ゆとり世代

 「教育方法・技術論」といった教職科目を担当し続ける中で,最近の学生たちからのコメントで触れられている,ある風潮について読む度,悲しい気持ちになる。これはいまの職場だけの話ではない,念のため。

 授業で「学習指導要領の変遷」をテーマに扱い,講義をする。その時の授業で必ず,学生のコメント用紙に次のような内容のものが書かれて返ってくるのである。

 曰く,自分たちは周りから「ゆとり世代」と呼ばれている。ある者は,そのことを指して「君たちはゆとり教育の被害者(あるいは犠牲者)だから…」と口にする。あからさまではないにしても,自分たちはネガティブな見方をされている。

 そして学生によって,ある人はそのことを理不尽と思い反論するし,ある人は自分自身でやるせなくなっているし,ある人はすっかり自信を失って軽く自暴自棄なコメントを書いてくる。

 学力や学習意欲の問題は,丁寧に議論する必要があるため,安易な印象論で語るべきではない。ところが,そういう基本的な鉄則が踏まえられないために,キーワードだけ捕まえて人に何かを言ってしまう例が多い。

 学生達のコメントには,人から言われた切ない言葉が具体的に書かれていたりする。そういう言葉を若者に向けて発するのは,個人的には感心しない。

 それにしても「ゆとり世代」という言葉はどこからやって来たのか。

 「ゆとり教育」も正式な用語ではないが,かなり使われているためにある百科事典には掲載されている。(最近公開された「コトバンク」という百科事典サイトを使うと「百科事典マイペディア」で用語採録されているらしいことがわかる。)

 しかし,「ゆとり世代」はwikipediaぐらいにしかない。(ちにみにwikipediaの教育関連項目は,どうも高校教育に強い人が書いたものが多かったりして,内容のまとまり方や深まり方にムラがあるから注意が必要だ。まあ,wikipedia全体の特徴だけど。)

 どうやら,学習指導要領が平成10,11年度に改訂した際に行なった「教育内容の削減」の影響を受けた人たちのことを主に指しているらしい。この改訂が完全実施されるのが平成14年度(小中)と平成15年度(高)なので,その時点から小中高校に通っている人たちを指しているということになる。

 ただし,それ以前の学習指導要領改訂(S52,53とか)でも「ゆとり」の重視は目指されたことがあるし,平成元年改訂(H4,5,6実施)も個性重視と生活科の導入でそのような流れは続いていたのだから,広義に捉えたとき「ゆとり世代」はもっと上の年齢層も含まれるだろう。

 結局,別の世代のことを理解できないことを棚に上げて,レッテルを貼って印象論で片づけようとする行為が,「ゆとり世代」という言葉を生かしてしまっているのだろう。

 時代が移り変わることで,人がある年齢で接する文化は自ずと変わる。接する文化の違う人を理解するのは,いつでも大変なことだ。

 私自身も,とても苦労することが増えた。アニメやマンガの話は,もうほとんど分からなくなっている。自分が新しいと思っていたものが,いまの学生達にとっては二世代も三世代も前のものだったりする。

 最近は,そういう入り口に無理して追いつく必要はないなと思う。だから,あんまり無理して若者を追いかけないで,マイペースで行くことにしている。

 ゆとり世代に対するイメージは,そりゃいろいろあるが,ポジティブにしろ,ネガティブにしろ,最終的には私自身が相手にどう向かい合うかで,相手の態度も決まってくる。

 だから,ここでも「知識」というものを通した誠実な関係を学生達と育めればと思う。前へ進もう。