某容疑者の護送の陰に隠れてしまったが,行政刷新会議による「事業仕分け」が11日から9日間の予定で始まり,文部科学省の諸事業も初日から俎上に載せられ議論の的となった。
その日は疲労で寝込んで見逃してしまったため,肝心の学校ICT化事業に関する議論を見ることができなかったが,断片的な情報を組み合わせたり,評価結果を見たりして,なんとなく想定通りの展開になったのだなと納得している。
結局,私たちの情報発信に関する力不足が露呈したわけだ。そのことをまともに受け止めなければならない。
あれこれ眺めていると,議論が低レベルだとか,理解してない人間が議論していて仕様がないとか,結論ありきで議論もへったくれもないとか,いろいろ感想が飛び交っているようだ。その感想を否定するつもりはないが,そんなこと五年も十年も前から想定できた感想なんだから,いまさらそんな感想はないでしょうという気もする。
少なくとも私たちはチャンスを幾度も逃したのである。
自慢にもならないが,昨年度の補正予算の第一次募集への応募者がぎりぎりセーフ。
結果的には,学校ICT化全体で言えばアウトを宣告されたわけである。
妥当な宣言じゃない? 言い分が届かなかったんだから,反省するのはこちらである。
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情報が公開されること。このように事業仕分けの議論が全面公開されることは歓迎すべきことだと思う。
けれども,こんなことが必要になるところまで来てしまった事態自体に深刻さを考えなければならない。
本来,こんなことは信頼ある専門家が密室でしっかりやってくれれば良いことだったのである。
それが不可能になってしまったほど国家の水準が低下していたのだし,それはかなり前から周知の事実。
そのことに危機感を抱いて動けていただろうか。問題意識を持てていただろうか。
結局,確定した方法や手続きに甘んじて,適切な運用や決断を怠ったツケが溜まってしまったわけだ。
公開の場に引っ張り出さなければ刷新ができないとされてしまった専門家の硬直具合を,我が身のことではないかと疑う姿勢があるかどうか問われている。
自分のことを考えると,本当にため息が出るくらい何もしていない。はぁ…。
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もちろん,概算予算要求に関する最終決定は各省庁にあるわけで,学校ICT化も見直して削った上で残ると思われる。教育の情報化は,学習指導要領にも盛り込まれた事項なのだから,まったくゼロでは整合性上問題も残るからだ。
しかし,そのICT化の必要性が一般人に(事業仕分け人のような人々にさえ)届いていなかったという事実の方は,もっと重く見た方がいい。いや,それよりも教育関係者にも届いていなかったことの方が深刻か。
本来ならば早い時期に各都道府県にローカルな教育の情報化エヴァンジェリストとなるような若手研究者を見出し,教育委員会や学校現場と関係づけるようにコーディネイトしていくべきだった。そのようなネットワークの中で,教育実践と教育研究との複層的なネットワークを構築して情報交換を展開すべきだった(もっともその若手を育てられないアカデミズムの構造問題はさらに深刻さを増している)。
教育の情報化の世界では,限られたメンバーがグループを作って(結果的には)トップダウン式に啓蒙活動をしているのが実態であり,一部の実践者や研究者にほとんどの負担が向けられている。そして,そういう有名グループや研究者の周辺に,ほとんどの教育産業が集っているという構図である。正直なところ,この構図やアプローチには限界があるし,いよいよそれが露見している。
いま求められているのは,そういう現状の改革なのかも知れない。行政刷新するというならば,実践・研究コミュニティの在り方も刷新していく柔軟さが求められると思う。
これは失言なんかじゃない。私個人の決意を再確認しているだけである。これまでいただいたご縁やご恩を私なりに活かすには,そういう距離感を確保しなければならないとずっと考えているのである。傍流・逆流研究者の私には,小さなことしかできないとは思うが,自分の居る場所で自分なりに前に進むだけである。
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それにしても,「子どものICT利用実態調査」という調査に関わった人間としては,事業仕分けにおける議論は,いろんな現実を見ることになって悲しい。
反省することはたくさんあるが,とにかく自分に出来ることを仕込み続けて開花させるしかない。遠回りしすぎて,勢いも何も無い感じだが,チャンスは必ずやって来ると信じて,地道に生きていくしかない。