昼下がりの科学館

 平日の昼下がり,私は人気もまばらな科学館に足を踏み入れた。それは何年ぶりなのだろうか。小学生のときに友達と来て以来,20年は経過しているだろう。増築されて少し規模が大きくなった科学館は,不思議な空間だった。
 科学館のような施設は,その様々な展示の魅力が重要である。科学知識をわかりやすく見せて印象づけるため,様々なビジュアル伝達方法が駆使される。たとえば展示資料の分類には「実物資料」「復元資料」「模型資料」「写真資料」「映像資料」「音声資料」「図解資料」「解説資料」といったものがある(『博物館ハンドブック』雄山閣1990)。こうした資料を展示するために,マルチメディアを得意とするコンピュータも活用されるというわけだ。
 とにかく私たちは,ボタン一つで解説が始まったり,展示物が動き出したりする,その単純な仕掛けに喜んだ経験を持っている。ボタンが増えれば,わくわく感も増したものだ。そうやって印象に残った展示装置をいまでも覚えている。そして20年もの時を経て,もう一度科学館に足を踏み入れたとき,そこには新しい展示装置もあったが,かつて見てさわった展示品もたくさん残されていることに懐かしさを感じたのである。


 なにしろ平日の昼下がりだと科学館の来場者は,高齢の観光客数人と,平日デートをする大学生カップル,それと暇なので来てみたという男子学生コンビくらいしかいない。私もたまたま時間が空いて,近くまで来ていたのでふらっと寄ってみただけである。子どもたちの姿もない。展示装置は誰もいない空間でひたすら科学知識の解説を繰り返している。そんな空間に独りでやってくると,背中がぞくっとする。
 生命館と呼ばれる増築されたセクションは,海外のサイエンス・ミュージアムを参考にした展示空間デザイン。小分けにパッケージされたような古い形式の展示ではなく,空間を自由に使う感じの贅沢な設計だった。つまり,展示装置の設計重視というよりも展示空間の設計に重きを置いていると考えていい。
 また展示装置にしても,地球環境を実体験するためガラス張りで40度くらいに保たれた部屋と-20度くらいに保たれた部屋が隣り合わせになっている展示装置があるが,実際にそういう空間を作り出そうとする大胆さが垣間見られる点で,従来と異なるように思う。といっても,この辺の展示技術の話は旧聞であろう。
 おそらく,科学館は私がこの道を歩んでいる一つの原体験だと思う。知的探究へのあこがれ。いま訪れてみれば科学館に備えられた知識量は少なく見えるし,オーバーホールを重ねているとはいえ老朽化している展示装置がいまも通用するものなのか不安な思いもある。子どもたちに知的探究のおもしろさを喚起するためには,もっと進化しなければならないのではないかとも思わないではない。けれども,科学館はかつての雰囲気を残していたことは確かだった。そのことにホッとしたし,だからこそ頑張って欲しいとも思う。
 短い時間で駆け足で展示を見て回り,退館するためエレベータに乗る。女性の職員さんと乗り合わせたので,「生命館って,いつオープンしたんですか」と尋ねた。「平成元年ですよ‥‥,初めてですか?!」「はい,小学生のとき以来です」「そうですか!それはそれは,じゃぜひまた来てください」「はい,ありがとうございます」
 なんとなく,誰かにそういうことを話したかったのだと思う。昼下がりの科学館,20年ぶりの再会だった。