あの事件が起こったとき,私はラジオを聴いていたのだろうか。記憶に自信がない。とはいえ,ラジオからそのニュースを得ようとしていたのは憶えているし,CNNのWebサイトを注視していたことはよく憶えている。
それから数ヶ月後に,個人的な失敗をしてしまい,それをきっかけにニューヨークへ行くことを決心する。事件からちょうど一年後,私は初めて訪れたニューヨークで黙とうをしていた。
それからは,少しでも世界的な視野というものを意識しなければならない,そう思ってきた。けれども,自分の能力の乏しさが足かせになって,どうもうまく出来ていない。世界のことを知っていくのは大事だけれども,世界の中のこの国を足場にやるべきことがたくさんある。そう思うと,いつもの悪い癖で丁寧さがどこかへ飛んでしまう。
あれから歳月が流れて,世界はますます混とんとしてしまったようにも思う。だというのに,日本の私たちの生活はどことなく変わらないようにも見える。緩衝材に守られ慣れたこの社会は,緩衝材が擦れて破れた事態に対応することが出来るのか。一日一日,その日がやって来ることを不安に思いながら生活をしている。
それでも,教育の世界は,現実の先に希望を折り込まなければならない世界。少なくとも子どもたちが現実を自ら感知して判断を下せるところまでは,可能性を語らなければならない世界。目をつむれというわけではない,幻想を見ろといっているつもりもない。どんな形にしろ,自分を語っていく努力を続けなければならないということだと,いまのところ思っている。
911。人々が空を見上げてから,5年である。
研究室からの帰り、コンビニで飯を買って、
家についてぼんやりザッピングしていたら、
何やら飛行機がビルに突っ込む映像が出たけど、
中継の意味(意図?)がよくわからず、「?」を頭に
浮かべたまま即寝てしまい、翌日新聞で驚愕。
来年度からの居場所が決まった由、おめでとうございます。
「再入院」、「完治」されますよう。