学習科学研究会

 昨日は,学習科学に関する文献を講読する研究会に参加した。やはり議論や対話のある場で勉強するのは面白いし楽しい。
 学習科学に関する文献は『The Cambridge Handbook of Learning Science』というハンドブック。これを実質3日で読み終えたことになった。英語文献もみんなで読めば怖くないし大変勉強になる。内容豊富な文献で,正直なところ学習科学の様々な立場が入り乱れて語りかけてくるので,舞台裏についてガイドがないと俯瞰図を描くのはなかなか難しいが,それでも得るものは多いと思う。
 なかはらさんのエントリーに「知識統合」と「知識構築」に関する大変興味深い議論が記録されている。私もこの件は,新聞記者のごとく,関心を持って大学ノートにメモを取っていた。
 大雑把な構図の次元ということを断った上で,この「知識統合」と「知識構築」に関する概念の対比は,私を含めて日本の教育実践の世界に引き寄せて考えがちな人々には,「系統主義(系統学習)」と「経験主義(発見学習)」の対比を想起させるのではないだろうか。カリキュラム分野に造詣のある人は,「工学的接近」と「羅生門的接近」の対比を思い浮かべるかも知れない。
 子細な部分についての差異はあれど,大きな問題構図は学習科学の場にも現れていたのだと分かる。そこから,この比較的新しい学問分野を受容する道筋もあるのではないかと思う。
 けれども,日本の文脈から学習科学の知見を眺めると,「日本の教育実践ではすでに日常的にやっている」事柄を学術的に論じているだけではないかと感じるものも多い。現場の教師にとっては,受け継がれてきた教育実践のノウハウを,個別バラバラな子どもたちの現実にどう活かしていくのかということが最大の関心事。一歩手前にあるノウハウの言語化や体系化に関して,その重要性は表面的には理解できるとしても,そこへ戻ってどうこうすることまではしようと思っていない傾向にある。ラーニング・デザインやインストラクショナル・デザインを日本に導入していこうとする際の困難は,そんなところにあったりする。
 しかも,一歩手前の事柄に関して,学習科学だろうとなんだろうと提案を通そうとすれば,おのずとトップダウンの形になる。そして日本の教育現場はトップダウンだと言うことを聞いてくれない場合も多い。(e-Japan戦略と教育の情報化のお話を思い出せば,「違う」とはいえないよね,ねっ。もっとも,この場合は地方自治体が言うこと聞かないのか…。)
 学習科学を導入するメリットは,学習に関する共通言語によって実践を語れるようになるからである。日本の教師たちが受け継いできたものを世界に開くためにも,また世界の知見を日本の現場に持ち込むためにも,そのチャネルは確保することが大事になってくる。これまではともかく,これからは,現場にとっても世界は無視できない。
 日本で学習科学に対する理解を得るためには,日本の教育実践を学習科学の知見で解説していく試みを増やしていく必要があると思う。以前も書いたが,長野県の伊那小学校には優れた総合学習の実践がある。これは学習科学における「知識構築」の立場に近いと思うし,興味深い題材になるはずだ。しかも,伊那小学校の実践は,教科の学習との関連性についても考えるため,「知識構築」と「知識統合」のハイブリッド実践ともいえる。
 駄文の結論は前回と似たようなものだが,日本の教育研究はまだまだ盛り上がる余地があると思ったし,そういう研究の意欲をかき立てるようにしていくのも私たちの役目なのかなと思う。そうそう,教育フォルダの目指すところは本来それでした。初心忘れるべからず。