BEATセミナーに参加。Web2.0で創る『みんながちょっとずつ頭がよくなる世界』というテーマで,Web2.0の世界の発想を教育に活かせる点があるなら探ってみようという場であった。
Web2.0についてはあれこれ雑誌でも紹介されていたので,ティム・オライリー氏の定義とか云々は置いておくとして,それでどんなことができるのかを朝一プログラミングでつくって見せちゃう事例には感心した。東京大学研究員である久松慎一さんの講演は,既存のサービスの紹介だけでなく,Web2.0の基礎技術の活用事例もあったので興味深かった。
それからネットユーザーのサイト利用動向を視聴率の観点で調査した結果について消費行動との関係でWeb2.0的なものを分析する話もあった。かつてはテレビ視聴率も集計していたニールセンのグループ会社であるネットレイティングスの社長である萩原雅之さんによれば,広告マーケティングも消費者の「サーチ」行動と「シェア」行動を意識しなければならなくなったということらしい。
また実際にWeb2.0的な活動をしている「百式」というサイトの管理人である田口元さんは,Web2.0をブログ界隈で言われている解釈で明解に紹介した。要するにWeb2.0というのは「○○はイケている」と同じような「格付け」概念なのだと。なんとなく2.0と言えば人が集まってくるし,かといって2.0について人々が考えるものは必ずしも完全一致しない,しかも2.0を自称する人って大概そうじゃないというような特徴の類似が「2.0」と「イケてる」にはあるんじゃないかと,実際の事例をあげて指摘するのである。それで田口さんがクルッとまとめて定義したのは
「いかに”2.0っぽいね”と格付けされるよう適切なコミュニケーション手法をとれるか」
ということ。「コミュニケーション手法」という観点から考えるというのは,技術的な観点ではなくて,多分に人文的というか教育的というか…。その辺から今日の話題がさらに膨らむのかなと期待を抱かせるものだった。
ところがそう簡単じゃなかったというのが今回の結論だった。どうも教育的なるものは1.0的なのか,0.いくつなのか。2.0とはかなりの隔たりというか,溝があるようなのである。結局,2.0は「Why not?」の世界だから,高く格付けされたければ適切なコミュニケーション手法をとればいいじゃん,うまくいくように頑張って,ダメなら仕方ないんじゃない?という感じなのである。片やフロアというか,教育界隈の人々は,積極的に相手に影響を与えたいと考えるから,ダメなら仕方ないのが許せない(?)という立場。
最後のまとめで,大きな溝をうまく跳び越える手段があれば,2.0的なものと教育とで面白いことができそうだと予感が示されたのであるけれども,そうなると既存の学校や教育の枠組みでというわけにはいかないのではないかということも会場の多くの人たちが同意していたと思う。
その後,懇親会。いつものようにテーマ絡みの雑談から青山豆腐工房と記号論の話題まで,縦横無尽におしゃべりが続き,メモの大事さを再確認してお開きとなった。