エクセルで調査結果のグラフ化作業。エクセルは万能ソフトといわれるくらい高性能なソフトだが,フォントを変えて微調整したいときなど(DTPソフトではないので)難しかったりする。研究発表資料とはいえ,できるだけ図版の見栄えも意識したいと思う。
青森(…ですよね ^_^)の先輩から電話をいただき談笑。学生の甘えた態度に怒り心頭といったご様子。特に女子学生の集団を相手にする場合,緩急のバランスや距離の取り方などが難しく,私も前職ではいろいろ悩んだことがある。
ゼミで厳しく指導すると凹んだり落ち込んだり,飲み会の付き合いを諸々に配慮して断ると「付き合いが悪い」だの「じゃお金だけでも」と平気で言ってきたり…。いやはや,「お客様」相手は大変。真面目にやる人ほど神経すり減らします。
私の場合,通常状態が「怒らない」という印象なので,「怒ると怖い」という評価を植え付けるように,たまにドカンと怒るようにしていた。たとえば,授業などで学生達から見ても「それやりすぎだ」という場面を捕まえてドカンと怒る。けれども,わたくし半分役者なので,ドーンと怒った後ケロッとまた元に戻る芸当をしたりする。それだけだと「のど元過ぎれば」になってしまうので,その授業時間が終わるまでに通常状態で振り返ったりする。
あんまり効果のあるやり方じゃないかも知れないが,わりと学生達との距離の取り方としてはやりやすかった。許容のさじ加減で迎合してしまいがちな側面がないでもないが,その辺は臨機応変にやっていたように思う。
高等教育という場でそんな苦労が展開しているのは,あまり感心できることじゃないかも知れない。ただ,知的領域でもそういった苦労はどんどん増えていて,(しばらく述べたくないのだが)例の高校の科目履修問題も絡んで悩ましい自体が進行中である。たとえば立花隆氏のWeb連載記事でも高尚なグチが展開している。原田武夫『タイゾー化する子供たち』(光文社2006)は私も心情的に共感する部分が多いし,著者の優秀さに「同年齢なのに努力不足でごめんなさい」という気持ち。ただ「タイゾー化」という言葉は,世間の優秀なタイゾーさん達に失礼かなと思っていた。分かりやすいとはいえ,取り上げにくいよね,ちょっと。あ,でもこれで取り上げたことになるか。
私自身,学ぶスピードが昔から遅く,今だとさらに遅いのに,まだまだ学ぶべきことが多いので大変である。生涯学習時代だといわれて,ある程度寛容な態度で見てもらえるようになったが,やはりいろいろ障壁も多い。
そもそも学ぶ意欲そのものが何処かへ飛んじゃった(「学ぶべきものがあったなんて知らなかった」みたいな)感じになったら,学び自体が発生しない。どうやらそういう事態が進行して,かなり危うい場所にいるということを改めて皆が気づき始めたみたいだ。結局,崖っぷちに立って初めて世間は気がつくという変わらぬ風景があった。
もっとも私はダイソーで買い物する方が好きかな。家計が崖っぷちなので。
りん先生、怒るんですね!?それはたしかに怖いかも、です。そういえば私の上司も「女の部下は扱いが難しい」とボヤいていました。時々声をかけてコミュニケーションとらないとダメだとか、健康も気遣ってあげなくてはならない(少なくともそのフリをしなくてはならない)とか。飲み会のことも言ってました。私も女子なんですがそれは眼中に無いようでしたが…(^^;)