3/28「iPad教育利用の集い」

 この数日,何かに突き動かされるようにイベントを開くための準備を始めた。

 昨日記事にしたiPadというタッチデバイスを教育利用の観点から受け止め考えてみようというイベントである。

 本当は「iPadのようなツールの教育利用を考える集い」とした方が私の真意には合っているのだけれども,何はともあれ,iPadという商品の持つインパクトに興奮している事実もあるので「iPad教育利用の集い」として開こうと思うのである。

 なぜこのようなイベントをする必要があるのか。

 私なりに理由はたくさん並べられる。そして,同じようにiPadに対して何かを思っている人はたくさん居て,私はそれをTwitterやブログやUSTREAMといったネットメディア上に見てしまった。

 この点在している声をただ分散させておくだけでは,またいつものように後追いの状況を作ってしまうだけではないか。そのような危惧とともに,先回りの姿勢を示す出来事を起こさなければならないという気持ちに駆られた。

 大学のような高等教育はいい。教育環境がそういったツールにある程度の親和性を持っているし,大学の先生たちは研究者でもあるから,新しいメディアだ,ツールだと注目して,研究対象としていろいろ試行錯誤するチャンスもある。高等教育段階での教育利用を考える役者はごまんといるわけである。私のようなものが立ち上がらなくても立派に進む。

 しかし,小中高校段階はどうだろう。

 一部の私立学校は独自に新しいツールを導入することを決めて,先進的な教育実践に取り組めるのかも知れない。けれども,この国の多くを占める公立学校の学校教育現場は?この国の学校教育を支えているたくさんの先生方の中にも,新しいツールに対する関心を示している人たちは少なからず居る。けれども,学校単位,あるいは市町村単位で学校教育の在り方が決められている制度の中で,一人一人の先生たちの興味関心は十分拾われるとは言い難い。

 私は,Twitterを始めとしたネットメディア上に発見した一人一人の先生たちの興味や関心の声を拾う試みも,ネットメディアの有効利用になるのではないかと思った。こうした声に応える形のイベントを開くことが大事ではないのかと思えた。

 他でもない,全国の教育現場で日々頑張っている教育関係者の中にいる,新しいツールに関心を寄せ,それが何かを知りたがっており,可能性を模索しようとしている人々,あるいは新しいツールに懐疑的で,それが学校教育の現場に持ち込まれても役に立たないと考え,過度な期待に否定的な人々に対しても,直接iPadが紹介され,教育関係に携わる各分野の人々がどのように展望しているのかという意見を届けるということは,重要だと思われたのである。

 そして,率直に全国からフィードバックを受けることによって,こうした新しいツールが,日本の教育現場に受け入れられるための条件とは何か,変えるべきもの,足りないので加えるべきもの,埋めるべき隙間,望ましい活用方法,考えられる限界を情報交換しておくことで,アップルも,また居合わせてくれる教育関係の人々にも立ち向かうべき課題が明らかになるようにしたいと考えている。

 集いは研究会ではない。どちらかといえばお互いのビジョンを確認し合う場だと思う。

 私たちには,考えにたくさんのズレがあるはずなのに,それをざっくばらんに語り合う場が無い。集いの場がそのような場になるのは難しいとは思うが,少なくとも,きっかけや一つの試みになることを私個人は期待している。

 そういう私個人の思いはともかく,3/28の催し自体は,気楽なものになればいいと思っている。最初の顔合わせみたいなものだから,緊張しすぎても仕方がない。

 iPadの実物がデモされたら,それはそれで嬉しい。しかも全国の先生たちに向けてのデモ。その事実が大事なんだ。そして教育関係の企業や団体の皆さんもタッチデバイス時代の教育の在り方に注視しており,全国の先生方のことを考えているのだということが伝われば,それは心強い2010年度の幕開けになるのではないかと思う。

 私は,日本の学校教育現場が元気になってくれることを望む。

 iPadにその願いのすべてを託しているわけではないから,iPadそのものを売り込むことに加担したいわけではない。むしろ,iPadのようなものを柔軟に受け入れられる先生たちを養成したり支援する環境の実現を望んでいる。だから,今回のような場を企画し準備している。

 この国には,もっと先生たちをバックアップしていく仕組みや動きが必要だ。その形や大きさは様々あるが,今回の催し物の企画も,小さいながらその一つの提案である。