昨日,台風22号が首都圏を直撃した。非常に強い台風で,東日本にとっては過去最強だともいわれている。この日,私は家に閉じこもって雑事をこなしていたが,本当は東京に出かけて「beat seminar公開研究会」(BEAT)に参加してみようかと思っていた。知っている人に会えそうだったのと,「視聴覚教育メディア論」講義のための素材としても興味深いし,なにより研究への刺激を欲していたから。
ところが,台風なのである。案の定JRのダイヤは乱れているし,東京の宿も確保していなかったのもあって,飛び込みで参加しようとしていた目論見は,あれこれ勘案して諦めざるを得なかった。ううむ,学会のために東京出張したいと思うと職場の仕事が入り,せっかくの機会で自主的に出かけようと思うと天候が邪魔し‥‥,日頃の行ないが悪いのだろうか,わたし。
beat seminarと呼ばれる公開研究会は,最新の携帯電話が持つ技術的な可能性に着目し,「ケータイ」という新しいメディアとして,学習などに利用活用する方法を研究していこうというプロジェクトによるもの。この分野で日本は最先端である。今回の研究会では海外視察の報告などもあって,その現状を聴ける絶好の機会だった。
もっとも「私個人」はケータイ利用の学習環境づくりが,いまだ技術的ファクターに振り回される点について懸念を持っている。可能性は重々承知しているし,深めることに意義があるとも理解している。私もその理念的な部分やカリキュラム的な部分について考えている人間の一人であるから。
しかし,ケータイ・メディアは,先日のソフトバンク社が指摘した市場の寡占状態ゆえに,本質的な議論が商業的な理屈にねじ伏せられてしまう側面が強い。逆に言えば,私たちが相手を説き伏せられることが出来れば,事態を操作できるという可能性もあるのだが,その辺を実質的に統御する仕組みは,きわめてローテクな人付き合いの領域にありそうだ。
私たちはケータイというインフラの可能性について語ると同時に,そのインフラの不安についても自覚的でなくてはならないことは当然である。インフラ議論には,そのバックアップを確保することに関する部分がある。学習環境において言い換えるなら,オルタナティブな学習環境の構築であろう。ケータイもあり,パソコンによるインターネットもあり,図書などの資料もあり,これらを複合的な扱うことも必要であるし,特定の手段が無効になった場合に立て替えとして切り替えられるような方策を考慮しておく必要がある。その切り替えや立て替え部分にこそ,カリキュラム研究や教育法法研究の新たな課題が待ち受けているように思うのだ。
それだけに,今回,東京出張できなかったのは残念。JRというインフラの不安は,ケータイというインフラの不安を暗示していなければいいのだが‥‥。
初めてトラックバックなるものを使ってみました。K君,勝手にごめんね。