政に役立てることを提案している。また国家に対しても,そのような実証的なデータをもとに予算措置を行ない,教育予算自体の増額を求めていく姿勢をハッキリと表している。

 これまで国レベルで描かれた教育施策は,地域社会の実態も踏まえず,また伝達過程における様々なミスコミュニケーションの発生とも相まって,現実の教育をよりよく変化させるのに十分な結果を出せてこなかった。
 21世紀になって,地方分権の時代となり,いよいよこの問題に徹底的なメスを入れる必要があるとの問題意識が,教育委員会事務局や各地域の教育長もしくは首長のもとで醸成された結果,このような声明へとつながったようだ。
 これは現事務局や首長達による統一地方選挙へのパフォーマンスであるという見方もあり,まだまだ予断を許さないが,いずれにしても地方が本気になって教育問題に取り組むことが大事である,ということが形になった声明としては大きく評価できるのではないだろうか。
 今回の声明に対する反応として,全国保護者教育力向上委員会連絡会からも保護者の立場から協力できることを模索したいとのコメントがあったり,教職員取組改善連合などからも前向きに受け止めることが伝えられている。また一部の政府筋は,各レベルにおける緊急会議の必要性を示唆しており,こうした好機を作り出せなかった教育逆再生会議の解散と各省庁が採るべき前向きな対応策などの検討を始める必要があるとの考えが出始めていることを明らかにした。

 平成19年度,やっと教育が良い方向へ動き出すきっかけの年度となりそうだ。

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内部文書

 入手した教育逆再生会議の内部文書は驚くべき内容だった。すでに多くの識者が指摘や批判をしている通り,教育水準の衰退化による国民統制のし易さとコストの低減,地方分権による格差の確保と国家行政不備からのミスディレクションなどのシナリオが明確に記されている。
 会議の公開/非公開議論についても,最終的には非公開とすることは決定済みであったようだ。情報の枯渇によるマスコミ報道の特性は事前に分析し尽くされており,細分化された議題を小出しに分散報道させることが,結果的には一般の関心を低下させる効果をもたらすことが企図されている。
 文書に手書きで書き込みされたメモには,ツッパリ先生として知られる担当室長を利用するアイデアが示されていた。室長をマスコミ報道に登場させることで本人の自己顕示欲を満たし,一般ウケをねらいつつ,報道に関する問題が発生した場合には本人をスケープゴートに仕立てる方針のようだ。官僚としては,利用しやすく切りやすい人物を重要ポストに就けた方がやりやすいという慣習がある。そもそも過去の発言の不整合など問題をたくさん抱える彼はそれに適任というわけだ。
 内容や手書きメモ部分から,この内部文書は私たちがマスコミやWebサイトから見ることができるメンバーによって作成されたり,その中で配布されたものではないことは明らかである。
 文部化学省自体の解体論にまで触れている箇所があることから文化省側の関係者でないことは想像できるが,安部内閣周辺によるものか,内閣部に通じる関係者によるものなのか,あるいは自眠党関係者なのかはハッキリしない。
 いずれにせよ,安部首相という,この国の教育を壊してまでも憲法改正を達成し,後世に名を残すことこそ最終目的と考えている総理大臣のもと,内部文書に記されたシナリオが着々と進行している。教育逆再生会議に名を連ねる経済人達も,そのような方向性によって自らの事業が潤うことを歓迎しており,異を唱える教育者や研究者の発言の影響を薄めるためにも非公開は当然だったようだ。
 内部文書は次のように結ばれている。
 「今日,様々な問題が我が国の衰退現象として語られる。しかし,問題なのは人々の問題意識が高まり,疑念などによって行動効率が低下し,ひいては消費効率,経済効率が低下することにつながっていることである。まさに教育こそ問題である。
 我が国には,英語教育効果の抑制に成功してきた実績がある。このことによって日本語圏を枠組みとした経済市場の囲い込み体制を維持してきた。また,通訳・翻訳市場の活性化や,現状を維持できる範囲で民間英語教育市場の発展にも貢献した。
 我が国が今後も経済大国として持続し,再び世界でナンバー・ワンの地位を取り戻すためには,教育の効果を可能な限り抑制し,従順な愛国者,従順な消費者,従順な労働者を輩出しなければならない。そのためのレリバンスを高め,コストを低くすることこそ,我が国をかつての勢いにまで逆再生する唯一の途である。」

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